悠仁親王
| 悠仁親王 | |
|---|---|
| 続柄 | |
| 全名 | 悠仁 |
| 身位 | 親王 |
| 敬称 | 殿下 |
| お印 | 高野槇(こうやまき) |
| 出生 |
2006年9月6日(12歳) 恩賜財団母子愛育会 愛育病院 |
| 父親 | 秋篠宮文仁親王 |
| 母親 | 秋篠宮妃紀子 |
| 称号: 親王 | |
|---|---|
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| 敬称 | 殿下 |
| 皇室 |
|---|
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悠仁親王(ひさひとしんのう、2006年〈平成18年〉9月6日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子。今上天皇(第125代天皇・明仁)初の男子の皇孫。身位は親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は高野槇(こうやまき)。皇位継承順位は第3位。姉に眞子内親王と佳子内親王がいる。
皇室において父・秋篠宮文仁親王の誕生以来40年9か月振りの皇統男子。21世紀(3千年紀)に生まれた皇族としては従姉の敬宮愛子内親王に次いで2人目で2019年現在、男性では唯一であり最年少皇族でもある。
御所は東京都港区元赤坂二丁目の赤坂御用地内にある秋篠宮・宮邸(旧秩父宮邸)。
目次
生誕前[編集]
2006年(平成18年)2月7日の朝、秋篠宮文仁親王妃紀子が秋篠宮・宮邸にて超音波検査をしたところ、胎児の心拍が確認され、妊娠6週目であると宮内庁長官・羽毛田信吾により発表された[1][2][3]。17日後の、2月24日に紀子が妊娠3か月であると、宮内庁が公式発表した。妊娠悪阻(つわり)などの症状があったが、2度目の検査では順調な経過が確認されたと、愛育病院[注釈 1]の院長・中林正雄によって発表された[4][5]。また、皇室医務主管・金沢一郎は、秋篠宮同妃の意向により性別の事前検査は行わない方針を示した。しかし、マスコミは男児出産をスクープしていた[6][7][8]。
生誕[編集]
2006年8月16日の午後、秋篠宮妃紀子が陣痛のため、秋篠宮と共に東京都港区・南麻布の愛育病院に入院した[9][10]。また、同日、主治医の愛育病院院長・中林正雄らが会見を開き、早産の恐れなどがあるため帝王切開の処置を取ることを発表した(皇室史上初めての帝王切開による出産)[11][12]。また、皇室において、天皇一族の出産で皇居内産殿、宮内庁病院ではない場所が使われるのは史上初めてであった[13][14]。2006年(平成18年)9月6日 午前8時27分誕生した[12]。出生時の身長は48.8cm、体重は2558g[15]。秋篠宮家においては佳子内親王以来12年ぶりの子女の誕生であり、皇室においては父である秋篠宮文仁親王以来、約40年9か月ぶりの男子である。
誕生当日には、賜剣の儀が行われ、祖父である今上天皇から守り刀(天田昭次作)が贈られた[16]。9月12日、命名の儀が行われ「悠仁」(ひさひと)と名付けられた。
「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくことを願って」、また過去の皇族との重複を避けつつ音と意味を重視して、父・秋篠宮文仁親王が字を選んだ[17]。家族からは「ゆうゆう」の愛称で呼ばれている[18]。お印は高野槇で、「大きく、まっすぐに育ってほしい」との思いが込められている[17]。
9月15日の愛育病院からの退院時には、宮邸のある赤坂御用地までの沿道には約1800人が集まった。警備は警視庁の機動隊など計1200人態勢で行なわれた[19]。
誕生の前年、2005年(平成17年)には皇族男子の不足から皇位継承問題が表面化していたこともあり、各地で奉祝をもって迎えられた。明治神宮をはじめ、各地の神社・神社庁で、神輿の奉納・提灯行列・奉祝行進など祝賀行事が行われた。悠仁親王の誕生によって、皇統断絶の危機が当面は解消されたことで、皇室典範改正案の提出は見送られた[20][12]。
略歴[編集]
2010年(平成22年)4月(3歳10か月の時)にお茶の水女子大学附属幼稚園に入園された。母である秋篠宮妃紀子が同大学を拠点に研究活動を行っていることから、女性研究者を支援するために同大学が創設した特別入園制度での合格によるもので[21]、悠仁親王が適用第一号である[22]。
2011年(平成23年)春にも、着袴の儀が予定されていたが、東日本大震災を受け延期された[23]。同年11月3日、赤坂東邸で、着袴の儀と深曽木の儀に臨んだ[24]。
2012年(平成24年)11月7日、秋篠宮・秋篠宮妃とともに奈良県橿原市の神武天皇陵に参拝し、玉串をささげられた[25]。悠仁親王が御陵を参拝されるのはこれが初めてである。
