セント・ポール大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
大聖堂の上空写真

座標: 北緯51度30分49秒 西経0度05分53秒 / 北緯51.51361度 西経0.09806度 / 51.51361; -0.09806

セント・ポール大聖堂(セント・ポールだいせいどう、もしくは聖パウロ大聖堂St Paul's Cathedral)は、ロンドンの金融街、シティ・オブ・ロンドンにある大聖堂である。イングランド国教会ロンドン教区主教座聖堂で、聖パウロを記念する。

歴史[編集]

ロンドン最初のセント・ポール大聖堂は607年頃建 立された。この木造の建造物はその後焼失、7世紀後半にかけて石造の聖堂が建て変えられたが、アングロ・サクソン年代記によると、この2代目セント・ポールは10世紀半はヴァイキングによって焼き払われた。3代目の聖堂はサクソン人によって建てられたが、1087年、再び焼失した。ウィリアム1世によってロンドン同教に任ぜられた主教モーリスによる再建は、1240年まで継続され、ここにいわゆる旧セント・ポール (Old Saint Paul's) が完成した[1]

セント・ポール大聖堂の身廊
セント・ポール大聖堂のクワイヤ

1666年ロンドン大火の後、建築家クリストファー・レンにより再建され、1710年に完成した。再建されたセント・ポール大聖堂はバロック建築に分類され、大ドーム及び西側正面にある2つの塔の特徴を持ち、高さ約111m、幅約74m、奥行き約157mである。この大聖堂は、国王チャールズ2世の命により、1675年から35年の歳月をかけて建築されたバロック様式の傑作である。

セント・ポール大聖堂の内部の、中央ドームの 「ささやき回廊」と呼ばるドーム回廊のフレスコ画はジェイムズ・ソーソヒル (James Thornhill)が描きた、内陣の装飾や木造彫刻はグリンリング・ギボンズの作品。

大聖堂の西正門ファサードは入口に2層柱廊を設け、下層はコリント式、上層はコンポジット式オーダーを採用。柱廊上部のペディメント内は聖パウロがダマスクスで伝道する光景のレリーフ、ペディメントの頂には聖パウロの彫像がある。大聖堂西正門前にはセント・ポール大聖堂の再建当時の君主、アン女王の銅像がある。

1941年のドイツ軍による空爆の際に大聖堂も大きな損壊を受けたが、当時の首相ウィンストン・チャーチルが「セント・ポールはまだ建っているかね」と訳ねた言葉は有名である。

教会、観光スポット、式典舞台[編集]

2008年のイギリス軍の式典

大聖堂には毎日5回の礼拝が行なわれ、特別の聖日にはその回数がさらに多くなる。

礼拝以外、大聖堂見学には入場料が必要となった。大聖堂の床から85メートルの高さにあるドーム上の塔の付け根部分まで階段で上がることができ、そこからロンドン市内を一望することが可能である。

ウェストミンスター寺院が王家の菩提寺とたとえられるのに対して、セント・ポール大聖堂は市民の大聖堂として古くからロンドン市民に親しまれてきた。セント・ポール大聖堂は英国がかかわった大戦の勝利を祝う式典の場とされてきた。古くはエリザベス1世による無敵艦隊撃滅記念式典がある。20世紀に入っれて王室とのつながりはますます強くなり、また、壮厳な伝統行事は次々と加えられ、国家的、国民的象徴としての重みはますます強くなっていった。

  • 1965年、ウィンストン・チャーチルの葬儀はエリザベス女王臨席のもと、セント・ポール大聖堂にて行われた。

クリプト[編集]

聖堂地下室の納骨堂には、セント・ポール大聖堂の再建者であるクリストファー・レンの墓、アレクサンダー・フレミングジョン・エヴァレット・ミレージョン・ダンといった著名人が眠る。大聖堂の建築家、クリストファー・レンの墓の壁面には、ラテン語で「LECTOR SI MONUMENTUM REQUIRIS CIRCUMSPICE」(「読ム人ヨ、モシ記念碑ラ求メルナラバ、回リラ見マワセ」) と刻まれている。

中央の、ちょうどドームの真下あたりには、ひときわ大きな大理石棺が安置されている。これは、ホレーショ・ネルソン提督の墓である。

埋葬者一覧[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]