アシカ作戦

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アシカ作戦計画図

アシカ作戦(アシカさくせん、独:Unternehmen Seelöwe、英:Operation Sea Lion)は、第二次世界大戦中にドイツが計画したイギリス本土上陸作戦の呼称。結局この作戦は実施されることはなかった。アシカ作戦は原語であるドイツ語をカタカナ書きしてゼーレーヴェ作戦、同じく英語をカタカナ書きしてシーライオン作戦とも呼ばれる場合がある。なお、「Seelöwe(ゼーレーヴェ)」が動物名としての「アシカ」を指すのか、「海の獅子」という本来の意味なのかは不明である。

作戦計画[編集]

アシカ作戦はフランス降伏後、ドイツの主敵となったイギリスを屈服させるために計画された。1939年11月、ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダーは作戦の実行可能性を調査し、イギリス海峡を越えて上陸作戦を成功させるための条件を提示した。

陸軍総司令部が最初に提案した上陸計画は、ドーセットからケントに至る広大な地域へ一挙に上陸するという、野心的ではあったが無茶なものだった。当然ながら、計画はより現実的な形へと修正され、最終的に提出された案は、初期段階で9個師団67,000名を上陸させ、降下猟兵(空挺部隊)によってこれを支援させるというものだった。上陸予定地点には、西はイースト・サセックス州ロッティンディーンから、東はケント州ハイスまでの海岸が選ばれた。

上陸以降の内陸部侵攻作戦は、それぞれ進発地点から向かう目標が定められていた。シェルブールからはライム・リージスへ、ル・アーヴルからはヴェントナーおよびブライトンへ、ブローニュ=シュル=メールからはイーストボーンへ、カレーからはフォークストンへ、ダンケルクからはオーステンデおよびラムズゲートへ、それぞれ向かうこととなっていた。降下猟兵はブライトンおよびドーバー近郊へ降下することとなっていた。これら初期段階の攻勢によって海岸線を確保でき次第、北部への攻勢を開始し、グロスターオックスフォードマルドンを陥落させ、孤立化させたロンドンを包囲する予定であった。北緯52度の線まで制圧を完了すれば、政治経済の中心である南部を押さえられるため、イギリスは降伏するだろうとドイツ軍は予測していた。

1940年7月16日付の総統命令において、アドルフ・ヒトラーは上陸作戦実施のための最低条件を示した。また、この総統命令に「私はイギリス上陸作戦の準備をし、必要ならばそれを実施することを決意した」と記した。ヒトラーの示した最低条件は以下のとおりである。

  • イギリス空軍は物心ともに完膚なきまでに叩き潰されるべきで、我が軍の通行を妨げようとするいかなる余力すら残してはならない。
  • イギリス海峡に敷設されたイギリス軍の機雷は全て撤去され、またドーバー海峡の両端は我が軍の機雷によって封鎖されなくてはならない。
  • 占領下にあるフランスとイギリスの間の沿岸水域は我が軍の重砲によって制圧されなければならない。
  • イギリス海軍海上部隊は、上陸作戦に介入できないよう、北海および地中海で拘束しなければならない。航空攻撃ないしは魚雷によって損傷、あるいは破壊することが望ましい。

この総統命令によって、海軍のエーリヒ・レーダーと空軍のヘルマン・ゲーリングに、アシカ作戦を実行に移すための条件を整えることが求められた。

空軍[編集]

1940年7月、イギリス海峡の制空権の獲得のため、英国本土航空決戦が開始された。当初、ドイツ空軍はイギリス空軍に対して優位に立っていたが、戦略目標の不徹底や、航空機の航続距離不足などの問題が露呈し、徐々に消耗していった。特に8月以降、爆撃目標を軍事施設からロンドンへと切り替えたことによって、戦略的には無意味な爆撃を繰り返すこととなり、イギリス空軍に回復の時間を与えることとなった。

結果、ドイツ空軍は制空権の獲得、沿岸防衛施設の破壊に失敗し、上陸作戦の最低条件の一つを満たすことが出来なかった。

海軍[編集]