同年12月14日、2013年(平成25年)4月にお茶の水女子大学附属小学校へ入学されることが発表された[26]。戦後、皇族が学習院初等科以外の小学校に入学するのは初めてである。2013年4月7日、両親の秋篠宮と同妃紀子とともに、小学校の入学式に参加した[27].[28]。
2013年(平成25年)3月15日、お茶の水女子大学附属幼稚園卒園につき、両親とともに、武蔵野陵(昭和天皇陵)と武蔵野東陵(香淳皇后陵)を参拝された。同年3月25日から2日間、三重県の伊勢神宮に参拝した。
同年12月10日、沖縄県糸満市にある沖縄戦跡国定公園に供花、平和の礎を見学された。
2016年(平成28年)8月3日、新潟県津南町の『農と縄文の体験実習館なじょもん』[29]で縄文土器を見学した[30]。10歳の誕生日には、秋篠宮邸の庭で田んぼや野菜を作っていることが発表された[31][32]。
同年11月20日朝、友人らと山梨県へ山登りに行く途中、相模原市の中央自動車道下り線で渋滞中に追突事故に遭う。車には母・紀子と宮内庁職員ら計6人が同乗していたが怪我はなかった。事故の背景には内廷皇族と宮家皇族との警備体制の違いが挙げられた[33][34][35]。
2017年(平成29年)9月6日の11歳の誕生日には、同年5月の校外学習で東京・両国国技館の大相撲を観戦され友人とちゃんこを味わったことや、8月下旬に2泊3日で林間学校(長野県の白樺湖周辺)に初めて参加したこと、学校で栽培委員会に所属して花壇の水やりなどを担っていることなどが伝えられた[36]。
年譜[編集]
- 2006年(平成18年)9月6日 、東京都港区南麻布の愛育病院に生まれる。
- 2006年(平成18年)9月12日(0歳)、命名の儀を行う。
- 2010年(平成22年)4月(4歳)、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園。
- 2011年(平成23年)11月3日(5歳)、着袴の儀と深曽木の儀を行う。
- 2013年(平成25年)4月(6歳)、お茶の水女子大学附属小学校に入学。
系譜[編集]
| 悠仁親王の系譜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 悠仁親王 | 父: 文仁親王(秋篠宮) |
祖父: 今上天皇 |
曾祖父: 昭和天皇 |
| 曾祖母: 香淳皇后 | |||
| 祖母: 皇后美智子 |
曾祖父: 正田英三郎 | ||
| 曾祖母: 正田富美子 | |||
| 母: 紀子 |
祖父: 川嶋辰彦 |
曾祖父: 川嶋孝彦 | |
| 曾祖母: 川嶋紀子 | |||
| 祖母: 川嶋和代 |
曾祖父: 杉本嘉助 | ||
| 曾祖母: 杉本栄子 |
悠仁親王の男系直系祖先[編集]
| 1 神武天皇 | 2 綏靖天皇 | 3 安寧天皇 | 4 懿徳天皇 | 5 孝昭天皇 | 6 孝安天皇 | 7 孝靈天皇 | 8 孝元天皇 | 9 開化天皇 | 10 崇神天皇 |
| 11 垂仁天皇 | 12 景行天皇 | 日本武尊 | 14 仲哀天皇 | 15 応神天皇 | 稚野毛二派皇子 | 意富富杼王 | 乎非王 | 彦主人王 | 26 継体天皇 |
| 29 欽明天皇 | 30 敏達天皇 | 押坂彦人 大兄皇子 |
34 舒明天皇 | 38 天智天皇 | 志貴皇子 | 49 光仁天皇 | 50 桓武天皇 | 52 嵯峨天皇 | 54 仁明天皇 |
| 58 光孝天皇 | 59 宇多天皇 | 60 醍醐天皇 | 62 村上天皇 | 64 円融天皇 | 66 一条天皇 | 69 後朱雀天皇 | 71 後三条天皇 | 72 白河天皇 | 73 堀河天皇 |
| 74 鳥羽天皇 | 77 後白河天皇 | 80 高倉天皇 | 82 後鳥羽天皇 | 83 土御門天皇 | 88 後嵯峨天皇 | 89 後深草天皇 | 92 伏見天皇 | 93 後伏見天皇 | 北1 光厳天皇 |
| 北3 崇光天皇 | 栄仁親王(伏見宮) | 貞成親王(伏見宮) | 102 後花園天皇 | 103 後土御門天皇 | 104 後柏原天皇 | 105 後奈良天皇 | 106 正親町天皇 | 誠仁親王 | 107 後陽成天皇 |
| 108 後水尾天皇 | 112 霊元天皇 | 113 東山天皇 | 直仁親王(閑院宮) | 典仁親王(閑院宮) | 119 光格天皇 | 120 仁孝天皇 | 121 孝明天皇 | 122 明治天皇 | 123 大正天皇 |
| 124 昭和天皇 | 125 今上天皇 | 秋篠宮文仁親王 | 悠仁親王 |
- 伯父:皇太子徳仁親王
- 伯母:皇太子徳仁親王妃雅子
系図[編集]
