悠仁親王
悠仁親王 | |
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秋篠宮家 | |
![]() 2020年(令和2年)撮影 | |
続柄 | 秋篠宮文仁親王第1男子[1] |
全名 | 悠仁(ひさひと) |
身位 | 親王 |
敬称 | 殿下 |
お印 | 高野槇(こうやまき) |
出生 |
2006年9月6日(17歳)![]() 恩賜財団母子愛育会 愛育病院 |
父親 | 秋篠宮文仁親王 |
母親 | 文仁親王妃紀子 |
称号:親王 | |
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敬称 |
悠仁親王殿下 His Imperial Highness Prince Hisahito |
皇室 |
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悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。身位は親王。敬称は殿下[2]。お印は高野槇(こうやまき)。
秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1男子(1男2女のうちの第3子)。明仁(第125代天皇・上皇)の孫。徳仁(第126代天皇・今上天皇)の甥にあたる。姉に小室眞子(眞子内親王)と佳子内親王がいる。皇位継承順位は父・文仁親王に次ぐ第2位。
住居は、東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮邸。秋篠宮邸の改修工事に伴い、2022年(令和4年)3月まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に仮住まいしていた[3]。
2023年(令和5年)現在、皇室構成者17名のうち唯一の未成年者である。
人物[編集]

父・秋篠宮文仁親王以来、40年9か月ぶりの皇族男子として誕生した。21世紀(3千年紀)に誕生した皇族としては従姉の愛子内親王に次いで2人目で、平成時代に誕生した唯一の皇統に属する男系男子である。
2023年(令和5年)1月1日現在、皇室構成員17名の中で皇位継承資格を有する唯一の50歳未満の男性皇族で、最年少かつ唯一の未成年皇族である。
来歴[編集]
誕生をめぐって[編集]
2006年(平成18年)2月7日の朝、文仁親王妃紀子が秋篠宮・宮邸にて超音波検査をしたところ、胎児の心拍が確認され、妊娠6週目であると宮内庁長官・羽毛田信吾により発表された[4][5][6]。17日後の、2月24日に「秋篠宮妃殿下が妊娠3か月である」と、宮内庁が公式発表した。妊娠悪阻(つわり)などの症状があったが、2度目の検査では順調な経過が確認されたと、愛育病院[注釈 1] の院長・中林正雄によって発表された[7][8]。また、皇室医務主管金沢一郎は、秋篠宮同妃夫妻の意向により性別の事前検査は行わない方針を示した。
2006年(平成18年)8月16日の午後、文仁親王妃紀子が陣痛のため、夫の秋篠宮が付き添って東京都港区南麻布の愛育病院に入院した[9][10]。また、同日、主治医である中林院長らが会見を開き、早産の恐れなどがあるため帝王切開の処置を取ることを発表した(皇室史上初めての帝王切開による出産)[11][12]。また、皇室において、天皇一族の出産で皇居内産殿、宮内庁病院ではない場所が使用されるのは史上初めてであった[13]。2006年(平成18年)9月6日 午前8時27分に誕生した[12]。出生時の身長は48.8cm、体重は2558g[14]。秋篠宮家においては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生であり、皇室においては愛子内親王の 誕生以来5年ぶり、父・文仁親王以来で実に40年9か月ぶりの皇族男子(親王及び王[注釈 2])であった(それまでは清子内親王から愛子内親王まで9人連続女子の誕生)。誕生時の皇位継承順位は第3位であった。
誕生当日には、賜剣の儀が行われ、祖父である第125代天皇明仁から守り刀(天田昭次作)が贈られた[15]。9月12日、命名の儀が行われ「悠仁」(ひさひと)と名付けられた。
「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」、また過去の皇族との重複を避けつつ音と意味を重視して、父・秋篠宮文仁親王が字を選んだ[16]。家族からは「ゆうゆう」の愛称で呼ばれている[17]。お印は高野槇で、「大きく、まっすぐに育ってほしい」との思いが込められている[16]。
9月15日の愛育病院からの退院時には、宮邸のある赤坂御用地までの沿道には約1800人が集まった。警備は警視庁の機動隊など計1200人態勢で行なわれた[18]。
誕生の前年、2005年(平成17年)には皇族男子の減少により皇位継承問題が表面化していたこともあり、各地で奉祝をもって迎えられた。明治神宮をはじめ、各地の神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進など祝賀行事が行われた。また悠仁親王の誕生によって、皇統断絶の危機が当面は解消されたことで、皇室典範改正案の提出は見送られた[12][19]。
成長[編集]
2010年(平成22年)4月(3歳7か月の時)にお茶の水女子大学附属幼稚園に入園した。母である秋篠宮妃紀子が同大学を拠点に研究活動を行っていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度での合格によるものであった[20]。
2011年(平成23年)春にも、着袴の儀が予定されていたが、東日本大震災を受け延期された[21]。同年11月3日、赤坂東邸で、着袴の儀と深曽木の儀に臨んだ[22]。
2012年(平成24年)11月7日、両親とともに奈良県橿原市の神武天皇陵に参拝し、玉串をささげた[23]。悠仁親王が御陵を参拝するのはこれが初めてである。
同年12月14日、2013年(平成25年)4月にお茶の水女子大学附属小学校へ入学することが発表された[24]。現行の皇室典範の下で皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは初めてである。2013年4月7日、両親の秋篠宮と同妃紀子とともに、小学校の入学式に参加した[25][26]。

