帝王切開

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帝王切開(ていおうせっかい、: Kaiserschnitt: Caesarean section: Cesarean section)は、子宮切開によって胎児を取り出す手術方法である。

医療関係者では略して「帝切」、または「カイザー」、「C-section」などと呼ばれることもある。


帝王切開の様子

方法[編集]

腹式帝王切開
現在最も一般的な方法。手術時間は通常1時間弱、長くても大抵2時間程度である。以下に術式の一例を記す。
  1. 皮膚切開
    「縦切開(正中切開)」と「横切開」がある。旧来は「縦切開」が多かったが、現在では美容的観点より「横切開」が多くなっている。「横切開」は、皮膚割線に一致していることと、恥骨結合上縁の陰毛の上端辺りを切開するため、手術痕が目立ちにくい点があり、そのためビキニ着用も可能である。縦切開は若干手術操作が簡便であり、緊急帝王切開においては通常縦切開である。
  2. 皮下組織、筋膜、腹膜の切開
    脂肪組織を切開し腹直筋鞘前葉を露出させ、切開後、白線と呼ばれる腹直筋筋膜中央に位置する筋膜組織から腹直筋を解離し腹膜を露出する。腹膜内帝王切開の場合、腹膜縦切開にて腹腔に入り、膀胱子宮窩腹膜切開した後に膀胱を下方に剥離し、子宮下部を十分に露出させる。腹膜外帝王切開の場合、腹膜切開をせずに膀胱を剥離する。
  3. 子宮筋切開
    子宮頚部のやや上を横切開する(子宮体部下節横切開)。縦切開(古典的子宮体部切開)は帝王切開手術後の妊娠で「子宮破裂」を生じやすい。縦切開は前壁付着前置胎盤の場合、胎盤付着部を避けるときや妊娠30週未満の早期産のとき等に行われる。
  4. 胎児娩出
    胎児を保持し、頭位であれば子宮底部を押す形で取り出し、骨盤位であれば臀部からゆっくりと引き出していく。臍帯は結紮(けっさつ、血流を止めること)し、速やかに児を手術室内で待機していた看護師・助産師・小児科医などに受け渡す。
  5. 子宮内容物除去
    胎盤を含めた子宮内容物を取り除く。子宮切開~胎児娩出~子宮内容除去の間に子宮内より大量の出血が生じる(通常羊水量も含めて1~2L程度)。一般的に必要に応じて子宮収縮剤(近年では大体オキシトシン)を注射する場合が多く、多くの場合は徐々に子宮が収縮して固くなり、子宮からの出血は止まってくるが、子宮の収縮が生じず、出血が継続するような場合は「弛緩出血」と呼ばれる状態であり、緊急の子宮全摘出術を考慮していく。弛緩出血に対する診断と対応が遅れれば出血多量で死に至る場合も少なくない。そのため、予定帝王切開の場合、自己血採取を行っておく場合も多い。
  6. 子宮筋縫合
    筋層は1~2層縫合する。膀胱子宮窩腹膜を縫合、閉鎖することが多い。
  7. 止血確認・腹腔内洗浄
    子宮の縫合が終了したら、十分な止血を確認する。その後、腹腔内を温生食で洗浄し、子宮に癒着防止吸収性バリア(商品名セプラフィルム、インターシード)を貼付する。高価であるが腹膜癒着を防止する上で有効(保険適用)。
  8. 腹膜・皮下組織・皮膚縫合
    切開の逆順序で縫合する。
膣式帝王切開
妊娠中期子宮内胎児死亡や中期中絶の際、過去に行われていた。現在はほとんど行われていない。

適応[編集]

経膣分娩では母体または胎児の生命の危険性がある場合に適応(選択肢)となり、一部は絶対適応(必須)となる。

適応となる状態は、急速遂娩が必要であるが経腟分娩ではそれが不能な場合、物理的な理由で経腟分娩が不能な場合、産道感染の危険性が高い場合がある。一般に以下のような状態が適応とされることが多い。

