スペインかぜ

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PSIカテゴリー

スペインかぜ英語: 1918 flu pandemic, Spanish Fluスペイン語: La pandemia de gripe de 1918、gran pandemia de gripe、gripe española)とは、1918年から1919年にかけ、全世界的に大流行したインフルエンザの通称。アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。

流行源はアメリカ合衆国であるが、感染情報の初出がスペインであったため、この名で呼ばれる。当時は第一次世界大戦中で、世界で情報が検閲されていた中でスペインは中立国であり、大戦とは無関係だった[1]。一説によると、この大流行により多くの死者が出て、徴兵できる成人男性が減ったため、世界大戦の終結が早まったといわれている[2]

経緯[編集]

発生源は、1918年3月のアメリカ合衆国である。

カンザス州の小都市「ハスケル」が初の流行地域である[3]。同州には当時、全米で2番目に大きいアメリカ陸軍基地(常時5万6千人の兵士が常駐)である「キャンプ・ファンストン」があり、ハスケルの一部の住民の出入りがあった。このキャンプ・ファンストンがインフルエンザウイルスの温床となり、アメリカ内外にインフルエンザ禍を拡大させた。最初の発症例は3月18日に同基地で確認され、その2週間後には、ジョージア州の「キャンプ・フォレスト」と「キャンプ・グリーンリーフ」でも集団感染が発生した。これとは別に、デトロイトサウスカロライナ州付近を発生源とする説もある[1]。以後は、ひと春で、全米の36の主要駐屯地の内24か所で集団感染が確認された。さらには軍事施設に隣接する34都市でも犠牲者が急増した。

その後同年6月頃、ブレストボストンシエラレオネなどでより毒性の強い感染爆発が始まった[1]

アメリカ疾病予防管理センター (CDC) によれば、既に1915年にインフルエンザと肺炎による死亡率が米国で増加しているが、発生源は依然不明としている[4]

新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会ではカナダウイルスイリノイ州に感染したとの推定が委員から説明されている[5][注 1][注 2]。近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスの前駆体が、1907年頃に発生したことが判明している。

被害状況[編集]

スペインかぜの患者でごった返すアメリカ軍の野戦病院
マスクをつける日本の女性たち

スペインかぜは、記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)である[注 3]

感染者は約5億人以上、死者は5,000万人から1億人に及び、当時の世界人口は18~20億人であると推定されているため、全人類の3割近くがスペインかぜに感染したことになる。感染者が最も多かった高齢者では、基本的にほとんどが生き残った一方で、青年層では、大量の死者が出ている。

大日本帝国(日本)では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡[注 4]、米国でも50万人が死亡した。これらの数値は感染症のみならず戦争災害などすべてのヒトの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間で死亡に至らしめた記録的なものである[注 5]

流行の経緯としては、第1波は1918年3月にアメリカ合衆国デトロイト市やサウスカロライナ州付近などで最初の流行があり[1]アメリカ軍のヨーロッパ進軍と共に大西洋を渡り、5〜6月にヨーロッパで流行した。

第2波は、1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり、重篤な合併症を起こし死者が急増した。第3波は、1919年春から秋にかけて、第2波と同じく世界で流行した[注 6]。また、最初に医師看護師の感染者が多く、医療体制が崩壊してしまったため、感染被害が拡大した。

この経緯を教訓とし、2009年新型インフルエンザの世界的流行の際には、インフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。

著名人の死者[編集]

日本[編集]

病原体[編集]

患者の遺体から見つかったゲノムより復元されたスペインかぜウイルス

スペインかぜの病原体は、A型インフルエンザウイルスH1N1亜型)である。ただし、当時はまだウイルスの分離技術が十分には確立されておらず、また主要な実験動物であるマウスウサギに対しては病原性を示さなかったことから、その病原体は不明であるとされた。ヒトのインフルエンザウイルスの病原性については1933年フェレットを用いた実験で証明された。その後、スペインかぜ流行時に採取された患者血清中にこの時分離されたウイルスに対する抗体が存在することが判明したため、この1930年頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。その後、1997年8月にアラスカ州凍土より発掘された4遺体から肺組織検体が採取され、ウイルスゲノムが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。

これにより、H1N1亜型であったことと、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明された。よって、スペインかぜはそれまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが突然変異し、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症(新興感染症)であり、スペインかぜに対する免疫を持った人がいなかったことが、この大流行の原因だと考えられている。

スペインかぜについては、解読された遺伝子からウイルスを復元したところ、マウスに壊死性の気管支炎、出血を伴う中程度から重度の肺胞炎肺胞浮腫を引き起こすことが判明した。このような強い病原性はウイルス表面にある蛋白質HA(赤血球凝集素ヘマグルチニン)が原因である。また、スペインかぜウイルスは、現在のインフルエンザウイルスよりも30倍も早く増殖する能力を持つことが分かっている(増殖を司る3つのDNAポリメラーゼによる)。

通常の流行では小児と老人で死者が多いのだが、スペインかぜでは青年層の死者が多かった点に関し、2005年5月にMichael Osterholmはウイルスによって引き起こされるサイトカインストームが原因[7]であるという仮説を提唱したが、これに反対する説もある。一方、2007年1月に科学技術振興機構東京大学医科学研究所が人工合成したウイルスを用いてサルで実験した結果では、スペイン風邪ウイルスには強い致死性の肺炎免疫反応の調節に異常を起こす病原性があることを発表している[8][注 7]

2008年12月に、東京大学河岡義裕など日米の研究者グループによって強い病原性を説明する3つの遺伝子を特定したことが発表された[9][注 8]

名称についての議論[編集]

