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懿徳天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
懿徳天皇
『御歴代百廿一天皇御尊影』より「懿徳天皇」(部分)

在位期間
懿徳天皇元年2月4日 - 懿徳天皇34年9月8日
時代 伝承の時代
先代 安寧天皇
次代 孝昭天皇

誕生 綏靖天皇29年(紀元前553年
崩御 懿徳天皇34年(紀元前477年9月8日 77歳
陵所 畝傍山南繊沙渓上陵
漢風諡号 懿徳天皇
和風諡号 大日本彦耜友天皇(紀)
大倭日子鉏友命(記)
続柄 安寧天皇第二皇子
神武天皇曾孫
父親 安寧天皇
母親 渟名底仲媛命(紀)
阿久斗比売(記)
兄弟 兄:息石耳命
兄弟:磯城津彦命
皇后 天豊津媛命(紀)
賦登麻和訶比売命(記)
子女 観松彦香殖稲尊(孝昭天皇
武石彦奇友背命
皇居 軽曲峡宮(軽之境岡宮)

欠史八代の1人。
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懿徳天皇(いとくてんのう、旧字体: 懿德天皇、綏靖天皇29年 - 懿徳天皇34年9月8日)は、日本の第4代天皇(在位:懿徳天皇元年2月4日 - 懿徳天皇34年9月8日)。『日本書紀』での名は大日本彦耜友天皇欠史八代の1人であり、実在性については諸説ある。

略歴

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磯城津彦玉手看天皇安寧天皇)の第二皇子。母は鴨王事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命(『日本書紀』)。兄弟として同母兄に息石耳命(または常津彦某兄)、同母弟に磯城津彦命がいる。父帝が崩御した翌年の2月に即位。即位2年1月、軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)に都を移す。同年2月、息石耳命の娘の天豊津媛命を皇后として観松彦香殖稲尊(後の孝昭天皇)を得た。即位34年、崩御。

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  • 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと):『日本書紀
  • 大倭日子鉏友命(おおやまとひこすきとものみこと):『古事記

漢風諡号である「懿徳」は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された名称とされる[1]

事績

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日本書紀』『古事記』共に系譜記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。

先代旧事本紀』によると食国政申大夫出雲色命穂積臣采女臣物部連らの祖である彦湯支命の子)を大臣とした。

系譜

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系図

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2 綏靖天皇
 
神八井耳命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3 安寧天皇
 
多氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4 懿徳天皇
 
息石耳命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5 孝昭天皇
 
天豊津媛命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6 孝安天皇
 
天足彦国押人命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7 孝霊天皇
 
和珥氏
 
押媛
(孝安天皇后)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
8 孝元天皇
 
倭迹迹日百襲姫命
 
吉備津彦命
 
稚武彦命
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彦太忍信命
 
9 開化天皇
 
大彦命
 
 
 
 
 
吉備氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
屋主忍男武雄心命
 
 
 
 
 
 
阿倍氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
武内宿禰
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葛城氏
 
 
 
 
 

后妃・皇子女

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(名称は『日本書紀』を第一とし、括弧内に『古事記』他を記載)

年譜

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『日本書紀』の伝えるところによれば、以下の通り[4]。機械的に西暦に置換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。

  • 綏靖天皇29年
    • 誕生
  • 安寧天皇11年
    • 1月、16歳で立太子
  • 懿徳天皇元年
    • 2月、即位
  • 懿徳天皇2年
  • 懿徳天皇22年
  • 懿徳天皇34年
    • 9月、崩御。宝算は77歳、『古事記』では45歳という[2]
  • 懿徳天皇34年の翌年
    • 10月、畝傍山南繊沙渓上陵に葬られた

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軽曲峡宮跡伝承地碑
奈良県橿原市

宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)、『古事記』では軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)[5]

宮の伝説地は、現在の奈良県橿原市大軽町周辺と伝承される[5][2]。同地付近の白橿町では、「軽曲峡宮跡伝承地」碑が建てられている(北緯34度28分18.25秒 東経135度47分38.03秒 / 北緯34.4717361度 東経135.7938972度 / 34.4717361; 135.7938972 (伝・軽曲峡宮阯)[6]

陵・霊廟

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懿徳天皇 畝傍山南繊沙渓上陵
(奈良県橿原市)

(みささぎ)の名は畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)。宮内庁により奈良県橿原市西池尻町にある俗称「マナゴ山」に治定されている(北緯34度29分20.04秒 東経135度46分54.43秒 / 北緯34.4889000度 東経135.7817861度 / 34.4889000; 135.7817861 (畝傍山南繊沙渓上陵(懿徳天皇陵))[7][8][9]宮内庁上の形式は山形。

陵について『日本書紀』では前述のように「畝傍山南繊沙渓上陵」、『古事記』では「畝火山の真名子谷の上」の所在とあるほか、『延喜式諸陵寮では「畝傍山南繊沙渓上陵」として兆域は東西1町・南北1町、守戸5烟で遠陵としている[9]。しかし後世に所伝は失われ、幕末修陵に際して現陵に治定された[9]。なお、橿原市畝傍町イトクの森古墳はその名から懿徳陵とされることもあったが、一説に皇后陵だともいわれる。

