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悠仁親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
悠仁親王
秋篠宮家
2025年撮影
宇治山田駅にて。
続柄 秋篠宮文仁親王第1男子[1]

全名 悠仁(ひさひと)
身位 親王
敬称 殿下
お印 高野槇(こうやまき)
出生 2006年(平成18年)9月6日
8時27分(20歳)
日本の旗 日本 東京都港区南麻布
恩賜財団母子愛育会 愛育病院
父親 秋篠宮文仁親王
母親 文仁親王妃紀子
栄典 大勲位菊花大綬章
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称号:
敬称 悠仁親王殿下
His Imperial Highness Prince Hisahito
皇室







悠仁親王近影
2026年(令和8年)9月6日

悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下[2]。お印は高野槇(こうやまき)。勲等は「大勲位菊花大綬章」。

人物

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皇弟および皇嗣である秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1男子(1男2女のうちの第3子)。上皇(明仁)と上皇后(美智子)の皇孫にあたる。天皇(徳仁)は悠仁親王の伯父(父の兄)にあたる。皇位継承順位は父・文仁親王に次ぐ第2位。2000年代に誕生した唯一の男性皇族。姉に小室眞子、佳子内親王がいる。

父の秋篠宮文仁親王以来、40年9か月ぶりの男性皇族として誕生。皇室において60歳未満で唯一の皇位継承資格者(2026年10月9日現在)であり、最年少の皇族(皇室構成員)である。 2024年9月6日に18歳になり成人を迎えたことにより、初めて現皇室典範下で未成年皇族が不在となった[3]。

なお、皇室典範第5条において身位「親王」および「親王妃」は「内親王」より上位にあたる[4]。ただ、公式の規範にはないが、近代においては運用や慣例上において、内親王を順列先とする場合がある。

お印に選ばれた高野槇

東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮邸を本拠とする。2025年(令和7年)4月より、茨城県つくば市の民間集合住宅も利用し、2拠点生活を送っている。

誕生

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2006年(平成18年)2月7日朝、文仁親王妃紀子が秋篠宮邸で超音波検査を受けたところ、胎児の心拍が確認され、羽毛田信吾宮内庁長官が妊娠6週目と発表[5][6][7]。

2月24日15時、宮内庁は「妃殿下は妊娠3か月である」と公式発表。主治医の中林正雄愛育病院院長は、「妊娠悪阻(つわり)などの症状があったものの、2度目の検査では順調な経過が確認された」と説明[8][9]。紀子妃の意向により性別判定はされなかった[10]。

8月16日17時、7月12日の検診で「部分前置胎盤」と診断されていた紀子妃は、出産準備と安静のため、文仁親王付き添いのもと東京都港区南麻布(当時)の愛育病院に入院[11][12]。

また同日、中林正雄院長と金澤一郎皇室医務主管らが会見を開き、早産の恐れなどがあるため帝王切開の処置を取ることを発表(近代皇室史上初の帝王切開による出産)[13]。

9月6日8時27分、予定日より約20日早く誕生[14]。出生時の身長は48.8 cm、体重は2558 g[15]。秋篠宮家では佳子内親王以来12年、皇室では愛子内親王以来5年ぶりの新生児誕生。黒田清子から愛子内親王まで、9方連続で女性皇族が誕生しており、男性皇族は文仁親王以来40年9か月ぶりとなった。誕生時の皇位継承順位は第3位。

誕生当日には、賜剣の儀が行われ、天皇(明仁)から刀匠天田昭次謹作の短剣(守り刀)が贈られた[16]。

9月12日15時35分、愛育病院で命名の儀が行われ「悠仁」(ひさひと)と名付けられる。「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」、また過去の皇族名との重複を避けつつ、音と意味を重視し文仁親王が選字[17]。「大きく、まっすぐに育ってほしい」との願いを込めお印は高野槇に選定[17]。儀式では徳丸久衛宮務官が「悠仁」と書かれた和紙を文仁親王から受け取り、紀子妃に示して白木の桐箱に納めた。続けて徳丸宮務官は「高野槇」と書かれた和紙を紀子妃から受け取り、文仁親王に示して同じ桐箱に納め、悠仁親王の枕元に安置した。ともに厚手の「大高檀紙」に、文仁親王が染筆した。

9月15日、愛育病院退院時には、赤坂御用地までの沿道に約1,800人が集まり、警視庁の機動隊など計1,200人態勢で警備[18]。

全国各地で奉祝され、明治神宮をはじめとする神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進などの祝賀行事が実施された。

11月、「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」にて、宮中三殿へ初参拝(お宮参りにあたる)。誕生と命名を奉告[19]。

幼年期

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2007年(平成19年)

9月6日、1歳の誕生日を迎えたため、母とともに皇居・御所にて、天皇(明仁)・皇后(美智子)に挨拶訪問[20]。

2009年(平成21年)

天皇(明仁)と皇族は伝統的な日本の舟を漕いで楽しまれた(2009年9月)

9月14日、神奈川県葉山町の葉山御用邸に静養。御用邸裏にある一色海岸にて、天皇(明仁)・皇后(美智子)自ら漕ぐ和船(櫓)に、母とともに乗る[21]。

12月19日、横浜市にある「こどもの国」を訪問。天皇(明仁)・皇后(美智子)、皇太子(徳仁)や黒田夫妻、秋篠宮の一家とともに「ミニSL」などを楽しむ[22]。

2010年(平成22年)

4月9日、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園[23][24]。母の紀子妃が同大学大学院人間文化研究科で、日本学術振興会の名誉特別研究員として健康心理学を学んでいることから、同大学が2009年4月に創設した「子育て中の学内女性研究者に対する研究補助者支援[25]」の制度により入園。

8月、東京都上野の国立科学博物館「発見の森」を両親とともに訪問。リスやテンなどの剥製を見学[26]。

12月、4歳のこの年に、和紙のちぎり絵「みのりの秋」を制作。「第53回宮内庁職員組合文化祭美術展(一般には非公開)」に出品。昆虫や植物に興味を持ち始め、庭のヘチマやムベ、アケビを表現した[27]。

2011年(平成23年)

11月3日、赤坂東邸で、「着袴の儀」と「深曽木(ふかそぎ)の儀」を挙行[28]。衣紋道においては、代々皇太子が着用する「山科流」の童形服が天皇(明仁)より贈られた。滝の流れをあしらった「落滝津(おちたきづ)」の衣に白袴を着用し、松田慶文宮内庁御用掛が袴の紐を結ぶ[29]。

続く「深曽木の儀」では皇太子(徳仁)と文仁親王も使用した高さ29cmの碁盤の上に立ち、右手に扇、左手に小松2本と山橘の小枝を持つ。松田御用掛が3回、髪の毛先に鋏を入れたあと、盤上に置かれた2個の黒い小石を踏んで飛び降りる。

12月、折り紙で「5つの多面体」を制作。「第54回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品[30]。

2012年(平成24年)

4月7日、千葉県鴨川市の鴨川シーワールドを訪問、魚や亀などを鑑賞[31]。2011年3月に訪問予定であったが、東日本大震災の影響で延期した。

11月7日、奈良県橿原市の神武天皇陵を両親と初参拝[32]。また奈良市の春日大社にて「鹿寄せ」を見学[33]。

12月13日、切り紙「いきもの」制作。「第55回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品[34]。切り紙で昆虫を細かい部分まで表現 [35]。

12月14日、翌年4月お茶の水女子大学附属小学校への入学を発表[36]。戦後、皇族の学習院初等科以外への入学は初めて。宮内庁によると、幼稚園が同大学であり、自主自立の精神を重んじている教育方針、広い視野で物事を見ることを重視する教育目標が意向に沿ったためとされる[37]。

2013年

少年期

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2013年(平成25年)

3月14日、お茶の水女子大学附属幼稚園を卒園[38]。

3月15日、東京都八王子市の昭和天皇武蔵野陵、香淳皇后武蔵野東陵を両親と初参拝。幼稚園卒園を奉告[39]。

3月24日〜26日、三重県の伊勢神宮を両親・姉の佳子内親王とともに訪問。豊受大神宮(外宮)・皇大神宮(内宮)を式年遷宮(第62回式年遷宮関連施設視察)にあわせ初参拝。幼稚園卒園を奉告。