2013年(平成25年)3月15日、お茶の水女子大学附属幼稚園卒園につき、両親とともに、武蔵陵墓地(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)を参拝した。同年3月25日から2日間、伊勢神宮に参拝した。
同年12月10日、沖縄県糸満市にある沖縄戦跡国定公園に供花、平和の礎を見学した。
2016年(平成28年)8月3日、新潟県津南町の『農と縄文の体験実習館なじょもん』[27] で縄文土器を見学した[28]。10歳の誕生日には、秋篠宮邸の庭で田んぼや野菜を作っていることが発表された[29]。
同年11月20日朝、友人らと山梨県へ山登りに行く途中、相模原市の中央自動車道下り線で、悠仁親王の乗る車両が前方の車両に追突するという事故が発生した。車には母・紀子妃と宮内庁職員ら計6人が同乗していたが怪我はなかった。事故の背景には内廷皇族と宮家皇族との警備体制の違いが挙げられた[30][31][32]。
2017年(平成29年)9月6日の11歳の誕生日には、同年5月の校外学習で東京・両国国技館の大相撲を観戦し、友人とちゃんこを味わったことや、8月下旬に2泊3日で林間学校(長野県の白樺湖周辺)に初めて参加したこと、学校で栽培委員会に所属して花壇の水やりなどを担っていることなどが伝えられた[33]。
2019年(平成31年)4月、お茶の水女子大学附属中学校に入学。同月26日には同中学校の悠仁親王の教室の机の上に果物ナイフが置かれる事件が発生した。犯人とされる男は同月29日に神奈川県平塚市のホテルで逮捕され[34]、2020年(令和2年)2月14日に執行猶予付の懲役刑が言い渡された。
2019年(令和元年)5月1日に、伯父・徳仁親王の即位に伴い、父・文仁親王に次ぐ、皇位継承順位第2位となった。
2019年8月16日から8月25日までブータンを父母とともに私的旅行という形で訪問。悠仁親王にとって初の海外訪問である。また、トンボに興味を持っており、積極的に研究している[35]。
2021年(令和3年)、北九州市立文学館主催の「第12回子どもノンフィクション文学賞」に投稿した作文「小笠原諸島を訪ねて」(題名)[36]が中学生の部・佳作[注釈 3]を受賞し、3月20日の表彰式にはオンラインで参加した[37]。2022年2月、宮内庁は作文に関し参考文献の記載が不十分だったと明らかにした[38][39]。2022年4月8日、宮内庁は悠仁親王が、参考文献や注釈などを追記して主催者に送ったことを明らかにした[40]。これを受け同年4月12日、北九州市立文学館は、提出後の訂正を認めないと募集要項に記載していたが、訂正後の作文をネット上に公開した[41][42]。修正版では文末に脚注を2つ加え、「参考にした資料」として従来は1点だったのが5点となった[43]。(詳細については北九州市立文学館#文学賞をめぐる動向を参照のこと)
2021年12月1日、従姉の敬宮愛子内親王が成年を迎えたことで、現時点において唯一の未成年皇族となった。
2022年(令和4年)2月16日、筑波大学附属高等学校に合格した。これはお茶の水女子大学附属中学校との提携校進学制度において推薦の条件である「秀でた学業成績を十分に満たしている」と判断され、かつ一般受験生とともに5教科の学力検査を受験され、その結果確定したものである。4月より同校に入学[44]。
2022年10月1日、単身で三重県の伊勢神宮に参拝した。悠仁親王が伊勢神宮を訪れるのは、2013年に両親や佳子内親王と参拝して以来2回目で、一人での参拝は今回が初めてである。その後、伊勢市にある神宮美術館を訪問し、伊勢神宮と正倉院のゆかりの文化財などを集めた特別展を鑑賞した[45]。
前述の通り、悠仁親王は父・文仁親王以来実に40年以上ぶりに誕生した皇族男子であるが、平成時代(第125代天皇明仁在位中)に誕生した皇族男子は悠仁親王のみで、これ以降2023年(令和5年)現在までに皇族男子は1人も出生していない。
学術研究[編集]
高校の学業と並行して生物学に関する研究を進められ、高校在学2年時に研究成果を学術雑誌に発表している[46]。
帝王学[編集]
定まった帝王学の師はいないが、教育については母親の紀子妃が主導し、2018年には作家の半藤一利による近代史(太平洋戦争)についての進講を受けている[47]。
年譜[編集]
- 2006年(平成18年)9月6日 、東京都港区南麻布の愛育病院に生まれる。
- 2006年(平成18年)9月12日(0歳)、命名の儀を行う。
- 2010年(平成22年)4月(3歳)、お茶の水女子大学附属幼稚園 に入園。
- 2011年(平成23年)11月3日(5歳)、着袴の儀と深曽木の儀を行う。
- 2013年(平成25年)4月(6歳)、お茶の水女子大学附属小学校に入学。
- 2019年(平成31年)3月(12歳)、お茶の水女子大学附属小学校を卒業。
- 2019年(平成31年)4月(12歳)、お茶の水女子大学附属中学校に入学。
- 2022年(令和4年)4月(15歳)、筑波大学附属高等学校に入学。
系譜[編集]
悠仁親王の系譜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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悠仁親王の男系(父系)直系祖先[編集]
1 神武天皇 | 2 綏靖天皇 | 3 安寧天皇 | 4 懿徳天皇 | 5 孝昭天皇 | 6 孝安天皇 | 7 孝靈天皇 | 8 孝元天皇 | 9 開化天皇 | 10 崇神天皇 |
11 垂仁天皇 | 12 景行天皇 | 日本武尊 | 14 仲哀天皇 | 15 応神天皇 | 稚野毛二派皇子 | 意富富杼王 | 乎非王 | 彦主人王 | 26 継体天皇 |
29 欽明天皇 | 30 敏達天皇 | 押坂彦人 大兄皇子 |
34 舒明天皇 | 38 天智天皇 | 志貴皇子 | 49 光仁天皇 | 50 桓武天皇 | 52 嵯峨天皇 | 54 仁明天皇 |
58 光孝天皇 | 59 宇多天皇 | 60 醍醐天皇 | 62 村上天皇 | 64 円融天皇 | 66 一条天皇 | 69 後朱雀天皇 | 71 後三条天皇 | 72 白河天皇 | 73 堀河天皇 |
74 鳥羽天皇 | 77 後白河天皇 | 80 高倉天皇 | 82 後鳥羽天皇 | 83 土御門天皇 | 88 後嵯峨天皇 | 89 後深草天皇 | 92 伏見天皇 | 93 後伏見天皇 | 北1 光厳天皇 |
北3 崇光天皇 | 伏見宮栄仁親王 | 伏見宮貞成親王 | 102 後花園天皇 | 103 後土御門天皇 | 104 後柏原天皇 | 105 後奈良天皇 | 106 正親町天皇 | 誠仁親王 | 107 後陽成天皇 |
