伊勢神宮
| 神宮 | |
|---|---|
内宮(皇大神宮) |
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| 所在地 | 内宮(皇大神宮): 三重県伊勢市宇治館町1 外宮(豊受大神宮): 三重県伊勢市豊川町279 |
| 位置 | 内宮:北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒 外宮:北緯34度29分14.05秒 東経136度42分10.53秒 |
| 主祭神 | 内宮:天照坐皇大御神(天照大御神) 外宮:豊受大御神 |
| 社格等 | 式内社(大) 二十二社(上七社) 神宮(近代社格超越-対象外) |
| 創建 | 内宮:垂仁天皇26年 外宮:雄略天皇22年 |
| 本殿の様式 | 唯一神明造 |
| 別名 | 伊勢神宮 |
| 札所等 | 神仏霊場巡拝の道特別参拝 |
| 主な神事 | 伊勢神宮の祭事を参照 |
| 地図 |
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伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、正式名称は地名の付かない「神宮(じんぐう)」[注釈 1]。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり[1]、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される[2]。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社のひとつ[注釈 2]。古代においては宇佐神宮[3]、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた[4]。明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、すべての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。
目次
概要[編集]
伊勢神宮には、太陽を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる[5]。内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている[5]。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称する[6]。この場合、所在地は三重県内の4市2郡に分布する(後述)[7]。
伊勢神宮は皇室の氏神である天照坐皇大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強く[8]、現代でも内閣総理大臣及び農林水産大臣が年始に参拝することが慣例となっている。また、20年に一度行われる式年遷宮は、国民的関心を集める(遷御#メディアによる報道)。
祭主は第一皇女黒田清子、大宮司は小松旧侯爵家当主小松揮世久。
祭神[編集]
主祭神は以下の2柱。
主祭神以外については、各宮の項目を参照。
神話と創祀[編集]
天孫・邇邇芸命が降臨した際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。
崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。
崇神天皇7年2月、大物主神、倭迹迹日百襲姫命に乗り移り託宣する。11月、大田田根子(大物主神の子とも子孫ともいう)を大物主神を祭る神主とし(これは現在の大神神社に相当し、三輪山を御神体としている)、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祭る神主としたところ、疫病は終息し、五穀豊穣となる。
天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑(現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動した。
