皇位継承順位

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皇位継承順位(こういけいしょうじゅんい)とは、日本の皇室において、皇室典範に定められた皇位継承順序に基づく各皇族皇位の継承順位。

概要[編集]

1889年明治22年)に(旧)皇室典範が定められるまで、皇位継承やその順序に関する明文のルールはなく、その時代により変化はあるものの皇統に属する男系・父系で皇族(皇親)の身分を有する者が皇位を継承してきた。

1947年昭和22年)に施行された現行皇室典範では、皇位継承に関してもおおむね旧典範を踏襲したものの、旧典範が庶子にも皇族資格、皇位継承資格を認めていたのに対して、現行典範はいずれも嫡出子一夫一婦制での正妻の子)のみに限定した点が異なる。なお、現行皇室典範施行時にいた庶子の皇族は嫡出子とみなされた。

10宮家26名の旧皇族男子が皇籍離脱した1947年(昭和22年)10月14日以降、皇位継承資格を有する者が最も多かった時期は1965年(昭和40年)11月30日に礼宮文仁親王が誕生してから1987年(昭和62年)2月3日に高松宮宣仁親王が薨去するまでの9名であり、最も少ない時期は2019年(令和元年)5月1日に第126代今上天皇(徳仁)が即位してから現在の3名である(「#現在の皇位継承順位」参照)。

2019年令和元年)5月1日の第126代今上天皇(徳仁)の即位以降、皇位継承資格を有する者は3名である。皇位継承資格を有する者のうち、最年少は天皇の皇甥である第2位の悠仁親王(13歳)で、最年長は天皇の皇叔父である第3位の常陸宮正仁親王(84歳)。なお明仁上皇、第125代天皇)は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法の規定により、皇位継承資格を有しない。

日本国憲法および皇室典範における皇位継承順序[編集]

現在の日本国憲法および皇室典範では、皇位継承およびその順序について、次のように規定されている。

日本国憲法
  • 第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
皇室典範
  • 第1条 皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。
  • 第2条 皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。
一 皇長子
二 皇長孫
三 その他の皇長子の子孫
四 皇次子及びその子孫
五 その他の皇子孫
六 皇兄弟及びその子孫
七 皇伯叔父及びその子孫
  • 2 前項各号の皇族がないときは、皇位は、それ以上で、最近親の系統の皇族に、これを伝える。
  • 3 前二項の場合においては、長系を先にし、同等内では、長を先にする。
  • 第3条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。

皇位継承順位例[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
-
 
第7位
(天皇の叔父)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇
 
第6位
(天皇の弟)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第1位
(天皇の長男)
(皇太子)
 
 
 
 
 
第4位
(天皇の次男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
第2位
(皇太子の長男)
 
第3位
(皇太子の次男)
 
第5位
(天皇の次男の長男)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

現在の皇位継承順位[編集]

日本の皇位継承順位令和元年(2019年5月1日 -
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/現年齢 今上天皇から見た続柄 摂政就任順位
 
第1位 Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (cropped).jpg 秋篠宮文仁親王 あきしののみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
54歳 親等2/弟 / 上皇明仁第2皇男子 第1位
第2位 Hisahito of Akishino CROPPED.jpg 悠仁親王 ひさひと 男性 2006年09月06日
(平成18年)
13歳 親等3/甥 / 秋篠宮文仁親王第1男子
第3位 Prince Masahito cropped 2 Prince Masahito Prince Albert II Princess Hanako and Yukiya Amano 20100713.jpg 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
84歳 親等3/叔父 / 昭和天皇第2皇男子 第2位

系図[編集]

  • 数字は皇位継承順位:2019年(令和元年)5月1日-現在


 
 
 
 
 
今上天皇
 
現在の皇族男子
 
崩御退位した天皇
/薨去した皇族男子
 
昭和天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上皇
(明仁)
 
常陸宮正仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今上天皇
(徳仁)
 
秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇位継承順位
2019年(令和元年)5月1日 -
天皇との続柄 親王
○内は順位、()内は年齢。
皇長子 - -
皇長孫 - -
その他の皇長子の子孫 - -
皇次子及びその子孫 - -
その他の皇子孫 - -
皇兄弟及びその子孫 秋篠宮文仁親王(54) Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (cropped).jpg
悠仁親王(13) Hisahito of Akishino CROPPED.jpg
伯叔父及びその子孫 常陸宮正仁親王(84) Prince Masahito cropped 2 Prince Masahito Prince Albert II Princess Hanako and Yukiya Amano 20100713.jpg
他皇統皇族 - -