4月7日、お茶の水女子大学附属小学校に入学。記者団からの「おめでとうございます」の声に、「ありがとうございます」と一礼。入学式には両親と参列[40]。

9月、昆虫標本「夏の思い出」を制作。日本のヤンマ・日本のアゲハチョウ・日本のセミなどの説明を添え、標本の下には和名と学名で書かれたラベルを掲載[41]。

12月10日〜11日、沖縄県を両親と訪問、沖縄戦跡国定公園(沖縄県糸満市)で「平和の礎」を見学し、「国立沖縄戦没者墓苑」で供花[42]。「沖縄こどもの国」では与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛に牧草を与える[43]。

12月、昆虫標本「夏の思い出」を「第56回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品[44]。

2014年(平成26年)

5月24日、お茶の水女子大学附属小学校2年生で運動会に参加。綱引きや50メートル徒競走、二人三脚を行った[45]

8月、戦後70年を迎えるこの年に、学童疎開船「対馬丸」の遺族らが集まる追悼イベントに一家で参加[46]。

この秋より「生き物が集まる環境をつくり、米の収穫もしたい」という希望で稲作を始め、地面の掘り起こしや代掻き、田植えなどの一連の作業を一家の手を借りながら取り組み始める[47]。

9月~11月にかけて、立体地図作品「どんぐり探し」(どんぐりマップ)を制作。17種類のドングリの発見場所を赤坂御用地を再現した地図の上に、色分けした粘土のドングリを置いた分布図[48]。

12月、立体地図作品「どんぐり探し」を「第57回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品。

2015年(平成27年)

6月20日、都内で3Dカメラ撮影の昆虫映画『アリのままでいたい』特別試写会に臨席。東映株式会社代表取締役社長多田氏は「身を乗り出してご覧になっていた」と述べた[49]。

7月18日、山形県遊佐町を夏休みに訪問し、重要無形民俗文化財の神楽「杉沢比山」を見学[50]。

8月3日、赤坂御用地に生息するトンボなどの昆虫・植物の観察を日常的に続け、熱心に虫捕りする様子を宮内庁が公表[51]。

8月7日、東京都千代田区の「昭和館」を両親・姉の佳子内親王と訪問。戦中・戦後の国民の生活資料を見学[52]。

11月20日、お茶の水女子大学の講堂で、同大付属小学校の音楽会で音楽劇「星空のメッセージ」出演。講堂で合唱、リコーダー、ハンドベルの一種「トーンチャイム」を演奏[53]。

12月11日、模型「車両用電球信号灯」を「第58回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品。発泡スチロールやLED電球を使い、大人の身長を超えるサイズ(約3.3メートル)で作られた実物大模型。スイッチを押すと信号が点灯[54][55]。

2016年(平成28年)

5月21日、お茶の水女子大学附属小学校で運動会に参加。竹の棒を持ってリレー形式で走る「台風の目から何がでるかなでるかな」に出場[56]。

8月3日、新潟県津南町の「農と縄文の体験実習館なじょもん」[57] で縄文土器を見学[58]。

9月6日、昨年より宮邸の庭で始めている稲作・菜園造りの様子を、宮内庁が公表[59][60]。

12月6日、長崎県長崎市の「平和公園」を初訪問、原爆落下中心地碑に白菊を供花。その後、長崎原爆資料館、長崎歴史文化博物館などを視察、専門家と意見を交えた[61]。

12月8日、小さな信号機の模型「小さな楽しみ その1」と切り絵「小さな楽しみ その2」を「第59回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品[62]。 粘土と針金で作り、手書きで「表町二丁目」などと表示。

2017年(平成29年)

7月下旬、6泊7日をかけて小笠原諸島を母と訪問[63]。一般客とともに竹芝客船ターミナルと父島二見港の間を小笠原海運のおがさわら丸で片道24時間かけて往復。「小笠原諸島戦没者追悼之碑」へ献花。小笠原海洋センターでのアオウミガメの観察・餌やりと標識をつけた子ガメの放流。ガイドの案内でふもとから3時間以上かけて森の中を登り、通称「ハートロック」と呼ばれる千尋岩を望むトレッキング。海中公園ではシュノーケルなどを体験。母島ではマンゴーを収穫し、パッションフルーツの挿し木作業を行う。

8月10日、滋賀県高島市の筆工房「攀桂堂(はんけいどう)」を両親と訪問、皇族方が愛用する日本古来の筆「雲平筆」の製造工程を見学[64]。前後の数日間、湖西地方に滞在。

9月6日、同年5月の校外学習で両国国技館の大相撲を観戦し、友人とちゃんこを味わったことや、8月下旬に2泊3日で林間学校(長野県の白樺湖周辺)に参加したこと、学校の栽培委員会に所属し、花壇の水やりなどを担っていることなどが報じられた[65]。

12月5日、和歌山県白浜町の南方熊楠記念館を両親と訪問。熊楠の文献類や遺品など展示、地域の歴史や文化について理解を深める[66]。

12月14日、ミニチュア日本家屋「昔の暮らし」を「第60回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品。一家や職員協力のもとで制作。図鑑で調べたり周囲の人に聞きつつ、古民家の間取りを考え、庭の井戸、縁側の干し柿、鶏小屋、水田や畑など細部に再現し制作[67]。

2018年(平成30年)

5月19日、お茶の水女子大学附属小学校6年生で最後の運動会に参加。大玉送りや騎馬戦、ハードルなどにも参加。会場案内の掲示物作製にも関わる[68]。

7月30日、戦傷病者史料館「しょうけい館」(東京都千代田区)を両親と見学[69]。

8月2日〜4日、長野県を母と訪問。3日に標高3,180mの槍ヶ岳山頂へ登山 [70]。

8月8日、「『沖縄地上戦と女子学生』語り継ぐ集い」式典・発表会に臨席および企画展を両親と観覧(京王プラザホテル)[71]

8月10日、広島県を母と訪問。平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑へ供花・拝礼。広島平和記念資料館では被爆者から体験談を聞く[72]。

8月19日〜20日、山梨県の「富士山河口湖音楽祭2018」に母と訪問[73]。

12月13日、粘土細工(トンボ)を「第61回宮内庁職員組合文化祭美術展」に出品。赤坂御用地で観察したトンボをかたどった粘土細工で、羽をフィルム用紙で表現するなどで制作[74]。

2019年(平成31年/令和元年)

3月15日、お茶の水女子大学附属小学校を卒業[75]。卒業式に両親と参列。卒業記念文集に寄せた「人は自然界の中で生きている」の直筆メッセージと署名や写真、「お茶小の六年間」と題した作文を公開[76]。

4月8日、お茶の水女子大学附属中学校に入学[77]新入生代表として登壇「宣誓」し、抱負を述べた。部活は卓球部に所属[78][注釈 1]。

5月1日、皇太子(徳仁)の践祚(改元)に伴い、皇位継承順位第2位に。

8月16日〜25日、ブータンを両親と訪問。初の外国訪問。万が一に備え、父とは空路別便を利用[81]。首都ティンプーの国家中心施設「タシチョゾン」で行われた歓迎式典では紋付き羽織袴姿で臨み、ワンチュク国王の第一王子、ジグメ・ナムゲルとも交流[82]。小中一貫の公立校でボール渡しゲームを、チャンリミタン国立弓技場で国技の「ダツェ(弓技)」を体験[83]。高山地帯に生息するウシ科の希少動物ターキンの保護区も訪れた。パロではブータン国立博物館を見学し、JICA関係者と懇談[84]。

10月27日、読売新聞社主催「第69回全国小・中学校作文コンクール」東京都大会表彰式に出席。トンボの観察・採集、生息環境について書いた作文「トンボと私」が佳作入選受賞。約1,200点の応募の中から佳作10人に選出[85][86]。