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。(詳細記事:元伊勢)倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬[注釈 3]に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である(元伊勢伝承)。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』[注釈 4]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。
歴史[編集]
概史[編集]
古代[編集]
皇室の氏神として、天皇以外の奉幣は禁止された(私幣禁断)[6]。天武天皇の時代に斎宮が制度化され、『扶桑略記』によれば天武天皇の皇女である大伯皇女が初代とされる。
中世[編集]
朝廷への、そして皇室とその氏神への崇拝から、日本全体の鎮守として全国の武士から崇敬された[9]。神仏習合の教説において神道側の最高神とされる[10]。また、外宮側の度会家行より伊勢神道(度会神道)が唱えられた[10]。戦乱により神宮領が侵略され、経済的基盤を失ったため、式年遷宮(後述)が行えない時代もあった[9]。資金獲得のため、神宮の信者を増やし、各地の講を組織させる御師が台頭した[9]。
近世[編集]
お蔭参り(お伊勢参り)が流行した[6]。庶民には親しみを込めて「お伊勢さん」と呼ばれ、弥次さん、喜多さんの『東海道中膝栗毛』で語られるように、多くの民衆が全国から参拝した[9][6]。
近代[編集]
明治天皇が在位中の天皇としては初めて参拝した。この長期の空白の理由については諸説がとなえられているが、決定的なものはない。大日本帝国政府により全国神社の頂点の神社として位置付けられたが、第二次世界大戦以後は、宗教法人神社本庁発足により、全国神社の本宗とされた。内宮前に「神宮司庁」があり、神職約100人、一般職約500人が奉職している。
佐藤栄作首相が昭和42年(1967年)に参拝して以来、現職内閣総理大臣と農林水産大臣が、(正月三が日の混雑を防ぐため)主に1月4日の官公庁仕事始めの日[注釈 5]に参拝するのが慣例行事である。
式年遷宮[編集]
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える[注釈 6]。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われた[6]。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成25年(2013年)の第62回式年遷宮まで、およそ1300年間行われている[6]。
年表[編集]
遷宮に関しては「神宮式年遷宮」を参照。西暦の年月日はユリウス暦によるが、「1871年7月1日」はグレゴリオ暦。年と月の西暦との対応はおおよその目安である。
- 天武天皇14年(685年)、式年遷宮の制を制定。
- 持統天皇4年(690年)、第1回内宮式年遷宮。
- 持統天皇6年(692年)、第1回外宮式年遷宮。
- 和銅2年(709年)、第2回内宮式年遷宮。
- 和銅4年(711年)、第2回外宮式年遷宮。
- 和銅5年(712年)1月28日、『古事記』完成。
- 養老4年(720年)、『日本書紀』完成。
- 延長5年(928年)12月26日、『延喜式』完成。
- 康保4年(967年)7月9日、延喜式施行。
- 寛正3年(1463年)12月27日、第40回内宮式年遷宮。こののち戦国時代で式年遷宮が中断。
- 永禄6年(1563年)9月23日、第40回外宮式年遷宮。
- 慶安3年(1650年)1月、慶安のお蔭参り。
- 宝永2年(1705年)、宝永のお陰参り。
- 明和8年(1771年)4月、明和のお陰参り。
- 文政13年(1830年)、文政のお陰参り。
- 慶応3年(1867年)、ええじゃないか。
- 明治4年(1871年)5月14日、近代社格制度制定。
- 昭和20年(1945年)12月15日、神道指令。
- 昭和24年(1949年)、第59回式年遷宮延期。
- 昭和28年(1953年)10月、第59回式年遷宮。
- 昭和28年12月、崇敬団体の伊勢神宮奉賛会設立。
- 昭和34年(1959年)9月26日、伊勢湾台風により内宮・外宮とも倒木などの被害。
- 昭和40年(1965年)9月、伊勢神宮奉賛会が伊勢神宮崇敬会へ改称。
- 平成28年(2016年)5月、第42回先進国首脳会議伊勢志摩サミットを記念しアメリカ大統領含むG7首脳が内宮参拝。
神宮125社[編集]
