竹田宮恒久王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
竹田宮恒久王
HIH Prince Takeda Tsunehisa.jpg
続柄 北白川宮能久親王第一王子
身位
敬称 殿下
His Imperial Highness
出生 1882年9月22日
日本の旗 日本京都府
死去 (1919-04-23) 1919年4月23日(満36歳没)
日本の旗 日本東京府
配偶者 王妃昌子内親王(常宮昌子内親王)
子女 竹田恒徳(恒徳王)
佐野禮子(禮子女王)
父親 北白川宮能久親王
母親 申橋幸子
役職 陸軍少将
テンプレートを表示

竹田宮恒久王(たけだのみや つねひさおう、1882年明治15年)9月22日 - 1919年大正8年)4月23日)は日本皇族・陸軍軍人。

人物[ソースを編集]

北白川宮能久親王の第1王子。妃は明治天皇の第6皇女昌子内親王。官位は陸軍少将大勲位功五級に昇る。

1906年(明治39年)、竹田宮の称号を賜り、宮家を創設。近衛騎兵連隊に属し、日露戦争に従軍した。井口嶺の戦いですぐ隣を進んでいた伯爵南部利祥騎兵中尉(奥州南部家第42代当主)が敵弾に当たり戦死したという挿話を伝えているが、実際には南部中尉が戦死した3月4日には王は日本に帰国しており、ありえない話である。1919年(大正8年)4月23日、当時流行していたスペイン風邪のため薨去。享年37。30日葬送。

なお、恒久王の死により、同月29日に予定されていた皇太子裕仁親王(恒久王の義理の甥)の成年式が5月7日に延期になっている[1]

略歴[ソースを編集]

栄典[ソースを編集]

血縁[ソースを編集]


脚注[ソースを編集]

  1. ^ 『昭和天皇実録』巻六。
  2. ^ 『官報』第5881号「叙任及辞令」1903年2月13日。
  3. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
  4. ^ 『官報』第378号「叙任及辞令」1913年11月1日。

外部リンク[ソースを編集]

先代:
-
竹田宮
初代:1906 - 1919
次代:
竹田宮恒徳王