皇室会議[編集]

皇室会議(こうしつかいぎ)は、日本皇室に関する重要な事項を合議する国の機関である。

皇室典範第28条以下に定められる。皇位継承順位の変更(同第3条)は、出席議員の3分の2以上の多数で決する。

議員[編集]

皇室会議は皇室典範第28条第1項・第2項に基づき、議員10名で組織される。

現在の議員は、以下の通り。

皇室会議議員
氏名 身分 生年月日(年齢)
Prince and Princess Akishino during their visit to México City (2014) (cropped).jpg 皇嗣文仁親王 皇族 (1965-11-30) 1965年11月30日(54歳)
Princess Hitachi 2012-1-2.jpg 正仁親王妃華子 皇族 (1940-07-19) 1940年7月19日(80歳)
Tadamori Ōshima 2018 (cropped).jpg 大島理森 衆議院議長 (1946-09-06) 1946年9月6日(73歳)
Hirotaka Akamatsu.jpg 赤松広隆 衆議院副議長 (1948-05-03) 1948年5月3日(72歳)
Akiko Santō (cropped).jpg 山東昭子 参議院議長 (1942-05-11) 1942年5月11日(78歳)
Toshio Ogawa 201101.jpg 小川敏夫 参議院副議長 (1948-03-18) 1948年3月18日(72歳)
Shinzō Abe Official.jpg 安倍晋三 内閣総理大臣 (1954-09-21) 1954年9月21日(65歳) 議長
Replace this image JA.svg 西村泰彦 宮内庁長官 (1955-06-29) 1955年6月29日(65歳)
Replace this image JA.svg 大谷直人 最高裁判所長官 (1952-06-23) 1952年6月23日(68歳)
Replace this image JA.svg 池上政幸 最高裁判所判事 (1951-08-29) 1951年8月29日(68歳)

旧皇室典範:1889年(明治22)-1947年(昭和22)における皇位継承順位[編集]

(旧)皇室典範において、皇位は「祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」(旧典範第1条)と明文化され、その順序は、直系長系長子優先とし、同等間(例えば兄弟間など)では嫡庶長幼の順となっていた(同第2条から第8条までの各条文を参照)。

例えば、伏見宮貞愛親王(1858-1923)には山階宮晃親王(1816-1898)をはじめ10人以上の実兄がいたが、その大半が庶子であり、嫡出の兄2人も早世していたため、嫡出子の貞愛親王が兄弟間で最上位の継承順位を有した。なお、庶子の兄弟間では実母の出自身分の差に関係なく長幼の順となっていた。

また、庶子孫一夫多妻制側室の子)も嫡出子孫が不在の場合には継承できた(実際に、大正天皇の生母である柳原愛子は側室であった)。

皇位継承順位
  • 皇統の男系男子(父系男子)。
  • 皇長子優先
  • 皇長子が不在の時は、皇長孫。
  • 皇長子及びその子孫も不在の場合は、皇次子及びその子孫。
  • 皇子孫が不在の場合は、皇兄弟及びその子孫。
  • 皇兄弟及びその子孫が不在の場合は、皇伯叔父及びその子孫。
  • 皇伯叔父及びその子孫が不在の場合は、それ以上で最近親の皇族。
  • 嫡出子孫優先
  • 皇庶子孫が継承可能なのは、皇嫡子孫が不在の場合。
  • 兄弟間も嫡出子優先・長子優先。
  • 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故がある場合は、皇族会議及び枢密顧問の意見を参考に前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変更することが可能。
旧皇室典範時の皇位継承
回目 継承 践祚日 天皇との続柄
1 明治天皇大正天皇(皇太子嘉仁親王) 1912年7月30日
(明治45年/大正元年)
皇庶長子(第三皇男子であるが、兄2人は早くに薨去)
2 大正天皇→昭和天皇(摂政宮・皇太子裕仁親王) 1926年12月25日
(大正15年/昭和元年)
皇長子

皇位継承順位の推移(旧皇室典範制定以降)[編集]