また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族と共に懿徳天皇の霊が祀られている。

伝承

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磯城縣主の任命

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懿徳天皇即位後に、葉江の後任として新たに太眞若彦磯城縣主に任命したとする伝承が残されている[10]

籠神社

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丹後国一宮名神大社籠神社で毎年4月24日に執り行われる葵大祭は懿徳天皇4年(BC472年)に始まったと伝えられ、当初は「藤祭」と称していたとされる[11]

野坂神社

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越前国式内社野坂神社は懿徳天皇23年(BC488年甲子3月8日伊豫国越智郡三嶋大明神祠官である宿禰成相翁と稲鶴姫が大神を勧請し奉った、との伝承が残されている[12]

佐久神社

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甲斐国八代郡式内社佐久神社の社伝によると、佐久神社主祭神彦火々出見命後裔であり甲斐国大開祖・向山土木毘古王は懿徳天皇4年8月14日(BC472年薨去せられ大宮山古殿地に奉葬された。後に雄略天皇2年(458年)土仏築山(現在の天神山古墳)に改葬された。と伝わっている[13]

考証

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実在性

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懿徳天皇を含む綏靖天皇(第2代) - 開化天皇(第9代)までの8代の天皇は、『日本書紀』『古事記』に事績記載が極めて少ないため「欠史八代」と称される。これらの天皇は、治世の長さが不自然であること、7世紀以後に一般的となるはずの父子間直系相続であること、宮・陵の所在地が前期古墳の分布と一致しないこと等から、創作性が強いとされる。

一方で宮号に関する原典の存在、年数の嵩上げに天皇代数の尊重が見られること、磯城県主十市県主との関わりが系譜に見られること等から、全てを虚構とすることには否定する見解もある。

治世の長さが不自然であることは春から夏までの半年間と、秋から冬までの半年をそれぞれ1年と数えていたとする春秋二倍暦説で説明できるとする向きもある。「魏志倭人伝」に「其俗不知正歳四節但計春耕秋収為年紀(その俗、正歳四節を知らず、ただ春耕し秋収穫するを計って年紀と為す)」とある事がこの説の主な根拠とされている。皇室の存在を神秘的に見せるために長命な天皇を創作するのであれば旧約聖書創世記に出てくるアダムのような飛び抜けた長命(930歳まで生きたとされる)にしてもよいのに、二分の一、四分の一に割って不自然な寿命になる天皇は一人も存在しない事も倍増された事を伺わせる。 また、懿徳天皇までの3代は以降の4代と比べて在位年数が短いことも指摘される[14](詳細は「欠史八代」を参照)。

名称

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和風諡号である「おおやまとひこ-すきとも」のうち、「おおやまとひこ」は後世に付加された美称、「すきとも」は「すきつみ」からの転訛で、その末尾の「み」は神名の末尾に付く「み」と同義と見て、懿徳天皇の原像は「すきつみ(耜友 / 鉏友)」という名のの神であって、これが天皇へ作り変えられたと推測する説がある[2]

古今和歌集序聞書三流抄

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鎌倉時代に編纂された『古今和歌集序聞書三流抄』には、懿徳天皇出雲行幸して、素戔嗚尊と出会うという逸話が残されている[15]

脚注

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  1. 上田正昭 「諡」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。
  2. 1 2 3 4 懿徳天皇(古代氏族) & 2010年.
  3. 兵庫県神社庁. 鷹野神社”. www.hyogo-jinjacho.com. 兵庫県神社庁. 2024年10月24日閲覧。
  4. 『日本書紀(一)』岩波書店 ISBN 9784003000410
  5. 1 2 軽曲峡宮(国史).
  6. 軽曲峡宮(陵墓探訪記<個人サイト>)。
  7. 天皇陵(宮内庁)。
  8. 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)8コマ。
  9. 1 2 3 畝傍山南繊沙渓上陵(国史).
  10. 奈良県教育会 編『大和志料』中巻,養徳社,昭和19. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1143230 (参照 2026-05-15)”. dl.ndl.go.jp. 国立国会図書館. 2026年5月15日閲覧。
  11. 葵大祭(例祭) (jp). 丹後一宮 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)  奥宮 真名井神社(まないじんじゃ). 丹後一宮 元伊勢 籠神社 奥宮 真名井神社. 2024年9月2日閲覧。
  12. 福井県神社庁. 野坂神社”. www.jinja-fukui.jp. 福井県神社庁. 2024年9月2日閲覧。
  13. 山梨県神社庁. 佐久神社”. 山梨県神社庁. 2024年8月30日閲覧。
  14. 上田正昭 「欠史八代」『日本古代史大辞典』 大和書房、2006年。
  15. 片桐 洋一. 片桐 洋一: 古今和歌集序聞書 三流抄--解題と本文〔翻刻〕 | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 古今和歌集序聞書 三流抄--解題と本文〔翻刻〕. 国立国会図書館. 2024年10月24日閲覧。

参考文献

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  • 国史大辞典吉川弘文館 
    • 川副武胤「懿徳天皇」中村一郎「畝傍山南繊沙渓上陵」(懿徳天皇項目内)岡田隆夫「軽曲峡宮」
  • 「懿徳天皇」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。ISBN 9784642014588 

関連項目

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外部リンク

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