有馬記念

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有馬記念
(グランプリ)
58th Arima 20131222.jpg
第58回有馬記念
主催者 日本中央競馬会
開催地 日本の旗中山競馬場
施行時期 12月下旬
(原則5回中山8日目)
格付け GI
1着賞金 2億円
賞金総額 3億8000万円
距離 芝2500m
出走条件 サラブレッド系3歳以上(国際)(指定)[注 1]
出走資格も参照
負担重量 定量(3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬2kg減)
第1回施行日 1956年12月23日
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有馬記念(ありまきねん)とは、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場内回り2500メートルで施行する中央競馬重賞GI競走である。

正賞は農林水産大臣賞、日本馬主協会連合会会長賞、中山馬主協会[1]

概要[編集]

1955年まで中山競馬場では皐月賞と中山大障害が看板競走であったが、東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めなかった。そこで、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が「中山競馬場で大レースを」と計画した。しかもそのアイデアとして「ファンがより親近感を持てるように」と、ファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式による第1回中山グランプリ1956年12月23日中山競馬場の芝内回り2600mで開催された。プロ野球オールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法[注 2]であった(のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用)[注 3]

しかし、第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月9日に提唱者の有馬が急逝した。有馬の数々の功績を称え、第2回以降は「有馬記念(グランプリ)」と名称が変更となった。これは期せずして、日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。このような経緯があるため、現在でもJRAの競馬番組表やレーシングプログラムでは競走名が「有馬記念(第○○回グランプリ)」と表記される。競走名の副題から、優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。

距離は第10回までは現在の芝内回り・2600m(第1回~第4回は通常の内回りで、当時中山競馬場の外回りコースは障害コースで通常の競走には使われていない。しかし3コーナーの奥は使われていて、第5回~第10回までは外回りの3コーナーの奥からスタートしている)。1966年のコースの改修で内回りと外回りが出来た第11回以降は、芝の外回りから3コーナーに入る地点でスタートする内回り・2500mで施行され現在に至っている。なおこれまですべて中山競馬場で開催され、八大競走の中では唯一開催場の変更が無いレースでもある[注 4]

2000年から2006年まではジャパンカップで優勝した外国所属競走馬にも優先出走権が与えられ、該当馬が2頭いたがいずれもこの権利を行使しなかった。2007年からは国際競走となり、外国馬は最大6頭まで出走できる。

現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。

なお、地方競馬との申し合わせにより長らく12月28日から1月4日の間は中央競馬の開催が行われなかったが、2003年の第48回では初めて12月28日に行われた。以後12月28日が日曜日と重なる場合はその日に開催されるようになった[注 5]2008年も12月28日に開催、次回は2014年)。

また、有馬記念は中央競馬の総決算レースとして位置づけられている。

出走資格[編集]

  • サラ系3歳(旧4歳)以上のファン投票及びJRAに選出されたJRA所属馬及び本競走に出走登録した外国馬(最大6頭まで)及び出走登録し、JRAに選定された地方馬のみ出走が可能である。フルゲートは16頭。
  • 出走馬の選定方法は以下のとおりである。
    • ファン投票選出方法は公式投票用紙(競馬場ウインズ各会場で配布)、市販のはがき(官製・私製)、インターネットから可能で、1名につき1媒体1通限り。1名での複数枚投票(複数媒体の使用含む)と郵送の場合の印刷、ゴム印、ワープロ使用は無効となる。
    • 特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[注 6] [注 7]
    • それ以外の馬(外国調教馬を除く)は「通算の収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方馬もこの方法で選出される)。

歴代ファン投票1位[編集]

歴代ファン投票1位は以下の通り。これまでファン投票1位で出走を回避した例は5回ある。第3回(1958年)のカツラシユウホウは故障のため、第16回(1971年)のアカネテンリュウは出走を予定していたが馬インフルエンザに罹患したため(後述)やむなく回避。第53回(2008年)と第54回(2009年)ではウオッカが共に1位になりながらも、前者では休養にあてるため回避し、後者ではジャパンカップに出走した際に鼻出血を発症したため規定により回避となった。第57回(2012年)のオルフェーヴルは出走に向けた調整を行っていたが、凱旋門賞ジャパンカップに出走しての疲れが取れないことから回避した。

2004年の投票では、地方競馬所属のため投票の対象外であるコスモバルクに大量の無効票が投じられた。不完全な集計ながら、この年1位のゼンノロブロイを支持率で上回っていたという[2]

回数 開催年 ファン投票1位 性齢 得票数 結果
第1回 1956 キタノオー 牡3 6,159 2着
第2回 1957 ハクチカラ 牡4 7,356 1着
第3回 1958 カツラシユウホウ 牡3 18,952 不出走
第4回 1959 ハククラマ 牡3 11,438 12着
第5回 1960 コダマ 牡3 17,082 6着
第6回 1961 シーザー 牡4 12,773 4着
第7回 1962 オンスロート 牡5 15,617 1着
第8回 1963 メイズイ 牡3 18,309 2着
第9回 1964 メイズイ 牡4 18,448 3着
第10回 1965 シンザン 牡4 26,853 1着
第11回 1966 ナスノコトブキ 牡3 22,510 5着
第12回 1967 スピードシンボリ 牡4 22,143 4着
第13回 1968 アサカオー 牡3 23,098 6着
第14回 1969 マーチス 牡4 21,798 10着
第15回 1970 アカネテンリュウ 牡4 20,295 2着
第16回 1971 アカネテンリュウ 牡5 25,215 出走取消
第17回 1972 イシノヒカル 牡3 17,022 1着
第18回 1973 ハイセイコー 牡3 24,143 3着
第19回 1974 ハイセイコー 牡4 22,400 2着
第20回 1975 キタノカチドキ 牡4 17,077 8着
第21回 1976 トウショウボーイ 牡3 19,957 1着
第22回 1977 テンポイント 牡4 22,541 1着
第23回 1978 プレストウコウ 牡4 75,257 12着
第24回 1979 サクラショウリ 牡4 90,301 6着
第25回 1980 カツラノハイセイコ 牡4 154,640 2着
第26回 1981 ホウヨウボーイ 牡6 185,747 2着
第27回 1982 モンテプリンス 牡5 113,667 11着
第28回 1983 アンバーシャダイ 牡6 147,484 3着
第29回 1984 ミスターシービー 牡4 171,979 3着
第30回 1985 シンボリルドルフ 牡4 140,753 1着
第31回 1986 ミホシンザン 牡4 168,210 3着
第32回 1987 サクラスターオー 牡3 141,494 競走中止
第33回 1988 タマモクロス 牡4 183,473 2着
第34回 1989 オグリキャップ 牡4 197,682 5着
第35回 1990 オグリキャップ 牡5 146,738 1着
第36回 1991 メジロマックイーン 牡4 155,353 2着
第37回 1992 トウカイテイオー 牡4 177,926 11着
第38回 1993 ビワハヤヒデ 牡3 146,218 2着
第39回 1994 ナリタブライアン 牡3 178,471 1着
第40回 1995 ヒシアマゾン 牝4 173,689 5着
第41回 1996 マヤノトップガン 牡4 155,122 7着
第42回 1997 エアグルーヴ 牝4 142,596 3着
第43回 1998 エアグルーヴ 牝5 165,357 5着
第44回 1999 スペシャルウィーク 牡4 165,734 2着
第45回 2000 テイエムオペラオー 牡4 109,140 1着
第46回 2001 テイエムオペラオー 牡5 93,217 5着
第47回 2002 ナリタトップロード 牡6 91,122 4着
第48回 2003 シンボリクリスエス 牡4 125,116 1着
第49回 2004 ゼンノロブロイ 牡4 100,052 1着
第50回 2005 ディープインパクト 牡3 160,297 2着
第51回 2006 ディープインパクト 牡4 119,940 1着
第52回 2007 ウオッカ 牝3 105,441 11着
第53回 2008 ウオッカ 牝4 136,619 不出走
第54回 2009 ウオッカ 牝5 105,059 不出走
第55回 2010 ブエナビスタ 牝4 111,323 2着
第56回 2011 ブエナビスタ 牝5 109,247 7着
第57回 2012 オルフェーヴル 牡4 90,474 不出走
第58回 2013 オルフェーヴル 牡5 81,198 1着

負担重量[編集]

  • 負担重量は定量で3歳55kg、4歳以上57kg、牝馬は2kg減である。
    • 第1回は3歳54kg・4歳以上55kg・牝馬各2kg減で施行。第10回から第24回は3歳54kg・4歳56kg・5歳以上55kg・牝馬各2kg減。第25回から第28回は3歳55kg・4歳57kg・5歳以上56kg・牝馬2kg減で施行された。
    • 第2回から第9回、第29回から第45回までは馬齢重量で施行され、第46回より現行の負担重量となった。

賞金[編集]

2013年度現在の総額賞金は3億8,000万円で、日本ダービーと並びジャパンカップに次いで国内で2番目に総額賞金の高いレースとなっている。

グレード制が施行された第36回(1984年)以降
回(施行年) 総額賞金 1着 2着 3着 4着 5着
第29回(1984年) 1億4,250万円 7,500万円 3,000万円 1,900万円 1,100万円 750万円
第30回(1985年) 1億4,880万円 7,800万円 3,100万円 2,000万円 1,200万円 780万円
第31回(1986年) 1億5,200万円 8,000万円 3,200万円 800万円
第32回(1987年) 1億6,150万円 8,500万円 3,400万円 2,100万円 1,300万円 850万円
第33回(1988年) 1億8,050万円 9,500万円 3,800万円 2,400万円 1,400万円 950万円
第34回(1989年) 1億9,530万円 1億300万円 4,100万円 2,600万円 1,500万円 1,030万円
第35回(1990年) 2億1,000万円 1億1,000万円 4,400万円 2,800万円 1,700万円 1,100万円
第36回(1991年) 2億2,800万円 1億2,000万円 4,800万円 3,000万円 1,800万円 1,200万円
第37回(1992年) 2億4,800万円 1億3,000万円 5,200万円 3,300万円 2,000万円 1,300万円
第38回(1993年)
第39回(1994年)
第40回(1995年) 2億5,120万円 1億3,200万円 5,300万円 1,320万円
第41回(1996年)
第42回(1997年)
第43回(1998年)
第44回(1999年)
第45回(2000年) 3億4,200万円 1億8,000万円 7,200万円 4,500万円 2,700万円 1,800万円
第46回(2001年)
第47回(2002年)
第48回(2003年)
第49回(2004年)
第50回(2005年)
第51回(2006年)
第52回(2007年)
第53回(2008年)
第54回(2009年)
第55回(2010年)
第56回(2011年) 3億8,000万円 2億円 8,000万円 5,000万円 3,000万円 2,000万円
第57回(2012年)
第58回(2013年)