予後[編集]

手術成績[編集]

手術方法の完成により、帝王切開そのもので死亡する妊婦はほとんどないが、それでも母体死亡率は経膣分娩の4倍から10倍とされている。 また、術後の長期間安静により肺塞栓症の危険が高まる。そのため、早期離床、早期歩行(術後24時間以内)が原則である。輸液によりhemo-concentration(:循環血中の赤血球濃度の増大)の予防もはかる。

帝王切開後経膣分娩[編集]

過去に帝王切開での分娩を経験した妊婦は、以後大抵は普通の「経膣分娩」は行わずに帝王切開による分娩となる。過去に帝王切開での分娩を経験した妊婦の経膣分娩試行を「既往帝王切開後の経腟分娩試行(trial of labor after cesarean section)」といい、分娩中の子宮破裂の頻度がやや高くなる。そのため、TOLACを行う場合はいつでも帝王切開を行える準備をしてから行われる(double set-up)。

帝王切開瘢痕症候群[編集]

帝王切開時の陥凹した子宮創部(帝王切開後子宮創部陥凹性瘢痕)に血液が貯留し様々な症状が起こる。症状は月経困難、過長月経、不妊など。排卵期に血液が子宮体部に貯留することにより不妊症となる。治療は内視鏡で修復術を行うことである。

語源[編集]

日本語訳の「帝王切開」は、16世紀頃に成立したと考えられるフランス語の「opération césarienne」から、ラテン語の「sectio caesarea」や、ドイツ語の「Kaiserschnitt」を経由して翻訳されたものであり、ドイツ語の「Kaiser皇帝」、「Schnitt手術」という直訳語であるが、その語源には複雑な経緯がある。

古代ローマにおいては、王政ローマ時代から、分娩時に妊婦が死亡した場合には埋葬する前に腹部を切開して胎児を取り出す事を定めた「遺児法 (Lex Caesarea)」と言われる法律があった。その名は「切り取られた者」の意で遺児をカエソ(caeso)あるいはカエサル(caesar)と呼んだことに由来する。

その一方で、本家から「切り取られた者」として分家にカエサル(Caesar)の名を冠することもあった。例えばガイウス・ユリウス・カエサルは、名門ユリウス氏族の分家であることを示す家名を名乗ったものである。

ところが、1世紀大プリニウスが、主著『博物誌』の中で、冗談めかして次のように記したため、これが「カエサルが帝王切開によって誕生した」という伝説を生んだ。

カエサルはその名を切り取られた母親の胎内から (a caeso matris utero) 得たのであり、その家名もまた同様の起源を持っている。

大プリニウス、『博物誌』第7巻 9章 47節

当時の医学では腹部を切開して母子ともに健康ということはありえない上、カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタ英語版に宛てた書簡が存在することから、実際にカエサルが帝王切開で生まれた可能性は極めて低い。

7世紀スペインイシドールスによって記された『語源』では、因果関係が逆転して記されている。[1]

カエサルという語はユリウスに由来する。内戦が勃発するや、彼はローマの貴族として最高の地位を得た。他方で彼は死んだ母の切り取られた (caeso) 胎内から引き出されたために、もしくは生まれつき豊かな髪 (caesarie) を靡かせた子供だったために、カエサルとも呼ばれた。それ以来、彼の跡を継いだ皇帝たちもカエサルと呼ばれることになった。そして切り取られた子宮から取り出された者は、Caeso あるいは Caesar と呼ばれることになった。

イシドールス、『語源』第9巻 3章 12節

イシドールスによる『語源』は後世に典拠として採用されることが多かったため、caesarという単語は、本来の意味と誤りを含んだ由来を併せ持ちながら、16世紀以降成立した帝王切開の技術を追うように、ラテン語sectio caesareaという名称へと結び付いたと考えられる[2]