神宮が管理する宮社は125社あり、俗に「神宮125社」と呼ばれる。内訳は内外両正宮に別宮14、摂社43、末社24、所管社42。伊勢市だけでなく、度会郡大紀町、玉城町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気郡多気町の4市2郡に分布する。
- 正宮(しょうぐう) - 皇大神宮 (内宮)と豊受大神宮 (外宮)の2宮。
- 別宮(べつぐう) - 「正宮のわけみや」の意味で、神宮の社宮のうち正宮に次いで尊いとされる[11]。
- 摂社(せっしゃ) - 『延喜式神名帳』に記載されている神社(正宮、別宮を除く)。定義では摂社は全て式内社となるが、戦国時代にほぼすべてが廃絶となり、江戸時代の寛永年間(1630年代)から明治初頭(1870年代)にかけて復興されたため、式内社の比定地とされる場合がある[12]。
- 末社(まっしゃ) - 『延暦儀式帳』に記載されている神社(正宮、別宮、摂社を除く)。
- 所管社(しょかんしゃ) - 正宮・別宮・摂社・末社以外の神社。
参道[編集]
伊勢街道・伊勢本街道・参宮街道を初めとして、多方面から、参拝道をかねる街道が整備された(「伊勢参宮街道」参照)。
東海道(京・大阪から)の伊勢別街道では、分岐点の関宿に一の鳥居が立つ(位置)。元は内宮前の宇治橋両端に立つ鳥居のうち内側の鳥居で、式年遷宮のときに建て替えられる。
東海道(江戸から)の伊勢国入り口の七里の渡しにも一の鳥居が立っており(位置)、元は宇治橋の外側の鳥居で、こちらも式年遷宮のときに建て替えられる。さらに伊勢街道分岐点の日永の追分には、二の鳥居が立つ(位置)。
関係地[編集]
神宮宮域林[編集]
神宮が所有している森林を、「神宮宮域林」といい、約5500ヘクタールある。宮域林は三重県伊勢市の南部に位置し、五十鈴川の水源である神路山、島路山、高倉山の3山からなる。第一回遷宮以来御杣山として遷宮に用いられるヒノキ御用材を産出していたが、鎌倉中期以降資源不足が原因で御杣山は宮域林を離れた。現在では木曽国有林から産出される材で御用材を賄っている。宮域林では、再び御用材を自給することを目標に大正12年に「神宮森林経営計画」を策定し、それに従って造林・育成がなされている。生態的機能・水源涵養を主眼とした針広混交林施業を行っている。[13]毎年約2万本のヒノキを植樹している。
佐八苗圃[編集]
神宮の祭事に使用する榊などをそだてる「佐八苗圃(そうちびょうほ)」があり、伊勢市内の1.7ヘクタールに約2万の榊が栽培されている[要出典]。
祭事[編集]
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年間祭事[編集]
- 月次祭(つきなみさい)
- 内宮6月16日22時、6月17日2時
- 外宮6月15日22時、6月16日2時
- 内宮12月16日22時、12月17日2時
- 外宮12月15日22時、12月16日2時
- 神嘗祭と共に三節祭と呼ばれ、最も重要な祭事の1つとされ、外宮内宮両正宮に続き、別宮、摂社、末社、所管社で25日まで行われる。
- 風日祈祭(かざひのみさい)
- 5月14日内宮9時、外宮5時
- 8月4日内宮9時、外宮5時
- 御酒殿祭
- 6月1日内宮御酒殿10時
- 10月1日内宮御酒殿10時
- 12月1日内宮御酒殿10時
- 神御衣奉織始祭(かんみそほうしょくはじめさい)
- 5月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各9時
- 10月1日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 神御衣奉織鎮謝祭(かんみそほうしょくちんしゃさい)
- 5月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 10月13日神服織機殿神社、神麻続機殿神社、各8時
- 神御衣祭(かんみそさい)
- 大祓(おおはらえ)
- 6月30日:夏越(なごし)大祓
- 12月31日:年越(としこし)大祓
- その他大祭の前月末日
毎日の祭事[編集]
- 日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)
文化財[編集]
国宝[編集]
- 玉篇 巻第廿二
重要文化財(国指定)[編集]
- 紙本著色伊勢新名所絵歌合
- 神宮古神宝類(明細は後出)
- 太刀 銘吉信(附 糸巻太刀拵)
- 太刀 銘次家