レースの特徴[編集]

ドリームレース[編集]

有馬記念(中山グランプリ)は夢のあるレースを目標に創設され中央競馬の1年間を締めくくる、あるいは総決算とする[注 8]出走メンバーが豪華に揃う事から「ドリームレース」とも言われる。また、ジャパンカップ創設以前でグレード制が導入される以前は八大競走で唯一の外国産馬とせん馬の出走が可能な競走であったことや実力のある3歳馬と古馬が勢揃いをし初めて対戦をする競走であったため、「競馬の実力日本一を決定する競走」[注 9]とも言われた。

それらの異名にふさわしく中央競馬の歴史に残る数々の名勝負や名場面を生んでおり、この日は競馬ファンならずとも競馬で盛り上がる1日となる。普段は競馬にさほど関心がなくても1年の締めくくりとして宝くじを購入する感覚で券を買う客も増えるため、1996年の第41回で記録した売上金額の875億円は世界で最も勝馬投票券の売上のある競走としてギネス世界記録に認定・登録されている。

ただし有馬記念を最大目標としない陣営もあり、秋のGIシリーズ(菊花賞天皇賞(秋)ジャパンカップ等)に最大目標を定め何回かレースに出走してくる馬が少なくないのが特徴である[注 10]。中にはジャパンカップからのレース間隔が短く疲労が抜けきりにくいため凡走や怪我などを警戒して出走を回避をする陣営や、小回りで直線の短い中山競馬場を嫌って同競走を回避する陣営が近年増えつつある[注 11]。天皇賞(秋)やジャパンカップを回避して有馬記念に照準を絞る馬[注 12]も多かったが、近年は少なくなってきている(有馬記念に照準を絞る場合はジャパンカップを回避することが多かった)。

さらに近年になって古典的な2800m以上の超長距離の大きな重賞が減り、2000m以下のGIレースが多く創設された事でファン投票で選出されながら距離適性の理由で出走を回避し同時期に香港で開催される香港国際競走に向かう馬も少なからずいる[注 13]。GIレースの勝ち馬の割合は当然ながら減ることとなり、ドリームレースとしての本来の意味合いも薄れてきている。

施行コースと特徴[編集]

中山競馬場の芝2500mで外回りコースの第3コーナーから発走。このコースは最初の第4コーナーまでが192mと短く、第4コーナーのカーブも曲率半径が小さいため出走可能頭数は他のGIと比較して2頭少ない16頭[注 14]で行われている。それでも本競走は外枠が不利なコース形態であり、1984年のグレード制施行後に15頭以上で行われたこのレースにおいて8枠スタートで2着以内に入ったのは1989年に15番枠から勝利したイナリワンただ1頭で、16番枠スタートからの優勝馬・2着馬はまだいない。

また中山競馬場は最後の直線が310mと短いため、東京競馬場のような広く直線の長いコースとは異なり、後半の追い上げを得意としている馬は内を通って前が詰まるリスクかコーナーを大きく回って距離をロスするリスクかを背負わねばならず、天皇賞・秋やジャパンカップで好走した馬の中には疲労も相まって本来の力を出し切れないレースになることもある。

その一方で、人気薄の逃げ馬や2000m以下しか好走実績がない馬が出足の良さや器用さを活かして上位に食い込んできたり、不振に陥っていた馬が名騎手に導かれて突然復活する[注 15]こともあるレースでもある。

施行コースの変更案[編集]

上記の理由から、大川慶次郎東京競馬場での施行を生前に主張していた。有吉正徳や吉沢譲治はマイラー(1マイル=1600m前後が得意な馬)が有利になり、かつ最初のコーナーまでの距離が長く18頭が出走可能となる2000mか2200mでの施行を提案している[3]

特別褒賞金[編集]

2000年から秋季主要GI3競走(天皇賞(秋)、ジャパンカップとこのレース)を全て優勝した場合、1億円の特別褒賞金(後に内国産馬には2億円、外国産馬には1億円に変更)を交付する制度が取り入れられ[4]出走が促されることとなり、その年のテイエムオペラオーが早速それを達成して褒賞金を獲得した。そして、2004年ゼンノロブロイが第2号の獲得馬になった。

また、2010年からは中央競馬所属馬で当該年のJRA・海外のGI競走優勝馬が本競走に出走し3着までに入着した場合に限り1着から順に3000万円、2000万円、1000万円の褒賞金を交付するようになり[5]2011年からは天皇賞(秋)とジャパンカップいずれかで3着以内に入着した馬が本競走に出走し3着までに入着した場合に最大5000万円の褒賞金が交付されるようになる[5][注 16]。ただし秋季主要GI3競走を全て優勝した場合は既存の報奨金(2億円または1億円)のみとなり、この報奨金は与えられない。

歴史[編集]

グレード格付け前[編集]