12月8日、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで開催された「第41回少年の主張全国大会」に、姉の佳子内親王と初臨席。終了後、参加生徒らと懇談[87][注釈 2]。

2020年(令和2年)

2020年

1月23日、日本生態系協会会長らより「全国学校・園庭ビオトープコンクール2019」について説明を受ける[89]。

5月11日、文仁親王が済生会とのテレビ会議で防護ガウン不足を知り、医療従事者を支援するために「医療用ガウン(防護服)」を秋篠宮一家および宮内庁職員にて製作。完成したガウンは計500着、5月15日、5月22日、5月29日の3回に分けて医療機関へ寄贈[90][91]。

8月6日、「第44回全国高等学校総合文化祭(2020こうち総文)WEB SOUBUN」の総合開会式(オンライン)に両親と参加[92]。

8月7日、国際日本文化研究センター准教授と、8月11日、東京藝術大学学長と、8月12日、量子科学技術研究開発機構理事長と「COVID-19」関連のオンライン懇談に一家で参加[93]。

9月6日、14歳の誕生日でコロナ渦も含めたこれまでの活動についてを動画で公開[94]。

2021年(令和3年)

2021年

3月12日、北九州市立文学館が「第12回子どもノンフィクション文学賞」を発表し、2017年7月に訪れた小笠原諸島の思い出を綴った作文『小笠原諸島を訪ねて』[95]が、中学生の部・佳作受賞。約100点の応募の中から佳作2人に選出[注釈 3][注釈 4][注釈 5]。

3月20日、「第12回子どもノンフィクション文学賞」の表彰式にオンライン参加[99]。

青年期

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2022年(令和4年)

2月16日、筑波大学附属高等学校に合格。お茶の水女子大学附属中学校との提携校進学制度において推薦の条件である「秀でた学業成績を十分に満たしている」と判断され、かつ一般受験生とともに5教科の学力検査を受験し、その結果確定した[100]。なお、お茶の水女子大学と筑波大は2016年に大学間連携協定を締結し、両大学の附属学校間では2017年度から提携校進学制度が導入された[101]。

3月17日、お茶の水女子大学附属中学校を卒業。父母とともに卒業式に参列。同日、宮内庁は卒業文集に寄せられた文章『開・啓・拓の思い出』を公表[102]。

3月28日、執筆論文(後述)を 国立科学博物館に提出。赤坂御用地のトンボについての先行研究の論文を読み尽くし、その論文に載っていないトンボを複数見つけていたため、清研究主幹が「これは高校生レベルの知識を超えている。私より赤坂のトンボに詳しい」と驚き、論文にまとめるよう勧め、共同執筆したもの[103]。

4月9日、筑波大学附属高等学校に入学[104]。部活はバドミントン部に入部[105]。

10月1日、三重県伊勢神宮を単独初参拝。伊勢神宮からの希望により訪問。神宮美術館を訪問し、伊勢神宮と正倉院のゆかりの文化財などを集めた特別展「生きる正倉院-伊勢神宮と正倉院が紡ぐもの-」を鑑賞[106]。初の単独地方訪問となった。

2023年(令和5年)

1月10日、神奈川県横浜市「海外移住資料館」訪問。日本人の海外への移住の歴史などについて日系人と懇談[107]。

6月、学校行事として筑波大の生物系の研究室を訪問。農作物に関わりのある昆虫の研究を見学。

同月、山形県鶴岡市・出羽三山神社(羽黒山、蜂子皇子墓所)を自ら望み登拝[注釈 6]。

7月29日〜30日、鹿児島県「第47回全国高等学校総合文化祭」に、初地方公務[注釈 7]。として父に同行し視察[109]。西原商会アリーナでの総合開会式に臨み、鹿児島大学で自然科学発表を聴講。鹿児島県立歴史・武術センター黎明館で美術・工芸部門の作品を鑑賞し、曽於高等学校の実験農場も訪問[110]。

8月2日、茨城県つくば市「農業・食品産業技術総合研究機構」を訪問[111]。

9月14日、新型コロナウイルスに感染し、同日から学校を欠席と発表。13日から高熱があり、14日は文仁親王妃の4年ぶりの記者会見予定も、濃厚接触があったため延期[112]。

11月22日、学術論文を発表[113]。「赤坂御用地のトンボ相-多様な環境と人の手による維持管理-(Odonata Fauna of Akasaka Imperial Gardens)」と題し、2012年から2022年にかけて赤坂御用地でトンボ相調査をまとめ、8科38種が確認されたことを記した。国立科学博物館研究報告A類(動物学)が発表。 清研究主幹の指導を受けて共同執筆、3月28日に国立科学博物館に論文を提出。半年間の査読を受け9月20日に受理、11月22日に掲載・公開[114]。

2024年(令和6年)

4月6日、東京都町田市の玉川大学を父と訪問。昆虫化学実験室で生き物の生態について学び、2万匹余りのアワビを養殖する施設や生き物が生息する池ビオトープを見学[115]。

6月11日、来日中のルクセンブルク・ギヨーム皇太子を赤坂御用地に招き、夕食会に同席[116]。1時間半ほど続いた夕食会では、通訳を介さず過ごした。

7月31日、「第48回全国高等学校総合文化祭『清流の国ぎふ総文2024』総合開会式」(長良川国際会議場・岐阜県岐阜市)に、地方公務として両親と参加[117]。

8月25日、主催者の招待を受け「第27回国際昆虫学会議(International Congress of Entomology 2024 Kyoto)」(国立京都国際会館)に両親と参加[118]。会議後には昆虫に関する研究のポスター展示を見学。

8月26日、同会議において『皇居のトンボ相(The Odonata fauna of the Imperial Palace, Tokyo)』と題する学術ポスターを発表[119]。なお、前述の『赤坂御用地のトンボ相』とは別の研究となる。

成年皇族として

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同年9月6日、成年(18歳)。男性皇族が成年を迎えるのは父・文仁親王以来39年ぶり[120][121]。誕生日を前に文書で感想を寄せ、「もう成年なのかと思うと、時が経つのは早いと実感しています。この18年の間、多くの方々が、その時々にさまざまな形で心を寄せてくださいました。深く感謝申し上げます。そして、今まで育ててくれた両親と姉たちにも感謝しています」などと綴った[122]。

同日午後、皇居・御所にて天皇皇后に挨拶。従姉妹の愛子内親王も同席した[123]。さらに、仙洞御所にて上皇上皇后に挨拶、謝意を伝達[124]。

その後、秋篠宮邸で側近から祝賀を受けた際、「この先は、自らの務めについて考え、成年皇族としての役割を果たせるよう努力していきたい」と決意表明[125]。

11月28日・29日、筑波大学の小論文試験と個人面接を受験。高校入学当初より一般入試での大学受験を見据えて勉学に励んできたが、筑波大学の推薦要件にある「生物界や生き物の仕組みに関する広い興味を有し、調査書の学習成績概評A段階に属する者[126]」にあたるため、先生からのすすめで推薦入試にて受験[127]。

12月11日、筑波大学生命環境学群生物学類の学校推薦型選抜試験に合格[128]。

2025年(令和7年)

2月12日、京都府「舞鶴引揚記念館」を単身視察[129]。

2月14日、警視庁鮫洲運転免許試験場で普通自動車運転免許を取得。都内の自動車教習所に通いながら一般道での路上実習にも臨む[130]。

3月3日14時、赤坂東邸にて成年にあたっての記者会見を実施[131][132]。

象徴天皇の存在につきましては、上皇陛下がお考えになってこられ、天皇陛下が先日の記者会見でおっしゃっていましたように、常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないかと思います。また、皇室の在り方につきましても、天皇陛下のお考えのもと、人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思います。そして、出会いを大切にして、人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要であると思います。 — 悠仁親王殿下、ご成年をお迎えになっての記者会見

3月18日、筑波大学附属高等学校卒業。卒業にあたりバドミントン部の練習風景が公開された[133]。

3月19~20日、宮中三殿・昭和天皇山陵など参拝。卒業奉告。

4月5日、筑波大学生命環境学群生物学類に入学、式に出席[134]。

7月11日、「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」(東京都写真美術館)を一家で展覧[135]。

