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延喜式

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
延喜式
九条家本延喜式巻第2
九条家本(国宝)
国・地域 日本の旗 日本
形式 式
日付 延長5年12月26日(928年1月21日)
効力 廃止
主な内容 律令の施行細則、延喜式神名帳
関連法令 延喜格
貞観式
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延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式の式(律令の施行細則)をまとめた法典。三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、細目まで規定されているため、日本古代史の研究のうえで重視されている[1]。

成立

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延喜5年(905年)8月[2]、醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は藤原忠平が編纂に当たった[1]。『弘仁式』『貞観式』とその後の式を取捨編集し、延長5年(927年)に完成した[3]。その後改訂を重ね、康保4年(967年)より施行された[4]。

編纂者

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『国史大系』第13巻「延喜式序」による。特記なき場合、延喜5年(905年)8月から参加。「<上表>」は上表文に署名したことを示す。

  • 藤原時平(延喜9年(909年)薨去)
  • 藤原定国(延喜6年(906年)薨去)
  • 藤原有穂(延喜7年(907年)薨去)
  • 平惟範(延喜9年(909年)薨去)
  • 紀長谷雄(延喜12年(912年)薨去)
  • 藤原菅根(延喜8年(908年)卒去)
  • 三善清行(延喜18年(918年)卒去)
  • 大蔵善行
  • 藤原道明(延喜20年(920年)卒去)
  • 大中臣安則(延喜5年(905年)8月から参加。延長3年(925年)再任)<上表>
  • 三統理平(延長4年(926年)卒去)
  • 惟宗善経
  • 藤原忠平(延喜12年(912年)2月から参加)<上表>
  • 橘澄清(延喜12年(912年)2月から参加。延長3年(925年)薨去)
  • 藤原清貫(延長3年(925年)2月から参加)<上表>
  • 伴久永(延長3年(925年)2月から参加)<上表>
  • 阿刀忠行(延長3年(925年)2月から参加)<上表>

内容

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全50巻、約3300条からなる。律令官制に従い、以下のような構成。

上表・序・目録

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  • 上延喜式表
  • 延喜式序
  • 延喜式目録

巻第1 - 10:神祇

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金剛寺に伝わる「延喜式神名帳」(金剛寺蔵、国宝)

神祇官関係の式。この部分を神祇式という。神祇式は、四時祭、臨時祭、伊勢神宮、斎宮、斎院、践祚、大嘗祭などを規定の対象としている。斎宮式(巻第5)では、斎王制度が規定されるが、これは神祇令では全く触れられていなかった[5]。

巻第9・10は通称延喜式神名帳であり、神社の一覧表となっていて、祈年祭で奉幣を受ける2861社の神社を指定している。神名帳に記載があるのは当時朝廷から重要視された神社であり、一般に式内社と言って社格の一つとされたが、現在では消滅したり不明となっている神社も多い[6]。この神名帳による全国の官社のランク付けは、「地域勢力の上昇志向を強め、それを都への求心性に転化させて行く政治改革」だったと考えられる[7]。加えて、国司を介した祈年祭の運営[8]が神祇式に組み込まれたことにより、天皇が国衙を媒介として全国の主要な神社を統轄する制度が法制化されている[9]。

榎村寛之は、神祇式を神祇令という「体系性を持ってない不完全な法」[10]、「理念的な統治法」[11]から「天皇の祭祀における法的責任」を示した「実効性のある行政法」への転換であるとする[11]。

巻第1 四時祭
巻第2
巻第3 臨時祭
巻第4 伊勢太神宮
巻第5 斎宮寮
巻第6 斎院司
巻第7 踐祚・大嘗祭
巻第8 祝詞
巻第9 神名(通称:神名帳)
巻第10

巻第11 - 40:その他官司

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その他官司関係の式。巻第21(諸陵寮)には諸陵式が含まれる。巻第22(民部省)には「凡諸国部内郡里等名 並用二字 必取嘉名」とあり、全国の地名が変更された。巻第24(主計寮)には、全国への庸、調、中男作物の割り当て等が書かれており、当時の全国の農産物、漁獲物、特産物を伝える。巻第28(兵部省)には諸国駅伝馬条が含まれ、五畿七道の402ヶ所の駅家の名称と備えるべき駅馬の数が記載されている[12]。