| 122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 123 大正天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 124 昭和天皇 | 秩父宮雍仁親王 | 高松宮宣仁親王 | 三笠宮崇仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 125 今上天皇 | 常陸宮正仁親王 | 寛仁親王 | 桂宮宜仁親王 | 高円宮憲仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 皇太子徳仁親王 | 秋篠宮文仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 悠仁親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 歴代天皇 | 歴代皇后 | 親王 | 内親王・女王 | 臣籍降嫁 | 妃 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大正天皇 | 貞明皇后 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 昭和天皇 | 香淳皇后 | 秩父宮 雍仁親王 | 勢津子 | 高松宮 宣仁親王 | 喜久子 | 三笠宮 崇仁親王 | 百合子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 東久邇成子 (照宮) | 久宮 祐子内親王 | 鷹司和子 (孝宮) | 池田厚子 (順宮) | 今上天皇 | 皇后美智子 | 常陸宮 正仁親王 | 華子 | 島津貴子 (清宮) | 近衞甯子 | 寬仁親王 | 信子 | 桂宮 宜仁親王 | 千容子 | 高円宮 憲仁親王 | 久子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 皇太子 徳仁親王 | 雅子 | 秋篠宮 文仁親王 | 紀子 | 黒田清子 (紀宮) | 彬子女王 | 瑶子女王 | 承子女王 | 千家典子 | 守谷絢子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 敬宮 愛子内親王 | 眞子内親王 | 佳子内親王 | 悠仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
皇位継承権[編集]
| 順位 | 皇位継承資格者 | 読み | 性別 | 生年月日/現年齢 | 天皇から見た続柄 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 皇太子徳仁親王 | なるひと | 男性 | 1960年2月23日 (昭和35年) |
58歳 | 第1皇男子 | |
| 2位 | 秋篠宮文仁親王 | あきしののみや | ふみひと | 男性 | 1965年11月30日 (昭和40年) |
53歳 | 第2皇男子 |
| 3位 | 悠仁親王 | ひさひと | 男性 | 2006年9月6日 (平成18年) |
12歳 | 皇孫 / 秋篠宮文仁親王第1男子 | |
| 4位 | 常陸宮正仁親王 | ひたちのみや | まさひと | 男性 | 1935年11月28日 (昭和10年) |
83歳 | 皇弟 / 昭和天皇第2皇男子 |
2019年現在の皇位継承順位は伯父の皇太子徳仁親王(58)、父の秋篠宮文仁親王(53)に次いで第3位。平成及び21世紀(3千年紀)生まれでは唯一であり最年少皇位継承資格者である。
称号・宮号の有無や敬称の表記など[編集]
一宮家(秋篠宮家)の生まれであり、また当主ではないため、「礼宮」のような称号は持たず「秋篠宮」という宮号も冠さない。
身位・敬称を含めた表現は宮内庁公式HPでは「悠仁親王殿下」と表記している。なお、宮家の嗣子を呼ぶ際の古い慣習(詳細は若宮を参照)に従えば「秋篠若宮」と呼称することができる。
ただし、幼稚園においては姉の眞子内親王・佳子内親王同様、便宜上「秋篠宮」を名字の代わりとして用いていた[注釈 2]。
逸話[編集]
誕生時には、21か国の元首から天皇・皇后へ、31か国の元首から天皇へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた[37]。悠仁の誕生したことで、2006年(平成18年)の今年の漢字に「命」が選ばれた。また2位には「悠」がランクインした[38]。
祝賀[編集]
天皇・皇后が初めて見舞いに訪れた際には、白いベビーシューズを母子に贈った。この靴は、悠仁親王1歳の誕生日の記念写真でソファ脇の机に飾られているのを見ることができる[39]。
トルコのトプカプ宮殿博物館からは国宝「金のゆりかご」が貸し出され、2007年(平成19年)8月から9月まで東京都美術館で開催された「トプカプ宮殿至宝展」で特別展示された[40]。これは門外不出の国宝で、トプカプ宮殿博物館館長の厚意により実現したもの。
お印が高野槇と決まった後、高野槇を市の木とする岐阜県中津川市の中津川観光協会が高野槇の写真入のパンフレット用紙袋を製作した。また高野槇の名の由来である高野山への交通手段である南海電気鉄道では、誕生記念として難波駅で高野槇1000本を乗客に無料配布した。
記帳所[編集]
悠仁親王は皇室では41年ぶりの男子誕生だったが、宮内庁はあくまで一宮家の生まれであるとして誕生を祝うための記帳所を設けなかった。しかし地方自治体や寺社などでは独自に記帳所を設けたところもあった。
