ビキニ環礁

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座標: 北緯11度35分 東経165度23分 / 北緯11.583度 東経165.383度 / 11.583; 165.383

世界遺産 ビキニ環礁核実験場
マーシャル諸島
ビキニ環礁の衛星写真 - NASA NLT Landsat 7 (Visible Color)
ビキニ環礁の衛星写真 - NASA NLT Landsat 7 (Visible Color)
英名 Bikini Atoll Nuclear Test Site
仏名 Site d’essais nucléaires de l’atoll de Bikini
登録区分 文化遺産
登録基準 (4), (6)
登録年 2010年
備考 いわゆる負の世界遺産[1]
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
ビキニ環礁の地域旗
青地の中の23の白い星が当環礁の23の島、右上の3つの黒い星がキャッスル作戦で破壊された3つの島、右下の2つの黒星が島民が移住した2つの島を示している。旗の中のマーシャル語の記述は、1946年に米軍から退去を求められた際に首長が島民に語った言葉で「全ては神の手の内に」を意味する。

ビキニ環礁(ビキニかんしょう、Bikini Atoll)は、マーシャル諸島共和国に属する環礁ビキニ島とも呼ばれ[2]、戦前の日本の海図にはヒ゜キンニ島と記述されている例もある[3]。原爆実験が行われたことから、ビキニ (水着)の名称の由来となった。

概要[編集]

23の島嶼からなり、礁湖の面積は594.1平方キロメートル。

1946年から1958年にかけて、太平洋核実験場の一つとしてアメリカ合衆国が23回の核実験を行った[4]

2010年、第34回世界遺産委員会において、ユネスコ世界遺産リスト(文化遺産)に登録された[5]。マーシャル諸島共和国初の世界遺産となった。

核実験[編集]

1946年アメリカ合衆国は当時信託統治領であったビキニ環礁を核実験場に選んだ。住人170人は無人島ロンゲリク環礁強制移住させられたが、漁業資源にも乏しく、飢餓に直面した[2]

1948年に米軍ミサイル基地クワジャリン環礁に寄留し、さらに無人島キリ島へと強制移住させられた[2]。同年、実験場が隣のエニウェトク環礁に変更された。

1954年には再度ビキニ環礁にも戻り核実験は1958年7月まで続けられた。この12年間に23回の核実験が実施された[6]

クロスロード作戦[編集]

クロスロード作戦のベーカー核実験で発生した巨大な水柱

ビキニ環礁で行なわれた最初の核実験は、1946年7月1日7月25日クロスロード作戦である。これは1945年ニューメキシコ広島長崎に続く史上4番目と5番目の核爆発であった。

大小71隻の艦艇を標的とする原子爆弾の実験であり、主要標的艦はアメリカ海軍戦艦ネバダ」、「アーカンソー」、「ニューヨーク」、「ペンシルベニア」、空母サラトガ」などのほか、第二次世界大戦で接収した日本海軍戦艦長門」、ドイツ海軍重巡洋艦プリンツ・オイゲン」なども標的となった。

キャッスル作戦(水爆実験)[編集]

キャッスル作戦・ブラボー実験のキノコ雲

1954年からは4度の水爆実験が実施された[2]

1954年3月1日キャッスル作戦(ブラボー実験)では、広島型原子爆弾約1,000個分の爆発力(15Mt)の水素爆弾が炸裂し、海底に直径約2キロメートル、深さ73メートルのクレーターが形成された。このとき、日本のマグロ漁船・第五福竜丸をはじめ約1,000隻以上の漁船が死の灰を浴びて被曝した[7]。日本人船長らは犠牲となった[2]。また、ビキニ環礁から約240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り積もり、島民64人が被曝して避難することになった。この3月1日は、ビキニ・デーとして原水爆禁止運動の記念日となり、継続的な活動が行われている。

放射能調査[編集]

