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アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー
Andrew Mountbatten Windsor
2013年
在位 1986年7月23日 - 2025年10月30日
続柄 エリザベス2世第2王子

全名 Andrew Albert Christian Edward Mountbatten Windsor
アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード・マウントバッテン=ウィンザー
称号 ヨーク公爵→(剥奪)
インヴァネス伯爵→(剥奪)
キリレイ男爵→(剥奪)
身位 Prince(王子)→(剥奪)
敬称 HRH(殿下)→(剥奪)[1]
出生 (1960-02-19) 1960年2月19日(65歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
配偶者 セーラ・ファーガソン
(1986年 - 1996年)
子女 ベアトリス
ユージェニー
家名 マウントバッテン=ウィンザー家
父親 エディンバラ公爵フィリップ
母親 エリザベス2世
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アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー: Andrew Mountbatten Windsor 洗礼名: アンドルー・アルバート・クリスチャン・エドワード; 英: Andrew Albert Christian Edward1960年2月19日 - )は、イギリス王室の成員で元貴族・元軍人で、ヨーク公爵(第8期:1986年 - 2025年 )であった。エリザベス2世女王の第3子で次男(第2王子)。名前については、伝統的なカタカナ転写のアンドリューという表記も、BBCなど各種のメディアで用いられている。

王位継承順位は2022年現在、リリベット王女に次いで第8位ではあるが、イギリス王室を紹介するウェブサイトでは後述の問題により14人の王族の内で末席の扱いとなっている。

公式の称号および敬称は「His Royal Highness The Duke of York」(ヨーク公爵殿下)だったが、2025年10月17日、返上を表明し、同月30日、チャールズ国王により剥奪された[2][3]。公邸はロイヤル・ロッジだが、称号剥奪と同時になされた賃貸借契約の解除の正式な告知により、代替の私邸へ移ることとなった[3]

略歴

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出生

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1960年2月19日エリザベス2世女王とエディンバラ公フィリップ王配の次男として、バッキンガム宮殿にて誕生した。兄にチャールズ3世、姉にプリンセス・ロイヤルアン、弟にエディンバラ公エドワードがいる。

アンドルーは、ヴィクトリア女王の末娘ベアトリス以来103年ぶりに在位中の君主のもとに誕生した子供である。

同年4月8日に、宮殿内でカンタベリー大主教ジェフリー・フィッシャー英語版から洗礼を受けた。代父母には、グロスター公ヘンリーアレクサンドラ・オブ・ケント等がいる。

アンドルーという名前は、父方の祖父であるギリシャ王子アンドレアスにちなんだものである。

教育

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幼い頃は、兄チャールズと同様に家庭教師によって就学前教育を施された。

1973年9月に、兄と同じスコットランドゴードンストウンに進学した。その間、1977年1月から6月までの6ヶ月間、カナダオンタリオ州のレイクフィールド・カレッジ・スクールに交換留学した。

2年後の1979年7月に、英語・歴史・経済学の3科目でAレベルの成績を修めて卒業した。その後は、海軍兵学校へ進学することを志望した。

軍歴

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イギリス海軍に入隊

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1978年11月に、アンドルーが海軍に入隊を志願している事が発表され、12月より体力測定や面接など様々な試験を受ける事となった。1979年の3月から4月にかけて、海軍兵学校においてパイロットとしての試験を受け、ヘリコプターパイロット見習として認められ、同年5月11日より12年間の契約を結ぶ事となった。

1979年9月1日に、アンドルーは海軍少尉候補生に任命され、9月12日に海軍兵学校に入学した。他の少尉候補生の例に漏れず、アンドルーも1980年の1年間は、海兵隊コマンド部隊に参加する義務を負った。

兵学校を卒業した後は、空軍で基礎的な飛行トレーニングを終えた後、海軍で汎用小型ヘリコプター“ガゼル”を操縦する技術を学んだ。その後、アンドルーは対潜水艦攻撃用ヘリコプター“ウエストランド シーキング”の操縦士に転向し、同機の操縦技術を習得した。