  • 1956年
    • 中山競馬場の芝2600m(内回り)の4歳(現3歳)以上の馬齢重量の重賞競走「中山グランプリ」として創設。
    • 第1回優勝馬はメイヂヒカリ。同馬は皐月賞と日本ダービーは故障で出走せず、菊花賞・天皇賞(春)を制し、出走したGI級競走は全て勝利して、その後JRA顕彰馬に選出される。
    • この第1回の主な出走メンバーは、4歳は皐月賞馬ヘキラク、日本ダービー馬ハクチカラ(翌年天皇賞(秋)・有馬記念馬)、菊花賞馬キタノオー(翌年天皇賞(春)馬)、5歳がこの年の天皇賞(春)馬メイヂヒカリ、6歳はこの年の天皇賞(秋)馬ミツドファーム、そして1954年の二冠馬で前年の天皇賞(秋)馬ダイナナホウシユウなど当時最高レベルの馬が揃ったレースとしてその後も語り継がれている。メイヂヒカリ、ダイナナホウシユウはこのレースを最後に引退。
    • 創設当初の負担重量は4歳(現3歳)が牡馬・騸馬54kg・牝馬52kg、5歳(現4歳)以上が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kg。
    • 馬齢については2000年まで数え年表記で、2001年から国際基準の満年齢表記となった。
  • 1957年
    • 有馬頼寧理事長の死去に伴い、名称を「有馬記念」に変更。
    • 前年の日本ダービー馬ハクチカラが優勝。この後、米国へ遠征して日本馬として初めて海外の競走に勝つ。また1984年第1回JRA顕彰馬に選出される。
    • 6歳(現5歳)以上の負担重量が4歳(現3歳)と同じく牡馬・騸馬54kg・牝馬52kgに変更。
  • 1958年
    • 天皇賞(春)馬オンワードゼアが優勝。同馬は天皇賞(春)を制しており、天皇賞(春)と有馬記念を制した馬はメイヂヒカリに続いて史上2頭目。
  • 1959年
    • 天皇賞(秋)馬ガーネツトが牝馬として初の優勝。天皇賞(秋)と有馬記念を制した最初の馬。また抽選馬としても初の制覇。
    • この年の9月1日から日本競馬の時計表示が変更になったのに伴い、時計が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
  • 1960年
    • オークス馬スターロツチが優勝。4歳馬としては初の優勝。また牝馬としては史上2頭目。
    • 二冠馬コダマは6着で、その後有馬記念に出ることはなかった。
    • 施行コースを変更。ただし芝2600mは変わらず。(外回り)[注 17]
  • 1961年
    • 5歳馬ホマレボシが優勝。高松三太騎手として初の連覇を果たす。
    • ホマレボシは有馬記念馬としては他のGI(級)競走の勝利がなく、GI(級)制覇が有馬記念のみの馬としては史上初である。またその後この年の年度代表馬となる。
    • コダマと同世代の5歳馬は古馬になってから、天皇賞(春)馬ヤマニンモアー、天皇賞(秋)馬タカマガハラ、宝塚記念馬シーザー、そして有馬記念馬ホマレボシ、翌年の天皇賞(春)をオンスロート、翌年の宝塚記念もコダマが制して層の厚さは歴代でも群を抜いている。ホマレボシが年度代表馬になったのは有馬記念を勝ったことが大きい。これはこの後に年度代表馬を選出する時に有馬記念が他の競走に比べて価値を持つことになった。
    • 前年まで年末の最終日はクモハタ記念・関西地区では1956年は京都記念(当時は年2回の開催)、翌年から1960年まで朝日チャレンジカップが開催されて、有馬記念はその1週間前に開催されていたが、この年から年末の最終日に開催されることとなった。ただしその後1968年から1979年まで観客数の急増に伴う警備体制の問題から1週間前の開催となり、1980年から再び年末の最終日の開催に戻った。
  • 1962年
    • 天皇賞(春)馬オンスロートが優勝。天皇賞(春)と有馬記念を制した馬でメイヂヒカリ以来史上3頭目。また公営出身馬の初の制覇。
    • コダマの1960年世代が3年連続有馬記念を制覇。これは後の1976年世代と1988年世代も有馬記念3勝の記録を作る。
    • 第1回から関東馬が7連勝。これは東西の連勝記録としては最高記録。
  • 1963年 - 天皇賞(秋)馬リユウフオーレルが優勝。関西馬としては初の制覇。2着はこの年の二冠馬メイズイ。
  • 1964年 - 天皇賞(秋)馬ヤマトキヨウダイが優勝。三冠馬シンザンは出走せず。
  • 1965年
    • 三冠馬で天皇賞(秋)馬シンザンが優勝し五冠達成。当時出走できる牡馬GI級競走を全て勝利して引退。通算19戦15勝。また 1984年第1回JRA顕彰馬に選出される。
    • 後に「シンザンの大外強襲」として伝説になったレースである。
    • 5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgにそれぞれ変更。
  • 1966年
    • 天皇賞(秋)馬コレヒデが優勝。
    • 馬場改修に伴い施行コースを芝2500m(内回り)に変更。
  • 1967年 - 天皇賞(秋)馬カブトシローが優勝。これでオンスロート以降6年連続で天皇賞馬が制覇。またリユウフオーレル以降5年連続で天皇賞(秋)を勝った馬が続けて有馬記念を制している。
  • 1968年
    • 前年の皐月賞馬リュウズキが優勝。この年の菊花賞馬アサカオーは6着。
    • 4歳馬タケシバオーはこの年皐月賞2着、日本ダービー2着。秋は米国遠征して有馬記念は出走せず。
    • この年からそれまでの12月第4週の開催が1週繰り上げられて第3週の開催に変更された。これはシンザン以降の競馬ブームで年々観客数が増加して中山競馬場の年末の警備体制が十分に取れないことがその理由とされている。この時から天皇賞(秋)を勝った馬が有馬記念を続けて制することが難しくなった。この最終週にそれまで秋に開催していた中山大障害を移し、関西の阪神大賞典と中山大障害が年末最後の重賞として1979年まで続いた。 
  • 1969年
    • 1967年の天皇賞(春)馬スピードシンボリが優勝。7歳での制覇は史上初。2着に菊花賞馬アカネテンリュウ
    • この年の天皇賞(春)馬タケシバオーは秋に米国へ再度遠征した後、帰国後体調が悪く出走を断念。一度も有馬記念に出ることなく引退した。その後JRA顕彰馬に選出される。
  • 1970年
    • スピードシンボリが史上初の連覇。8歳での制覇も史上初。同馬はこの年宝塚記念を制して両グランプリ競走3連勝も初。この有馬記念連覇を最後に引退。その後JRA顕彰馬に選出される。
    • 2着に前年の菊花賞馬アカネテンリュウ。3着はこの年の菊花賞馬ダテテンリュウ。
    • 関東馬が5連勝。
  • 1971年
    • 天皇賞(秋)馬トウメイが優勝。天皇賞(秋)から中2週での連勝。牝馬として史上3頭目。関西馬としても史上3頭目。また天皇賞(秋)を勝った馬が続けて有馬記念を制したのは史上7頭目であった。
    • 馬流感騒動の影響で、インフルエンザに感染したメジロアサマアカネテンリュウ、カミタカの3頭が出走を取り消し、出走頭数が6頭のみで出走馬の史上最少記録となった。またこの混乱で翌週から翌年の2月末まで関東での競馬が中止された。
    • 混合競走に指定。
  • 1972年
    • 菊花賞馬イシノヒカルが優勝。4歳馬では史上2頭目。牡馬では初制覇。また菊花賞と有馬記念を続けて制覇した馬としても初。
    • 1970年から1972年まで有馬記念を勝った馬が3年連続で年度代表馬に選出される。
    • 2着は1970年の天皇賞(秋)馬メジロアサマ。
    • この競走の馬券売り上げが初めて100億円を超した。
  • 1973年
    • 皐月賞馬ハイセイコーが出走したが3着に敗れ、5歳馬ストロングエイトが優勝。重賞未勝利の馬が有馬記念を初めて制した。同馬はGI(級)制覇が有馬記念のみの馬として史上2頭目。また抽選馬で勝利したのも史上2頭目。2着は桜花賞馬ニットウチドリ。天皇賞(秋)馬タニノチカラは4着。
    • ハイセイコーとタニノチカラの2頭がお互いの駆け引きをしている間に先行した2頭ニットウチドリとストロングエイトのいわゆる「行った、行った」の競馬となり、連勝複式馬券で初の万馬券となった。
    • 同年の二冠馬タケホープは出走せず。
  • 1974年
    • ハイセイコーとタケホープの最後の対決。しかし前年の天皇賞(秋)馬タニノチカラが逃げ切って5馬身差で優勝。関西馬としては3年ぶリ史上4頭目。ただ最後の直線では両馬の2着争いの攻防に湧き、結果2着のハイセイコー、3着のタケホープはこの競走を最後にともに引退。ハイセイコーはその後1984年第1回JRA顕彰馬に選出される。
    • 当時アイドルホースと言われ、絶大な人気を誇ったハイセイコーの歌が作曲され、騎乗していた増沢末夫が歌ったレコードが発売。この曲がレース終了後に中継していたフジテレビの画面で流され、しかも検量室での勝利騎手の動きをカメラが追う時に勝った田島日出雄でなく2着の増沢末夫をアップして、さながらハイセイコーが勝ったように誰もが錯覚する雰囲気があった。結局勝ったタニノチカラも勝利騎手の田島日出雄も注目されない非常に珍しいレースとして記憶されている。
    • またライバルのタケホープも日本ダービー・菊花賞・天皇賞(春)とGI級を3連勝してこの競走に出走したが3着に終わった。人気のハイセイコー、実力のタケホープと言われて実力も実績もはるかに優るが、引退後種牡馬としてはハイセイコーほどの実績を残すことはなかった。
  • 1975年
    • 4歳馬イシノアラシが優勝。4歳馬としては史上3頭目。クラシック無冠の4歳馬が初めて制した。また同馬はGI(級)制覇が有馬記念のみの馬として史上3頭目。
    • この年春の二冠馬カブラヤオーと二冠牝馬テスコガビーは、両馬とも秋は故障で出走できず。
    • 前年の有馬記念馬タニノチカラも故障のため引退。
    • 前年の二冠馬キタノカチドキは脚部にやや不安を抱えたまま出走。結局8着で初めての着外で引退。 
  • 1976年
    • 菊花賞で敗退した皐月賞馬トウショウボーイテンポイントの4歳馬同士の対決。勝ったのはトウショウボーイテンポイントは2着。史上初の4歳馬同士の決着となった。4歳馬としては史上4頭目。菊花賞馬グリーングラスは出走せず。この3頭の馬は翌年の宝塚記念と有馬記念でも対決し、TTG時代を形成する。
    • 保田隆芳調教師は、騎手(1957年ハクチカラ・1966年コレヒデ)と調教師の両方で制覇。これは史上初。
  • 1977年
    • この年の天皇賞(春)馬テンポイントと宝塚記念馬トウショウボーイの雌雄を賭けたマッチレースでテンポイントが優勝。今なお中央競馬史上に残るベストレースとしてファンの記憶に残っている。テンポイントは同じ年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬ではメイヂヒカリ以来史上4頭目。
    • トウショウボーイはこの競走を最後に引退し、その後1984年第1回JRA顕彰馬に選出された。テンポイントは海外遠征を目指すも翌年1月の日経新春杯で骨折し死去。後にJRA顕彰馬に選出された。
    • 前年の菊花賞馬グリーングラスは3着。この年の菊花賞馬プレストウコウは4着。
    • この年の天皇賞(秋)馬ホクトボーイは、天皇賞(秋)でトウショウボーイ・グリーングラスを破って優勝したが、その前走の京都大賞典でテンポイントに大差で惨敗したので有馬記念への出走を断念している。
  • 1978年
    • 5歳馬カネミノブが優勝。同馬はGI(級)制覇が有馬記念のみの馬として史上4頭目。
    • 2着は前年の桜花賞馬インターグローリア。
  • 1979年
    • 菊花賞・天皇賞(春)馬グリーングラスが優勝。7歳での制覇は史上2頭目。同馬はこれを最後に引退。
    • このテンポイントトウショウボーイと同じ1976年世代は有馬記念馬を3頭、また天皇賞馬を4頭(他にホクトボーイ・カシュウチカラ)輩出してレベルの高い世代として記憶されている。
    • 2着はメジロファントム。3着は前年の有馬記念馬カネミノブ。
  • 1980年
    • ホウヨウボーイが優勝。翌年天皇賞(秋)も制す。ハナ差2着はカツラノハイセイコ。3着はカネミノブで2年連続。
    • 1976年から1980年まで有馬記念を勝った馬が5年連続で年度代表馬に選出された。
    • 4歳(現3歳)の負担斤量が牡馬・騸馬55kg・牝馬53kgに、5歳(現4歳)の負担重量が牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに、6歳(現5歳)以上の負担重量が牡馬・騸馬56kg・牝馬54kgにそれぞれ変更。
    • この年から、それまでの12月第3週から第4週へ開催日が繰り下げられて、文字通りの年末の大一番になった。
  • 1981年
    • アンバーシャダイが優勝。同馬は翌々年天皇賞(春)も制す。東信二が初制覇。2着はホウヨウボーイ。3着はモンテプリンス。
    • 関東馬が4連勝。
  • 1982年
    • 公営出身のヒカリデュールが優勝。公営出身馬としてはオンスロート以来史上2頭目。GI(級)制覇が有馬記念のみの馬として史上5頭目。この年秋に公営から中央へデビューしてわずか4戦目の勝利で年度代表馬に選出される。翌年天皇賞(春)で故障し引退。
    • 河内洋が初制覇。
    • 前年の有馬記念馬アンバーシャダイは2着。
    • この年の天皇賞(春)・宝塚記念馬モンテプリンスは着外。そのまま引退。
    • この年の天皇賞(秋)馬メジロティターンも着外。父はメジロアサマで、同馬はメジロマックイーンの父でもある。
  • 1983年
    • 三冠馬ミスターシービーは出走せず、同じ4歳馬のリードホーユーが優勝。4歳馬としては史上5頭目。関西馬として史上7頭目。クラシック無冠の4歳馬初制覇は史上2頭目。GI(級)制覇が有馬記念のみの馬は史上6頭目。そして重賞勝ちがこの有馬記念のみであった。
    • 田原成貴が初制覇。
    • 同馬はゴールした直後に故障を発生し、騎手が下馬して表彰式では馬上に跨らずに記念写真に収まリ、その後引退。
    • 2着も4歳馬テュデナムキングで、4歳馬の1・2着は史上2番目。