7月30日、東京都元赤坂の赤坂東邸にて「第60次沖縄豆記者」と一家で接見。沖縄から上京した小中学生35人(豆記者)と赤坂東邸で懇談[136]。

8月17日、赤坂東邸にて成年式の公式ポートレイトを準備。装束3パターン(闕腋袍に空頂黒幘、闕腋袍に燕尾纓、縫腋袍に垂纓)、洋装1パターン(勲章佩用の燕尾服)、の計4パターンを撮影。

8月28日、皇居にて成年式の習礼(しゅらい)。9月3日にも皇居でリハーサルに臨む。

9月6日、19歳の誕生日に皇居で成年式。午前に加冠の儀が、午後に朝見の儀が行われる。同日付で大勲位菊花大綬章を授与[137][138]。

9月8日、三重県の伊勢神宮と奈良県橿原市の神武天皇陵を参拝、9日には昭和天皇陵など4陵を参拝し、成年式を奉告[139][140]。

9月10日、成年を祝う午餐が催され、成年式に関連する一連の行事が終了[141]。

9月12日、東京都渋谷区にて琉球舞踊「真木の会」(セルリアンタワー能楽堂)を一家で鑑賞。沖縄の伝統芸能「琉球舞踊」を鑑賞[142]。

9月16日、「東京2025世界陸上選手権大会」を姉の佳子内親王と観戦[143]。

9月19日、英国エディンバラ公爵王子(エドワード)同妃(ソフィー)両殿下が訪日[144]。一家で懇談し、赤坂御用地で集合写真を撮影[145]。

9月23日、秋季皇霊祭・秋季神殿祭に初参列[146]。成年後初の宮中祭祀となる。

9月24日〜25日、初の単独地方公務として大阪府を訪問。大阪・関西万博を視察した[147]。

24日には日本館とベルギー館、25日には大屋根リングや関西パビリオンを視察し、午後からは父も合流し、オランダ館、タイ館とブータンのパビリオンがあるコモンズD館を視察[148]。

10月3日、「皇統譜」の第百弐拾五代天皇に属する「皇族譜」悠仁親王欄に、「令和七年九月六日成年式ヲ行フ 右令和七年九月九日ノ公告ニ依リ登録ス 令和七年拾月参日 宮内庁長官 西村泰彦 書陵部長 難波健太」を加筆[149]。

11月15日午前、崇仁親王妃百合子墓所一周年祭の儀(豊島岡墓地、東京都文京区)に参列。同日午後、両親、姉とともに「2025年東京デフリンピック」の開会式(東京体育館)に臨席。

11月22日〜23日、母と伊豆大島を訪問。22日は大島老人ホームや椿油メーカーの高田製油所を視察のあと、平成25年台風第26号土石流災害の語り部らとも交流し犠牲者の慰霊碑に供花。23日は三原山北東「裏砂漠」でデフリンピックのオリエンテーリング競技を観戦。選手に手話で「お会いできて嬉しいです」との思いを伝達。12月9日には、宮邸を表敬訪問したデフリンピックの日本人金メダリスト12人と手話で懇親。

11月23日午後6時前より、新嘗祭(神嘉殿の儀 夕の儀/暁の儀)に臨む[150]。新嘗祭は初参列、庭上で儀式に臨む。

12月26日、戦後80年『戦争と子どもたち』(板橋区立美術館/東京都板橋区)を一家で展覧[151]。

2026年(令和8年)

1月1日、新年祝賀の儀に初臨席し、翌2日も一般参賀のバルコニーに立つ。

1月9日、皇居・宮殿「松の間」にて講書始の儀に初臨席。御厨貴・東京大名誉教授(日本政治外交史)ら3人が御進講[152]。

1月14日、歌会始の詠進歌(お題「明」)を初披露し、同儀に臨席[153]。詠進は一首を選ぶため、初歌三首の中から一首を選出。

薄明かり 黄昏とんぼは 橋のうへ 青くつきりと 俊敏に飛ぶ — 悠仁親王殿下、詠進歌「明」

2月8日、東京都上野の「東京国立博物館平成館」で開かれた「全国学校・園庭ビオトープコンクール2025」の発表大会に父と出席。受賞した小中学生らと懇談[154]。

2月24日、トンガ皇太子トゥポウトア・ウルカララ同妃と一家で懇談[155]。

2月26日、京都府訪問(2日間)。明治天皇陵・孝明天皇陵など4カ所の山陵参拝し、成年式を奉告。宿泊先の京都大宮御所にて京都府知事、京都府議会議長、京都市長、京都市会議長、京都府警察本部長の挨拶を受ける。

2月27日、霞会館京都支所(京都市上京区)を訪問。「蹴鞠保存会」会員と蹴鞠を体験し、「京都絲竹会」の雅楽演奏鑑賞のあと、自ら雅楽器の琵琶、箏、鉦鼓(しょうこ)、鞨鼓(かっこ)を試奏。なお写真は非公開であったが、宮内記者の要請により宮内庁が写真を公開した[156]。また、能装束を手掛ける、西陣織の唯一の老舗織元「佐々木能衣装」(京都市上京区)を視察[157]。

3月6日~8日、北海道「世界スキーオリエンテーリング選手権大会」を母と観戦[158]。その後「留寿都村の認定こども園」を訪れカルタの札を読み、園児たちとの交流。

8日は世界大会で使ったコースを子ども達とともに「スキーオリエンテーリング」体験[159]。地図、コンパスを活用して、クロスカントリースキーでコントロール(チェックポイント)を順番に通過し、ゴールまでの「速さ」を競う。

3月31日、赤坂東邸にてボーイスカウトの最高位章「2025年度富士スカウト章」の代表スカウト47名と接見[160]。

5月3日、パラグアイ日本人移住90周年・パラグアイ独立215周年記念のパラグアイ・ハープコンサートを一家で鑑賞[161]。

5月27日、宮中晩餐会に初めて出席し、国賓として来日のフィリピン大統領マルコス夫妻と交歓[162]。

6月15日、駐日パラグアイ大使主催夕食会に、一家で出席[163]。

6月23日、第19回日本スカウトジャンボリーについて、公益財団法人ボーイスカウト日本連盟理事長らから事前説明を受ける[164]。

8月7日〜8日、2度目の単独地方公務として、広島県を訪問[165]。

7日は平和記念公園を訪れ、原爆慰霊碑に供花し、本川小学校平和資料館を視察。神石高原町では自身が宿泊するテントの設営体験に参加[166]。さらに、第19回日本スカウトジャンボリー大集会に出席し、公的行事として初のお言葉を述べた[167]。8日はキャンプ行事に加わり、朝食作りやコースター作りをしながら同世代との交流を楽しんだ[168]。その後福山市の広島県立歴史博物館を視察[169]。

8月13日、国土地理院[注釈 8](地図と測量の科学館)を訪問[170][171]。

9月13〜14日、東日本大震災から15年を迎えたことを受け、宮城県・岩手県を父と訪問。

13日は宮城県気仙沼市の東日本大震災遺構・伝承館を視察[172]。14日は気仙沼漁港の魚市場を視察[173]。その後岩手県陸前高田市の復興診療所(父が総裁を務める恩賜財団済生会が運営)を視察[174]。

