先代旧事本紀

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先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。

現在では大同年間(806年810年)以後、延喜書紀講筵904年906年)以前に成立したとみられ、学界での史料としての価値は復権している[1][2][3][4]が、後世の付け足しとみられる序文の聖徳太子蘇我馬子らが著したとの記載から江戸時代国学者である多田義俊伊勢貞丈本居宣長らによって偽書と認識されてきた[5][4]

成立時期[編集]

序文が付け足された時期[編集]

今日の学説において後から付け足されたと考えられている序文には推古28年(620年)に推古天皇の命によって聖徳太子蘇我馬子が著し推古30年(622年)完成したものとある。

時に小治田豊浦宮に御宇し豊御食炊屋姫天皇即位し二十八年歳次庚辰春三月の甲午朔戊戌に、摂政めたまふ上宮厩戸豊聡耳聖徳太子尊命す。大臣蘇我馬子宿祢等、勅を奉りて撰び定む……時に、三十年歳次壬午春二月の朔巳丑是なり — 先代旧事本紀・序文、[6]

このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重されることもあった。しかし、推古朝以後の「古語拾遺」と酷似した箇所があり、古語拾遺[7]が先代旧事本紀[8]を引用したのではなく先代旧事本紀が古語拾遺を引用したと考えられたため、江戸時代に入って偽書ではないかという疑いがかけられるようになる。

又令天富命率齋部諸氏作種種神寶鏡玉矛盾木綿麻等櫛明玉命之孫造御祈玉(古語美保伎玉言祈祷也) — 古語拾遺、[7]
複天留(富)命率齋部諸氏作種々神寶鏡玉矛盾木綿摩(麻)等 複櫛明玉命孫造新玉古語美保代(伎)玉是謂新(祈)諱矣 — 先代旧事本紀、[8]

御巫清直も「先代旧事本紀析疑」にて推古朝以降の記載を指摘している[9]

此連公難波朝御世授 [10]……此連公五本淡海朝御世爲[11]……浄御原朝御世[12] — 先代旧事本紀、[13][14]
謂摂津職初爲京師柏原帝代改職爲国[15]……諾羅朝御世和同五年[16]…… — 先代旧事本紀、[17][18]

今日の学説状況では偽作は後から付け足された序文のみだと概ね考えられている[19][9]

  • 弘仁3年(812年日本紀講筵にて「天皇敕阿禮使習帝王本記及先代舊事」と日本紀私記に記録されている[20]
  • 904年延喜の日本紀講筵においての藤原春海の議論が936年承平の日本紀講筵にて引用されている
  • 904年藤原春海は延喜の日本紀講筵にて日本最初の史書を古事記と唱えている(「師説。以古事記爲始」)と936年承平の日本紀講筵にて矢田部公望により引用されている(延喜の日本紀講筵では公望は補佐役の尚復だった)[21][22]
  • 936年承平の日本紀講筵にて矢田部公望は聖徳太子撰の先代舊事本紀が最古(「而今案。上宮太子所撰先代舊事本紀十卷」)と説いたと日本紀私記・釈日本紀にて記録されている[21][22]
  • 延喜公望私記にて矢田部公望が先代旧事本紀第三の「湯津楓木」を引用してその前の元慶の日本紀講筵(878年)にて惟良高尚が神代紀「湯津杜木」の「杜」は「桂」の誤りではないかと問うて博士がそれを否定した箇所について惟良大夫を支持したと釈日本紀巻8にあるので、延喜の日本紀講筵(904年)の時期に公望は先代旧事本紀を読んでいる[23][24]
  • 先代旧事本紀の序文には完成年推古30年(622年)が明記されている

以上の点から904年延喜の日本紀講筵の際には先代旧事本紀に序文は無く、その間に序文が添えられたと考えられている[19][25][26][27]

問。本朝之史以何書爲始哉。答。師説。以古事記爲始。而今案。上宮太子所撰先代舊事本紀十卷 — 釈日本紀巻1、[21]

本文の成立時期[編集]