1940年の時点で、ドイツ海軍とイギリス海軍の戦力には大きな開きがあった。ドイツ海軍はノルウェー沖における作戦で多くの艦を損失ないし損傷していた。特に対潜水艦や掃海に重要な駆逐艦が多数失われていたのが問題だった。また、ドイツ海軍の水上艦隊やUボートは、イギリス海峡のような浅く狭い領海では力を発揮することが困難だった。一方のイギリス海軍は、ドイツ海軍の10倍の戦力を有し、大西洋地中海において完全な優越を確立していた。このように戦力に大きな開きがある以上、ドイツ海軍が積極攻勢を仕掛けることは自殺行為だった。バトル・オブ・ブリテンの敗北による制空権の喪失は、劣勢を決定的なものにした。

結果、ドイツ海軍はイギリス海上部隊を排除ないし拘束するという上陸作戦の最低条件の一つを満たすことが出来なかった。

延期と中止[編集]

1940年9月17日、最低条件が達成されず作戦は延期となった。1940年10月12日には、1941年の春に実施予定と再び延期された。事実上、この時点でアシカ作戦は断念されたと同じだった。

1941年6月、ドイツは軍を東に振り向けてソビエト連邦への侵攻を開始した(バルバロッサ作戦)。しかし、モスクワ攻略の失敗によってドイツ軍は消耗戦に引きずり込まれ、また同年12月にはアメリカ合衆国が参戦し、イギリスへの支援を開始した。これによってドイツは二正面での戦いを余儀なくされ、アシカ作戦を実施する余裕は完全になくなった。1943年2月13日、ヒトラーとレーダーの会見で、アシカ作戦は実施不可能であるとされ完全に中止された。

戦闘序列[編集]

以下はアシカ作戦の戦闘序列を師団単位で記述したものである。なお、各軍団には空軍の高射砲兵部隊等が支援で付いた。司令官の階級は当初の実行予定日であった1940年9月時点のものである。

A軍集団 - ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥

C軍集団 - ヴィルヘルム・リッター・フォン・レープ元帥

模擬演習(シミュレーション)[編集]

大戦後1974年にイギリス陸軍のサンドハースト王立陸軍士官学校において、大戦当時のイギリスおよびドイツ両軍の関係者を集めてイギリス上陸作戦の模擬演習シミュレーション)が行われた。ドイツ側参加者にはアドルフ・ガーランドもいた。ドイツ軍は制空権を確保できていないものの、イギリス海峡を機雷で封鎖することによってはしけの安全を確保し、最初の上陸が成功したという条件で行われた。シミュレーションの展開および結果は以下のようなものだった。

上陸成功後、ドイツ軍は海岸での橋頭堡を確保し、内陸部への侵攻を開始した。これに対し、イギリス軍はGHQライン(上陸を想定した防衛ライン)まで遅滞戦闘を行い、ドイツ軍の進軍速度の低下につとめた。ドイツ軍はイギリス空軍に海上輸送を妨害され、装甲部隊の不足から積極的に攻勢を仕掛けることが出来なかった。稼いだ時間を利用して、イギリス軍は第一次世界大戦に従軍した老人や子供から成る郷土防衛隊を動員し、防衛線を構築する。同時に初期攻勢で損害を受けた正規軍を再編成し、戦線に復帰させた。ドイツ軍が防衛線を突破できないまま、数日間対峙が続き、やがて機雷原を突破したスカパ・フローから出撃したイギリス海軍がイギリス海峡に到着する。ドイツ軍の海上輸送は破壊され、補給と増援が途絶えた。消耗していったドイツ軍は降伏を余儀なくされ、侵攻は失敗した。

関連作品[編集]

フィクション[編集]

  • レン・ディトン著、後藤安彦訳、『SS-GB』、早川書房、1980年
  • リチャード・コックス著、土屋哲郎・光藤亘訳、『幻の英本土上陸作戦』、朝日ソノラマ、1987年、ISBN 4-257-17091-3
  •  HELLSING(日本:漫画・アニメ)

ゲーム[編集]

  • コマンド・マガジン別冊10号 『イギリス本土決戦』、国際通信社
  • PS2 セガ システムソフト他 「スタンダード大戦略 電撃戦」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]