108 後水尾天皇 | 112 霊元天皇 | 113 東山天皇 | 閑院宮直仁親王 | 閑院宮典仁親王 | 119 光格天皇 | 120 仁孝天皇 | 121 孝明天皇 | 122 明治天皇 | 123 大正天皇 |
124 昭和天皇 | 125 明仁(上皇) | 秋篠宮文仁親王(皇嗣) | 悠仁親王 |
系図[編集]
家系図形式[編集]
- 各人の囲み上部の数字は生年と没年、下部の数字は即位年と退位年、「前」は紀元前、「?」は不詳を示す。
- 太字は漢風諡号、生没年に併記されているのは諱、斜体字は別名。
- 赤色の囲みは女性を示す。
- カッコ付きの太数字は天皇の代数[要出典]。
- 記紀による初代天皇(神武天皇)以前の系図については、皇室、皇室の系図一覧を参照。
前711-前585 神武天皇 前660–前585(1) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前632-前549 綏靖天皇 前581–前549(2) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前577-前510 安寧天皇 前549–前510(3) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前553-前476 懿徳天皇 前510–前476(4) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前506-前393 孝昭天皇 前475–前393(5) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前427-前291 孝安天皇 前392–前291(6) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前342-前215 孝靈天皇 前290–前215(7) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前273-前158 孝元天皇 前214–前158(8) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前208-前98 開化天皇 前157–前98(9) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前148-前29 崇神天皇 前97–前29(10) | 彦坐王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前68–紀元後70 垂仁天皇 前29–70(11) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前13–130 景行天皇 71–130(12) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
82?–113? 日本武尊 | 84–191 成務天皇 131–191(13) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
148? –200 仲哀天皇 192–200(14) | 170-269 神功皇后 摂政 201–269 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
200-310 應神天皇 270–310(15) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
257–399 仁徳天皇 313–399(16) | 稚野毛二派皇子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
336? –405 履中天皇 400–405(17) | 336? –410 反正天皇 406–410(18) | 376? –453 允恭天皇 413–453(19) | 忍坂大中姫 | 意富富杼王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
市辺押磐皇子 | 401-456 安康天皇 454–456(20) | 418-479 雄略天皇 456–479(21) | 乎非王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
440-484 飯豊青皇女 臨朝秉政 484 | 大脚 449-498 仁賢天皇 488–498(24) | 450-487 顯宗天皇 484–487(23) | 444-484 清寧天皇 480–484(22) | 彦主人王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
489-507 武烈天皇 498–507(25) | 手白香皇女 | 450-531 繼體天皇 507–531(26) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
509-571 欽明天皇 540–571(29) | 465-536 安閑天皇 531–536(27) | 高田 467-539 宣化天皇 536–539(28) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
538-585 敏達天皇 572–585(30) | 額田部 554-628 推古天皇 593–628(33) | 540? -587 用明天皇 585–587(31) | 泊瀬部 553? –592 崇峻天皇 587–592(32) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
押坂彦人大兄皇子 | 574-622 厩戸皇子 (聖徳太子) 摂政 593-622 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
茅渟王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軽 596-654 孝徳天皇 645–654(36) | 宝 594-661 皇極天皇 642–645(35) 齊明天皇 654–661(37) | 田村 593-641 舒明天皇 629–641(34) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