本書の実際の成立年代については推古朝以後の『古語拾遺』(807年成立)からの引用があること、延喜の頃矢田部公望が元慶の日本紀講筵における惟良高尚らの議論について先代旧事本紀を引用して意見を述べていること[23]藤原春海による『先代旧事本紀』論が承平(931年~938年)の日本紀講筵私紀に引用されていることから、『先代旧事本紀』は博士・藤原春海による延喜の『日本書紀』講書の際(904年~906年)には存在したと推定され、『先代旧事本紀』の成立は大同年間(806年810年)以後、延喜書紀講筵904年906年)以前と推定されている。

  • また、貞観年間(859年~876年)に編纂された『令集解』に『先代旧事本紀』からの引用があるとして、『先代旧事本紀』の成立時期を807年~859年~876年とみる説がある[9]
  • また『令集解』に引用される、穴太内人(あのうのうちひと)の著『穴記』(弘仁(810年~823年)天長(824~833年)年間に成立か。)に『先代旧事本紀』からの引用があるとして成立時期を807年~833年とみる説がある。ただし、『穴記』の成立年代は弘仁4年以後ということのみが特定できるにとどまるため、推定の根拠としては有効ではないともいわれる[4]

編纂者[編集]

興原敏久

編纂者の有力な候補としては、平安時代初期の明法博士である興原敏久(おきはらのみにく)が挙げられる。これは江戸時代の国学者・御巫清直(みかんなぎきよなお、文化9年(1812年) - 1894年(明治27年))の説で、興原敏久は物部氏系の人物(元の名は物部興久)であり、彼の活躍の時期は『先代旧事本紀』の成立期と重なっている[28]

編纂者については、興原敏久説の他に、石上神宮の神官説、石上宅嗣説、矢田部公望説などがある。

物部氏

佐伯有清は「著者は未詳であるが、「天孫本紀」には尾張氏および物部氏の系譜を詳細に記し、またほかにも物部氏関係の事績が多くみられるので、本書の著者は物部氏の一族か。」とする[29]

矢田部公望

御巫清直は序文は矢田部公望が904~936年に作ったものとする[30]安本美典は『先代旧事本紀』の本文は興原敏久が『日本書紀』の推古天皇の条に記された史書史料の残存したものに、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』などの文章、物部氏系の史料なども加えて整え、その後、矢田部公望が「序」文と『先代旧事本紀』という題名を与え、矢田部氏関係の情報などを加えて現在の『先代旧事本紀』が成立したと推定している。

評価[編集]

序文に書かれた本書成立に関する記述に疑いが持たれることから、江戸時代に今井有順、徳川光圀、多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らに偽書の疑いがかけられていたが、近年の研究により後世付け足された序文以外の価値は再評価されている[1][2][3]。鎌田純一は「しかしその一方で新井白石はこれを信頼しているし、その後の水戸藩でも栗田寛などは「国造本紀」、あるいは物部氏の伝記といったところを非常に重視しています……ですから完全に偽書扱いされてしまうのは、江戸時代というよりも、むしろ明治からあとのことでしょう[19]」と述べている。

偽書説[編集]

  • 今井有順:「推古朝以後の記述が見られる」[31]
  • 徳川光圀:「聖徳太子の撰といいながら、天皇諡号を記している。天皇諡号は淡海三船が撰したものである。……応仁の乱以後に卜部氏が勝手に作った偽書」[19][32]
  • 多田義俊は『旧事記偽書明証考』(1731年)で偽書説を主張。
  • 伊勢貞丈は『旧事本紀剥偽』(1778年)を著し、「舊事本紀(先代旧事本紀)は往古の偽書なり」と記している[33]
  • 本居宣長は『古事記伝』巻一において、「"舊事本紀と名づけたる、十巻の書あり、此は後ノ人の偽り輯(アツ)めたる物にして、さらにかの聖徳太子命(シャウトクノミコノミコト)ノ撰び給し、眞(マコト)の紀(フミ)には非ず"……"但し三の巻の内、饒速日命の天より降り坐ス時の事と、五の巻尾張連物部連の世次と、十の巻の國造本紀と云フ物と、是等は何ノ書にも見えず、新に造れる説とも見えざれば、他に古書ありて、取れる物なるべし、"こうした記事は古い文書の記事を採用して書き綴った記録であり、後世にほしいままに造作した捏造の物語ではない。本居宣長はこう推定している」[4]
  • 栗田寛『国造本紀考』(文久元年、1861年)のなかで徳川光圀が「後人の贋書」とし、信用できないと述べたと記録している。[要出典]