  • 出生順。横列は上段が西暦年、下段が和暦年。
  • 旧皇族有栖川宮家含む)は省略。
  • 皇族名の太字は、実際に皇位継承(天皇即位)をした人物。
  • 順位の太字の1は皇太子[2](皇室典範3条、旧皇室典範9条の規定の適用の他に皇位継承順位が2位以下に下がる可能性がない法定推定相続人)。
  • 順位の水色背景は、皇太子[2]・皇長孫(天皇・皇太子より長生きすれば将来的に確実に天皇に即位する人物)。
19世紀
(1801-1900)
20世紀
(1901-2000)
21世紀
(2001-2100)
'89 '93 '94 '01 '02 '05 '12 '15 '26 '33 '35 '46 '48 '53 '54 '60 '65 '87 '89 '02 '06 '12 '14 '16 '19
明治 大正 昭和 平成 令和
皇族名 22 26 27 34 35 38 4 8 10 21 23 28 29 35 40 62 64 14 18 24 26 28
嘉仁親王 1 1 1 1 1 1
輝仁親王 2
裕仁親王 2 2 2 1 1
秩父宮雍仁親王 3 3 2 2 1 2 3 3 3
高松宮宣仁親王 4 3 3 2 3 4 4 4 3 3 4 5
三笠宮崇仁親王 4 3 4 5 5 5 4 4 5 6 5 4 4 5 5 5
明仁親王 1 1 1 1 1 1 1 1 1
常陸宮正仁親王 2 2 2 2 2 3 4 4 3 3 4 4 4 4 3
寛仁親王 6 6 5 5 6 7 6 5 5 6
桂宮宜仁親王 7 6 6 7 8 7 6 6 7 6
高円宮憲仁親王 7 8 9 8 7
徳仁親王 2 2 2 1 1 1 1 1 1
秋篠宮文仁親王 3 3 2 2 2 2 2 2 1
悠仁親王 3 3 3 3 2

過去の皇位継承順位:1947年(昭和22)以後[編集]

  • 称号は、いずれも当時のもの。

旧皇室典範時:旧皇族(11宮家51名)の皇籍離脱前:1947年(昭和22)10月13日時点[編集]

皇男子および直宮家の6名(第1位から第6位まで)[編集]

11宮家の26名(第7位から第32位まで)[編集]

[4] [5] [6] [7] [8]