GI格付け後[編集]

  • 1984年
    • 三冠馬シンボリルドルフとミスターシービー、ジャパンカップ馬カツラギエースの3強対決。勝ったのは後輩の三冠馬シンボリルドルフ。4歳馬としては史上6頭目。また4歳で四冠を達成したのは史上初。岡部幸雄は初制覇。2着はカツラギエース。
    • 3着のミスターシービーはこの年天皇賞(秋)も制して四冠馬であったがジャパンカップでシンボリルドルフと対決後一度も勝つことなく引退。通算15戦8勝。後にJRA顕彰馬に選出された。
    • 野平祐二調教師は 父・野平省三(1969・1970年スピードシンボリ)と調教師として初の親子制覇。また自身が騎手(同じスピードシンボリ)と調教師と両方で制覇は史上2人目。
    • グレード制施行によりGI競走に格付け。
    • この年より1987年まで、当日の中山競馬場が全11競走制となり、当競走は第10競走で施行された。
  • 1985年
    • シンボリルドルフが史上2頭目の連覇。この年、天皇賞(春)とジャパンカップを制し史上初の七冠を達成。翌年米国へ遠征したが負けて引退。通算16戦13勝。後にJRA顕彰馬に選出された。岡部幸雄も連覇。2着はこの年の二冠馬ミホシンザン。
    • 同じ年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬としてはメイヂヒカリ以来史上5頭目。
    • 同年に限り当時ジャパンカップのみの採用であった馬名入りゼッケンの試験的な使用を行う(この結果1987年秋競馬より馬名入りゼッケンの他競走への拡大を実施)。
  • 1986年
    • 日本ダービー馬ダイナガリバーが優勝。4歳馬としては史上7頭目。三冠馬以外で同年の日本ダービーと有馬記念を制した唯一の馬。
    • 2着は前年の天皇賞(秋)馬ギャロップダイナ。この時シンボリルドルフを破っている。3着は前年の二冠馬ミホシンザン。
    • 史上初の牝馬三冠馬であるメジロラモーヌは9着で、そのまま引退。
  • 1987年
    • 前年の菊花賞馬メジロデュレンが優勝。日本ダービー馬メリーナイスがスタート直後に落馬。二冠馬サクラスターオーが最後の直線手前で競走を中止し後に死去。
    • 関東の強力な4歳馬が相次いで頓挫して勝ったのが関西馬であったことが、この後に西高東低の時代の到来を予感する象徴的なレースとなった。これ以降1997年までの11年間に関西馬9勝、関東馬が2勝。
  • 1988年
    • 公営出身の4歳馬オグリキャップと天皇賞(春・秋)馬タマモクロスとの昭和最後の芦毛対決。勝ったのはオグリキャップで、芦毛対決を制した。4歳馬としては史上8頭目。公営出身馬としてはオンスロート以来史上3頭目。岡部幸雄は3度目の制覇(史上初)。
    • 2着はタマモクロスで、この年宝塚記念も制しておりGI競走3勝で引退。武豊が騎乗した菊花賞馬スーパークリークが3位入線も進路妨害により失格。マイルチャンピオンシップ馬サッカーボーイが繰り上げ3着し、関西馬が圧倒するレースとなった。
    • この年より2007年まで、当日の中山競馬場が全10競走制となり、当競走は第9競走で施行された。
  • 1989年  
    • イナリワンが優勝。柴田政人が初制覇。同馬は同年に天皇賞(春)と宝塚記念も制している。同年の両グランプリ競走制覇は史上2頭目。2着は前年の菊花賞馬で天皇賞(秋)馬スーパークリーク。
    • 同じ年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬としてはメイヂヒカリ以来史上6頭目。
    • オグリキャップは天皇賞(秋)で2着後、マイルチャンピオンシップでバンブーメモリーをハナ差交わして制した直後、連闘でジャパンカップに挑み、外国馬ホーリックスに世界レコードの2着。その後有馬記念を目指したが歴戦の疲れから5着に終わる。ただこの年のファン投票では197,682票の得票を記録し、これは有馬記念史上最高の得票数である。
  • 1990年
    • オグリキャップが優勝。2度目の優勝は史上3頭目。同馬はGI競走4勝で引退。武豊は初制覇。レース後場内が「オグリ」コールに包まれ多くの人に感動を与えたレースであった。そのまま引退。通算20戦12勝。その後JRA顕彰馬に選出された。2着は菊花賞3着のメジロライアン。3着は菊花賞2着のホワイトストーン。菊花賞馬のメジロマックイーンは出走せず。
    • 直線に入ってデッドヒートのさなか、実況席の横で「ライアン〜、ライアン〜」と叫んだのは大川慶次郎であった。
    • 武豊は、父・武邦彦(1976年トウショウボーイ)と騎手として初の親子制覇。
  • 1991年
    • 7歳馬ダイユウサクが優勝。7歳での制覇は史上3頭目。GI制覇が有馬記念のみの馬としては史上7頭目。また年始の金杯(西)で重賞初制覇して年末の有馬記念を勝利した馬。
    • この年始の金杯と年末の有馬記念を勝った馬は、他に1962年のオンスロート1頭のみ。1996年のサクラローレルは金杯を勝っているが前年の金杯(東)で、また1958年のオンワードゼアは同年の金杯(東)を勝っているがこの年は年始の施行でなく、また有馬記念も年末の施行でなかったため、年始と年末の両重賞競走を制したのはダイユウサクが史上2頭目となる。
    • 同馬は1988年世代でこの世代は有馬記念3勝となった。1988年世代は、オグリキャップ・ヤエノムテキ・サクラチヨノオー・スーパークリーク・サッカーボーイ・バンブーメモリーなどで、ダイユウサクは最初のデビューで殿負けを喫するなど余り期待された馬ではなく、しばらくは低迷していた時期があり、それだけにこの有馬記念でのレコードでの快走は多くのファンを驚かせた。
    • 菊花賞・天皇賞(春)馬メジロマックイーンが2着。その後同馬は有馬記念を出走することなく終わる。通算21戦12勝。この後JRA顕彰馬に選出される。天皇賞を3代制覇(メジロアサマ→メジロティターン→メジロマックイーン)した一族だが、この3代とも有馬記念を勝つことはなかった。
    • 二冠馬トウカイテイオーは故障休養のため出走せず。
  • 1992年
    • 宝塚記念馬メジロパーマーが逃げ切って優勝。同馬はこの年宝塚記念も制し、同年の両グランプリ競走制覇は史上3頭目。2着は4歳のレガシーワールド。同じ4歳の二冠馬ミホノブルボンは出走せず。
    • メジロとしては最後の有馬記念制覇となった。
    • トウカイテイオーはこの年のジャパンカップを制したが、この有馬記念は11着に終わる。
  • 1993年
    • トウカイテイオーが前年の有馬記念以来の約1年ぶりの出走で優勝。これはGI競走で勝利した馬の前走からの間隔が最も長い記録。そのまま引退。通算12戦9勝。この後JRA顕彰馬に選出される。田原成貴は2度目の制覇。
    • トウカイテイオーの父シンボリルドルフも有馬記念を制しているので史上初の親子制覇。
    • 2着は菊花賞馬ビワハヤヒデ。同馬はこのレースまでGI競走5連続連対で勝ったのは菊花賞だけであった。この年の年度代表馬となる。翌年の天皇賞(春)・宝塚記念を制し、天皇賞(秋)で故障し引退。三冠馬ナリタブライアンの兄。
    • 3着はナイスネイチャ。同馬は有馬記念3年連続3位という珍記録を達成した。
  • 1994年
    • 三冠馬ナリタブライアンが優勝。4歳馬としては史上9頭目。4歳馬で四冠達成。これはシンボリルドルフ以来史上2頭目。ただし同馬はその後GI競走を勝つことなく、これが最後のGI制覇であった。
    • 2着はエリザベス女王杯馬ヒシアマゾン。4歳牡馬・牝馬の1・2着は史上初。3着は菊花賞馬で前年の天皇賞(春)を制したライスシャワー。
  • 1995年
    • 菊花賞馬マヤノトップガンが優勝。4歳馬としては史上10頭目。菊花賞と有馬記念連勝は史上4頭目。また翌々年に天皇賞(春)も制し史上5頭目の菊花賞・有馬記念・天皇賞を制覇した馬となった。通算21戦8勝。田原成貴の3度目の制覇は史上2人目。
    • ナリタブライアンはこの年春に故障し秋に復帰するも不調でこの有馬記念も4着。翌年天皇賞(春)でサクラローレルに敗れて五冠ならず。結局引退。通算21戦12勝。この後JRA顕彰馬に選出される。
    • 関西馬が6連勝。
    • 指定交流競走に指定され、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 1996年
    • 天皇賞(春)馬サクラローレルが優勝。横山典弘が初制覇。関東馬が制するのは7年ぶり。
    • 同じ年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬としてはメイヂヒカリ以来史上7頭目。
    • 1994年から1996年まで有馬記念優勝馬が年度代表馬となる。
    • 2着は5歳馬マーベラスサンデー。
    • 単独競走としての勝馬投票券の売上げ世界レコード875億104万2400円を記録。
  • 1997年
    • シルクジャスティスが優勝。4歳馬としては史上11頭目。GI制覇が有馬記念のみの馬としては史上8頭目。藤田伸二が初制覇。
    • 2着はマーベラスサンデー。この年宝塚記念を制し、2年連続有馬記念2着。また両グランプリ競走を3連続連対を果たす。
    • 3着は前年のオークス馬で天皇賞(秋)馬エアグルーヴ、この年のオークス・秋華賞馬メジロドーベルは8着。
  • 1998年
    • グラスワンダーが優勝。4歳馬としては史上12頭目。2着は天皇賞(春)馬メジロブライト。
    • NHKマイルカップ・ジャパンカップを制したエルコンドルパサーは出走せず。翌年凱旋門賞へ挑戦。
    • この年の二冠馬であるセイウンスカイは4着。
    • この年の天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)といずれも2着でこの有馬記念で3着だったのがステイゴールド。この3年後にドバイシーマクラシック(この当時はG2)と香港ヴァーズ(G1)を優勝する。後の三冠馬オルフェーヴルの父。
  • 1999年
    • グラスワンダーがスペシャルウィークをハナ差で破り史上3頭目の連覇。2度目の優勝馬としては史上4頭目。同年の両グランプリ競走制覇は史上4頭目。前年に有馬記念も制しており両グランプリ競走3連勝はスピードシンボリ以来史上2頭目。