ノンフィクションライター藤原明の偽書説[編集]

藤原明(ノンフィクションライター)は『旧事紀』は聖徳太子勅撰として、承平6年(936年)日本紀講(『日本書紀』講)の席で矢田部公望によって突如持ち出された書物であり、その後、本書は『日本書紀』の原典ともいうべき地位を獲得したが、矢田部公望が物部氏の権威付けのために創作した書物である可能性が高く(矢田部公望は物部氏であり、当時の朝廷内では、対立する氏族との権力争いがあったと指摘している)、実際に創作したのは別の人物の可能性もあるが、物部氏か矢田部公望に近い筋の者であろうと推定して、本書は偽書であるとしている[34]

研究者による再評価[編集]

御巫清直は著書「先代旧事本紀析疑」にて「序文が悪いのであり、それを除けばどこにも偽作と見なすべき理由はない」と見なし、1947年飯田季治は「標注先代旧事本紀」の解題で偽書説を批判し、1958年G.W.ロビンソンは「旧事本紀攷」[35]にて「『日本書紀』が部分的には『先代旧事本紀』を材料にしたとする説」を著した[2][36]。 1962年鎌田純一の先代旧事本紀の研究 研究の部[27]・校本の部[37]は「研究対象としての『先代旧事本紀』の復権は、鎌田の著作なしにはあり得ないことであった」と評価されている[38]。鎌田純一は、先に成立していた本文部分に後から序文が付け足されたために、あたかも本書が成立を偽っているような体裁になったとして、本文は偽書ではないと論じた。鎌田は序文に関して、奈良・平安初期の他の文献の序文と比べると文法が稚拙であること、延喜4年(904年)の日本紀講筵の際に『古事記』と『先代旧事本紀』はどちらが古いかという話題が出ていること(当時すでに序文が存在していたならそもそもそのような問いは成立しない)、鎌倉時代中期の『神皇系図』という書物の名を記していることを指摘し、序文の成立年代を鎌倉時代以降とした。すなわち、9世紀頃に作られた本来の『先代旧事本紀』には製作者や製作時期などを偽る要素は無かったということである[27]。2001年の上田正昭との対談では、序文が付け加えられたのは「古代末期か中世初期」と述べている[39]

資料価値[編集]

本文の内容は『古事記』・『日本書紀』・『古語拾遺』の文章を適宜継ぎ接ぎしたものが大部分であるが、それらにはない独自の伝承や神名も見られる。また、物部氏の祖神である饒速日尊(にぎはやひのみこと)に関する独自の記述が特に多く、現存しない物部文献からの引用ではないかと考える意見もある。

巻三の「天神本紀(てんじんほんぎ)」の一部、巻五の「天孫本紀(てんそんほんぎ)」の尾張氏、物部氏の伝承(饒速日尊に関する伝承等)と巻十の「国造本紀(こくぞうほんぎ)」には、他の文献に存在しない独自の所伝がみられる。 「天孫本紀」には現存しない物部文献からの引用があるとする意見もあり、国造関係史料としての「国造本紀」と共に資料的価値があるとする意見もある。