- 太刀 銘俊忠(附 糸巻太刀拵)
- 刀 折返銘有国
- 毛抜形太刀
- 古事記上巻 1冊 応永三十三年春瑜書写奥書
- 古事記裏書 1冊 応永三十一年道祥書写奥書
- 古文尚書 13巻 自正和元年至正和三年清原長隆伝授奥書
- 神宮法楽和歌 16巻 霊元天皇以下歴代天皇宸翰
- 日本書紀私記 応永三十五年髪長吉叟書写奥書
- 日本書紀私見聞(道祥自筆本、応永三十三年抄出奥書)1冊・日本書紀私見聞(春瑜自筆本)2冊
- 皇太神宮儀式帳残巻・等由気太神宮儀式帳
- 度会氏系図(元徳元年十一月注進本)
- 天養記[14]
- 神鳳鈔(附:神鳳鈔御巫本)[15]
- 氏経卿神事記[16]
- 氏経卿引付 7冊[17]
- 金銅透彫金具 - 静岡県浜松市浜北区根堅出土
- 据台付子持はそう(「はそう」の漢字は左が「瓦」、右が「泉」)福岡市西区羽根戸出土
- 角屋家貿易関係資料(明細は後出)
- 渋川春海天文関係資料(明細は後出)
- 神宮祭主職舎本館(旧慶光院客殿)[18] - 所在:伊勢市宇治浦田
出典:2000年までの国宝・重要文化財指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
- 神宮古神宝類
- 玉纒横刀(たままきのたち) 1口
- 玉纒横刀 1口
- 雑作横刀(くさぐさのたち) 1口
- 雑作横刀 1口
- 雑作横刀 1口
- 鉄鉾身(金銅鏑付)1口
- 金銅椯(たたり) 1基
- 金銅高機(たかはた)(杼付)1基
- 金銅高機架(たかはたのか) 1基
- 牡丹文八稜鏡 1面
- 装束類布帛本様 3帖
- 角屋家貿易関係資料
- アジア航海図(羊皮紙著色)1面
- 御朱印旗 1旒
- 大湊角屋家旗 1旒
- 角屋家文書 7巻1冊
- 渋川春海天文関係資料
- 天文瓊統(自筆本)元禄十一年正月内宮奉納奥書 8冊
- 日本長暦(自筆本)貞享二年夏内宮奉納奥書 2冊
- 日本長暦(自筆本)元禄六年九月宮崎文庫奉納奥書 2冊
- 日本長暦(自筆本)元禄五年正月応中川経晃需奥書 2冊
- 日本書紀暦考(自筆本、内宮奉納本) 1冊
- 日本書紀暦考(自筆本)元禄五年正月応中川経晃需奥書 1冊
- 両宮御鎮座古暦(自筆本)貞享元年九月奥書 1巻
- 元禄二年七曜御暦(自筆本)元禄二年正月朔日奥書 1巻
- 元禄三年具注暦(自筆本)元禄二年十一月朔日奥書 1巻
- 元禄四年具注暦(自筆本)元禄三年冬日奥書 1巻
- 天球儀 元禄庚午(三年)在銘 1基
- 地球儀 1基
- (以下は附指定)
- 貞享暦議 7冊
- 日本古今交食考 1冊
- 春海先生実記 甲子(延享元年)書写奥書 1冊
国の登録有形文化財[編集]
国の選択無形民俗文化財[編集]
国の史跡[編集]
- 旧林崎文庫(伊勢市宇治今在家町所在)[23]
おみくじ[編集]
伊勢神宮にはおみくじがない[24]。一般に「伊勢神宮は、参拝した日が誰でも吉日であるから」と説明される[25]。「伊勢神宮では個人的な吉凶を占うことがはばかられるから」という別の説もある[26]。
内宮前のおかげ横丁では、犬の置物とセットになった「おかげ犬」のおみくじ[24]や「おかげ干支みくじ」[27]が売られているほか、第三銀行おかげ横丁出張所では利用明細票に運勢を表示するおみくじ機能付き現金自動預払機(ATM)を設置している[28]。
その他[編集]
- 毎年11月に開かれる全日本大学駅伝対校選手権大会では、内宮宇治橋前のロータリーが106.8kmのゴール地点となる[29]。
- 歌手の倉木麻衣が第62回伊勢神宮式年遷宮奉祝「TOKYO FM奉納歌謡公演」にて歌の奉納を行う。場所は伊勢神宮内宮にある参集殿奉納舞台で行われ、女性ポップス歌手として神宮公式奉納は初となる。
- 三重県最大の観光スポットであり、式年遷宮が行われた2013年には内宮・外宮合わせて14,204,816人(前年比176.9%)が来訪した[30]。
所在地[編集]
交通[編集]
内宮まで[編集]
鉄道[編集]
- 最寄駅:近鉄鳥羽線 五十鈴川駅
- 徒歩:約30分
- バス:約10分 - 宇治山田駅・伊勢市駅・外宮からの路線
- 近鉄山田線・鳥羽線 宇治山田駅
- バス:約15分
- JR東海参宮線・近鉄山田線 伊勢市駅
- バス:約15分(路面電車型バス「神都バス」も運行される)
自家用車[編集]
- 伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を南へ2分、のち「浦田」交差点から伊勢街道を南へ2分