米国は1958年から残留放射能の調査を開始し、1968年にはビキニ返還を約束して放射能除去作業を開始した[2]。8月には居住は安全であるとの結論が出され、島民の帰島が許可された。実験に先立ち離島した167人の内139人が帰島した。1974年には140人の帰島が許可された[2]。しかし、放射能の影響で身体的異状が多数発生したため住民は再び離島を余儀なくされ、キリ島などに移住した[2]

1975年に島民は安全性に疑問を持ち、アメリカ政府に対して訴訟を起こした。

その後1975、76、78年に調査が行われ、1978年9月には再避難することとなった。2度目の避難の後、1980、82年にも米国による調査が実施された。

1986年に独立したマーシャル諸島共和国政府は第三者による調査を実施した。その報告書は1995年2月に提出されたが、米国政府は報告書を承認しなかった。

1994年には共和国政府は国際原子力機関(IAEA)に放射能調査を依頼し、1997年5月にIAEAによる調査が開始された。1998年にIAEAは報告書「Radiological Conditions at Bikini Atoll: Prospects for Resettlement」 を発表し、その中で本環礁に定住しそこで得られる食料を摂ると年間15mSvに達すると推定され「永住には適さない」と結論づけた[6]

現況[編集]

島民は、強制的にロンゲリック環礁へ、更にキリ島へと移住させられた。上記の理由も有り現在まで、原島民は島に戻れない。キリ島はビキニ島の半分の面積しかなく、400人の住民は食糧難のもと、アメリカ政府から生活保障費を受け取っている[2]。ビキニ島に人が居住できるようになるには、早くても2052年頃と推定されている[2]


2008年4月オーストラリア研究会議(ARC)は、ビキニ環礁のサンゴ礁の現状について発表した。その発表によると、ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。

ビキニ(水着)の名称の由来[編集]

1946年7月1日の原爆実験(クロスロード作戦)の直後の1946年7月5日ルイ・レアールが、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ("like the bomb, the bikini is small and devastating"[8])、ビキニと命名してこの水着を発表した[9]

ビキニの名称は、「水爆実験になぞらえた」と誤って言われることがある。ビキニ環礁における最初の水爆実験は1954年3月1日の(キャッスル作戦#ブラボー実験)で、この水着の発表の8年後である。なお、人類最初の水爆実験は1952年11月1日エニウェトク環礁におけるもの(アイビー作戦 )である。

世界遺産[編集]

登録基準[編集]

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 世界遺産アカデミー監修『くわしく学ぶ世界遺産300』マイナビ、2013年、p.216
  2. ^ a b c d e f g h i j 須藤健一「ビキニ」世界民族問題事典、平凡社、2002
  3. ^ 海軍省水路部:編『マーシャル諸島北部諸分圖 北太平洋』(国立国会図書館 YG4-Z-L-3285
    当環礁の近海で水爆実験により被爆した第五福竜丸の航海日誌にも、「ピキンニ島」の記述が見られる。
  4. ^ 太平洋核実験場全体では1946年から1963年の間に105回、同じマーシャル諸島ではエニウェトク環礁と合わせて69回の核実験が行われた。
  5. ^ World Heritage Committee inscribes seven cultural sites on World Heritage List”. UNESCO. 2010年8月1日閲覧。
  6. ^ a b 国際原子力機関(IAEA) Conditions at Bikini Atoll 閲覧 2014-3-3
  7. ^ 森住卓「ビキニ水爆実験-被曝者はいま
  8. ^ Operation Crossroads Atomic Heritage Foundation、Legacyの章の最後の段落 The Bikini tests also inspired the eponymous swimsuit. Paris Swimwear designer Louis Reard adopted "Bikini" for his new line of swimwear during Operation Crossroads. Réard's bikini was not the first two-piece swimsuit, but he explained that "like the bomb, the bikini is small and devastating."
  9. ^ Paula Cocozza, "A little piece of history" The Guardian, Saturday June 10 2006

参考文献[編集]

  • 斉藤達夫『ミクロネシア』すずさわ書店、1975年
  • Kiste,J. Bikini.Univ.of Hawaii Press,1979.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]