  • 青木和夫は巻五の「天孫本紀」は尾張氏,物部氏の古来の伝承であり、巻十の「国造本紀」も古い資料によっているとする。[40]
  • 新野直吉は「国造本紀」について「畿内大倭から多鳥(たね)までの大化前代の地方官豪族である国造(くにのみやつこ)名を掲げ、その系譜と任命設置時を示している。後世の国造である律令国造の名や国司名も混入しているが、他に例のないまとまった国造関係史料なので、独自の価値を持ち古代史研究の史料となっている。」とする[41]
  • 佐伯有清は『鎌田純一著『先代旧事本紀の研究』全二巻(1960、62・吉川弘文館)』を参考文献にあげて「天孫本紀」「国造本紀」は史料として重要とする[42]
  • 上田正昭は「私もまたおりあるごとに『先代旧事本紀』はたんなる「偽書」ではなく、貴重な古典である所以について言及してきた」[43]、『先代旧事本紀』には注目すべき内容が多々あると述べている[44]
  • 鎌田純一は今も宮中で大嘗祭新嘗祭前日に行われる鎮魂祭での御玉緒糸結びの儀、宇気槽を衝く儀、御衣振動の儀において先代旧事本紀に記されている十種神宝に関する唱え言葉を唱えることからも重要な資料であると記している[45]。饒速日尊の降臨した「河内国河上哮峯」伝承地は、住吉大社の社伝「住吉大社神代記」の「膽駒神南備本紀」にて神南備である生駒山の北限を饒速日山と記載してあることから、大阪府交野市磐船神社近辺と推定している[46][47]
  • 渡邉卓は「平安時代には既に成立していたことは間違いない……偽書説を経ることにより、かえって本文に残された古伝の価値が指摘されたのであった」と評価している[2]
  • 心理学者の安本美典は物部氏の伝承や国造関係の情報は貴重であり、推古朝遺文(推古天皇の時代に書かれたとされる文章)のような古い文字の使い方があり相当古い資料も含まれている可能性があるとする[48][49]大和岩雄の饒速日尊の降臨した「河内国河上哮峯」伝承地について、河内国交野郡は交野物部の本貫地であること、「天神本紀」の天物部二十五部・肩野物部の肩野は交野であること、饒速日尊の六世孫・伊香色雄命の子・多弁宿禰が交野連の祖先と記載されていること、饒速日尊の十三世孫・物部の目の大連の子の物部臣竹連公が交野の連らの祖先であるとも記載されていることから哮峯は河内国讃良郡西田原・磐船山(饒速日山)説等から1713年貝原益軒 『南遊紀行』、1789年平沢元愷「漫遊文草」、1801年秋里籬島河内名所図会にも書かれた北河内磐船説が南河内説よりも有利との推定[50]を支持している[51]
  • 法学者蓮沼啓介[52][53][54]も資料価値を認めている[4]

影響[編集]

本書は序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したものとあるため、中世の神道家などに尊重された。

鎌倉時代の僧・慈遍は、『先代旧事本紀』を神道の思想の中心と考えて注釈書『舊事本紀玄義』を著し、度会神道に影響を与えた。

室町時代吉田兼倶が創始した吉田神道でも『先代旧事本紀』を重視し、記紀および『先代旧事本紀』を「三部の本書」としている。

先代旧事本紀大成経』(延宝版(潮音本、七十二巻本))、およびその異本である『鷦鷯(ささき、さざき)伝本先代旧事本紀大成経(大成経鷦鷯伝)』(三十一巻本、寛文10年(1670年)刊)、『白河本旧事紀』(伯家伝、三十巻本)などはすべて『先代旧事本紀』を基にして江戸時代に創作されたと言われ、後に多数現れる偽書群「古史古伝」の成立にも影響を与えた。

構成[編集]

神皇系図 1巻[編集]

現在、欠けて伝わらない。

第1巻「神代本紀」「神代系紀」「陰陽本紀」[編集]

天地開闢イザナギ神話。

第2巻「神祇本紀」[編集]

ウケイ神話スサノオ追放。

第3巻「天神本紀」[編集]

ニギハヤヒ神話、出雲の国譲り

第4巻「地祇本紀(一云、地神本紀)」[編集]

出雲神話

第5巻「天孫本紀(一云、皇孫本紀)」[編集]

物部氏尾張氏の系譜。

第6巻「皇孫本紀(一云、天孫本紀)」[編集]

日向三代神武東征

第7巻「天皇本紀」[編集]

神武天皇から神功皇后まで。

第8巻「神皇本紀」[編集]

応神天皇から武烈天皇まで。

第9巻「帝皇本紀」[編集]