1982年には、第820海軍航空隊に加わり、航空母艦インヴィンシブル”に乗艦した。

フォークランド紛争

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軍服姿のヨーク公

1982年のフォークランド紛争勃発に伴い、アンドルーもヘリコプターのパイロットとして従軍することとなった。アンドルーが乗艦していたインヴィンシブルは、海軍が使用できる航空母艦2隻のうちの1隻で、島を奪還するために南方に航行する特別編成艦隊の中心的役割を果たすこととなっていた。

当初、イギリス政府はアンドルーが戦死することを避けるため、インヴィンシブルに乗り組み続けることを懸念し、彼を後方事務の仕事へ異動させることを望んでいた。しかし、母のエリザベス女王が許可したため、アンドルーはシーキングの副操縦士として、インヴィンシブルに乗艦し続けることとなり、アンドルーは対潜戦対水上戦作戦などの任務を、他の将兵と同様に遂行するようになった。

紛争中のエピソードとしては、イギリス艦隊はアルゼンチン軍のミサイル攻撃に苦しんでいたのだが、アルゼンチン軍の対艦ミサイルエグゾセが艦よりも小さな対象―ヘリコプターも追尾してしまうことが判明した。艦を守るためにヘリをデコイにすることが出来ることに気付いたパイロットたちは、自発的に囮の任についた。空襲警戒警報発令と共に空中に飛び立ち、ミサイルが飛来したならばわが身を持って艦を守るのである。この任に当たる者はジャンケン(のようなもの)で順番を決め、ローテーションで交代していたが、アンドルーもまた当然のようにこの任に当たっていたという(なお、この行動を始めた後、実際に対艦ミサイル攻撃が行なわれることはなかった)[4]

紛争終了後、エリザベス女王・フィリップ王配夫妻は、ポーツマス軍港まで、他の搭乗員の家族に交じって帰港を出迎えた。

児童買春スキャンダル

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少女からの告訴

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2014年12月29日、アメリカフロリダ州ウェストパームビーチ地裁訴状が提出された訴訟において、アンドルーが未成年の少女と性交渉を持ったとする疑惑が浮上した。原告は、未成年だった1999年から2002年の間に、アンドルーの友人であるアメリカ人実業家ジェフリー・エプスタインから、アンドルーを含む複数の男と性的関係を持つよう強要されたとしている。

エプスタインは、2008年に未成年を売春させた罪で有罪となり、18か月の刑期のうち13か月を獄中で過ごし[5]、2009年に釈放された[6]。その後、2011年にエプスタインはプライベートジェットで英空軍基地を使用し、アンドルーを訪問している[7]

イギリス王室は、アンドルーと未成年者との性的関係に関する疑惑について、「全くの虚偽」と否定する声明を出したが[8][9]、相手の年齢についてアンドルーが認識していたかどうかは別としても、各種証拠からアンドルー本人が未成年の少女と性的関係を持ったことは明らかであり、王室のイメージの大幅な毀損は避けられない事態となっている。

この原告女性は匿名での報道を望んでいたが、2015年1月4日に、イギリス王室が出した2度目の声明では、アンドルーの性的接触ないし関係を持ったとする疑惑を、1度目より強い調子で否定するとともに、原告女性バージニア・ロバーツの名前を公表している。イギリスでは、性的犯罪は、関係者が実名報道を望まない限り、匿名で報じる慣習があるが、イギリス王室はこの慣例に反して、被害者の実名を出して批判した[10]

BBCのインタビューにより炎上

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BBCが2019年11月19日に放送したNewsnightのインタビューで、アンドルーがエプスタインとの親交について語り、「原告女性と会った記憶も無い」と語ったことが、「被害者への配慮に欠ける」と社会的な非難を受けた[11]。アンドルーはこのインタビューで、娘のベアトリス王女の18歳の誕生日パーティーにエプスタインを招待していたことも明らかにしたが、この時すでにエプスタインには「未成年に対する性的虐待」の容疑で逮捕状が出されていた[12]

インタビュー放映後に、多数の企業がアンドルーとの協力関係の中断を決定し、アンドルーが名誉総長を務めるハダースフィールド大学でも総長辞任を求める学生運動が起きた[13]。21日、アンドルーは王族としての公務から退き、230の後援団体からも身を退くことを明らかにしている[14][15][16]