9月18日、赤坂東邸にて両親と共に「第48回技能五輪国際大会」の日本選手団66人と懇談[175]。

9月21日、3度目の単独地方公務として、愛知県を訪問[176]。

名古屋市で開催された第20回アジア競技大会のカバティ競技とセパタクロー競技観戦[177]。

成年式

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2025年(令和7年)9月6日

  • 8時45分:「冠を賜うの儀」(秋篠宮邸)。松永賢誕侍従職事務主幹が勅使として秋篠宮邸に参殿。モーニングコートを着用した悠仁親王は、天皇が下賜した燕尾纓(えんびえい)の冠を拝領。
  • 9時20分:悠仁親王秋篠宮邸出発。この日に皇居と宮邸の間を往復した車輌は、「親王旗」を装着した天皇差し回しの第1号(皇1)御料車。
  • 10時0分:「加冠の儀」(宮殿長和殿春秋の間)。悠仁親王は未成年装束の闕腋袍(けってきのほう)と、表袴(うえのはかま)、絲鞋(しかい=靴)、碧玉材の石帯(せきたい)、空頂黒幘(くうちょうこくさく)を装用し、イチイ材の笏と横目扇を持つ。装束の衣紋は山科流[178]。
  • 加冠役は坂根工博侍従次長、先導は吉田尚正皇嗣職大夫、裾持ちは小山永樹皇嗣職宮務官長、「冠箱」奉持・冠紐掛け・鋏入れは加地隆治宮内庁御用掛が、いずれも衣冠束帯で奉仕。悠仁親王は空頂黒幘から燕尾纓の冠に被り替える。
  • 11時5分:成年装束の縫腋袍(ほうえきのほう)と、表袴(うえのはかま)、鞸(かのくつ=靴)、石帯、垂纓(すいえい)の冠に着替えた悠仁親王が笏、檜扇を持ち、1913年(大正2年)製造の儀装馬車4号で宮殿南車寄を出発。
  • 11時30分:「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」(宮中三殿)。
  • 14時0分:「朝見の儀」(宮殿正殿松の間)。悠仁親王は午後の儀式で燕尾服を着用。
本日の成年式にあたり冠を賜り、天皇皇后両陛下のご臨席のもと、成年式を終えることができましたことに、深く感謝申し上げます。成年皇族としての責務の重さを自覚し、さらに勉学にいそしむとともに経験を積み、これまで賜りましたご恩にお報い申し上げたく存じます。ここにお礼を申し上げます — 悠仁親王殿下、成年式朝見の儀で天皇陛下に対する謝恩の辞
成年式を挙げられたことを心からお祝いします。これからは学業に励まれるとともに、皇族としての務めを立派に果たされるよう願っております。

きょうは成年式おめでとう。これからもお身体を大切にされ、どうぞお元気にさまざまな経験を積まれますよう、お祈りしております。
— 天皇皇后両陛下、悠仁親王成年式朝見の儀でのお言葉
燕尾服に大勲位菊花大綬章を着用した悠仁親王
  • 14時30分:「勲章親授」(宮殿表御座所鳳凰の間)。天皇が大勲位菊花大綬章を授与。
  • 14時40分:「御礼言上」(宮殿表御座所鳳凰の間)。両親とともに天皇皇后へ挨拶。
  • 15時0分:「祝賀」(宮殿千鳥・千草の間)。親族や皇族、三権の長、宮内庁幹部、元側近奉仕者らが出席。
  • 15時45分:「上皇上皇后両陛下へ挨拶言上」(仙洞御所)。
  • 18時30分:「内宴」(帝国ホテル東京桐の間、東京都千代田区)。秋篠宮家主催の祝宴で、天皇皇后、上皇上皇后以下の皇族、元皇族、親族ら30人が出席した。出席者には、秋篠宮家の菊栂(きくつが)紋、お印の高野槙、トンボをあしらったボンボニエール(皇族には銀製、その他出席者には磁器製)が贈られた。

2025年(令和7年)9月8日

2025年(令和7年)9月9日

2025年(令和7年)9月10日

2026年(令和8年)2月26日

学術研究

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2023年11月22日、高校在学2年時に『赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―』についての論文を発表[179]。研究主体は悠仁親王だが、共同研究者として清拓哉(国立科学博物館動物研究部)、飯島健(宮内庁)、喜多英人(日本蜻蛉学会)、須田真一(東京大学総合研究博物館)がいる。

2024年8月26日、『皇居のトンボ相』についての学術ポスターを発表[180]。

業績

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  • 秋篠宮悠仁、飯島健、清拓哉「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理―」『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』第49巻第4号、2023年11月22日、129–153頁、doi:10.50826/bnmnszool.49.4_129。 

帝王学

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定まった帝王学の師はいないが、父と長年の親交がある江森敬治によると、16歳の誕生日を迎えた頃から皇位継承者としての「帝王学」を少しずつ学んでいる様子だという[181]。

なお、2018年8月18日には、天皇明仁(当時)の推挙で作家・昭和史研究者の半藤一利から近代史(太平洋戦争)について2時間半の御進講を受けている[182]。

年譜

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2006年(平成18年)

  • 9月6日 - 8時27分、東京都港区南麻布・愛育病院にて誕生
  • 9月12日(生後6日)- 命名の儀
  • 9月15日 - 退院
  • 11月(0歳)- 賢所皇霊殿神殿に謁するの儀(誕生・命名を奉告)

2010年(平成22年)

2011年(平成23年)

2012年(平成24年)

2013年(平成25年)

2019年(平成31年・令和元年)

2021年(令和3年)

2022年(令和4年)

2023年(令和5年)

2024年(令和6年)

2025年(令和7年)

2026年(令和8年)

  • 1月1日(19歳) - 新年祝賀の儀に初臨席
  • 1月2日(19歳) - 一般参賀に初参列
  • 1月14日(19歳) - 「歌会始の儀」初出席、詠進歌を初披露
  • 2月26~27日(19歳) - 京都府訪問
  • 3月6~8日(19歳) - 北海道訪問
  • 3月31日(19歳) - 富士スカウト章代表者との接見
  • 5月27日(19歳) - 宮中晩餐会
  • 8月7~8日(19歳) - 広島県訪問

系譜

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悠仁親王の系譜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123代天皇
大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
8. 124代天皇
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 九条節子
 
 
 
 
 
 
 
4. 125代天皇
明仁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇宮邦彦王
 
 
 
 
 
 
 
9. 久邇宮良子女王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津俔子
 
 
 
 
 
 
 
2. 秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田貞一郎
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田英三郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田きぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. 上皇后美智子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島綱雄
 
 
 
 
 
 
 
11. 正田富美子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島アヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. 悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 松浦力松 (庄一郎)
 
 
 
 
 
 
 
12. 川嶋孝彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
25. 川嶋志ま
 
 
 
 
 
 
 
6. 川嶋辰彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 池上四郎
 
 
 
 
 
 
 
13. 川嶋紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
27. 池上浜
(小菅智淵四女)
 
 
 
 
 
 
 
3. 川嶋紀子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 杉本吉三郎
 
 
 
 
 
 
 
14. 杉本嘉助
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7. 杉本和代
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 服部俊太郎
(平野平左衛門二男)
 
 
 
 
 
 
 
15. 服部栄子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 平野みよ
 
 
 
 
 
 
悠仁親王 父:
文仁親王(秋篠宮)
祖父:
上皇
曾祖父:
昭和天皇
曾祖母:
香淳皇后
祖母:
上皇后美智子
曾祖父:
正田英三郎
曾祖母:
正田富美子
母:
紀子
祖父:
川嶋辰彦
曾祖父:
川嶋孝彦
曾祖母:
川嶋紀子
祖母:
川嶋和代
曾祖父:
杉本嘉助
曾祖母:
杉本栄子

悠仁親王の男系(父系)直系祖先

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1 神武天皇2 綏靖天皇3 安寧天皇4 懿徳天皇5 孝昭天皇6 孝安天皇7 孝靈天皇8 孝元天皇9 開化天皇10 崇神天皇
11 垂仁天皇12 景行天皇日本武尊14 仲哀天皇15 応神天皇稚野毛二派皇子意富富杼王乎非王彦主人王26 継体天皇
29 欽明天皇30 敏達天皇 押坂彦人
大兄皇子
34 舒明天皇38 天智天皇志貴皇子49 光仁天皇50 桓武天皇52 嵯峨天皇54 仁明天皇
58 光孝天皇59 宇多天皇60 醍醐天皇62 村上天皇64 円融天皇66 一条天皇69 後朱雀天皇71 後三条天皇72 白河天皇73 堀河天皇
74 鳥羽天皇77 後白河天皇80 高倉天皇82 後鳥羽天皇83 土御門天皇88 後嵯峨天皇89 後深草天皇92 伏見天皇93 後伏見天皇北1 光厳天皇
北3 崇光天皇伏見宮栄仁親王伏見宮貞成親王102 後花園天皇103 後土御門天皇104 後柏原天皇105 後奈良天皇106 正親町天皇誠仁親王107 後陽成天皇
108 後水尾天皇112 霊元天皇113 東山天皇閑院宮直仁親王閑院宮典仁親王119 光格天皇120 仁孝天皇121 孝明天皇122 明治天皇123 大正天皇
124 昭和天皇125 明仁(上皇)秋篠宮文仁親王(皇嗣)悠仁親王