- 駐車場:宇治橋周辺の参拝者用駐車場を利用
外宮まで[編集]
鉄道[編集]
バス[編集]
- 三重交通「外宮前」バス停下車 (下車後徒歩すぐ)
- 三重交通「伊勢市駅前」バス停下車 (下車後徒歩5分)
自家用車[編集]
- 伊勢自動車道 伊勢西ICから、三重県道32号伊勢磯部線(御木本道路)を北へ約5分
- 駐車場:北御門前に434台収容の無料駐車場あり[31]。内宮同様正月の混雑時にはパークアンドライドがおこなわれている。
補足事項[編集]
- 外宮から内宮へは、徒歩で約50分(バス運行あり)
- 大鳥居より内には犬連れで入れない[32]。内宮の参拝時には、大鳥居の横に位置する警備室の裏にある中型犬の犬舎で、参拝の間犬を預かってもらえる[32]。小型犬の場合はバスケットやケージを持参すれば、その中に入れて預かってくれる[32]。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 法人としての名称は「宗教法人神宮」である。法人所在地は伊勢市宇治館町(神宮司庁の所在地)。
- ^ 神宮で神階が無いのは、伊勢神宮と日前神宮、國懸神宮の3宮だけである[要出典]。
- ^ 垂仁紀に「穴磯邑の大市長岡岬に祀った」とある。
- ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
- ^ カレンダーの日割りによっては1月5日又は6日になる場合もある。
- ^ 明治時代以降、式年遷宮のときに宇治橋が架け替えられるようになり、昭和24年(1949年)以降は式年遷宮の4年前に、架け替えられるようになった[要出典]。
出典[編集]
- ^ “伊勢の神宮”. 神社本庁. 2012年2月21日閲覧。
- ^ “神宮について”. 伊勢神宮. 2012年2月19日閲覧。
- ^ “宇佐市について”. 宇佐市観光協会. 2012年1月1日閲覧。 “古代より栄え-、神仏習合の八幡神が誕生し-、内なる伊勢、外なる八幡の二所宗廟として発展-”
- ^ “当宮について 歴史と信仰”. 石清水八幡宮. 2012年1月1日閲覧。
- ^ a b 『神道の本』 [要ページ番号]
- ^ a b c d e f 『日本の神々の事典』 [要ページ番号]
- ^ 『幻想地名事典』55頁。
- ^ 井上順孝『神道』 [要ページ番号]
- ^ a b c d 『知識ゼロからの伊勢神宮入門』 [要ページ番号]
- ^ a b 『神仏習合の本』 [要ページ番号]
- ^ “別宮”. 伊勢市観光協会. 2012年1月8日閲覧。
- ^ 櫻井勝之進 『伊勢神宮』 [要ページ番号]
- ^ 「遷宮を支える神宮宮域林の森づくり」『土地改良』[要文献特定詳細情報]270号、2-8頁。
- ^ 平成18年6月9日文部科学省告示第79号
- ^ 平成19年6月8日文部科学省告示第96号
- ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第101号
- ^ 平成22年6月29日文部科学省告示第101号
- ^ 平成14年12月26日文部科学省告示第212号
- ^ 平成10年10月26日文部省告示第150号(登録は10月9日付け)
- ^ 平成10年10月26日文部省告示第150号(登録は10月9日付け)
- ^ 三重県文化財データベース
- ^ 三重県文化財データベース
- ^ 三重県文化財データベース
- ^ a b “三重・伊勢神宮 せんぐうって・・・何?” (日本語). NHK名古屋放送局 (2012年6月20日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
- ^ “UP! | PICK UP!” (日本語). UP!. 名古屋テレビ放送 (2013年9月27日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
- ^ “式年遷宮で注目の伊勢神宮 さい銭箱やおみくじがない理由” (日本語). ハピプラ. エキサイトニュース (2013年9月9日). 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
- ^ “-おかげ横丁- 神路屋” (日本語). 有限会社伊勢福. 2013年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年10月5日閲覧。
