ディアマンテ (競走馬)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ディアマンテ
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1973年4月18日
死没 1999年
トピオ
アテナ
母の父 パーソロン
生国 日本の旗 日本千葉県大栄町
(現・成田市
生産 和田牧場
馬主 佐藤弘嘉
調教師 稲葉幸夫東京
競走成績
生涯成績 28戦6勝
獲得賞金 1億50万3200円
テンプレートを表示

ディアマンテ日本競走馬。第1回エリザベス女王杯の勝ち馬である。

  • 馬齢については原則旧表記(数え)とする。

戦績[編集]

ディアマンテは牝馬で好成績を残していた稲葉幸夫厩舎に入厩したが、同期には桜花賞オークスを制したテイタニヤがおり、ディアマンテはその影に隠れる存在であった。

3歳夏にデビューし、4戦目に初勝利、3月下旬に2勝目を挙げ、フラワーカップ(当時はオープン特別)などで善戦するも勝ちきれず、6月下旬の条件戦で3勝目を挙げた。

4歳秋は緒戦としてクイーンステークスに出走し、ニッショウダイヤ(オークス2着)の3着となった。その後条件戦を勝ち、前年までのビクトリアカップから改名して施行されたエリザベス女王杯に出走し、8番人気に支持された。1番人気は「三冠牝馬」への期待を賭けられた同厩のテイタニヤであった。レースは前日の雨の影響で「やや重」で行なわれ、本馬と同じくトピオを父に持つシービークイン(三冠馬・ミスターシービーの母)が逃げた後を追う展開でレースを進めたディアマンテは直線でニッショウダイヤを振り切り勝利した。テイタニヤは4着に敗れたが、稲葉師は「2頭で牝馬3冠」を達成することとなった。

その後は牡馬相手のレースが続き苦戦するが、5歳秋の福島記念で約1年ぶりの勝利を挙げた。これが最後の勝利となり、翌6歳春のオープン戦を最後に引退した。なおエリザベス女王杯も含め、勝利したレースは全て馬場コンディションが「やや重」「重」で本馬は所謂「道悪巧者」であった。

引退後[編集]

引退後、ディアマンテは11頭の仔を産んでいるが、一番出世した馬でも900万条件で未勝利で終える馬が多くこれといった馬は残せなかった。子孫のカケノジンライがラベンダー賞を勝利するなどある程度の活躍は見せたが、現在は牝系子孫は残っていない。繁殖牝馬も引退した後は功労馬として北海道白老町イーハトーヴ・オーシァンファームにて余生を送っていたが、1999年に死亡した。同厩のテイタニヤが死亡した翌年のことであった。

血統表[編集]

ディアマンテ血統ファイントップ系 / Vatout5・5×5=9.38%、Solario5×5=6.25%、Plucky Liege 5×5=6.25%、Hyperion5×5=6.25% (母内) )||colspan="2" style="background-color:Silver; font-size:80%; "|(血統表の出典)
父系

*トピオ
Topyo
1964 黒鹿毛 フランス
父の父
Fine Top
1949 黒鹿毛 フランス
Fine Art Artist's Proof
Finnoise
Toupie Vatellor
Tarentella
父の母
Deliriosa
1956 鹿毛 フランス
Delirium Panorama
Passed Out
La Fougueuse Admiral Drake
La Foux

アテナ
1965 鹿毛 日本
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛 アイルランド
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
*クレイギバーン
Craigieburn
1949 鹿毛 オーストラリア
Roussel Water Bois Roussel
Cattewater
Mirthful Brueghel
Manumit F-No.1-n
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

外部リンク[編集]