2021年3月30日、アンドルーはウィンザー城を離れたという。ジェフリー・エプスタインの元恋人であるギレーヌ・マクスウェルは、ニューヨークで1994年から1997年の間にエプスタインが3人の10代の少女を性的行為のために集めることを手伝ったことにより2020年7月に逮捕されて以来、ブルックリンの刑務所に拘禁されている。新たにマクスウェルにはニューヨークとフロリダで1994年から2004年にかけての容疑が加わり、この期間中にアンドルーはエプスタインと親交を持っている[17]

公的地位を返上して公務停止

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2022年1月12日、ニューヨーク州南部地区連邦地裁のルイス・A・カプラン判事は、バージニア・ジュフリー(旧姓 ロバーツ)を原告とする訴訟について46ページにわたる決定文書[18]を表し、アンドルーの審理却下請求を無効とした[19]

これを受けて翌1月13日、アンドルーは軍の名誉職と慈善団体などのパトロン(後援者)の役職を女王に返上し、2019年以来の公務停止に加えて王室メンバーとしての公的地位を事実上全て失う事となった。また、今後はメディアにおいて王族の敬称である「ロイヤルハイネス」(殿下)も使われないという[1]

その後

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同年6月、母親のエリザベス2世の即位70年を記念する一連の行事英語版プラチナ・ジュビリー)には3日にセント・ポール大聖堂で行われる礼拝に出席予定であったが、新型コロナウイルス感染を理由に欠席した[20][21]

同年9月8日のエリザベス2世の崩御後、棺が安置されているウェストミンスター宮殿にて16日、チャールズ国王、アン王女、エドワード王子らと共に棺の警備英語版に立った。“女王への特別な敬意の印”としてアンドルーは軍服着用を許可され、軍服姿で現れた[22]。翌2023年5月6日にはチャールズ国王の戴冠式にも出席した[23]が、普段はウィンザーの王室所有の邸宅、ロイヤル・ロッジ英語版に隠棲している[24]

称号の剥奪へ

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バッキンガム宮殿の声明
2025年10月30日発表
国王陛下はきょうアンドルー王子の全ての称号、身位、栄典の剥奪の手続きを正式に開始された。

アンドルー王子は今後アンドルー・マウントバッテン・ウィンザーとして知られるようになるであろう。彼のロイヤル・ロッジの賃貸借契約は、現在、彼が居住を継続する法的な保護を提供している。これについて賃貸借契約を解約するための正式な告知がなされ、彼は代替の私的な住居に移転することになる。これらの懲戒は、彼が自身への疑惑を否定し続けているのにもかかわらず、必要であるとみなされた。
国王王妃両陛下はあらゆる形態の虐待の犠牲者と生存者にこれまでもそしてこれからも思いやりと最大限の同情を寄せられつづけていることを明確にされることを願っておられる。
以上[25]

2025年10月17日、ヨーク公爵やガーター騎士団員の資格といった、英王室からの全ての称号・栄誉を返上するとの声明を発表[26][27][28]。同月30日には、チャールズ国王がアンドルーから「王子(Prince)」をはじめとする王室からの称号・勲位など剥奪する正式な手続きを開始したと、王室が発表した[29][30]。呼称は「アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー」となる[30]。王位継承順位は、引き続き8位のまま[29][注 1]。なお、ロイヤル・ロッジはアンドルーが個人で2078年までリース契約をしており[27][注 2]、当初は「引き続き居住する見込み」と報じられた[27]が、こちらも賃借権を放棄し退去するよう正式な通告がなされ、アンドルーも同意したという[29]

家族

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ヨーク公アンドルーの紋章

1986年7月23日に、セーラ・ファーガソンウエストミンスター寺院で結婚式を挙げた。それに伴い、ヨーク公爵インヴァネス伯爵キリレイ男爵に叙された(2025年10月30日剥奪)[33]

夫妻は

の2女をもうけたが、1996年に離婚した。

アンドルーが英王室からの全ての称号・栄誉を返上すると表明した(上述)ことにともない、セーラも「ヨーク公爵夫人」の称号を失うことになる[27]

系図

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  • 赤枠の人物は、存命中。
  • 黒枠の人物は、故人。
  • 太枠の人物は、イギリス君主の子女。


公務

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ダボス会議出席時のヨーク公(2008年1月)