    • グラスワンダーとスペシャルウィークとのハナ差は約4cmと推定されている。この時スペシャルウィークの武豊は勝ったと確信してファンの歓声に応えていた。もし勝っていたら史上初めて秋の古馬GI競走完全制覇するところであった。前年の日本ダービー、この年の天皇賞(春・秋)、ジャパンカップを制して、両グランプリがいずれもグラスワンダーの2着に終わり引退。通算17戦10勝。
    • この両馬と同世代のエルコンドルパサーはフランスでサンクルー大賞1着、凱旋門賞2着。その後有馬記念に出走せず引退。通算11戦8勝。そして年度代表馬となり、グラスワンダーとスペシャルウィークの国内有力馬との選定のあり方が議論を呼んだ。
    • 3着は皐月賞馬テイエムオペラオーでこの翌年に破竹の勢いでGI競走を連勝する。
  • 2000年
    • テイエムオペラオーが優勝。JRA古馬中長距離GI競走[注 18]を完全制覇。これは史上初。同年の両グランプリ競走制覇は史上5頭目。同年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬としてはメイヂヒカリ以来史上8頭目。2着はメイショウドトウ。
    • テイエムオペラオーはGI競走と合わせて重賞8連勝の記録も達成。この記録は他にタイキシャトルも達成。
    • 2着はメイショウドトウ。同馬はこの年の宝塚記念から翌年の天皇賞(春)までGI競走5連続2着となり、勝ったのは全てテイエムオペラオーであった。そして翌年宝塚記念でやっとテイエムオペラオーを破って初めてGI競走を制覇する。
    • 秋の古馬GI報奨金制度の第3戦に指定。
  • 2001年
    • 菊花賞馬マンハッタンカフェが優勝。3歳馬(旧4歳馬)としては史上13頭目。四冠馬を除く菊花賞・有馬記念連勝は史上5頭目。また同馬は翌年天皇賞(春)も制し、菊花賞・有馬記念・天皇賞を制覇した馬は史上6頭目。蛯名正義が初制覇。
    • テイエムオペラオーは5着に終わり引退。通算26戦14勝。この後JRA顕彰馬に選出される。
    • 2着はアメリカンボス。
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳以上」から「3歳以上」に変更。
    • 負担重量を「馬齢重量」から「定重量」に変更。
    • 5歳以上の負担重量が4歳と同じく牡馬・騸馬57kg・牝馬55kgに変更。
    • 敬宮愛子内親王御誕生慶祝の副称がこの年のみにつく。
  • 2002年
  • 2003年
    • シンボリクリスエスが史上4頭目の連覇。2度目の優勝馬としては史上5頭目。同年天皇賞(秋)も制覇し通算GI競走を4勝。通算15戦8勝。
    • シンボリクリスエスがこのレースで2着馬にタイム1秒5の9馬身差の快勝は有馬記念史上最大着差。
    • 2着はリンカーン。3着は勝ち馬と同厩舎のゼンノロブロイ。
  • 2004年
    • 天皇賞(秋)馬ゼンノロブロイが優勝。オリビエ・ペリエと藤沢和雄がそれぞれ史上初の3連覇。ペリエの3度目の制覇は史上3人目。 同馬は天皇賞(秋)とジャパンカップを制し秋のGI競走を3連勝。これはテイエムオペラオー以来史上2頭目。
    • 勝ちタイム2分29秒5は有馬記念競走のレコードタイム。以来現在までまだ破られていない。
    • 2着は前年のジャパンカップ馬タップダンスシチー。
    • 関東馬が4連勝。また1998年から2004年まで関東馬が6勝、関西馬が1勝。
  • 2005年
    • 無敗の三冠馬ディープインパクトが四冠を目指して出走。しかし4歳馬ハーツクライに敗れ、初めて2着となる。
    • ハーツクライは宝塚記念2着、ジャパンカップ2着からの勝利。また同馬は国内のGI制覇はこの有馬記念のみだが、翌年春にドバイシーマクラシック(G1)を制覇している。
    • クリストフ・ルメールが外国人騎手として2人目の制覇。
  • 2006年
    • ディープインパクトが優勝。史上3頭目の七冠を達成。武豊が16年ぶり2度目の制覇。レース終了後に引退式が行われ、華やかな夜間照明に照らされて競走生活を終える。通算14戦12勝。この後JRA顕彰馬に選出される。
    • ディープインパクトはこの年、天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念を制し、凱旋門賞(3着の後失格)だけが唯一の敗北。同じ年に天皇賞(春)と有馬記念を制した馬としてはメイヂヒカリ以来史上9頭目。また両グランプリ競走制覇は史上6頭目。
    • 2着はポップロック。3着は2004年皐月賞馬でこの年の天皇賞(秋)馬ダイワメジャー。
    • この年の二冠馬であるメイショウサムソンは5着。
    • 大相撲の第68代横綱朝青龍明徳が表彰式プレゼンターを務めた。
  • 2007年
    • 4歳馬マツリダゴッホが優勝。GI制覇が有馬記念のみの馬としては史上9頭目。
    • 関東馬の勝利は通算33勝目(29頭目)。
    • 蛯名正義が2度目の制覇。
    • 2着は桜花賞・秋華賞馬ダイワスカーレット。3着はダイワメジャーが2年連続。同馬はこの年安田記念とマイルチャンピオンシップを制している。
    • ダイワスカーレットのライバルの日本ダービー馬ウオッカはファン投票1位で11着。この後も死闘を繰り広げる両馬だが、有馬記念に関してはその後ウオッカは出走せず、熱い戦いは見られなかった。
    • 混合競走から国際競走に変更され、外国調教馬は6頭まで出走可能となる。
  • 2008年
    • ダイワスカーレットが優勝。牝馬としてトウメイ以来37年ぶり史上4頭目の制覇。通算12戦8勝。
    • 安藤勝己が地方競馬出身騎手として初制覇。
    • 当年のみ、JRAプレミアムレースの対象レースとなる(同日に開催される中央競馬の全競馬場の全特別競走もJRAプレミアムの対象レースとなっている)。
    • この年より当日の中山競馬場が全11競走制となり、当競走の競走番号が再び第10競走に設定。
  • 2009年
    • 宝塚記念馬ドリームジャーニーが優勝。同年の両グランプリ競走制覇は史上7頭目。後の三冠馬オルフェーヴルの兄。池添謙一が初制覇。
    • 2着は桜花賞・オークス馬ブエナビスタ。
    • ウオッカがこの年のジャパンカップを制し史上初の3年連続ファン投票1位を獲得。しかし競走中に鼻出血を発症したため、日本中央競馬会競馬番組一般事項第2章のその11「痼疾馬の出走制限」の規定(1ヶ月出走停止)により出走できず。この翌年に引退。通算26戦10勝。
    • 史上初めて4歳馬(旧5歳馬)の出走がなかった。
    • コスモバルクが「6年連続出走」の新記録を達成。同馬はまた中央GI競走出走回数が23回の史上最多記録を樹立。
    • この年の菊花賞馬スリーロールスが競走中止し、引退。
  • 2010年
    • 皐月賞馬ヴィクトワールピサが優勝。3歳馬としては史上15頭目。同じ年に皐月賞と有馬記念を制したのは四冠馬を除いてトウショウボーイ以来史上2頭目。同馬は翌年3月にドバイワールドカップ(G1)を制覇する。
    • ミルコ・デムーロが初制覇。外国人騎手として3人目。
    • 2着はハナ差で前年の桜花賞・オークス馬ブエナビスタ。2年連続有馬記念2着。この年のヴィクトリアマイルを勝ち、宝塚記念2着、天皇賞(秋)を制し、ジャパンカップは進路妨害で2着。したがってこの年のGI競走は5連続連対を果たす。
    • ヴィクトワールピサとブエナビスタとのハナ差は約2cmと推定され、これは有馬記念史上最少着差。
    • 当該年度のGI優勝馬が3着以内に入ることを条件に褒賞金が設定される。
    • 1着から3着まで、同競走史上初めて外国人騎手の騎乗馬が占めた。
    • 大相撲の第69代横綱白鵬翔が表彰式プレゼンターを務めた[6]。朝青龍に次ぐ現役横綱の競馬場来場となった。
  • 2011年
    • 三冠馬オルフェーヴルが優勝。ドリームジャーニーに続く史上初の兄弟制覇。3歳馬としては史上16頭目。3歳馬で四冠を達成したのは史上3頭目。翌年宝塚記念を制し、凱旋門賞に2年連続出走。池添謙一は2度目の制覇。
    • 2着は前年の日本ダービー馬エイシンフラッシュ。
    • 前年の2着馬ブエナビスタは、この年宝塚記念も2着で両グランプリ競走4連続2着という珍しい記録を作り、秋にジャパンカップを制して、最後にこのレースに出走したが7着に終わり引退。レース終了後に引退式が行われた。GI競走6勝(阪神ジュベナイルフィリーズを含める)で通算23戦9勝。
    • 出走した13頭全頭が重賞を勝利しており、このうち9頭がGI勝利馬という超豪華な顔ぶれが揃った。
    • 褒賞金の対象を天皇賞(秋)とジャパンカップの1〜3着馬にも拡大。
  • 2012年
    • 二冠馬ゴールドシップが優勝。3歳馬としては史上17頭目。その年の二冠馬が有馬記念を勝ったのは史上初。
    • 内田博幸が初制覇。
    • 2着はオーシャンブルー。痛恨の大幅出遅れを喫したルーラーシップは3着。同馬はこの年香港のクイーンエリザベス2世カップ(G1)を制す。
  • 2013年
    • 2011年の三冠馬オルフェーヴルが優勝。2度目の優勝はシンボリクリスエス以来史上6頭目。連覇ではない2度目はオグリキャップ以来史上2頭目。同馬はGI競走6勝、史上2位の着差である8馬身差をつけて圧勝しレース終了後に引退式が行われ、華やかな夜間照明に照らされて競走生活を終える。通算21戦12勝。池添謙一の3度目の制覇は史上4人目で最多タイ。
    • ゴール直後「誰も追いかけてこない。追いかけられない。追いつけない」と叫んだのはフジテレビ青嶋達也アナウンサーであった。
    • 2着は2011年の日本ダービー・菊花賞2着のウインバリアシオン。3着は前年の有馬記念馬でこの年の宝塚記念を制したゴールドシップ。同馬の両グランプリ3連勝はならず。
    • この年の日本ダービー馬キズナ、2010年の日本ダービー馬エイシンフラッシュは出走せず。
    • 関西馬としては通算25勝目(23頭目)。
    • 関西馬が6連勝。2005年以降は関西馬8勝、関東馬1勝。