順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 続柄
 
第1位 継宮明仁親王
(皇太子明仁親王)
つぐのみや あきひと 男性 1933年12月23日
(昭和08年)
13歳 親等1/昭和天皇第1皇男子
第2位 義宮正仁親王 よしのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
11歳 親等1/昭和天皇第2皇男子
第3位 秩父宮雍仁親王 ちちぶのみや やすひと 男性 1902年06月25日
(明治35年)
45歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第2皇男子
第4位 高松宮宣仁親王 たかまつのみや のぶひと 男性 1905年01月03日
(明治38年)
42歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第3皇男子
第5位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月02日
(大正04年)
31歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第4皇男子
第6位 寬仁親王 ともひと 男性 1946年01月05日
(昭和21年)
1歳 親等3/ / 三笠宮崇仁親王第1男子
第7位 伏見宮博明王 ふしみのみや ひろあき 男性 1932年01月26日
(昭和07年)
15歳 博義王第1男子
第8位 山階宮武彦王 やましなのみや たけひこ 男性 1898年02月13日
(明治31年)
49歳 山階宮菊麿王第1男子
第9位 賀陽宮恒憲王 かやのみや つねのり 男性 1900年01月27日
(明治33年)
47歳 賀陽宮邦憲王第1男子
第10位 邦寿王 くになが 男性 1922年04月21日
(大正11年)
25歳 賀陽宮恒憲王第1男子
第11位 治憲王 はるのり 男性 1926年07月03日
(大正15年)
21歳 賀陽宮恒憲王第2男子
第12位 章憲王 あきのり 男性 1929年08月17日
(昭和04年)
18歳 賀陽宮恒憲王第3男子
第13位 文憲王 ふみのり 男性 1931年07月12日
(昭和06年)
16歳 賀陽宮恒憲王第4男子
第14位 宗憲王 むねのり 男性 1935年11月24日
(昭和10年)
11歳 賀陽宮恒憲王第5男子
第15位 健憲王 たけのり 男性 1942年08月05日
(昭和17年)
5歳 賀陽宮恒憲王第6男子
第16位 久邇宮朝融王 くにのみや あさあきら 男性 1901年02月02日
(明治34年)
46歳 久邇宮邦彦王第1男子
第17位 邦昭王 くにあき 男性 1929年03月25日
(昭和04年)
18歳 久邇宮朝融王第1男子
第18位 朝建王 あさたけ 男性 1940年05月11日
(昭和15年)
7歳 久邇宮朝融王第2男子
第19位 朝宏王 あさひろ 男性 1944年10月07日
(昭和19年)
3歳 久邇宮朝融王第3男子
第20位 梨本宮守正王 なしもとのみや もりまさ 男性 1874年03月09日
(明治07年)
73歳 久邇宮朝彦親王第4男子
第21位 朝香宮鳩彦王 あさかのみや やすひこ 男性 1887年10月20日
(明治20年)
59歳 久邇宮朝彦親王第8男子
第22位 孚彦王 たかひこ 男性 1912年10月08日
(大正元年)
35歳 朝香宮鳩彦王第1男子
第23位 誠彦王 ともひこ 男性 1943年08月18日
(昭和18年)
4歳 孚彦王第1男子
第24位 東久邇宮稔彦王 ひがしくにのみや なるひこ 男性 1887年12月03日
(明治20年)
59歳 久邇宮朝彦親王第9男子
第25位 盛厚王 もりひろ 男性 1916年05月06日
(大正05年)
31歳 東久邇宮稔彦王第1男子
第26位 信彦王 のぶひこ 男性 1945年03月10日
(昭和20年)
2歳 盛厚王第1男子
第27位 俊彦王 としひこ 男性 1929年03月24日
(昭和04年)
18歳 東久邇宮稔彦王第4男子
第28位 北白川宮道久王 きたしらかわのみや みちひさ 男性 1937年05月02日
(昭和12年)
10歳 北白川宮永久王第1男子
第29位 竹田宮恒徳王 たけだのみや つねよし 男性 1909年03月04日
(明治42年)
38歳 竹田宮恒久王第1男子
第30位 恒正王 つねただ 男性 1940年10月11日
(昭和15年)
7歳 竹田宮恒徳王第1男子
第31位 恒治王 つねはる 男性 1944年08月03日
(昭和19年)
3歳 竹田宮恒徳王第2男子
第32位 閑院宮春仁王 かんいんのみや はるひと 男性 1902年08月03日
(明治35年)
45歳 閑院宮載仁親王第2男子

11宮家51名の皇籍離脱時:1947年(昭和22)10月14日[編集]

  • 11宮家51名の(旧皇族)皇籍離脱による26名(順位:第7位から第32位まで)の皇位継承資格の喪失後。
  • 皇室典範は、同年1月16日に既に制定されている。
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 昭和天皇から見た続柄
 
第1位 継宮明仁親王(皇太子明仁親王) つぐのみや あきひと 男性 1933年12月23日
(昭和08年)
13歳 親等1/第1皇男子
第2位 義宮正仁親王 よしのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
11歳 親等1/第2皇男子
第3位 秩父宮雍仁親王 ちちぶのみや やすひと 男性 1902年06月25日
(明治35年)
45歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第2皇男子
第4位 高松宮宣仁親王 たかまつのみや のぶひと 男性 1905年01月03日
(明治38年)
42歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第3皇男子
第5位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月02日
(大正04年)
31歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第4皇男子
第6位 寬仁親王 ともひと 男性 1946年01月05日
(昭和21年)
1歳 親等3/ / 三笠宮崇仁親王第1男子

礼宮文仁親王誕生後:1965年(昭和40)11月30日[編集]

  • この後、2006年(平成18年)9月6日に悠仁親王がが誕生するまでの約40年間、新たに皇位継承順位に加わる者は不在であった(皇族として誕生した者の全員が内親王または女王であり、女子であったため)。また、皇位継承資格を有する者が現皇室典範の下、最多で存在した時期である。
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 昭和天皇から見た続柄
 