葛城 626-672 天智天皇 661–672(38) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大友 648-672 弘文天皇 672(39) | 鸕野讚良 645-701 持統天皇 690–697(41) | 大海人 631?-686 天武天皇 672-686(40) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
668?–716 志貴皇子 (春日宮天皇) | 阿閇 661-721 元明天皇 707-715(43) | 662–689 草壁皇子 (岡宮天皇) | 676–735 舎人親王 (崇道尽敬皇帝) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
氷高 680-748 元正天皇 715–724(44) | 珂瑠 683-707 文武天皇 697–707(42) | 大炊 733-765 淳仁天皇 758–764(47) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首 701-756 聖武天皇 724-749(45) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
? -790 高野新笠 | 白壁 709-782 光仁天皇 770–781(49) | 717–775 井上内親王 | 阿倍 718-770 孝謙天皇 749–758(46) 称徳天皇 764–770(48) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山部 737-806 桓武天皇 (柏原帝) 781–806(50) | 750?–785 早良親王 (崇道天皇) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
安殿 774-824 平城天皇 (奈良帝) 806–809(51) | 神野 786-842 嵯峨天皇 809–823(52) | 大伴 786-840 淳和天皇 (西院帝) 823–833(53) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
正良 810-850 仁明天皇 (深草帝) 833–850(54) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
道康 827-858 文徳天皇 (田邑帝) 850–858(55) | 時康 830-887 光孝天皇 (小松帝) 884–887(58) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
惟仁 850-880 清和天皇 (水尾帝) 858–876(56) | 定省 867-931 宇多天皇 887–897(59) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞明 869-949 陽成天皇 876–884(57) | 敦仁 885-930 醍醐天皇 897–930(60) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寛明 923-952 朱雀天皇 930–946(61) | 成明 926-967 村上天皇 946–967(62) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
憲平 950-1011 冷泉天皇 967–969(63) | 守平 959-991 圓融天皇 969–984(64) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
師貞 968-1008 花山天皇 984–986(65) | 居貞 976-1017 三條天皇 1011–1016(67) | 懐仁 980-1011 一條天皇 986–1011(66) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1013-1094 禎子内親王 | 敦良 1009-1045 後朱雀天皇 1036–1045(69) | 敦成 1008-1036 後一條天皇 1016–1036(68) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
尊仁 1034-1073 後三條天皇 1068–1073(71) | 親仁 1025-1068 後冷泉天皇 1045–1068(70) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞仁 1053-1129 白河天皇 1073–1087(72) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
善仁 1079-1107 堀河天皇 1087–1107(73) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
宗仁 1103-1156 鳥羽天皇 1107–1123(74) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
顕仁 1119-1164 崇徳天皇 1123–1142(75) | 雅仁 1127-1192 後白河天皇 1155–1158(77) | 体仁 1139-1155 近衞天皇 1142–1155(76) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
憲仁 1161-1181 高倉天皇 1168–1180(80) | 守仁 1143-1165 二條天皇 1158–1165(78) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1179-1223 守貞親王 (後高倉院) | 言仁 1178-1185 安徳天皇 1180–1185(81) | 尊成 1180-1239 後鳥羽天皇 1185–1198(82) | 順仁 1164-1176 六條天皇 1165–1168(79) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