継体天皇から推古天皇まで。

第10巻「国造本紀」[編集]

国造家135氏の祖先伝承。

刊行本[編集]

  • 『旧事紀』溝口駒造 改造文庫 1943年
  • 『舊事紀訓解』上・下 三重貞亮著 明世堂 1944年
  • 『標註 舊事紀校本』 飯田季治校訂 瑞穂出版 1947年
  • 『先代舊事本紀の研究』 <校本の部>・<研究の部> 鎌田純一著 吉川弘文館 1960年
  • 『先代舊事本紀 訓註』 大野七三編著 意富之舎、新人物往来社 1989年 ISBN 4404016115
  • 『先代旧事本紀 訓註』 大野七三校訂編集 批評社 2001年 ISBN 4826503253

脚注[編集]

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  1. ^ a b 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房2004年 
  2. ^ a b c d [|渡邉卓]「『先代旧事本紀』の偽書説の歴史」、『歴史読本2008年12月号』、新人物往来社、2008年12月、 79頁。
  3. ^ a b [|伊藤剣]、[|工藤浩]、[|松本弘毅]、[|渡邉卓]「『先代旧事本紀』研究史[書目解説]」、『歴史読本2008年12月号』、新人物往来社、2008年12月、 95頁。
  4. ^ a b c d e [|蓮沼啓介]「天孫本紀の史料価値」、『神戸法學雜誌 / Kobe law journal』第56巻第2号、神戸大学法学部、2006年9月ISSN 04522400NAID 110006183940
  5. ^ 歴史系『偽書』の史的展開
  6. ^ 菅野雅雄「先代旧事本紀(完全訓み下し)前編」、『歴史読本2008年11月号』、新人物往来社、2008年11月
  7. ^ a b 斎部広成他撰. “古語拾遺”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2018年10月17日閲覧。
  8. ^ a b 先代旧事本紀巻七・天皇本紀”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 前川茂右衛門. 2018年10月17日閲覧。
  9. ^ a b c 嵐義人「『先代旧事本紀』の成立・撰者・編纂意図」、『歴史読本2008年11月号』、新人物往来社、2008年11月、 63頁。
  10. ^ 難波朝(孝徳朝)は推古朝の後
  11. ^ 淡海朝(天智朝)は推古朝の後
  12. ^ 浄御原朝(天武朝)は推古朝の後
  13. ^ 先代旧事本紀巻五・天孫本紀”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 前川茂右衛門. 2018年10月17日閲覧。
  14. ^ 先代旧事本紀巻五・天孫本紀”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 前川茂右衛門. 2018年10月17日閲覧。
  15. ^ 柏原帝・桓武天皇
  16. ^ 諾羅朝(元明朝)は推古朝の後
  17. ^ 先代旧事本紀巻十・国造本紀”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 前川茂右衛門. 2018年10月17日閲覧。
  18. ^ 先代旧事本紀巻十・国造本紀”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 前川茂右衛門. 2018年10月17日閲覧。
  19. ^ a b c d 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房、2004年、70-77頁。 
  20. ^ 栗田寛(写). “日本書紀私記”. 早稲田大学図書館. pp. 4-5. 2018年10月17日閲覧。
  21. ^ a b c 経済雑誌社編. “国史大系第7巻「釈日本紀巻1」”. 国立国会図書館デジタルコレクション. pp. 522-523. 2018年10月17日閲覧。
  22. ^ a b [|津田博幸] 『祭儀と言説-生成の<現場>へ』 森話社、1999年12月、104-105頁。ISBN 4-7952-9076-8 
  23. ^ a b [|津田博幸] 『祭儀と言説-生成の<現場>へ』 森話社、1999年12月、107-108頁。ISBN 4-7952-9076-8 
  24. ^ 経済雑誌社編. “国史大系第7巻「釈日本紀巻8」”. 国立国会図書館デジタルコレクション. pp. 619. 2018年10月17日閲覧。