国内外メディアの報道[編集]
悠仁親王の誕生は世界各国のメディアで報道された。王室を持つイギリスでは日本の皇位継承問題に関心があったこともあり、BBCニュースはトップニュースで報道[41]。アメリカのCNNでは速報で東京特派員が「It's a boy!」と伝えた。またアメリカのニューヨーク・タイムズ紙電子版やTIME誌[42]、中国の新華社通信、韓国の聯合ニュースや朝鮮日報紙[43]なども速報記事や特集記事を出した。また日本国内でも各メディアが報じたが、独立局である三重テレビでは10:59のスポットCM枠で特設ニュース枠が設けられ報じられた。
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 紀子さま ご懐妊 きょう、超音波検査で(朝日新聞号外) 2006年2月7日
- ^ 紀子さまご懐妊 秋に第3子ご出産(読売新聞号外)2006年2月7日
- ^ 紀子さまご懐妊 秋篠宮家、秋に第3子ご出産予定(速報・中日新聞) 2006年2月7日
- ^ 秋篠宮妃紀子さま、妊娠3か月目…宮内庁が正式発表(読売新聞社・2006年2月24日)
- ^ 秋篠宮妃紀子さま:宮内庁が懐妊を正式発表 9月出産予定(毎日新聞社・2006年2月24日)
- ^ 紀子妃 皇室初の帝王切開で囁かれる「8月男児誕生」その時、オランダ静養中の雅子妃は… (小学館・週刊ポスト)2006年8月4日号
- ^ 本誌吉兆スクープ紀子妃帝王切開「第3子は男の子」(講談社・週刊現代)2006年8月5日号
- ^ 秋篠宮妃紀子さま(39)帝王切開公表ご決断の日 皇后美智子さま涙の電話(小学館・女性セブン)2006年8月10日号
- ^ 紀子さま、ご出産に備え愛育病院に入院(読売新聞社)2006年8月16日
- ^ “紀子さまご入院 都内の病院で出産準備”. Sankei Web(産経新聞社). (2006年8月16日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ “紀子さま 出産へ万全期し入院”. スポーツニッポン新聞社. (2006年8月16日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ a b c “紀子さま、男児ご出産 皇室41年ぶり、皇位継承3位 母子とも健やか”. 朝日新聞. (2006年9月8日) 2017年7月31日閲覧。
- ^ “紀子さま、愛育病院に入院”. 日刊スポーツ. (2006年8月16日) 2017年7月29日閲覧。
- ^ 総力取材 (祝)親王誕生カウント・ダウン “3LDKの生母”紀子妃と「川嶋家」の研究(講談社・週刊現代)2006年9月2日号
- ^ “Japan's new prince turns one amid public glare”. AFP. (2007年9月5日) 2017年6月2日閲覧。
- ^ “紀子さまご出産 「お祝いありがとう」 陛下、国際会議で予定外のお言葉”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2006年9月7日)
- ^ a b “秋篠宮家ご長男に命名 『悠仁さま』 ゆったりと長い人生を願い”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2006年9月7日)
- ^ “皇室:「ゆうゆう」より大きいよ 秋篠宮ご夫妻、千葉・鴨川を旅行”. 毎日jp (毎日新聞社). (2012年4月9日). オリジナルの2012年11月14日時点によるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ “紀子さまと悠仁さま退院”. Web東奥 (東奥日報社). (2006年9月15日). オリジナルの2006年10月21日時点によるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。
- ^ “Prince Hisahito celebrates third”. The Japan Times. (2009年9月6日) 2017年6月2日閲覧。
- ^ “悠仁さまがお茶大幼稚園へ 3年保育、来春から”. 読売新聞 (読売新聞社): p. [要ページ番号]. (2009年12月3日)
- ^ “Prince Hisahito to enter Ochanomizu University Elementary School”. The Japan Times. (2012年12月15日) 2017年6月2日閲覧。
- ^ 「天皇ご夫妻が見せた「決意」と「象徴天皇」の形」、『週刊朝日』2011年4月29日号、朝日新聞出版、 [要ページ番号]。
- ^ “悠仁さま、着袴と深曽木の儀=成長祝い、男子で41年ぶり” (時事通信). Yahoo!ニュース (Yahoo Japan). (2011年11月3日). オリジナルの2011年11月6日時点によるアーカイブ。
