ブレッチリー・パーク
| ブレッチリー・パーク Bletchley Park | |
|---|---|
ブレッチリー・パーク | |
| 種類 | 暗号解読センターと博物館 |
| 所在地 | イギリス連邦バッキンガムシャー州ミルトン・キーンズの町ブレッチリー |
| 座標 | 北緯51度59分53秒 西経0度44分28秒 / 北緯51.99806度 西経0.74111度座標: 北緯51度59分53秒 西経0度44分28秒 / 北緯51.99806度 西経0.74111度 |
| 面積 | 58 エーカー |
| 建設 | 1877 (建物), 1939–1945 (戦時期の建物) |
| 当初の用途 | 政府の諜報機関 |
| 現用途 | 博物館 |
| 所有者 | Bletchley Park Trust |
| ウェブサイト | bletchleypark |
ブレッチリー・パーク (Bletchley Park) は、イギリス連邦バッキンガムシャー州ミルトン・キーンズの町ブレッチリーにある庭園と邸宅。かつてのステーションX (Station X) の暗号名でも知られる。
第二次世界大戦期に政府暗号学校が置かれたことから、現在は第二次世界大戦の暗号解読などをテーマとした博物館である国立コンピューティング博物館が開設されている。政府の暗号学校があった事実は、1970年代半ばまで機密とされていた[1]。
歴史
[編集]元はイートン荘園 (Manor of Eaton) の一部で、1086年のドゥームズデイ・ブックに記載がある。邸宅は1711年にブラウン・ウィリスが建てた。
サミュエル・リップスコム・セカムが1877年に相続してから1883年に売却するまでの間に、ブレッチリー・パークの名で呼ばれるようになった。
Section D
[編集]非正規戦、ゲリラ戦、破壊工作を専門とする特殊部隊用の学校Section Dが置かれた[2]。しかし、暗号解読の部門が置かれた後、開発されたばかりのプラスチック爆弾の爆破音がうるさいという苦情から、イングランド南部ハートフォードシャー州アストンに所在するアストンハウスへ移動となった[2]。
暗号解読学校
[編集]1920年代からは、日本の暗号解読が進められた。当初、日本海軍セクションはブレッチリー・パーク近くのエルマー・スクールに置かれていたが、1942年9月にパーク内へ移された。1943年2月に、暗号解読者ヒュー・フォスが率いるハット7が置かれた。日本の暗号解読には、ジョン・ティルトマンが率いる軍事セクションも加わった。[3]。
第二次世界大戦期には政府暗号学校が置かれた。アラン・チューリングが勤務したことで有名。ソ連のスパイだったことがのちに発覚したケンブリッジ・ファイヴのジョン・ケアンクロスも分析官を務めていた。ドイツ軍のエニグマ暗号の解読に成功するなどの成果を上げた。もっとも、一からの功績はポーランドにある。
第二次世界大戦中に暗号解読機関として稼働している間、組織の75%が女性で、ブレッチリー・ガールズと呼ばれていた[3]。
出典
[編集]- ^ “Bletchley Park: No longer the world's best kept secret” (英語). BBC News. (2014年6月18日) 2026年1月2日閲覧。
- ^ a b O'Connor, Bernard J.. “Sabotage and Counter-Sabotage in Britain during the Second World War”. Academia.edu: 11.
- ^ a b “2. SOASで学んだ7人のブレッチリー・ガールズ - 戦時中の英国で日本語を学んだ若者たち”. 英国ニュースダイジェストwww.news-digest.co.uk. 2026年1月2日閲覧。