キョウエイタップ

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キョウエイタップ
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1987年3月7日(30歳)
死没 (現役繁殖牝馬)
タップオンウッド
キョウエイレッド
母の父 アラナス
生国 日本の旗 日本北海道様似町
生産 出口繁夫
馬主 松岡正雄
調教師 稗田研二美浦
競走成績
生涯成績 22戦5勝
獲得賞金 1億6653万2800円
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キョウエイタップ日本競走馬。おもな勝鞍はエリザベス女王杯。ほかにサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別主戦騎手横山典弘

戦績[編集]

1989年8月新潟競馬場新馬戦(1000m)で蛯名信広を背にデビューし、1番人気に支持されるも5着に敗れる。続く未勝利戦(東京ダート1400m)では鞍上に以後13戦手綱をとることになる横山典弘を迎え、初勝利をあげる。横山は当時デビュー4年目、21歳と売り出し中の若手騎手であった。 1戦を挟み、年明け初戦となるクイーンカップでは重賞初出走ながらも、8番人気を覆す4着と健闘すると、うぐいす賞(500万円以下)を勝利しオープンクラスに昇格する。

続く報知杯4歳牝馬特別では2番人気に支持されたが、10着と大敗し桜花賞への出走は断念。忘れな草賞(オープン特別・4着)からサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別へ進むと9番人気の低評価であったがダイイチルビーをクビ差で抑え、重賞初制覇を達成する。優先出走権を得て、初めてのJRAGIとなる優駿牝馬(オークス)では、最後の直線で伸びがなくエイシンサニーから1.0秒離される6着に終わった。

その後休養を挟み、秋はクイーンステークス6着、牝馬東京タイムズ杯9着と結果が出ないまま、エリザベス女王杯に出走する事になる。評価は秋の凡走を受けて8番人気と低かったが、4コーナーからスパートをかけ、ゴール150m手前で内から鋭く差し込み、後続を一気に突き放し、騎乗していた横山典弘と共に初のGIタイトルを獲得した。なお、横山は先頭に立ったあとゴール手前で勝利を確信すると右手を大きく突き上げてガッツポーズを行ってしまい戒告処分を受けている。

続く第35回有馬記念では見せ場なく13着に沈み、古馬になってからも状況は厳しく、掲示板にも載る事のできない日々が続いたが、1年ぶりの牝馬限定戦となったターコイズステークス(オープン特別)では少数頭も幸いし、1年ぶりの勝利をあげた。

翌年の1992年も現役を続行したが、金杯(東)中京記念と見せ場を作る事はできず、中京記念を最後に引退した。

繁殖成績[編集]

引退後はインターナショナル牧場で繁殖生活に入った。しかし、目立った産駒はおらず、インターシュン以外は中央競馬での勝利がない(地方競馬では6勝をあげている)。

また、唯一中央競馬で勝利した2番目の仔のインターシュン(父・ヘクタープロテクター)は1600万円下条件戦で2着が続いており、そろそろオープンに勝ち上がるかと思われた矢先で競走中止、安楽死処分がとられたという悲劇も起こっている。

血統表[編集]

キョウエイタップ血統(フェアトライアル系(フェアウェイ系) / アウトクロス (血統表の出典)
父系

*タップオンウッド
Tap On Wood
1976 栗毛
父の父
Sallust
1969 栗毛
Pall Mall Palestine
Malapert
Bandarilla *マタドア
Interval
父の母
Cat o'Mountaine
1967 栗毛
Ragusa Ribot
Fantan
Marie Elizabeth Mazarin
Miss Honor

キョウエイレッド
1977 鹿毛
*アラナス
Aranas
1965 鹿毛
Right Royal Owen Tudor
Bastia
Arbencia Arbar
Palencia
母の母
ミスマンジュザン
1973 黒鹿毛
*ヴェンチア Relic
Rose o'Lynn
*ミスハワイ Bel Canto
Alae F-No.11-c
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

外部リンク[編集]