ビクトリアクラウン

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ビクトリアクラウン
品種 サラブレッド
性別
毛色 栗毛
生誕 1979年3月28日
死没 2007年1月30日
ファバージ
ワールドハヤブサ
生国 日本北海道静内町
生産 千代田牧場
馬主 飯田正
調教師 稲葉幸夫美浦
競走成績
生涯成績 14戦6勝
獲得賞金 1億5298万7600円
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ビクトリアクラウン日本中央競馬会 (JRA) に登録されていた競走馬。現在のGIに相当する競走の勝利はエリザベス女王杯のひとつだけだが、その能力の高さから「幻の三冠牝馬」と称された。

馬齢は旧表記で統一する。

生い立ちと戦歴[編集]

戦前からのエリート牝系であるビューチフルドリーマー系で1962年オークスオーハヤブサの仔・ワールドハヤブサと当時の種牡馬リーディング上位のファバージとの間に生まれた栗毛の牝馬は生産者の千代田牧場の自信作で、馬名はこの馬だ、という産駒に巡り会うまで取っておいたものだという。彼女は「牝馬作りの名人」と称された稲葉幸夫厩舎に預けられ、レースではこれまた牝馬との相性がいい嶋田功とコンビを組む(5歳の有馬記念以外は全て嶋田が騎乗)。稲葉はビクトリアクラウンの素質を早くも見抜き、「その強さや素質のよさなら(自ら手がけた)テイタニヤテンモンより上」と語っていたほどであった。

3歳夏に新潟競馬場でデビュー。デビュー戦はいれ込みが激しく、返し馬すらできない状態での惨敗だったが、2戦目で初勝利を挙げ、続く新設重賞の新潟3歳ステークスを快勝。年末の平場オープン戦にも勝ち、4戦3勝でこの年の最優秀3歳牝馬に選ばれた。

4歳初戦のクイーンカップも1番人気に応えて快勝し、間違いなく牝馬クラシック戦線の中心になると見られたが、桜花賞の10日前の調教で左前脚剥離骨折というアクシデントが発生、春のクラシックを棒に振ってしまう。

怪我の癒えたビクトリアクラウンは4歳秋のクイーンステークスから戦線に復帰し、その復帰初戦を快勝すると次戦は古馬牝馬との対決となった牝馬東京タイムズ杯。しかしこの年の安田記念を勝っているスイートネイティブの2着に終わり、連勝は「5」でストップしてしまった。

そして迎えたエリザベス女王杯だが、4歳牝馬戦線は春とは大きく変わっていた。桜花賞リーゼングロスオークスシャダイアイバーの2頭は戦線を離脱、1番人気は4歳牝馬ながら京都大賞典を制している桜花賞2着馬メジロカーラで、ビクトリアクラウンは2番人気。しかしレース内容は全くスキを見せることなく2着のミスラディカル以下に完勝。続く有馬記念でもヒカリデュールの5着に入り、この年の最優秀4歳牝馬として表彰された。

ところが5歳になると女王の輝きは失われてしまい、5戦して全くいいところがなかった。結局6歳のAJC杯を最後に現役を引退、故郷の千代田牧場に繁殖牝馬として帰ることになった。

繁殖牝馬としての成績[編集]

1984年から繁殖入りしたビクトリアクラウンは重賞勝ちの産駒は出せなかったが、6勝をあげたビューチフルロマンや5勝したクラシックダンサーなどを出している。

2000年を最後に繁殖牝馬からも引退し、千代田牧場の功労馬として余生を過ごしていたが、2007年1月30日に老衰のため28歳で死亡した。奇しくも現役時代に2度対戦経験のあるアンバーシャダイの亡くなった2日後のことだった。

血統表[編集]

ビクトリアクラウン血統プリンスリーギフト系 / Nasrullah3×4=18.75% Pharos5x5=6.25% Fairway5x5=6.25% (血統表の出典)
父系

*ファバージ
Faberge
1961 鹿毛
父の父
Princely Gift
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
父の母
Spring Offensive
1943 鹿毛
Legend of France Dark Legend
Francille
Batika Blenheim
Brise Bise

ワールドハヤブサ
1967 栗毛
*ダイハード
Die Hard
1957 栃栗毛
Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Mixed Blessing Brumeux
Pot-Pourri
母の母
オーハヤブサ
1959 黒鹿毛
ヒンドスタン
Hindostan
BoisRoussel
Sonibai
オーマツカゼ ダイオライト
第参アストラル F-No.12
母系(F-No.)
5代内の近親交配
出典

外部リンク[編集]