系図

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歴代天皇
 
歴代皇后
 
親王
 
内親王・女王
 
臣籍降下
 
妃
 
 
 
大正天皇(明治天皇の子)
 
貞明皇后(大正天皇の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和天皇(大正天皇の子)
 
香淳皇后(昭和天皇の妻)
 
秩父宮雍仁親王(大正天皇の子)
 
雍仁親王妃
勢津子
(秩父宮雍仁親王の妻)
 
高松宮宣仁親王(大正天皇の子)
 
宣仁親王妃
喜久子
(高松宮宣仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮崇仁親王(大正天皇の子)
 
三笠宮
崇仁親王妃
百合子
(三笠宮崇仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
東久邇成子
(照宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
久宮祐子内親王(昭和天皇の子)
 
鷹司和子
(孝宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
池田厚子
(順宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
上皇
明仁
(昭和天皇の子)
 
上皇后
美智子
(上皇明仁の妻)
 
常陸宮正仁親王(昭和天皇の子)
 
正仁親王妃
華子
(常陸宮正仁親王の妻)
 
島津貴子
(清宮)
(昭和天皇の子、臣籍降下)
 
近衞甯子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
寛仁親王家
寬仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
三笠宮寬仁親王妃家
寬仁親王妃
信子
(寬仁親王の妻)
 
桂宮
宜仁親王
(三笠宮崇仁親王の子)
 
千容子(三笠宮崇仁親王の子、臣籍降下)
 
高円宮憲仁親王(三笠宮崇仁親王の子)
 
憲仁親王妃
久子
(高円宮憲仁親王の妻)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
徳仁
(明仁の子)
 
皇后
雅子
 
皇嗣秋篠宮文仁親王(明仁の子)
 
皇嗣妃文仁親王妃紀子(秋篠宮文仁親王の妻)
 
黒田清子
(紀宮)
(明仁の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠宮
彬子女王
(寬仁親王の子)
 
瑶子女王(寬仁親王の子)
 
 
 
 
 
承子女王(高円宮憲仁親王の子)
 
千家典子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
守谷絢子(高円宮憲仁親王の子、臣籍降下)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
敬宮愛子内親王(徳仁の子)
 
 
 
小室眞子(秋篠宮文仁親王の子)
 
佳子内親王(秋篠宮文仁親王の子)
 
悠仁親王(秋篠宮文仁親王の子)

家系図形式

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  • 各人の囲み上部の数字は生年と没年、下部の数字は即位年と退位年、「前」は紀元前、「?」は不詳を示す。
  • 太字は漢風諡号、生没年に併記されているのは諱、斜体字は別名。
  • 赤色の囲みは女性を示す。
  • カッコ付きの太数字は天皇の代数[要出典]。
  • 記紀による初代天皇(神武天皇)以前の系図については、皇室、皇室の系図一覧を参照。
前711-前585
神武天皇
前660–前585(1)
 
 
 
前632-前549
綏靖天皇
前581–前549(2)
 
 
 
前577-前510
安寧天皇
前549–前510(3)
 
 
 
前553-前476
懿徳天皇
前510–前476(4)
 
 
 
前506-前393
孝昭天皇
前475–前393(5)
 
 
 
前427-前291
孝安天皇
前392–前291(6)
 
 
 
前342-前215
孝靈天皇
前290–前215(7)
 
 
 
前273-前158
孝元天皇
前214–前158(8)
 
 
 
前208-前98
開化天皇
前157–前98(9)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前148-前29
崇神天皇
前97–前29(10)
 
 
 
 
彦坐王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前68–紀元後70
垂仁天皇
前29–70(11)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
前13–130
景行天皇
71–130(12)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
82?–113?
日本武尊
 
84–191
成務天皇
131–191(13)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 148? –200
仲哀天皇
192–200(14)
 
 
 
 
170-269
神功皇后
摂政 201–269
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
200-310
應神天皇
270–310(15)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
257–399
仁徳天皇
313–399(16)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
稚野毛二派皇子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 336? –405
履中天皇
400–405(17)
 
 336? –410
反正天皇
406–410(18)
 
 376? –453
允恭天皇
413–453(19)
 
忍坂大中姫
 
意富富杼王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市辺押磐皇子
 
 
 
 
 
401-456
安康天皇
454–456(20)
 
418-479
雄略天皇
456–479(21)
 
乎非王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
440-484
飯豊青皇女
臨朝秉政 484
 
大脚 449-498
仁賢天皇
488–498(24)
 
450-487
顯宗天皇
484–487(23)
 
444-484
清寧天皇
480–484(22)
 
彦主人王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
489-507
武烈天皇
498–507(25)
 
手白香皇女
 
 
 
 
 
 
 
 
 
450-531
繼體天皇
507–531(26)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
509-571
欽明天皇
540–571(29)
 
465-536
安閑天皇
531–536(27)
 
高田 467-539
宣化天皇
536–539(28)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
538-585
敏達天皇
572–585(30)
 
額田部 554-628
推古天皇
593–628(33)
 
 540? -587
用明天皇
585–587(31)
 
泊瀬部  553? –592
崇峻天皇
587–592(32)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
押坂彦人大兄皇子
 
 
 
 
 
574-622
厩戸皇子
(聖徳太子)
摂政 593-622
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茅渟王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
軽 596-654
孝徳天皇
645–654(36)
 
宝 594-661
皇極天皇
642–645(35)
齊明天皇
654–661(37)
 
 
 
田村 593-641
舒明天皇
629–641(34)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葛城 626-672
天智天皇
661–672(38)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大友 648-672
弘文天皇
672(39)
 
 
 
 
鸕野讚良 645-701
持統天皇
690–697(41)
 
 
 
大海人 631?-686
天武天皇
672-686(40)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
668?–716
志貴皇子
(春日宮天皇)
 
 
 
阿閇 661-721
元明天皇
707-715(43)
 
662–689
草壁皇子
(岡宮天皇)
 
 
676–735
舎人親王
(崇道尽敬皇帝)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
氷高 680-748
元正天皇
715–724(44)
 
珂瑠 683-707
文武天皇
697–707(42)
 
 
大炊 733-765
淳仁天皇
758–764(47)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
首 701-756
聖武天皇
724-749(45)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
? -790
高野新笠
 
白壁 709-782
光仁天皇
770–781(49)
 
717–775
井上内親王
 
阿倍 718-770
孝謙天皇
749–758(46)
称徳天皇
764–770(48)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山部 737-806
桓武天皇
(柏原帝)
781–806(50)
 
750?–785
早良親王
(崇道天皇)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安殿 774-824
平城天皇
(奈良帝)
806–809(51)
 
神野 786-842
嵯峨天皇
809–823(52)
 
大伴 786-840
淳和天皇
(西院帝)
823–833(53)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正良 810-850
仁明天皇
(深草帝)
833–850(54)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道康 827-858
文徳天皇
(田邑帝)
850–858(55)
 
時康 830-887
光孝天皇
(小松帝)
884–887(58)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
惟仁 850-880
清和天皇
(水尾帝)
858–876(56)
 
定省 867-931
宇多天皇
887–897(59)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
貞明 869-949
陽成天皇
876–884(57)
 
敦仁 885-930
醍醐天皇
897–930(60)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寛明 923-952
朱雀天皇
930–946(61)
 
成明 926-967
村上天皇
946–967(62)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
憲平 950-1011
冷泉天皇
967–969(63)
 
 
 
 
 