なお、他に現在は誤っているとされる語源の説として次のようなものがある。

  • 中国の皇帝は占星術によって、母子の状態に関係なく誕生日を決められていたため、誕生日を守るために切開で出産していたとされることから。
  • シェークスピアの戯曲「マクベス」の主人公であるスコットランド王マクベスは、前の王を暗殺して帝王となったが、「女の股から生まれた人間には帝王の座は奪われない」との占いを聞き、大いに喜んだ。しかし前王の子らが国内の貴族たちと協同してマクベス打倒の戦いを起こし、敵将であるマクダフとの決闘の際、マクベスがこの占いの話をしたところ、マクダフに「俺は母親の腹を割かれて生まれてきた」と返された上で敗死、前の王の子が新たな帝王になった。という話から。
  • ハサミを意味する英語 scissors は、「シザー」と発音される。帝王切開は、子宮をハサミで切るという意味であったが、このハサミがローマのシーザー(カエサル)と誤読されたため、「帝王切開」なる言葉がうまれたというもの。

歴史[編集]

死亡した母体から胎児を取り出す習慣は古くからあった。ギリシャ神話では、太陽神アポローンが恋人コローニスの不貞を告げられて彼女を殺し、その死体から胎児であったアスクレーピオスを取り出したとされる。成長したアスクレーピオスは死者さえ甦らせるほどの名医となり、ゼウスの雷に撃たれて絶命、医者の神となる。

王政ローマでは紀元前7世紀ヌマ・ポンピリウス王が制定したヌマ法以来、分娩によって死亡した母体の体内から胎児を取り出すことが遺児法として定められていた。

古代エジプトギリシャインドアフリカウガンダ辺りの少数民族でも、古来より切開による分娩が行われていた形跡が発見されている。

中世ヨーロッパにおいても、教会は死亡した妊婦の切開を推奨し、その際胎児が呼吸できるように妊婦の口を開けておくよう指導している。

記録として最も古い帝王切開は、1500年頃のバウヒン (Bauhin)によるもの、16世紀のギヨーモー (Guillemeau) によるものが挙げられる[3]。ただし当時、切開した子宮は縫合してはならないと信じられていたため、ほとんどの場合妊婦は出血死した。A.Castiglioniの医学書によれば、19世紀の前半では帝王切開の死亡率はおよそ75パーセントであったという[4]

1876年イタリアエドアルド・ポロが母子ともの救命に成功した。これは25歳の骨盤の狭い妊婦が予定日を4週過ぎても分娩できなかったため手術したもので、子宮切開後の出血に対し子宮を切除することで止血へと結びついたものである。さらに1881年にはドイツフェルディナンド・ケーラーが切開した子宮を切除せず、縫合する術式を考案した。

20世紀に入り滅菌法が発見され、手術管理が徹底されることで死亡率は2~3%になり、産科学の土台とも言える手術として現在に至った。

なお、子宮外妊娠の破裂に対しては、イギリスの「近代外科の父」ロバート・テイト1883年、破裂した卵管の切除による術式に成功している。

日本で最初の帝王切開は現在の埼玉県飯能市で江戸時代の嘉永4年(1852年)に、飯能の医者岡部均平秩父市の医者伊古田純道により行われ、胎児は死亡したが、母体は助かり88歳まで生存した。

脚注[編集]

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  1. ^ この記述は、薄毛で有名だったユリウス・カエサルに対する記述として二重に誤解を含んでいる。イシドールス『語源』第9巻3章12節。http://penelope.uchicago.edu/Thayer/L/Roman/Texts/Isidore/9*.html#3.12
  2. ^ 立川清編『医語語源大辞典』p644
  3. ^ 立川清編『医語語源大辞典』p644
  4. ^ 小川鼎三『医学用語の起り』p19(東京書籍,1990)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 帝王切開ナビ ジャンザイム・ジャパン株式会社、科研製薬株式会社