ここまで全58回の東西の勝利数は関東33勝、関西25勝。

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2007年以降は優勝馬の国旗を表記する。性齢の年齢は現在の満年齢表記で表す。

回数 施行日 調教国・優勝馬 性齢 勝時計 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1956年12月23日 メイヂヒカリ 牡4 2:43 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第2回 1957年12月22日 ハクチカラ 牡4 2:49 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第3回 1958年12月21日 オンワードゼア 牡4 2:49 1/5 八木沢勝美 二本柳俊夫 樫山純三
第4回 1959年12月20日 ガーネツト 牝4 2:50.9 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第5回 1960年12月18日 スターロツチ 牝3 2:44.5 高松三太 松山吉三郎 藤井金次郎
第6回 1961年12月24日 ホマレボシ 牡4 2:40.8 高松三太 稗田敏男 川口文子
第7回 1962年12月23日 オンスロート 牡5 2:44.4 山岡忞 中村広 田村喜志
第8回 1963年12月22日 リユウフオーレル 牡4 2:42.5 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第9回 1964年12月27日 ヤマトキヨウダイ 牡4 2:45.1 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第10回 1965年12月26日 シンザン 牡4 2:47.2 松本善登 武田文吾 橋元幸吉
第11回 1966年12月25日 コレヒデ 牡4 2:37.0 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第12回 1967年12月24日 カブトシロー 牡5 2:39.7 大崎昭一 久保田彦之 (有)志賀
第13回 1968年12月22日 リュウズキ 牡4 2:46.2 森安弘明 矢倉玉男 福井章哉
第14回 1969年12月21日 スピードシンボリ 牡6 2:35.1 野平祐二 野平省三 和田共弘
第15回 1970年12月20日 スピードシンボリ 牡7 2:35.7 野平祐二 野平省三 和田共弘
第16回 1971年12月19日 トウメイ 牝5 2:36.0 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第17回 1972年12月17日 イシノヒカル 牡3 2:38.5 増沢末夫 浅野武志 石嶋清仁
第18回 1973年12月16日 ストロングエイト 牡4 2:36.4 中島啓之 奥平真治 ハイランド牧場
第19回 1974年12月15日 タニノチカラ 牡5 2:35.9 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第20回 1975年12月14日 イシノアラシ 牡3 2:38.1 加賀武見 浅野武志 石嶋清仁
第21回 1976年12月19日 トウショウボーイ 牡3 2:34.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第22回 1977年12月18日 テンポイント 牡4 2:35.4 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第23回 1978年12月17日 カネミノブ 牡4 2:33.4 加賀武見 阿部新生 角替光二
第24回 1979年12月16日 グリーングラス 牡6 2:35.4 大崎昭一 中野隆良 半沢吉四郎
第25回 1980年12月21日 ホウヨウボーイ 牡5 2:33.7 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第26回 1981年12月20日 アンバーシャダイ 牡4 2:35.5 東信二 二本柳俊夫 吉田善哉
第27回 1982年12月26日 ヒカリデユール 牡5 2:36.7 河内洋 須貝彦三 橋本善吉
第28回 1983年12月25日 リードホーユー 牡3 2:34.0 田原成貴 服部正利 熊本芳雄
第29回 1984年12月23日 シンボリルドルフ 牡3 2:32.8 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第30回 1985年12月22日 シンボリルドルフ 牡4 2:33.1 岡部幸雄 野平祐二 和田農林(有)
第31回 1986年12月21日 ダイナガリバー 牡3 2:34.0 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第32回 1987年12月27日 メジロデュレン 牡4 2:33.9 村本善之 池江泰郎 メジロ商事(株)
第33回 1988年12月25日 オグリキャップ 牡3 2:33.9 岡部幸雄 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第34回 1989年12月24日 イナリワン 牡5 2:31.7 柴田政人 鈴木清 保手浜弘規
第35回 1990年12月23日 オグリキャップ 牡5 2:34.2 武豊 瀬戸口勉 近藤俊典
第36回 1991年12月22日 ダイユウサク 牡6 2:30.6 熊沢重文 内藤繁春 橋元幸平
第37回 1992年12月27日 メジロパーマー 牡5 2:33.5 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第38回 1993年12月26日 トウカイテイオー 牡5 2:30.9 田原成貴 松元省一 内村正則
第39回 1994年12月25日 ナリタブライアン 牡3 2:32.2 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第40回 1995年12月24日 マヤノトップガン 牡3 2:33.6 田原成貴 坂口正大 田所祐
第41回 1996年12月22日 サクラローレル 牡5 2:33.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第42回 1997年12月21日 シルクジャスティス 牡3 2:34.8 藤田伸二 大久保正陽 有限会社シルク
第43回 1998年12月27日 グラスワンダー 牡3 2:32.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第44回 1999年12月26日 グラスワンダー 牡4 2:37.2 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第45回 2000年12月24日 テイエムオペラオー 牡4 2:34.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第46回 2001年12月23日 マンハッタンカフェ 牡3 2:33.1 蛯名正義 小島太 西川清
第47回 2002年12月22日 シンボリクリスエス 牡3 2:32.6 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第48回 2003年12月28日 シンボリクリスエス 牡4 2:30.5 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第49回 2004年12月26日 ゼンノロブロイ 牡4 2:29.5 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第50回 2005年12月25日 ハーツクライ 牡4 2:31.9 C.ルメール 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第51回 2006年12月24日 ディープインパクト 牡4 2:31.9 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第52回 2007年12月23日 日本の旗マツリダゴッホ 牡4 2:33.6 蛯名正義 国枝栄 高橋文枝
第53回 2008年12月28日 日本の旗ダイワスカーレット 牝4 2:31.5 安藤勝己 松田国英 大城敬三
第54回 2009年12月27日 日本の旗ドリームジャーニー 牡5 2:30.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第55回 2010年12月26日 日本の旗ヴィクトワールピサ 牡3 2:32.6 M.デムーロ 角居勝彦 市川義美
第56回 2011年12月25日 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:36.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第57回 2012年12月23日 日本の旗ゴールドシップ 牡3 2:31.9 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第58回 2013年12月22日 日本の旗オルフェーヴル 牡5 2:32.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第59回 2014年12月28日

有馬記念の記録[編集]

最高・最低記録[編集]

  • レースレコード - 2:29.5(第49回優勝馬ゼンノロブロイ、コースレコード並びに芝2500mの日本レコード)
  • 2着との最大着差 - 9馬身(第48回優勝馬シンボリクリスエス)[7]
  • 2着との最小着差 - 2cm (第55回優勝馬ヴィクトワールピサ - 2着ブエナビスタ)
  • 最多優勝騎手 - 3勝 岡部幸雄(第29、30、33回) 田原成貴(第28、38、40回) オリビエ・ペリエ(第47〜49回)[7] 池添謙一(第54、56、58回)
  • 連続優勝騎手 - オリビエ・ペリエ 3連覇(第47〜49回)[7]
  • 最多勝調教師 - 3勝 二本柳俊夫(第3、25、26回) 大久保正陽(第37、39、42回) 藤沢和雄(第47〜49回 3連覇)[7] 池江泰寿(第54、56、58回)
  • 最多連続出走 - 6年連続 コスモバルク(第49〜54回)
  • 最高単勝支持率 - 76.1%(第2回優勝馬ハクチカラ、有馬記念史上唯一の単勝元返し)[7]
  • 優勝馬最低単勝支持率 - 0.6%(第36回優勝馬ダイユウサク、有馬記念史上唯一の単勝万馬券)[7]
  • ファン投票最多得票数 - 19万7682票(第34回 オグリキャップ)[7]
  • ファン投票最多得票率 - 90.8%(第18回 ハイセイコー)[7]