「スペインかぜ」という名称は、英語: Spanish Flu (influenza) に対する日本語の訳語として作られたものであり、第一次世界大戦時に中立国であったため、情報統制がされていなかった、スペインでの流行が大きく報じられたことから名付けられた[1]

西班牙流行性感冒を、当時のマスメディアが西班牙感冒かぜと読ませたからとする出典もある[10]大日本帝国陸軍病院の1918年の診療録には、病名が流行性感冒と記されていた[11]。誤解される場合も多いが風邪は病名ではなく、インフルエンザを含む病気の総称としての風邪症候群である。よって病名において、この「かぜ」という名称を使うべきでないと主張する研究者もおり、議論されている。

表記には以下がある。

  • スペインかぜ
  • スペイン風邪
  • スペインインフルエンザ(厚生科学審議会[12]厚生労働省[13]、国立感染症研究所[14]
  • スパニッシュインフルエンザ(内務省衛生局発行 『流行性感冒』 1921年)[15]

現状では「スペインかぜ」という名称が、微生物学教科書でも使用されているが[16]、日本語の名称変更について、まだ統一的な見解が得られていない。

画像[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ しかしながら同資料が述べているのはswine fluと言う英語の起源が豚と人のインフルエンザの同時流行から『当時の人が』人のインフルエンザは豚起源であると考えての命名(という推定)であり、「豚から人に感染した」とは推定していない。
  2. ^ 2009年7月のNEJMでは、アイオワ州のCeder Rapids Swine Festivalを流行の起源としているが、当時豚インフルエンザ様の疾患が豚に大流行していたとの記録からの類推に過ぎない。
  3. ^ ソ連かぜにはもっと古い記録がある、という説もあるが、確証されていない[6]
  4. ^ 当時の内務省は39万人と発表したが、最新の研究では48万人に達していたと推定されている。
  5. ^ 第一次世界大戦:戦死者900万、非戦闘員死者1,000万、負傷者2,200万人。第二次世界大戦:戦死者1,500万、軍人負傷者2,500万、一般市民の死者数3,800万。控えめな推定。ただし、第一次世界大戦の戦死者のうち、戦闘活動による死亡以外が多く占め、スペインかぜによる戦病死も含まれていることから、スペインかぜの死亡と第一次大戦の戦死者には重複がある。
  6. ^ 日本ではこの第3波が一番被害が大きかった。
  7. ^ サイトカインストーム説の出所はF・マクファーレン・バーネットの免疫過剰反応説である。
  8. ^ スペイン風邪の第2波でRNAのPB2の627番目がリジンに変わって強毒性となったという。第1波のアミノ酸が何であったかは不明である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 1918-19スペイン風邪の流行状況(労研図書館資料から)”. 財団法人 労働科学研究所. 2009年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月9日閲覧。
  2. ^ 20世紀のパンデミック(スペインかぜ) 中外製薬
  3. ^ John M. Barry著「The Great Influenza」(共同通信社)
  4. ^ 1918 Influenza: the Mother of All Pandemics
    Historical and epidemiologic data are inadequate to identify the geographic origin of the virus, and recent phylogenetic analysis of the 1918 viral genome does not place the virus in any geographic context
  5. ^ 感染症分科会感染症部会新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会第二回議事録(厚生科学審議会)
  6. ^ 英語版Wikipedia
  7. ^ Osterholm, Michael T. (2005). “Preparing for the Next Pandemic”. New England Journal of Medicine 352 (18): 1839–1842. doi:10.1056/NEJMp058068. ISSN 0028-4793. 
  8. ^ スペイン風邪をサルで再現させて、謎だったウイルスの病原性を解析科学技術振興機構東京大学医科学研究所
  9. ^ スペイン風邪の強い病原性の鍵となる遺伝子、日米の研究者が解明 AFP 2008年12月30日
  10. ^ 『史上最悪のインフルエンザ』 p.404
  11. ^ スペインかぜ、旧日本陸軍で猛威 カルテなど発見(「YOMIURI ONLINE」2005年5月17日)
  12. ^ 感染症分科会感染症部会新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会第二回議事録(厚生科学審議会)ではスペイン風邪をスペインインフルエンザに直すべきであるとの議事録が残っている
  13. ^ 新型インフルエンザに関するQ&A 厚生労働省 (PDF)
    これまで一般に、スペインかぜと表記してきたものについて、スペインインフルエンザと表記
  14. ^ インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A(国立感染症研究所感染症情報センター)
  15. ^ 『史上最悪のインフルエンザ』 p.404
  16. ^ ノートによると『戸田新細菌学』 改訂32版2刷(2004年1月)

参考文献[編集]

  • ジョン・バリー著、平澤正夫訳『グレート・インフルエンザ』共同通信社 2005年3月
    • 原著「The Great Influenza Feb., 2004」-ブッシュ大統領の2008年夏の読書3冊として米国で有名である
  • アルフレッド・W・クロスビー著、西村秀和訳 『史上最悪のインフルエンザ 忘れられたパンデミック』 みすず書房、2004年1月、ISBN 4-622-07081-2
  • ピート・デイヴィス著、高橋健次訳 『四千万人を殺したインフルエンザ スペイン風邪の正体を追って』 文藝春秋 1999年、文春文庫、2007年、ISBN 4167705427
  • 速水融 『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争藤原書店 2006年、ISBN 4894345021
  • 内務省衛生局編 『流行性感冒 「スペイン風邪」大流行の記録』 平凡社東洋文庫 2008年、大正期の克明な調査報告書。
  • Niall Johnson: Britain and the 1918-19 Influenza Pandemic: A Dark Epilogue. Routledge, London and New York 2006. ISBN 0-415-365600

関連項目[編集]

外部リンク[編集]