エピソード

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称号

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  • 1960年2月19日 – 1986年7月23日
    アンドルー王子殿下(His Royal Highness The Prince Andrew)
  • 1986年7月23日 - 2025年10月30日
    ヨーク公爵殿下(His Royal Highness The Duke of York)
  • 2025年10月30日 - 現在
    なし(剥奪)

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、イギリス連邦諸国の同意が得られれば、議会で王位継承権を剥奪することができる[31]
  2. ^ 賃貸借契約は、中世の土地法に由来する「請求されれば胡椒一粒を支払えばよい」(Peppercorn (law))という形式的なもの(事実上無料)であり、この「特権」にも国民の不満が高まっていた[32]

出典

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  1. ^ a b アンドルー王子の軍籍剥奪 性的虐待疑惑、公的地位全て失う―英王室」『時事通信』2022年1月14日。2022年12月27日閲覧。
  2. ^ チャールズ英国王、弟アンドリュー氏から「王子」の称号はく奪”. BBCニュース (2025年10月31日). 2025年11月1日閲覧。
  3. ^ a b 英王室のアンドリュー王子、ヨーク公爵など称号返上”. BBCニュース (2025年10月18日). 2025年11月1日閲覧。
  4. ^ 日本海事新聞 2008年7月[要文献特定詳細情報]
  5. ^ Lewis, Paul (2015年1月2日). “Jeffrey Epstein: rise and fall of the teacher turned tycoon” (英語). ガーディアン. https://www.theguardian.com/us-news/2015/jan/02/jeffrey-epstein-rise-and-fall-of-teacher-turned-tycoon/ 2022年12月27日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  6. ^ Gerstein, Josh (2014年12月31日). “Woman who sued convicted billionaire over sex abuse levels claims at his friends” (英語). ポリティコ. https://www.politico.com/blogs/under-the-radar/2014/12/woman-who-sued-convicted-billionaire-over-sex-abuse-levels-claims-at-his-friends-200495/ 2015年1月4日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  7. ^ Schlesinger, Fay (2011年3月10日). “Prince Andrew's billionaire paedophile friend given permission to land private jet at RAF base for visit Sandringham” (英語). デイリー・メール. https://www.dailymail.co.uk/news/article-1364742/Jeffrey-Epstein-Prince-Andrews-billionaire-paedophile-friend-visit-Sandringham.html 2022年12月27日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  8. ^ Gershman, Jacob「アンドルー王子に未成年者買春の疑惑、英王室は否定」『ウォール・ストリート・ジャーナル日本版』2015年1月3日。2015年1月3日閲覧。
  9. ^ Macpherson, Robert「英アンドルー王子に少女買春疑惑、英王室は否定」『フランス通信社』2015年1月3日。2022年12月27日閲覧。
  10. ^ 「3回関係持った」英王子の少女買春疑惑 王室はなぜ実名を出して非難したのか…」『産経新聞』2015年1月5日、3面。オリジナルの2016年3月26日時点におけるアーカイブ。2015年1月6日閲覧。
  11. ^ 下司佳代子「エリザベス女王の次男 性犯罪歴ある資産家と交友、波紋」『朝日新聞』2019年11月19日。2022年12月27日閲覧。
  12. ^ 疑惑渦中の英アンドルー王子、BBCインタビューで火に油注ぐ結果に」『CNN日本語版』2019年11月18日、2面。2019年12月3日閲覧。
  13. ^ 英王子に批判噴出 企業が関係中断、公務も停止―性虐待疑惑」『時事通信』2019年11月21日。オリジナルの2019年12月22日時点におけるアーカイブ。2019年12月3日閲覧。
  14. ^ Greco, Alanna Lauren「エリザベス女王、アンドルー王子に対してかなりご立腹!?」『ELLE日本版』2019年11月25日。2022年12月27日閲覧。
  15. ^ Quinn, Ben; Rawlinson, Kevin (2019年11月20日). “Prince Andrew to step back from public duties 'for foreseeable future'” (英語). ガーディアン. https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/20/prince-andrew-to-step-back-from-public-duties-for-foreseeable-future/ 2019年11月26日閲覧。 
  16. ^ Booth, Robert (2019年11月24日). “Prince Andrew to stand aside from all 230 of his patronages” (英語). ガーディアン. https://www.theguardian.com/uk-news/2019/nov/24/prince-andrew-to-withdraw-from-scores-of-charities/ 2019年11月26日閲覧。 