史上初の記録[編集]

  • 牝馬 - ガーネツト(第4回)
  • 3歳(旧4歳)馬 - スターロツチ(第5回)
  • 3歳(旧4歳)牡馬 - イシノヒカル(第17回)
  • 6歳(旧7歳)以上馬 - スピードシンボリ(第14回)
  • 青毛馬 - リュウズキ(第13回)
  • 芦毛馬 - オグリキャップ(第33回)
  • 父内国産馬 - メイヂヒカリ(第1回)
  • 父(本邦調教)外国産馬 - リュウズキ(第13回)
  • 関西馬 - リユウフオーレル(第8回)
  • 公営出身馬 - オンスロート(第7回)
  • 持込馬 - サクラローレル(第41回)
  • 外国産馬 - グラスワンダー(第43回)
  • サラ系馬 - ヒカリデユール(第27回)
  • 父子制覇 - 父:シンボリルドルフ(第29回・第30回)、子:トウカイテイオー(第38回)[7]
  • 兄弟制覇 - 兄:ドリームジャーニー(第54回)、弟:オルフェーヴル(第56回・第58回)
  • 連覇 - スピードシンボリ(第14回・第15回)
  • 年数を空けて2勝以上 - オグリキャップ(第33回・第35回)
  • 重賞初制覇が有馬記念 - ストロングエイト(第18回)
  • 父子騎手による制覇 - 父:武邦彦(第21回 トウショウボーイ)、子:武豊(第35回 オグリキャップ、第51回 ディープインパクト)[7]
  • 父子調教師による制覇 - 父:野平省三(第14回・第15回 スピードシンボリ)、子:野平祐二(第29回・第30回 シンボリルドルフ)[7]
  • 外国人騎手による制覇 - オリビエ・ペリエ(第47回)
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した騎手 - 高松三太(第5回 スターロツチ・第6回 ホマレボシ)
  • 牡馬・牝馬の両方で制覇した調教師 - 稗田敏男(第4回 ガーネツト・第6回 ホマレボシ)
  • 騎手・調教師の両方で制覇 - 保田隆芳(騎手:第2回 ハクチカラ、調教師:第21回 トウショウボーイ)
  • 同年のクラシック三冠馬 - シンボリルドルフ(第29回)
  • 同年のクラシック二冠馬 - ゴールドシップ(第57回)

特記事項[編集]

  • 概要にも記されているとおり、ファン投票による出走馬の選定を行うことは新しい試みであったが、レースの名称もファン投票によって選定しようとしたことも非常に画期的であった。当初、競馬会は「中山グランプリ」という名称にしようとしていたが、当時「グランプリ」という名称は映画に関係する言葉として使われていたくらいで、まだ広く馴染んではいなかった。そこで、ファン投票用紙に出走させたい競走馬と同時に競走名を募った。その結果、一番多かった「中山大賞典」を始め17もの名称が集まった(競馬会が提唱していた「中山グランプリ(を可とする)」は第2位だった)。しかしどの名称も名提案とまではいかなかったため、第1回はそのまま「中山グランプリ」で行われた。
    • 競走名の決定にあたり、フランスパリ大賞典(グランプリ・ドゥ・パリ)が参考にされた。別名「グランプリ・ドゥ・パリ」から「グランプリ・ドゥ・ナカヤマ」という案もあったが、「あまりにもフランスのマネ」とのことから、ひとまず競馬会は「中山グランプリ」を提唱し、競走名を募った[7]
  • 有馬記念の競走名により有馬温泉のある兵庫県阪神競馬場で開催されていると勘違いされたり、特に関西在住の競馬初心者に「なぜ有馬温泉に近い阪神競馬場で行われないのか」という声が聞かれる[8]。正しい由来は概要に記されているとおり有馬頼寧の功績を称えて命名されたものであってレース名と有馬温泉とに直接の関係はなく、今後代替が発生する場合を除いて、現段階では阪神を含む他の競馬場で開催される予定もない。また混乱を招く恐れがあるため、阪神競馬場で「有馬」ないしは「有馬温泉」の冠を付けた特別競走を開催すること自体もできない状態になっている。ただし、有馬の先祖は室町時代に有馬温泉の周辺を治めていた地頭摂津有馬氏である。
  • 有馬記念開催50周年を記念し、2005年にロゴマークの一般公募を行った。その結果、京都市在住の男性が制作した有馬(Arima)の"A"をモチーフに金色の天馬の羽根と16個(有馬記念の最大出走可能頭数)の星(ファン投票で選ばれたスターホースの意味でクリスマスの色である赤と緑が8個ずつ交互に並んでいる)をあしらったデザインが採用された。競走当日はグリーンチャンネルや全国の競馬場ウインズで放送されるレースの映像にもこのマークが登場した(通常は中山のマスコットキャラクターである「ナッキー」)。2006年は使用されなかったが、2007年以降は使用されている。
  • 12月25日に本競走が開催される時には、「クリスマスグランプリ」と言われる。過去6度あり、1966年の第11回が初開催。それ以降は1983年の第28回、1988年の第33回、1994年の第39回、2005年の第50回記念そして2011年の第56回と施行されている。次回は2016年の第61回で施行の予定。
  • 2001年以降、主要なGI競走開催日において行われてきた「入場券完全前売制」による入場規制は行われなくなったが、2005年の第50回では無敗の三冠馬として社会的な人気現象を引き起こしたディープインパクトが出走を表明し来場者の殺到が予測されたことから、6年ぶりに入場券は完全前売制となり、当日発売は行われなかった。前売り券は約19万枚発売され完売した。その日、中山競馬場に訪れたのは約16万人であった。しかし、その16万人の注目の的であるディープインパクトは2着に敗れた。なお、これはディープインパクトの国内で唯一の敗北である。
  • 本競走当日の中山競馬場の発走時刻及び発走間隔は、通常開催日と異なっている。1984年から1987年までと現在(2008年以降)は全11競走中の第10競走で行われているが1988年から2007年までは第9競走で行われ、本競走当日の中山競馬は混雑などの混乱を避けるため全10競走で行われていた。通常GIが行われる競馬場のメインレースは15時30分以降に行われGIレースの発走時刻は基本的に15時40分となっているが、本競走の発走時刻は15時25分と早い。本競走を含め12月開催時の関東のメインレース発走時刻は15時25分となり、発走順序も東京or中山→第3場→京都or阪神である。したがって通常の日程と勘違いして勝馬投票券を購入してしまう者もたびたびみられる[注 19]。ただし2007年まで有馬記念開催日の中山競馬第11競走」は存在せず、誤って当該競走の馬券を購入しようとしても発券機にマークカードを挿入したところでエラーが発生してしまうので、このような購入ミスは起きなかった。ちなみに、阪神競馬場にて開催される2008年から2013年までのジャパンカップダート及び阪神ジュベナイルフィリーズの発走時刻は15時40分である。
  • 本競走当日は、阪神競馬場と中京競馬場も有馬記念効果で混雑する(危険防止のための退場規制も行われる。現在の有馬記念当日の中京競馬場の入場人員は、高松宮記念当日のそれを上回ることが多い)。また、指定席も早朝で売り切れる。名古屋鉄道では高松宮記念及び有馬記念当日に限り、夕方時間帯の一部で中京競馬場前駅特急電車の臨時停車を行うなど、鉄道業界も動かすレースである。例年競馬が行われない東京競馬場も混雑し、通常競馬開催日にしか行わない京王線準特急東府中駅臨時停車が行われる。
  • 中央競馬における「1年終わりの競走」として親しまれる有馬記念であるが、厳密にはJRAにおけるその年最後の競走ではない。2009年の場合、中山競馬の当日最終競走(第11競走、16:05発走)は「ハッピーエンドカップ」という条件競走であった。その直後に中京競馬の第12競走として「尾張(おわり)ステークス」(16:10発走。2005年までは「尾張特別」)というオープン特別競走が行われ、さらにその直後に阪神競馬第12競走で行われた「ファイナルステークス」(16:20発走)が、同年のJRAの最終競走となった。
    • 2010年の暮れの第三場開催は中京競馬場の改修工事により小倉競馬場で行われ、第12競走「アンコールステークス」(16:35発走 九州地方が本州各地に比べて日没時間が遅かったため「準薄暮」だった)というオープン競走が同年のJRAの最終競走となった。2009年までJRAの年間最終競走であったファイナルステークス(阪神競馬)は、発走時刻はそのままだが「年間最終競走」でなくなった。なお、中山競馬の「ハッピーエンドカップ」はJRAプレミアム競走「ハッピーエンドプレミアム(オグリキャップメモリアル)」として施行された[9]
      • 2011年も同様の施行時刻割となった[10]
    • 2012年2013年は、有馬記念開催日の翌日にも中央競馬が行われた[11][12]。翌月曜日が休日になることに伴い3日間開催を実施するためで、阪神競馬場では年間最終の重賞競走として阪神カップ(GII)が行われる。
      • なお、2012年の有馬記念当日の中山競馬場の最終競走は牝馬限定の条件特別「ノエル賞」、阪神競馬場はダートのオープン特別「ギャラクシーステークス」[13]となっている。12月24日(有馬記念翌日)の中山競馬場はメインが「近代競馬150周年記念 2012フェアウェルステークス」(ダートのオープン特別)、最終競走が「ハッピーエンドカップ」[14]。また中京競馬場はこの年から12月開催(平年の第4回開催相当)がそれまでの8日間から6日間に縮小されたため有馬記念当該の週は開催されず、その前の朝日杯フューチュリティステークスの週の日曜日がその年の最終開催日となった。
    • なお、1979年までのこのレースの開催日は必ずしもその年の中央競馬最終開催日に固定されていなかった。その年の最終開催日には、クモハタ記念・中山大障害やアラブ重賞が開催されたことがある。阪神競馬場では朝日チャレンジカップ(1960年まで)、阪神大賞典が年末最後の重賞として開催されていたが現在は3月に移行している。[15]
  • 通常、GI当日のメインレースと最終レースとの間は40分確保されているが(それでも記念写真撮影、表彰式、勝利騎手インタビューなどのセレモニーが長引いて最終レースの発走時刻が5分ほど遅れることが多い)朝日杯フューチュリティステークス(2013年まで)と有馬記念の2つのGIレースだけは、35分と短い。そのため、ハッピーエンドカップの発走時刻が毎年のように遅れる。ただし2008年からはハッピーエンドカップの発走時刻を16:05に設定し、有馬記念との間隔は40分に拡大したが、それでも遅れが発生することがある。
  • 1988年から1995年までの8年間、有馬記念の前座競走として第7競走にファン投票によって選抜された騎手が出場できるジョッキーズグランプリが施行されていた。ファン投票は、有馬記念の出走馬投票とともに同じ投票用紙(はがき)を使って行われた。
  • 有馬記念を中継するフジテレビはこのレースを競馬中継の中で最高のレースに位置付けており、それに相応しいアナウンサーが実況するという観点から部長級の管理職のアナウンサーが代々実況を務めており、現在の青嶋達也で8代目となる[注 20]