守平 959-991
圓融天皇
969–984(64)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
師貞 968-1008
花山天皇
984–986(65)
 
居貞 976-1017
三條天皇
1011–1016(67)
 
 
 
懐仁 980-1011
一條天皇
986–1011(66)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1013-1094
禎子内親王
 
敦良 1009-1045
後朱雀天皇
1036–1045(69)
 
敦成 1008-1036
後一條天皇
1016–1036(68)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
尊仁 1034-1073
後三條天皇
1068–1073(71)
 
親仁 1025-1068
後冷泉天皇
1045–1068(70)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
貞仁 1053-1129
白河天皇
1073–1087(72)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
善仁 1079-1107
堀河天皇
1087–1107(73)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗仁 1103-1156
鳥羽天皇
1107–1123(74)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
顕仁 1119-1164
崇徳天皇
1123–1142(75)
 
雅仁 1127-1192
後白河天皇
1155–1158(77)
 
体仁 1139-1155
近衞天皇
1142–1155(76)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
憲仁 1161-1181
高倉天皇
1168–1180(80)
 
 
 
 
 
 
 
守仁 1143-1165
二條天皇
1158–1165(78)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1179-1223
守貞親王
(後高倉院)
 
言仁 1178-1185
安徳天皇
1180–1185(81)
 
尊成 1180-1239
後鳥羽天皇
1185–1198(82)
 
順仁 1164-1176
六條天皇
1165–1168(79)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
茂仁 1212-1234
後堀河天皇
1221–1232(86)
 
 
 
為仁 1196-1231
土御門天皇
1198–1210(83)
 
守成 1197-1242
順徳天皇
1210–1221(84)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秀仁 1231-1242
四條天皇
1232–1242(87)
 
 
 
邦仁 1220-1272
後嵯峨天皇
1242–1246(88)
 
懐成 1218-1234
仲恭天皇
1221(85)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1242-1274
宗尊親王
1252-1266(鎌倉将軍6)
 
 
 
 
久仁 1243-1304
後深草天皇
1246–1260(89)
 
 
 
 
 
 
恒仁 1249-1305
龜山天皇
1260–1274(90)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1264-1326
惟康親王
1266-1289(鎌倉将軍7)
 
熈仁 1265-1317
伏見天皇
1287–1298(92)
 
 
 
1279-1308
久明親王
1289-1308(鎌倉将軍8)
 
 
 
世仁 1267-1324
後宇多天皇
1274–1287(91)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
胤仁 1288-1336
後伏見天皇
1298–1301(93)
 
富仁 1297-1348
花園天皇
1308–1318(95)
 
1301-1333
守邦親王
1308-1333(鎌倉将軍9)
 
邦治 1285-1308
後二條天皇
1301–1308(94)
 
尊治 1288-1339
後醍醐天皇
1318–1339(96)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
量仁 1313-1348
光厳天皇
1332–1334(北朝1)
 
豊仁 1322-1380
光明天皇
1336–1348(北朝2)
 
 
 
義良 1328-1368
後村上天皇
1339-1368(97)
 
1308-1335
護良親王
征夷大将軍 1333-1334
 
1326-1338/1344
成良親王
征夷大将軍 1334-1338
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
興仁 1334-1398
崇光天皇
1348–1351(北朝3)
 
弥仁 1336-1374
後光嚴天皇
1352–1371(北朝4)
 
寛成 1343-1394
長慶天皇
1368–1383(98)
 
熙成 1350?-1424
後龜山天皇
1383-1392(99)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1351-1416
伏見宮栄仁親王
 
緒仁 1339-1393
後圓融天皇
1371–1382(北朝5)
 
参照:
南朝、北朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1372-1456
伏見宮貞成親王
(後崇光院)
 
幹仁 1377-1433
後小松天皇
1382-1392(北朝6)
1392–1412(100)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦仁 1419-1471
後花園天皇
1428–1464(102)
 
躬仁 1401-1428
称光天皇
1412–1428(101)
 
 
 
 
 
 
 
成仁 1442-1500
後土御門天皇
1464–1500(103)
 
 
 
 
 
 
 
勝仁 1464-1526
後柏原天皇
1500–1526(104)
 
 
 
 
 
 
 
知仁 1497-1557
後奈良天皇
1526–1557(105)
 
 
 
 
 
 
 
方仁 1517-1593
正親町天皇
1557–1586(106)
 
 
 
 
 
 
 
1552-1586
誠仁親王
(陽光院)
 
 
 
 
 
 
 
和仁 1572-1617
後陽成天皇
1586–1611(107)
 
 
 
 
 
 
 
政仁 1596-1680
後水尾天皇
1611–1629(108)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
興子 1624-1696
明正天皇
1629-1643(109)
 
紹仁 1633-1654
後光明天皇
1643–1654(110)
 
良仁 1638-1685
後西天皇
1655–1663(111)
 
識仁 1654-1732
靈元天皇
1663–1687(112)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝仁 1675-1710
東山天皇
1687–1709(113)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1704-1753
閑院宮直仁親王
 
慶仁 1702-1737
中御門天皇
1709–1735(114)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭仁 1720-1750
櫻町天皇
1735–1747(115)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1733-1794
閑院宮典仁親王
(慶光天皇)
 
遐仁 1741-1762
桃園天皇
1747–1762(116)
 
智子 1740-1813
後櫻町天皇
1762–1771(117)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
英仁 1758-1779
後桃園天皇
1771–1779(118)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1780-1843
勧修寺婧子
 
師仁 1771-1840
光格天皇
1780–1817(119)
 
1779-1846
欣子内親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
恵仁 1800-1846
仁孝天皇
1817–1846(120)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
統仁 1831-1867
孝明天皇
1846–1867(121)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
睦仁 1852-1912
明治天皇
1867–1912(122)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
嘉仁 1879-1926
大正天皇
1912–1926(123)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
裕仁 1901-1989
昭和天皇
摂政 1921-1926
1926–1989(124)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明仁 1933-
上皇明仁
1989–2019 (125)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徳仁 1960-
今上天皇
2019- (126)
 
1965-
皇嗣
秋篠宮文仁親王
 
1969-
黒田清子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001-
愛子内親王
 
1991-
小室眞子
 
1994-
佳子内親王
 
2006-
悠仁親王

 

家族・親族

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系図

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122 明治天皇
 
 
 
 
123 大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
124 昭和天皇
 
秩父宮雍仁親王
 
高松宮宣仁親王
 
三笠宮崇仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
125 上皇
 
常陸宮正仁親王
 
寬仁親王
 
桂宮宜仁親王
 
高円宮憲仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
126 今上天皇
 
秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悠仁親王

母方曾祖父である川嶋孝彦は東京帝国大学法学部卒業後、内閣統計局長などを歴任した官僚。また曾祖母にあたる川嶋紀子(いとこ)は、旧会津藩士・福島士族である池上武輔の子、池上四郎(戊辰戦争を経験)の娘。つまり悠仁親王は会津藩士の子孫にあたる。

祖父は経済学者で学習院大学名誉教授の川嶋辰彦。 叔父は獣医師・獣医学者の川嶋舟。 叔母は実業家の栗原菜緒。 義兄はニューヨーク州弁護士で法務博士の小室圭。

栄典

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日本

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皇位継承順位

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日本の皇位継承順位:令和元年(2019年)5月1日 -
順位 画像 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日 現年齢 今上天皇から見た続柄 摂政就任順位
  
第1位 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
60歳 親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子 第1位
第2位 悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日
(平成18年)
20歳 親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子 第2位
第3位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
90歳 親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子 第3位

名称の表記

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菊栂(きくつが)

「悠仁親王」が正式名称。「親王」は身位。宮家出身者は天皇の皇子女にある称号は持たない。また宮家当主ではない場合、宮号も冠さない。身位・敬称を含めた表現は、官報や宮内庁公式HPでは「悠仁親王殿下」と表記している。