茂仁 1212-1234 後堀河天皇 1221–1232(86) | 為仁 1196-1231 土御門天皇 1198–1210(83) | 守成 1197-1242 順徳天皇 1210–1221(84) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秀仁 1231-1242 四條天皇 1232–1242(87) | 邦仁 1220-1272 後嵯峨天皇 1242–1246(88) | 懐成 1218-1234 仲恭天皇 1221(85) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1242-1274 宗尊親王 1252-1266(鎌倉将軍6) | 久仁 1243-1304 後深草天皇 1246–1260(89) | 恒仁 1249-1305 龜山天皇 1260–1274(90) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1264-1326 惟康親王 1266-1289(鎌倉将軍7) | 熈仁 1265-1317 伏見天皇 1287–1298(92) | 1279-1308 久明親王 1289-1308(鎌倉将軍8) | 世仁 1267-1324 後宇多天皇 1274–1287(91) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
胤仁 1288-1336 後伏見天皇 1298–1301(93) | 富仁 1297-1348 花園天皇 1308–1318(95) | 1301-1333 守邦親王 1308-1333(鎌倉将軍9) | 邦治 1285-1308 後二條天皇 1301–1308(94) | 尊治 1288-1339 後醍醐天皇 1318–1339(96) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
量仁 1313-1348 光厳天皇 1332–1334(北朝1) | 豊仁 1322-1380 光明天皇 1336–1348(北朝2) | 義良 1328-1368 後村上天皇 1339-1368(97) | 1308-1335 護良親王 征夷大将軍 1333-1334 | 1326-1338/1344 成良親王 征夷大将軍 1334-1338 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興仁 1334-1398 崇光天皇 1348–1351(北朝3) | 弥仁 1336-1374 後光嚴天皇 1352–1371(北朝4) | 寛成 1343-1394 長慶天皇 1368–1383(98) | 熙成 1350?-1424 後龜山天皇 1383-1392(99) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1351-1416 伏見宮栄仁親王 | 緒仁 1339-1393 後圓融天皇 1371–1382(北朝5) | 参照: 南朝、北朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1372-1456 伏見宮貞成親王 (後崇光院) | 幹仁 1377-1433 後小松天皇 1382-1392(北朝6) 1392–1412(100) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
彦仁 1419-1471 後花園天皇 1428–1464(102) | 躬仁 1401-1428 称光天皇 1412–1428(101) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
成仁 1442-1500 後土御門天皇 1464–1500(103) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
勝仁 1464-1526 後柏原天皇 1500–1526(104) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
知仁 1497-1557 後奈良天皇 1526–1557(105) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
方仁 1517-1593 正親町天皇 1557–1586(106) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1552-1586 誠仁親王 (陽光院) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
和仁 1572-1617 後陽成天皇 1586–1611(107) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
政仁 1596-1680 後水尾天皇 1611–1629(108) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
興子 1624-1696 明正天皇 1629-1643(109) | 紹仁 1633-1654 後光明天皇 1643–1654(110) | 良仁 1638-1685 後西天皇 1655–1663(111) | 識仁 1654-1732 靈元天皇 1663–1687(112) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝仁 1675-1710 東山天皇 1687–1709(113) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1704-1753 閑院宮直仁親王 | 慶仁 1702-1737 中御門天皇 1709–1735(114) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昭仁 1720-1750 櫻町天皇 1735–1747(115) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1733-1794 閑院宮典仁親王 (慶光天皇) | 遐仁 1741-1762 桃園天皇 1747–1762(116) | 智子 1740-1813 後櫻町天皇 1762–1771(117) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英仁 1758-1779 後桃園天皇 1771–1779(118) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1780-1843 勧修寺婧子 | 師仁 1771-1840 光格天皇 1780–1817(119) | 1779-1846 欣子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