有馬記念フェスティバル[編集]

中央競馬のその年の締めくくりを飾るオールスター戦・有馬記念競走の気運を盛り上げようと、1981年から毎年開かれている日本中央競馬会主催の公開イベントである。

毎年有馬記念開催週の月曜日に東京都内の会場で開かれるこのイベントではその年の有馬記念に出走が予定されている有力馬の騎手・関係者をゲストに招いてレースへの意気込みを語るトークイベント、また騎手と競馬愛好家のタレントらを交えたクイズ・ゲーム大会やタレント・競馬マスコミ関係者総出演によるレース展望会が実施されている。2004年は元JRA職員で現在プロ格闘家として活躍する小川直也がゲストとして招かれた。2005年はダービーフェスティバル同様、主催者側の都合で行われなかった。

また各地でも有馬記念ウィークを中心にした関連のイベントが開かれており新潟市において「有馬記念フェスティバル(西暦年数)」が新潟競馬場新潟放送の共催で毎年行われ、その模様は新潟放送(ローカル)とグリーンチャンネルで放送される。2005年は大雪に伴う施設の停電のため開催されず、スタジオでレース展望を収録し放送した。なお、現在イベントの形で残っている有馬記念フェスティバルはこの新潟で行われているものだけである。

脚注・出典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 八大競走の中では最も出走条件が緩やかで、クラシックに出走できない騸馬でも出走が可能である。
  2. ^ この他に推薦委員会による推薦馬の選出があったが、形骸化したため1995年を最後に廃止された。
  3. ^ 日本の公営競技において、初めてファン投票による競走対象の選定を行ったのは競輪オールスター競輪)である。
  4. ^ 日本ダービーも基本的に開催場変更を行わないレースだが、最初の2回は目黒競馬場で施行され、競馬場移転に伴い第3回から現在まで東京競馬場で行われるようになった。
  5. ^ 12月28日が土曜日=即ち翌29日が日曜となる場合は、従来どおり29日ではなく22日開催。
  6. ^ なお上位第10位までで出走の意思がない場合、その分を11位以下の馬が繰り上げで出走できる権利がある。
  7. ^ 中央にアラブのレースがあった時代にはアングロアラブの出走も可能であり、「アラブの怪物」の異名を持つセイユウがファン投票による権利を持っていたものの、アラブの読売カップ(秋)連覇を優先し出走を辞退している。
  8. ^ 春の繁殖シーズンに合わせて種牡馬入りするため、競走生活現役の締めくくりとする馬も多い。
  9. ^ 外国産馬については、クラシック5大競走は創設時から天皇賞は1971年から外国産馬(マル外)の出場は一切認めていなかった。その後天皇賞は2000年から、クラシック5大競走は2001年から頭数制限付きでマル外の出場が認められ、国際競走(国際グレード)指定となったそれぞれ2005年2010年から「混合競走」となった。ただしクラシック五大競走はマル外・外国調教馬(カク外)と合わせて9頭以内の制限はある(以上の詳細は外国産馬#中央競馬のクラシック・天皇賞における出走制限も参照)。
  10. ^ 柏木集保コンサートなどのアンコールに例えている[要出典]
  11. ^ ジャングルポケット(第46回。第47回は出走)、ウオッカ(第53回と第54回。第52回は出走。)、ディープスカイ(第53回)など。
  12. ^ 第41回優勝のサクラローレル、第53回優勝のダイワスカーレット、第54回優勝のドリームジャーニーなど。
  13. ^ 香港ヴァーズに4回出走したジャガーメイル(第56回は出走)、香港ヴァーズに出走するため第46回不出走のステイゴールド香港カップに出走するため第51回不出走のアドマイヤムーンなど。
  14. ^ 中山競馬場で出走可能頭数が18頭設定可能なコースは芝内回り2000m(A、Bコース指定時)、芝外回り2200m(A、Bコース指定時)のみ。したがって、中山競馬場で施行されるGIは皐月賞(と代替開催で行われた天皇賞(秋)・ジャパンカップ)を除いて、フルゲート16頭で行われる。
  15. ^ 不振を極めていた1990年のオグリキャップと武豊、1年ぶりのレースを制した1993年のトウカイテイオーと田原成貴など。
  16. ^ 具体例を挙げると2010年の本競走を優勝したヴィクトワールピサはこの年の皐月賞を優勝しているため3000万円、2着のブエナビスタ天皇賞・秋を優勝しているため、2000万円の褒賞金が交付される。3着のトゥザグローリーはこの年のGIを優勝していないため、褒賞金は交付されない。
  17. ^ 中山競馬場の芝外回り2600mは現在でも設定されているものの今とは違うコース。この時代は現在の2コーナーから外回りに入ることが出来ないが、3コーナーから現在の1200mの発走地点へ奥に入るコースは使われていた。また当時の中山競馬場の3~4コーナーには京都競馬場と同じく内側と外側の2つのコースがあり、1962年のレースフィルムを見ると、3コーナーの奥からスタートして1周目の3~4コーナーは外側のコースを使い、内回りで2周目3~4コーナーは内側のコースを使って直線に入るようになっていた。3~4コーナー以外は現在のコースによく似ているとも言える。この3~4コーナーの内側コースは現在のダートコース付近であり、当時の皐月賞はこの内側コースを使用していた。なお第1回から第4回までは普通に内回りの向正面からスタートしていたと思われる。 
  18. ^ 天皇賞(春・秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
  19. ^ テレビの競馬中継でもその旨の注意喚起が行われている。
  20. ^ 前任の三宅正治の代までは有馬記念を実況するアナウンサーは他のGI競走の実況から退くことが長らく慣例となっていた[要出典]が、2013年からはフジテレビのスポーツ実況アナウンサーの持ち場の関係により有馬記念担当者である青嶋が日本ダービーや凱旋門賞の実況を行うなど柔軟な運用を行っている。

出典[編集]

  1. ^ 参考PDF (PDF)
  2. ^ バルク 有馬“影の人気1位”(スポーツニッポン、2004年12月17日) - ウェイバックマシン(2005年1月22日アーカイブ分)
  3. ^ ケイバブック 2012年1月29日号。
  4. ^ 同一年度に本会が定める競走に優勝した馬に対する褒賞金(PDFファイル) (PDF) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
  5. ^ a b 有馬記念競走における褒賞金(PDFファイル) (PDF) - JRA公式サイト 2011年12月7日閲覧
  6. ^ 横綱 白鵬関が有馬記念(GI)当日に来場! - JRA公式サイト 2010年12月13日閲覧
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』、日本中央競馬会、2014年1月、 40-45頁。
  8. ^ 週刊競馬ブックの投書欄、および同2008年12月21日号の乗峯栄一のコラム「理想と妄想」他多数。
  9. ^ 平成22年度秋季競馬番組の概要について(PDFファイル) (PDF) - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧
  10. ^ 2011年12月25日(日) 競馬番組 - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧
  11. ^ 2012年度開催日割および重賞競走について - JRA公式サイト 2011年11月15日閲覧
  12. ^ 開催日程表 (PDF)
  13. ^ 2012年12月23日(日) 競馬番組 - JRA公式サイト 2012年7月30日閲覧
  14. ^ 2012年12月24日(月) 競馬番組 - JRA公式サイト 2012年7月30日閲覧
  15. ^ ただ、1956年京都競馬場京都記念(当時は年2回の開催)が関西地区年内最後の中央競馬の重賞競走として開催されていた。

関連項目[編集]

サッポロ生ビール<黒ラベル>第52回有馬記念缶。2006年第51回優勝馬ディープインパクトが描かれている。
  • 有馬頼寧
  • 宝塚記念 - ファン投票で出走馬を決定する春のグランプリ競走
  • 東京大賞典 - 地方競馬の1年間を締め括る競走
  • 安田記念 - 日本競馬会初代理事長・安田伊左衛門を称えた競走
  • 天皇賞(秋)
  • ジャパンカップ
  • サッポロビール - 毎年、有馬記念開催に先駆けて「サッポロ黒ラベル・有馬記念缶」をコラボレーションして通販や全国主要酒類販売店で発売している。これは中山競馬場のある船橋市に工場があるためで、前年の優勝馬のレースシーン写真を缶詰に印刷している。
  • 進撃の巨人 - 2013年にジャパンカップとのコラボレーション「進撃のジャパンカップ」に続き、有馬記念とコラボレーションで「進撃の有馬記念」というブラウザゲームが公開された。

外部リンク[編集]