ただし、眞子内親王(小室眞子)、佳子内親王同様、便宜上「秋篠宮」を名字の代わりとして用いており[184]、学校に在籍時は「秋篠宮悠仁」を名前としている。

身内からの呼称は、「ゆうゆう」[185]「ゆうちゃん」の愛称で呼ばれ、高校の親しい友人からは「ひいちゃん」「ひーくん」と呼ばれていた[186]。

逸話

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  • 2006年9月6日の誕生時には、21か国の元首から天皇(明仁)・皇后(美智子)へ、31か国の元首から天皇(明仁)へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[189]。
  • 同日、第16回国際顕微鏡学会議記念式典(札幌コンサートホールkitara)に臨席した天皇(明仁)は「また、只今は、秋篠宮妃の無事の出産に対し、皆さんにお祝いしていただいたことを深く感謝しております。どうもありがとう。」と、直接感謝の意を述べた[190]。
  • 悠仁親王が誕生したことで、2006年(平成18年)の今年の漢字に「命」が選ばれた。また2位には「悠」がランクインした[191]。
  • 眞子・佳子の姉2人とは年齢が離れており、幼少期には両親が国内外への訪問で不在の際に、一緒に遊んでもらったり本を読んでもらったりしていた。2025年(令和7年)の成年にあたっての記者会見では、家族で御料牧場を訪れた際に、姉たちと一緒にイチゴを収穫してパフェを作ったことを「忘れられない思い出」として挙げた[192]。
  • 9月3日の成年の儀を前に、NHKの特別番組に筑波大学附属高校の同級生らが出演[193]。悠仁親王の素顔を明かし「校庭の蹴まりで『先祖の血が騒ぐ』“皇室ジョーク”」が出たことなどが、後日SNSを中心に大きな話題となった。
  • 佳子内親王と同様に左利きで、バドミントンをプレーする際は左手でラケットを握り、文字を書く際などは右手を使うという[194]。

祝賀

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  • 誕生後の病院に天皇(明仁)・皇后(美智子)が初めて訪れた際、皇后は白いベビーシューズを母子に贈った。この靴は、悠仁親王1歳の誕生日の記念写真でソファ脇の机に飾られているのを見ることができる[195]。
  • トルコのトプカプ宮殿博物館からは国宝「金のゆりかご」が貸し出され、2007年(平成19年)8月から9月まで東京都美術館で開催された「トプカプ宮殿至宝展」で特別展示された。トプカプ宮殿博物館において「門外不出」とされる宝物の一つであり、悠仁親王の誕生を祝して、当時の館長イルベル・オルタイルの判断により特別出品された[196]。
  • お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また高野槇の名の由来である高野山への交通手段である南海電気鉄道では、誕生記念として難波駅で高野槇1000本を乗客に無料配布した。

記帳所・奉祝場所

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一宮家の誕生であったため、宮内庁は皇室の慣例や基準に基づいて公式の設置を見送った。しかし41年ぶりの男子皇族の誕生という社会的関心の高さから、国民の間で祝賀の機運が非常に高まったため、地方自治体や寺社、関係施設などが例年より大規模・多数の独自記帳所を開設。

国内外メディアの報道

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悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を持つイギリスでは日本の皇位継承問題に関心があったこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[197]。またアメリカのCBSでは「It's a boy!」と大きく報じられ[198]、CNNも速報で伝えた。またニューヨーク・タイムズ紙電子版、中国の新華社通信、韓国の聯合ニュースや朝鮮日報[199] なども速報記事や特集記事を出した。また日本国内でも各メディアが報じたが、独立局である三重テレビでは10:59のスポットCM枠で特設ニュース枠が設けられ報じられた。

脚注

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注釈

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  1. ↑ 入学して間もない4月26日、教室の机の上に果物ナイフが置かれる事件が発生。犯人の男は同月29日に神奈川県平塚市のホテルで逮捕され、2020年(令和2年)2月14日に執行猶予付の懲役刑が言い渡された[79]。検察によると男は「皇室制度に独自の関心があり、世間に注目されたいと思うようになった」とされる[80]。
  2. ↑ 12月8日日曜日午後入場された悠仁親王の襟首に紐跡のように赤い傷跡が残っていたのが大きく報道された。週刊新潮によると夜、御用地内を職員と移動していた時に、置物の固定用に張ってあった紐に気付かずに強く当たってしまったという。侍医長が呼ばれ手当をしたが、皮下出血が残ったまま出席[88]。
  3. ↑ 小笠原諸島の豊かな自然や島民との交流の思い出を400字詰めの原稿用紙19枚(約7,600文字)わたり綴った作文。2022年2月16日、上記の1枚にも満たない箇所において、一部週刊誌による「他文献との酷似報道」が騒動となり、多くの議論や疑問を呼んだ。この引用漏れとされた箇所は、独自のエピソードではなく、島の背景を説明するための「導入部分」や「解説部分」に用いられた。よって「作品全体の価値や、優れた観察眼・文章表現が否定されるものではない」と審査員をはじめ主催の北九州市立文学館に評価された[96]。
  4. ↑ 生き物の伝播(3W)、サンゴ礁、小笠原諸島特有の自然生態、これらに関する固有の生態系に関する記述は、「小笠原の自然科学を説明する上での標準的な科学的ファクト・共通のキーワード」として公的機関や専門書、ガイドブック等で広く共通して引用されている事実がある[97]。
  5. ↑ 文学賞を主催する北九州市立文学館は「小笠原諸島ができた経緯は色々なところに書かれている事実。それを紹介したもので、特に問題はない」「賞は作品全体を総合評価し、授与の撤回などは考えていない」と声明。 4月8日に宮内庁は「本文は修正せず、参考文献や注釈を記載して送付」と述べ、これを受けて北九州市立文学館は、4月12日に公開した[98]。
  6. ↑ 出羽三山神社総理職執行百四代別当宮司・宮野直生は、この参拝当日の天候について「晴天にわかに掻き曇り、風雨雷鳴は尋常ならず、神々が悠仁様を歓迎していると思った」と回想している[108]。
  7. ↑ 宮内庁法(e-Gov法令検索)では、宮内庁の所掌事務として「行幸啓」「儀式」「皇族」の規定はあるが、「公務とは何か」を定義した条文はない。また、皇室典範にも「公務」の定義は置かれていない。つまり法律上「公務」という定義規定は存在しないため、記述は報道に基づく
  8. ↑ 国土地理院の前身機関である参謀本部陸地測量部の初代部長である小菅智淵陸軍工兵大佐が、悠仁親王の高曽祖父(母方の祖父の、母方の祖母の父)に当たる。

出典

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  1. ↑ 宮内庁 秋篠宮家
  2. ↑ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
  3. ↑ 産経新聞 (2025年9月6日). “40年ぶりの成年式 悠仁さまに続く未成年男性皇族は不在に 「国を挙げ関心持ち議論を」”. 産経新聞:産経ニュース. 2026年7月13日閲覧。
  4. ↑ “e-Gov 法令検索”. laws.e-gov.go.jp. 2026年7月26日閲覧。
  5. ↑ 紀子さま ご懐妊 きょう、超音波検査で(朝日新聞号外) 2006年2月7日
  6. ↑ 紀子さまご懐妊 秋に第3子ご出産(読売新聞号外)2006年2月7日
  7. ↑ 紀子さまご懐妊 秋篠宮家、秋に第3子ご出産予定(速報・中日新聞) 2006年2月7日
  8. ↑ 秋篠宮妃紀子さま、妊娠3か月目…宮内庁が正式発表(読売新聞社・2006年2月24日)
  9. ↑ 秋篠宮妃紀子さま:宮内庁が懐妊を正式発表 9月出産予定(毎日新聞社・2006年2月24日)
  10. ↑ “紀子さま、男児ご出産 皇室41年ぶり、皇位継承3位 母子とも健やか”. 朝日新聞 (2006年9月8日). 2024年9月13日閲覧。
  11. ↑ 紀子さま、ご出産に備え愛育病院に入院(読売新聞社)2006年8月16日
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  98. ↑ 『悠仁さま、作文の参考文献「記載漏れ」 指摘に感謝伝えられる』産経新聞、2022年。
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関連項目

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外部リンク

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