恵仁 1800-1846 仁孝天皇 1817–1846(120) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
統仁 1831-1867 孝明天皇 1846–1867(121) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
睦仁 1852-1912 明治天皇 1867–1912(122) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
嘉仁 1879-1926 大正天皇 1912–1926(123) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
裕仁 1901-1989 昭和天皇 摂政 1921-1926 1926–1989(124) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明仁 1933- 上皇明仁 1989–2019 (125) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
徳仁 1960- 今上天皇 2019- (126) | 1965- 皇嗣 秋篠宮文仁親王 | 1969- 黒田清子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001- 愛子内親王 | 1991- 小室眞子 | 1994- 佳子内親王 | 2006- 悠仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
家族・親族[編集]
悠仁親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 上皇明仁 |
曾祖父: 昭和天皇 |
曾祖母: 香淳皇后 | |||
祖母: 上皇后美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
曾祖母: 正田富美子 | |||
母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
曾祖母: 川嶋紀子 | |||
祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
曾祖母: 杉本栄子 |
系図[編集]
122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
124 昭和天皇 | 秩父宮雍仁親王 | 高松宮宣仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
125 上皇 | 常陸宮正仁親王 | 寬仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
126 今上天皇 | 秋篠宮文仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著名な親族としては、叔母に元外務省アルバイトで銀座でホステスをしていた実業家の栗原菜緒、義兄に米国弁護士で法務博士の小室圭がいる。
皇位継承順位[編集]
順位 | 皇位継承資格者 | 読み | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 今の天皇から見た続柄 | 摂政就任順位 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第1位 | ![]() |
秋篠宮文仁親王 | あきしののみや | ふみひと | 男性 | 1965年11月30日 (昭和40年) |
58歳 | 上皇明仁第2皇男子 | 弟 /第1位 |
第2位 | ![]() |
悠仁親王 | ひさひと | 男性 | 2006年 9月 6日 (平成18年) |
17歳 | 秋篠宮文仁親王第1男子 | 甥 /||
第3位 | ![]() |
常陸宮正仁親王 | ひたちのみや | まさひと | 男性 | 1935年11月28日 (昭和10年) |
88歳 | 昭和天皇第2皇男子 | 叔父 /第2位 |
令和元年5月1日時点では、父・文仁親王(58)に次いで第2位。天皇徳仁に皇男子(皇太子)が誕生するか、悠仁親王自身が即位前に薨去、あるいは皇室会議で皇位継承順位を入れ替えられない限り第128代天皇となる。平成生まれでは唯一であり、最年少の皇位継承資格者である。
称号・宮号の有無や敬称の表記など[編集]

一宮家(秋篠宮家)の生まれであり、また当主ではないため、天皇の皇子や皇女に与えられる御称号は持たず「秋篠宮」という宮号も冠さない。
身位・敬称を含めた表現は宮内庁公式HPでは「悠仁親王殿下」と表記している。
ただし、幼稚園においては姉の小室眞子、佳子内親王同様、便宜上「秋篠宮」を名字の代わりとして用いていた[注釈 4]。
逸話[編集]
誕生時には、21か国の元首から天皇明仁・皇后美智子へ、31か国の元首から天皇明仁へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[48]。悠仁親王が誕生したことで、2006年(平成18年)の今年の漢字に「命」が選ばれた。また2位には「悠」がランクインした[49]。
祝賀[編集]
天皇・皇后が初めて見舞いに訪れた際には、白いベビーシューズを母子に贈った。この靴は、悠仁親王1歳の誕生日の記念写真でソファ脇の机に飾られているのを見ることができる[50]。
トルコのトプカプ宮殿博物館からは国宝「金のゆりかご」が貸し出され、2007年(平成19年)8月から9月まで東京都美術館で開催された「トプカプ宮殿至宝展」で特別展示された。これは門外不出の国宝で、トプカプ宮殿博物館館長の厚意により実現したもの。