  25. ^ [|古相正美]「「序」の真偽 聖徳太子撰録の謎」、『歴史読本2008年11月号』、新人物往来社、2008年11月、 68頁。津田博幸の詳述の紹介。
  26. ^ [|津田博幸] 『祭儀と言説-生成の<現場>へ』 森話社、1999年12月、101-146頁。ISBN 4-7952-9076-8 
  27. ^ a b c 鎌田純一 『先代旧事本紀の研究 研究の部』 吉川弘文館、1962年 
  28. ^ 御巫清直は『先代旧事本紀』の本文は良しとするが、序文は矢田部公望が904~936年に作ったものとする。また、選者は興原敏久であろうと述べている。(御巫清直『先代旧事本記折疑』、『神道大系 古典編8 先代旧事本紀』(神道大系編纂会 1980年)所収、『奇書「先代旧事本紀」の謎をさぐる』(批評社 2007年)所収 現代語訳有)
  29. ^ 『日本大百科全書』小学館
  30. ^ 御巫清直『先代旧事本記折疑』、『神道大系 古典編8 先代旧事本紀』(神道大系編纂会 1980年)所収
  31. ^ 松本弘毅「先代旧事本紀の人代巻」、『国文学研究』第152号、2007年6月、 11-21頁。
  32. ^ 徳川光圀は「後人の贋書」とし、信用できないとする(栗田寛『国造本紀考』)
  33. ^ [1]
  34. ^ 藤原明『日本の偽書』 文藝春秋 2004年)
  35. ^ G.W., ロビンソン、岡田英弘「旧事本紀攷:日本書紀の草稿と思はれる同書巻七・八・九について」、『東洋学報』第41巻第1号、東洋文庫、1958年6月NAID AN00169858
  36. ^ [|松本弘毅]「御巫清直『先代旧事本紀析疑』」、『歴史読本2008年12月号』、新人物往来社、2008年12月、 90頁。
  37. ^ 鎌田純一 『先代旧事本紀の研究 校本の部』 吉川弘文館、1960年 
  38. ^ [|工藤浩]「鎌田純一『先代旧事本紀の研究』」、『歴史読本2008年12月号』、新人物往来社、2008年12月、 95頁。
  39. ^ 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房、2004年、77頁。 
  40. ^ 世界大百科事典 第2版
  41. ^ 『世界大百科事典第二版』平凡社
  42. ^ 日本大百科全書』小学館
  43. ^ 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房、2004年、2頁。 
  44. ^ 徳島県埋蔵文化財センターにおける講演
  45. ^ 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房、2004年、122頁。 
  46. ^ 大和岩雄 『日本の神々-神社と聖地第三巻 摂津・河内・和泉・淡路』 白水社、1984年、199頁。 
  47. ^ 上田正昭; 鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』 大和書房、2004年、97頁。 
  48. ^ 安本美典 『古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎』 勉誠出版、2009年5月、16-60頁。 
  49. ^ [2]
  50. ^ 大和岩雄 『日本の神々-神社と聖地第三巻 摂津・河内・和泉・淡路』 白水社、1984年、196-197頁。 
  51. ^ 安本美典 『古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎』 勉誠出版、2009年5月、146-153頁。 
  52. ^ 蓮沼 啓介 - 研究者 - researchmap
  53. ^ 蓮沼啓介 - 神戸大学大学院法学研究科・法学部
  54. ^ 教員紹介・非常勤教員 | 日本大学大学院法務研究科

参考文献[編集]

  • 安本美典 『古代物部氏と『先代旧事本紀』の謎―大和王朝以前に、饒速日の尊王朝があった』勉誠出版、2003年 ISBN 4585051244
  • 藤原明 『日本の偽書』文藝春秋、2004年 ISBN 4166603795
  • 上田正昭、鎌田純一 『日本の神々―『先代旧事本紀』の復権』大和書房、2004年 ISBN 447984063X
  • 蓮沼啓介「天孫本紀の史料価値」神戸大学法学雑誌 2006年。
  • 安本美典編『奇書「先代旧事本紀」の謎をさぐる』批評社、2007年 ISBN 4826504667
  • 『歴史読本』 2008年 11月号、12月号 新人物往来社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]