- ^ “悠仁さま、神武天皇陵を参拝”. 日本経済新聞 電子版 (日本経済新聞社). (2012年11月7日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ “悠仁さま お茶の水女子大付属小学校に”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2012年12月14日). オリジナルの2013年4月13日時点によるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ “悠仁さま、お茶の水女子大付属小学校にご進学”. MSN産経ニュース (産業経済新聞社). (2013年4月7日). オリジナルの2013年9月28日時点によるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
- ^ “Prince Hisahito, third in line to Imperial throne, turns 8”. The Japan Times (2014年9月6日). 2015年5月13日閲覧。
- ^ “農と縄文の体験実習館なじょもん”. なじょもん. 2016年9月6日閲覧。
- ^ “縄文時代を体験する施設に…悠仁さま夏休み”. 日テレNEWS24 (日本テレビ). (2016年8月3日) 2016年9月20日閲覧。
- ^ “悠仁さま 10歳の誕生日”. NHK NEWS WEB (日本放送協会). (2016年9月6日). オリジナルの2016年9月5日時点によるアーカイブ。 2016年9月6日閲覧。
- ^ “悠仁さま、10歳の誕生日 稲作や野菜づくりに夢中”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2016年9月6日) 2016年9月6日閲覧。
- ^ “悠仁さまらが乗った車、追突事故の背景は? 皇太子家と異なる警備態勢 ハフィントンポスト”. 2017年閲覧。...
- ^ “紀子さまら車事故、警備態勢は 皇太子家は全て青信号に 朝日新聞”. 2017年閲覧。...
- ^ “宮内庁次長「警備態勢見直しせず」 紀子さま、悠仁さまご乗車の自動車事故で 産経ニュース”. 2017年閲覧。...
- ^ “悠仁さま、きょう11歳 学校で栽培委員会に”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2017年9月6日) 2018年4月18日閲覧。
- ^ 官報本紙皇室事項欄(2006年(平成18年)11月10日付及び同年12月13日付)。
- ^ “2006年「今年の漢字」第1位は「命」”. 公益財団法人 日本漢字能力検定協会 (2006年1月1日). 2018年3月6日閲覧。
- ^ “悠仁さま満1歳”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2007年9月6日). オリジナルの2013年5月1日時点によるアーカイブ。 2013年10月18日閲覧。※写真2枚目
- ^ “休日お出かけ情報 トプカプ宮殿の至宝展”. BPnet セカンドステージ. 日経BP社 (2007年8月22日). 2011年9月29日閲覧。
- ^ “Japan princess gives birth to boy” (英語). BBC NEWS (BBC). (2006年9月6日) 2016年9月20日閲覧。
- ^ Walsh, Bryan (2006年9月5日). “Japan Celebrates: It's a Boy!” (英語). TIME (Time Inc) 2016年9月20日閲覧。
- ^ “【速報】秋篠宮紀子妃、男児出産”. Chosun Online 朝鮮日報 (朝鮮日報JNS). (2006年9月6日). オリジナルの2007年9月1日時点によるアーカイブ。 2013年10月19日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
ウィキソースには、文仁親王妃紀子殿下は、愛育病院において御出産、親王が御誕生になった件の原文があります。
ウィキソースには、御誕生になった文仁親王殿下の第一男子は、御名を悠仁と御命名になった件の原文があります。- 文仁親王同妃両殿下(秋篠宮) - 秋篠宮同妃と子女の紹介(宮内庁)
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悠仁親王
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| 先代: 秋篠宮文仁親王 |
皇位継承順位 第3位 |
次代: 常陸宮正仁親王 |
| 儀礼席次 | ||
|---|---|---|
| 先代: 秋篠宮文仁親王 |
殿下 悠仁親王殿下 |
次代: 常陸宮正仁親王 |