お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また高野槇の名の由来である高野山への交通手段である南海電気鉄道では、誕生記念として難波駅で高野槇1000本を乗客に無料配布した。
記帳所[編集]
悠仁親王は皇室では41年ぶりの男子誕生だったが、宮内庁はあくまで一宮家の生まれであるとして誕生を祝うための記帳所を設けなかった。しかし地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところもあった。
国内外メディアの報道[編集]
悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を持つイギリスでは日本の皇位継承問題に関心があったこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[51]。アメリカのCNNでは速報で東京特派員が「It's a boy!」と伝えた。またアメリカのニューヨーク・タイムズ紙電子版やTIME誌[52]、中国の新華社通信、韓国の聯合ニュースや朝鮮日報紙[53] なども速報記事や特集記事を出した。また日本国内でも各メディアが報じたが、独立局である三重テレビでは10:59のスポットCM枠で特設ニュース枠が設けられ報じられた。
研究業績[編集]
- 2023「赤坂御用地のトンボ相―多様な環境と人の手による維持管理」『国立科学博物館研究報告A類(動物学)』49(4), 129-53
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 現在の設置者は、公益法人の社会福祉法人であるが、1934年(昭和9年)に、継宮明仁親王(第125代天皇・明仁)の出産を記念し、昭和天皇より受けた下賜金をもとに創設され、高円宮家の女王3人の出産に際して使用されるなど、皇室との関わりも深い。また、都内の出産事情においては、聖路加国際病院、山王病院と共に、「ブランド出産御三家」の一つとして、高級病院とされている。(『愛育ママの秘密』(桜井美貴子著 ブックマン社 2007.3))
- ^ 現行の皇室典範が1947年(昭和22年)に施行されて以来今日に至るまで、王は1人も出生していない。
- ^ 大賞(1名)に次ぐ賞で他に1名が受賞した。
- ^ 2010年(平成22年)4月9日 朝日新聞「悠仁さま、幼稚園の入園式」入園式では"秋篠宮悠仁さん"と呼ばれた。
出典[編集]
- ^ 宮内庁 秋篠宮家
- ^ 皇室典範第二十三条第二項「前項の皇族以外の皇族の敬称は、殿下とする。」
- ^ “秋篠宮ご一家「仮住まい」に 宮邸の改修に伴い”. 日本経済新聞. 2019年2月7日閲覧。
- ^ 紀子さま ご懐妊 きょう、超音波検査で(朝日新聞号外) 2006年2月7日
- ^ 紀子さまご懐妊 秋に第3子ご出産(読売新聞号外)2006年2月7日
- ^ 紀子さまご懐妊 秋篠宮家、秋に第3子ご出産予定(速報・中日新聞) 2006年2月7日
- ^ 秋篠宮妃紀子さま、妊娠3か月目…宮内庁が正式発表(読売新聞社・2006年2月24日)
- ^ 秋篠宮妃紀子さま:宮内庁が懐妊を正式発表 9月出産予定(毎日新聞社・2006年2月24日)
- ^ 紀子さま、ご出産に備え愛育病院に入院(読売新聞社)2006年8月16日
- ^ “紀子さまご入院 都内の病院で出産準備”. Sankei Web(産経新聞社). (2006年8月16日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ 紀子さま 出産へ万全期し入院 - スポーツニッポン新聞社
- ^ a b c “紀子さま、男児ご出産 皇室41年ぶり、皇位継承3位 母子とも健やか”. 朝日新聞. (2006年9月8日) 2017年7月31日閲覧。
- ^ 総力取材 (祝)親王誕生カウント・ダウン “3LDKの生母”紀子妃と「川嶋家」の研究(講談社・週刊現代)2006年9月2日号
- ^ “Japan's new prince turns one amid public glare”. AFP. (2007年9月5日). オリジナルの2007年11月13日時点におけるアーカイブ。 2017年6月2日閲覧。
- ^ “紀子さまご出産 「お祝いありがとう」 陛下、国際会議で予定外のお言葉”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2006年9月7日)
- ^ a b “秋篠宮家ご長男に命名 『悠仁さま』 ゆったりと長い人生を願い”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2006年9月7日)
- ^ “皇室:「ゆうゆう」より大きいよ 秋篠宮ご夫妻、千葉・鴨川を旅行”. 毎日jp (毎日新聞社). (2012年4月9日). オリジナルの2012年11月14日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ “紀子さまと悠仁さま退院”. Web東奥 (東奥日報社). (2006年9月15日). オリジナルの2006年10月21日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ “Prince Hisahito celebrates third”. The Japan Times. (2009年9月6日). オリジナルの2017年6月2日時点におけるアーカイブ。 2017年6月2日閲覧。
- ^ “悠仁さまがお茶大幼稚園へ 3年保育、来春から”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2009年12月3日)
- ^ 「天皇ご夫妻が見せた「決意」と「象徴天皇」の形」『週刊朝日』2011年4月29日号、朝日新聞出版、[要ページ番号]。