- ^ 中平雄大「おみくじ付きATMを新設 第三銀 おかげ横丁出張所に」中日新聞 2012年8月18日付朝刊、三重総合三紀広域19頁。
- ^ “秩父宮賜杯 第43回全日本大学駅伝対校選手権大会開催要項” (日本語). 日本学生陸上競技連合. 2012年3月23日閲覧。
- ^ “観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年1月25日閲覧。
- ^ “三重バリアフリーレジャーガイド【伊勢志摩】おかげ横丁”. 三重県観光連盟. 2012年11月2日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c “鳥羽わんわんパラダイスホテル” (日本語). 株式会社セラヴィリゾート泉郷. 2012年3月23日閲覧。
参考文献[編集]
- 櫻井勝之進 『伊勢神宮』 学生社、1998年4月、新版。ISBN 978-4-311-40714-7。
- 「伊勢神宮」『幻想地名事典』 山北篤監修、桂令夫ほか著、新紀元社〈Truth In Fantasy事典シリーズ 9〉、2006年9月、55頁。ISBN 978-4-7753-0451-8。
- 井上順孝 『神道』 ナツメ社〈図解雑学〉(原著2006年12月4日)、初版。ISBN 978-4-8163-4062-8。2009年5月3日閲覧。
- 『神道の本 - 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 学研編集部編、学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK ブックス・エソテリカ2〉、1992年2月。ISBN 978-4-05-106024-4。
- 『神仏習合の本 本地垂迹の謎と中世の秘教世界』 学研マーケティング〈NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 45〉、2008年5月。ISBN 978-4-05-605154-4。
- 茂木貞純 『知識ゼロからの伊勢神宮入門』 幻冬舎、2012年1月。ISBN 978-4-344-90240-4。
- 『日本の神々の事典 - 神道祭祀と八百万の神々』 学研編集部編、薗田稔、茂木栄監修、学研マーケティング、1997年7月。ISBN 978-4-05-601629-1。
関連書籍[編集]
- こほりくにを、日竎貞夫 『伊勢神宮』 保育社〈カラーブックス 890〉、1996年8月。ISBN 978-4-586-50890-7。
- 所功 『伊勢神宮』 講談社〈講談社学術文庫 1068〉、1993年4月。ISBN 978-4-06-159068-7。
- 矢野憲一 『伊勢神宮 - 知られざる杜のうち』 角川学芸出版〈角川選書 402〉、2006年11月。ISBN 978-4-04-703402-0。
- 矢野憲一 『伊勢神宮の衣食住』 角川学芸出版、2008年4月。ISBN 978-4-04-408301-4。 ※著者は禰宜を務めた。
- 井上章一 『伊勢神宮 - 魅惑の日本建築』 講談社、2009年5月。ISBN 978-4-06-215492-5。
- 千種清美 『永遠の聖地伊勢神宮 - 二〇一三年、式年遷宮へ』 ウェッジ、2010年8月。ISBN 978-4-86310-074-9。
- 坂口安吾 「安吾の新日本地理 安吾・伊勢神宮にゆく」(1951年初出) - 青空文庫
関連項目[編集]
- 神宮125社の一覧
- 天照坐皇大御神
- 豊受大御神
- 神宮大麻 - 神宮が頒布する御神札
- 斎王
- 元伊勢
- 神明神社
- 神宮文庫 - 神宮が運営する図書館
- 神宮茶室 - 内宮にある茶室
- 皇學館大学
- 神宮祭祀令 - 戦前の神宮の祭祀に関する規定
- 朝熊山 - 神宮の後方に立つ山
- 御幸道路
- 九州王朝説#伊勢神宮
- 神饌
- 遷御
- 隠岡遺跡
- 日前神宮・國懸神宮 - 日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。
- 伊勢神宮便り - 東海ラジオローカル放送のPR番組。
外部リンク[編集]
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座標: 北緯34度27分18.00秒 東経136度43分30.63秒 / 北緯34.4550000度 東経136.7251750度