巻11太政官 太政官
巻第12中務省 中務省・内記・監物・主鈴・典鑰
巻第13 中宮職・大舎人寮・図書寮
巻第14 縫殿寮
巻第15 内蔵寮
巻第16 陰陽寮
巻第17 内匠寮
巻第18式部省 式部省上
巻第19 式部省下
巻第20 大学寮
巻第21治部省 治部省・雅楽寮・玄蕃寮・諸陵寮
巻第22民部省 民部省上
巻第23 民部省下
巻第24 主計寮上
巻第25 主計寮下
巻第26 主税寮上
巻第27 主税寮下
巻第28兵部省 兵部省・隼人司
巻第29刑部省 刑部省・判事・囚獄司
巻第30大蔵省 大蔵省・織部司
巻第31宮内省 宮内省
巻第32 大膳職上
巻第33 大膳職下
巻第34 木工寮
巻第35 大炊寮
巻第36 主殿寮
巻第37 典薬寮
巻第38 掃部寮
巻第39 正親司・内膳司
巻第40 造酒司・采女司・主水司
巻第41弾正台 弾正台
巻第42京職 左右京職・東西市司
巻第43春宮坊 春宮坊・主膳監・主殿署
巻第44勘解由使 勘解由使
巻第45兵衛 左右近衛府
巻第46 左右衛門府
巻第47 左右兵衛府
巻第48馬寮 左右馬寮
巻第49兵庫寮 左右兵庫寮

巻第50:雑式

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巻第50 雑式

「国史大系」, 国立国会図書館を基に作成

歴運記

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「歴運記」(れきうんき)または「公卿記」(くぎょうき)[13]は流布本『延喜式』巻首に付いている文書であるが、「国史大系」では本文から除き附録として収録されている[14]。「歴運記」には「起神武天皇元年至今上弘仁二年歴一二千四百七十一年」とあり、また弘仁2年(811年)を今年と呼んでいるため、弘仁2年に書かれたものである[15]。議政官の沿革が書かれているが、議政官ごとの任官者数はどれも弘仁2年時点より明らかに少なく[16]、虎尾達哉は天平宝字元年(757年)12月時点の数字であると想定している[17]。

写本

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金剛寺に伝わる「延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉」(金剛寺蔵、国宝)

『延喜式』原本は現存せず[18]、室町・戦国期の古写本もほとんど散逸した。最古の写本には九条家伝来品の東京国立博物館所蔵本や、大阪府河内長野市天野町の金剛寺所蔵の三巻(巻第十二残巻、巻十四、巻十六、平安時代、大治2年(1127年))がある[18]。

九条家本
東京国立博物館所蔵。27巻だが、巻第7が重複する。加えて、南北朝時代書写の「京程並京宮城内裏諸図」がある。康保3年(966年)から承保元年(1074年)までの紙背文書が189通あり、その中には、寛弘元年讃岐国戸籍、上野国交替実録帳、康保3年清胤王書状が含まれる。1981年6月9日国宝。「京程並京宮城内裏諸図」は附指定[19][20]。

脚注

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  1. 1 2 「延喜式」『山川 日本史小辞典 改訂新版』山川出版社。コトバンクより2024年11月17日閲覧。
  2. ↑ 小倉, 慈司. “1.『延喜式』とは”. 国文学研究資料館. p. 3. 2024年11月17日閲覧。
  3. ↑ 日本史用語研究会『必携日本史用語』(四訂版)実教出版、2009年2月2日。ISBN 978-440731659-9。
  4. ↑ 「延喜式」『デジタル大辞泉』小学館。コトバンクより2024年11月17日閲覧。
  5. ↑ 榎村 2009, pp. 68, 70.
  6. ↑ 『式内社』 - コトバンク
  7. ↑ 榎村 2009, pp. 71.
  8. ↑ 巻第1 四時祭上, 「国司祭祈年神」
  9. ↑ 榎村 2009, pp. 72.
  10. ↑ 榎村 2009, pp. 63.
  11. 1 2 榎村 2009, pp. 73.
  12. ↑ 武部健一 2015, p. 46.
  13. ↑ 「歴運記」:"今名公卿記"
  14. ↑ 「国史大系」第13巻 凡例
  15. ↑ 虎尾 p. 67
  16. ↑ 虎尾 pp. 67-68
  17. ↑ 虎尾 p. 79
  18. 1 2 “文化財”. 金剛寺. 2024年11月17日閲覧。
  19. ↑ 国指定文化財等データベース
  20. ↑ “延喜式”. 東京国立博物館. コレクション名品ギャラリー. 東京国立博物館. 2020年8月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月17日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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