- ^ “悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり” (時事通信). Yahoo!ニュース (Yahoo Japan). (2011年11月3日). オリジナルの2011年11月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “悠仁さま、神武天皇陵を参拝”. 日本経済新聞 電子版 (日本経済新聞社). (2012年11月7日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ “悠仁さま お茶の水女子大付属小学校に”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年12月14日). オリジナルの2013年4月13日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ “悠仁さま、お茶の水女子大付属小学校にご進学”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2013年4月7日). オリジナルの2013年9月28日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ “Prince Hisahito, third in line to Imperial throne, turns 8”. The Japan Times (2014年9月6日). 2014年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月13日閲覧。
- ^ “農と縄文の体験実習館なじょもん”. なじょもん. 2016年9月6日閲覧。
- ^ “縄文時代を体験する施設に…悠仁さま夏休み”. 日テレNEWS24 (日本テレビ). (2016年8月3日) 2016年9月20日閲覧。
- ^ “悠仁さま 10歳の誕生日”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2016年9月6日). オリジナルの2016年9月5日時点におけるアーカイブ。 2016年9月6日閲覧。
- ^ “悠仁さまらが乗った車、追突事故の背景は? 皇太子家と異なる警備態勢 ハフィントンポスト”. 2020年8月10日閲覧。
- ^ “紀子さまら車事故、警備態勢は 皇太子家は全て青信号に 朝日新聞”. 2016年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月10日閲覧。
- ^ “宮内庁次長「警備態勢見直しせず」 紀子さま、悠仁さまご乗車の自動車事故で 産経ニュース”. 2020年8月10日閲覧。
- ^ “悠仁さま、きょう11歳 学校で栽培委員会に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年9月6日) 2018年4月18日閲覧。
- ^ 悠仁さまの席に刃物、56歳男を逮捕 警視庁(日本経済新聞、2019年4月29日)
- ^ 2019年の皇嗣の誕生日会見での発言より。
- ^ 「中学生の部佳作『小笠原諸島を訪ねて』秋篠宮悠仁」『北九州市文学館・文学賞・コンクール・第12回子どもノンフィクション文学作品集』pp.74-82 (PDF)
- ^ “悠仁さま作品が佳作に 子ども対象の文学賞、表彰式参加”. 朝日新聞. (2021年3月20日) 2021年3月22日閲覧。
- ^ 「悠仁さまの作文コンクール受賞作品、参考文献の記載が不十分…外部から指摘」『読売新聞』2022年2月16日
- ^ Prince Hisahito of Japan ‘copied guidebook’ for award-winning essay, ’’The Times’’ Februry 23 2022(written in English)
- ^ 「悠仁さま、作文を修正 参考文献など追記 宮内庁」時事通信社2022-4-8配信
- ^ 「お知らせ・「第12回子どもノンフィクション文学賞作品集について」北九州市民文学館>ホーム>お知らせ
- ^ 「中学生の部佳作『小笠原諸島を訪ねて』秋篠宮悠仁」『北九州市文学館・文学賞・コンクール・第12回子どもノンフィクション文学作品集』pp.74-82 (PDF)(訂正版) (PDF)
- ^ https://sp.m.jiji.com/article/show/2736692?free=1
- ^ 宮内庁ホームページ>皇室のご活動>「悠仁親王殿下のご進学について」
- ^ “悠仁さま 初めてお一人で伊勢神宮に参拝”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2022年10月1日) 2022年10月5日閲覧。
- ^ 英文題はOdonata Fauna of Akasaka Imperial Gardens, Tokyo: Diversity Sustained by Continuous Maintenance 生き物文化誌学会
- ^ 「特集・悠仁親王殿下の教育私はこう考える」『正論』2019年8月号
- ^ 官報本紙皇室事項欄(2006年(平成18年)11月10日付及び同年12月13日付)。
- ^ “2006年「今年の漢字」第1位は「命」”. 公益財団法人 日本漢字能力検定協会 (2006年1月1日). 2018年3月6日閲覧。
- ^ “悠仁さま満1歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2007年9月6日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。※写真2枚目
- ^ “Japan princess gives birth to boy” (英語). BBC NEWS (BBC). (2006年9月6日) 2016年9月20日閲覧。
- ^ Walsh, Bryan (2006年9月5日). “Japan Celebrates: It's a Boy!” (英語). TIME (Time Inc) 2016年9月20日閲覧。
- ^ “【速報】秋篠宮紀子妃、男児出産”. Chosun Online 朝鮮日報 (朝鮮日報JNS). (2006年9月6日). オリジナルの2007年9月1日時点におけるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
ウィキソースには、文仁親王妃紀子殿下は、愛育病院において御出産、親王が御誕生になった件の原文があります。
ウィキソースには、御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は、御名を悠仁と御命名になった件の原文があります。
- 文仁親王同妃両殿下(秋篠宮) - 秋篠宮同妃と子女の紹介(宮内庁)
- 紀子さま ご懐妊とご出産 - NHK放送史
- 2006年 悠仁さま誕生 皇族41年ぶりの男の子(2006年9月)【映像記録 news archive】 - YouTube(ANNnewsCH)