立太子

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立太子(りったいし)は、広く東アジアにおいて広まった儀礼で、日本天皇中国皇帝の皇子等を跡継ぎとして太子に立てることである。また、日本においてはこの概念が定着していることから、ヨーロッパの王家に対しても、「立太子」の語を用いることがある。

日本の事例[編集]

立太子された裕仁親王(当時)の姿を見ようと、皇居前に集まる日本国民
皇太子旗を描く今上天皇の立太子礼記念切手(1952年)。

日本の朝廷においては、古くは儲君(ちょくん、もうけのきみ)とも呼ばれ、儲君を受けた皇子は立太子の礼立太子礼)の儀式を執り行い、下記の例の如く、内外に皇嗣たる皇太子に就任したことを宣言する習わしであった。

立太子の宣命の例 「玉葉」
現神止大八洲所知須倭根子天皇我詔旨良万止、勅命乎親王諸王緒臣百官人等天下土民衆聞食止宣、随法尓可有久政止爲弖、言仁親王乎皇太子止定賜布、故此之状氐、仕奉礼止詔天皇勅旨乎衆聞食止宣、治承二年十二月十五日
(訓読文)現神(あきつかみ)と大八洲所知須(おほやしまにしろしめ)す天皇(すめら)が詔旨(おほみこと)らまと、勅命(おほみこと)を親王(みこたち)諸王(おほきみたち)諸臣(まへつきみたち)百官人等(もものつかさのひとたち)天下土民(あめのしたおほみたから)衆(もろもろ)聞食(きこしめせ)と宣(の)る、随法(のりのまにま)に可有(あるべ)く政(まつりごと)として、言仁親王(ときひと 1歳 のちの安徳天皇)を皇太子(ひつぎのみこ)と定め賜ふ、故此(かれかく)の状(さま)を悟りて、仕へ奉(まつ)れと詔(のりたまふ)天皇(すめら)が勅旨(おほみこと)を衆(もろもろ)聞食(きこしめ)せと宣(の)る、治承2年(1178年)12月15日

儲君に関しては、江戸時代までは皇室典範のような皇位継承の順序を定めた法律がなく、天皇の意思や朝廷幕府などの介入により、複数の候補者から選ばれるのが慣例であった。なお、中世の朝廷衰微の時代には立太子の礼を行う予算がないために儲君が立太子をされないまま、次期天皇に即位した例も多い。

明治以降は皇室の家法として皇室典範が定められ、皇位継承の順序が厳格に定められるようになり、重大な病気などでない限り、皇位継承順位の変更は許されないこととなった。また現行の典範には「皇嗣たる皇子」として皇太子の立場が定められたが、「立太子」は明記されていない。

近代以降は、4例の立太子礼が行われている。

アジア以外での例[編集]

英国[編集]

王位継承者は「プリンス・オブ・ウェールズ」(王太子に相当)に叙任されているが、長年書面での手続きのみであった。1911年7月13日エドワード王子(後のエドワード8世)が叙任される際、英国ウェールズ地方のカーナーヴォン城にて史上はじめて盛大な式典が催された。この時、日本では「立太子式」として報道された[1]1969年7月1日、先例と同じくカーナーヴォン城にて、エリザベス2世女王の第一王子:チャールズが、プリンス・オブ・ウェールズに叙任された。

脚注[編集]

  1. ^ 1910年9月11日 朝日新聞「英国立太子式」