第1位 皇太子明仁親王 あきひと 男性 1933年12月23日
(昭和08年)
31歳 親等1/第1皇男子
第2位 浩宮徳仁親王 ひろのみや なるひと 男性 1960年02月23日
(昭和35年)
5歳 親等1/皇孫 / 皇太子明仁親王第1男子
第3位 礼宮文仁親王 あやのみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
0歳 親等1/皇孫 / 皇太子明仁親王第2男子
第4位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
30歳 親等1/第2皇男子
第5位 高松宮宣仁親王 たかまつのみや のぶひと 男性 1905年01月03日
(明治38年)
60歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第3皇男子
第6位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月02日
(大正04年)
49歳 親等2/皇弟 / 大正天皇第4皇男子
第7位 寬仁親王 ともひと 男性 1946年01月05日
(昭和21年)
19歳 親等3/甥 / 三笠宮崇仁親王第1男子
第8位 宜仁親王 よしひと 男性 1948年02月11日
(昭和23年)
17歳 親等3/甥 / 三笠宮崇仁親王の第2男子
第9位 憲仁親王 のりひと 男性 1954年12月29日
(昭和29年)
10歳 親等3/甥 / 三笠宮崇仁親王第3男子

第125代天皇(現:上皇)即位後:1989年(昭和64)1月7日[編集]

  • この間、1987年(昭和62年)に高松宮宣仁親王が薨去し、1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇の崩御に伴い、皇位継承順位が第1位であった皇太子明仁親王が第125代天皇に即位した。
  • 21世紀2001年)以降、高円宮憲仁親王、寬仁親王、桂宮宜仁親王、三笠宮崇仁親王が薨去、そして悠仁親王(秋篠宮文仁親王第1男子)が誕生した。
順位 皇位継承資格者 読み 性別 生年月日/当時の年齢 第125代天皇(現上皇)から見た続柄
 
第1位 皇太子徳仁親王 なるひと 男性 1960年02月23日
(昭和35年)
28歳 親等1/第1皇男子
第2位 礼宮文仁親王 あやのみや ふみひと 男性 1965年11月30日
(昭和40年)
23歳 親等1/第2皇男子
第3位 常陸宮正仁親王 ひたちのみや まさひと 男性 1935年11月28日
(昭和10年)
53歳 親等1/皇弟 / 昭和天皇第2皇男子
第4位 三笠宮崇仁親王 みかさのみや たかひと 男性 1915年12月02日
(大正04年)
73歳 親等2/叔父 / 大正天皇第4皇男子
第5位 寬仁親王 ともひと 男性 1946年01月05日
(昭和21年)
43歳 親等3/従弟 / 三笠宮崇仁親王第1男子
第6位 桂宮宜仁親王 かつらのみや よしひと 男性 1948年02月11日
(昭和23年)
40歳 親等3/従弟 / 三笠宮崇仁親王第2男子
第7位 高円宮憲仁親王 たかまどのみや のりひと 男性 1954年12月29日
(昭和29年)
34歳 親等3/従弟 / 三笠宮崇仁親王第3男子
系図
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
122 明治天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
123 大正天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
124 昭和天皇
 
秩父宮雍仁親王
 
高松宮宣仁親王
 
三笠宮崇仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
125 上皇
 
常陸宮正仁親王
 
寛仁親王
 
桂宮宜仁親王
 
高円宮憲仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
126 今上天皇
 
秋篠宮文仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
悠仁親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

皇位継承問題[編集]

将来的に皇室典範に定める皇位継承資格者(父系男系の男性皇族)が存在しなくなる恐れが生じた。そのため、国会・政府で皇室典範改正などについて議論された。

2000年代(平成12年以降)に入って表面化した問題については、「皇位継承問題」を参照。

脚注[編集]

  1. ^ 皇室会議議員名簿 - 宮内庁”. 宮内庁. 2019年5月3日閲覧。
  2. ^ a b 嘉仁親王(大正天皇)は明治天皇の側室(柳原愛子)の子であるが、皇太子とされた(旧皇室典範の規定では、側室の子より、皇后の子の方が優先して継承するとされていたため、側室の子の場合、皇位継承順位1位は確定しない。)。このため、裕仁親王(昭和天皇)も父の嘉仁親王(大正天皇)が即位するまでは皇太子となる立場は確定していなかった。
  3. ^ a b c d e f g 旧皇室典範の条項
  4. ^ p. 2-5, "Japanese Royalty" Japan Year Book 1939, Kenkyusha Press, Foreign Association of Japan, Tokyo
  5. ^ Genealogy of the House of Fushimi
  6. ^ Genealogy of the Fushimi-no-miya (jp)
  7. ^ "House of Fushimi" (jp)
  8. ^ Bix, Herbert P. (2001). Hirohito and the making of modern Japan (Book) (1st Perennial ed.). New York: Perennial. pp. 382–383. ISBN 978-0060931308 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]