  17. ^ Robinson, Martin; Bates, Daniel (2021年3月30日). “Prince Andrew is seen amid fresh pressure for him to speak to the FBI after Ghislaine Maxwell was hit with TWO new charges covering period after royal became friends with Epstein” (英語). デイリー・メール. https://www.dailymail.co.uk/news/article-9417973/Prince-Andrew-facing-fresh-pressure-speak-FBI-Ghislaine-Maxwell-faces-TWO-new-charges.html 2021年3月31日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  18. ^ Giuffre v. Prince Andrew (21-cv-06702)” (PDF) (英語). U.S District Court Southern District of New York (2022年1月11日). 2022年12月27日閲覧。
  19. ^ 英アンドリュー王子の民事裁判、年内に開かれる見通し 性的暴行疑惑めぐり」『BBCニュース日本語版』2022年1月13日。2022年12月27日閲覧。
  20. ^ Terry, Kaya (2022年6月3日). “Prince Andrew isolates with Covid as The Firm head to St Paul's: Royal fans question disgraced Duke's 'convenient' absence from thanksgiving service... after the Queen pulled out due to her own health woes” (英語). デイリー・メール. https://www.dailymail.co.uk/news/article-10881231/Royal-fans-question-disgraced-Dukes-convenient-absence-thanksgiving-service.html 2022年6月5日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  21. ^ Beardsworth, Luke (2022年6月2日). “Duke of York Prince Andrew to miss Platinum Jubilee service on Friday after positive Covid test” (英語). LancsLive. https://www.lancs.live/news/uk-world-news/duke-york-prince-andrew-miss-24132488 2022年6月5日閲覧。 {{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ)
  22. ^ 英エリザベス女王の子どもたち、棺を警護 チャールズ国王ら4人」『CNN日本語版』2022年9月17日。2022年9月18日閲覧。
  23. ^ ヘンリー王子とアンドルー王子、戴冠式で役割与えられず”. AFPBB News (2023年5月6日). 2025年10月18日閲覧。
  24. ^ アンドルー王子、退去を命じられたロイヤル・ロッジに「引きこもり」!?”. コスモポリタン (2023年5月16日). 2023年5月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年10月18日閲覧。
  25. ^ “A statement from Buckingham Palace” (英語). The Royal Household. (2025年10月30日). https://www.royal.uk/news-and-activity/2025-10-30/a-statement-from-buckingham-palace 2025年11月2日閲覧。 
  26. ^ A statement by Prince Andrew”. The Royal Family (2025年10月17日). 2025年10月18日閲覧。
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  29. ^ a b c チャールズ英国王、弟アンドリュー氏から「王子」の称号はく奪”. BBC News Japan. 英国放送協会 (2025年10月31日). 2025年10月31日閲覧。
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  31. ^ 【解説】アンドリュー・マウントバッテン・ウィンザー氏はここがどん底なのか”. BBC News Japan. 英国放送協会 (2025年11月1日). 2025年11月14日閲覧。
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  34. ^ アンドルー英王子、欧州最高層の「シャード」を235メートル降下」『フランス通信社』2012年9月4日。2022年12月27日閲覧。
  35. ^ バッキンガム宮殿の庭で王子に職務質問 英警察」『CNN日本語版』2013年9月9日。2022年12月27日閲覧。
  36. ^ 安倍晋三日本国総理大臣基調講演”. 総理の演説・記者会見など. 首相官邸 (2013年9月30日). 2021年6月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月23日閲覧。
アンドルー・マウントバッテン・ウィンザー

1960年2月19日 - 存命中

爵位・家督
先代
アルバート・ウィンザー王子
イギリスの旗 ヨーク公
1986年 -2025年
次代
不在
先代
アルバート・ウィンザー王子
イギリスの旗 インヴァネス伯爵
1986年 -2025年
次代
不在
先代
アルバート・ウィンザー王子
イギリスの旗 キリレイ男爵
1986年 -2025年
次代
不在
上位
リリベット・オブ・サセックス王女
イギリス王位継承順位
継承順位第8
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位
ベアトリス王女