先帝祭
| 宮中祭祀 |
| 四方拝 |
| 歳旦祭 |
| 元始祭 |
| 先帝祭(昭和天皇祭) |
| 先帝以前三代の例祭 (孝明天皇祭) |
| 〈紀元節祭〉 |
| 祈年祭 |
| 春季皇霊祭・春季神殿祭 |
| 神武天皇祭・皇霊殿御神楽 |
| 皇妣たる皇后の例祭 |
| 先后の例祭 |
| 節折・大祓 |
| 先帝以前三代の例祭 (明治天皇祭) |
| 秋季皇霊祭・秋季神殿祭 |
| 神嘗祭 |
| 鎮魂祭 |
| 招魂祭 |
| 新嘗祭(大嘗祭) |
| 賢所御神楽 |
| 天長祭〈天長節祭〉 |
| 先帝以前三代の例祭 (大正天皇祭) |
| 節折・大祓 |
| (式年祭・旬祭) |
先帝祭(せんていさい)は先帝を偲ぶ祭り。
分類[編集]
以下の例がある。
宮中祭祀[編集]
先帝崩御日に毎年斎行される大祭のこと。
戦前は太政官布告「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」や勅令「休日ニ関スル件」により、法定の休日とされた。また、「皇室祭祀令」により、大祭日の一つとされた。
1947年(昭和22年)「皇室祭祀令」廃止によって法定の祭日ではなくなり、1948年(昭和23年)に「国民の祝日に関する法律」の施行により、休日ではなくなった。
| 元号 | 先帝祭 | 日付 |
|---|---|---|
| 明治 | 孝明天皇祭 | 1月30日 |
| 大正 | 明治天皇祭 | 7月30日 |
| 昭和 | 大正天皇祭 | 12月25日 |
| 平成 | 昭和天皇祭 | 1月7日 |
赤間神宮の祭事[編集]
壇ノ浦の戦いの翌文治2年(1186年)、長門国に命じて安徳天皇の遺骸を納めた阿弥陀寺(現赤間神宮)境内に御影堂を建立し、安徳天皇の命日(3月24日)にその遺徳を偲ぶ先帝会を修したのが起源といい、以後毎年3月24日に安徳天皇の御陵の前で「御陵前祭」を営み、明治以降は祭日を太陽暦(4月23日)に改めて例祭とし、その後更に現行日(5月2日)へと改めた。
2日は平家落人の子孫らで組織される全国平家会の参列のもと御陵前での神事を始め、平家一門追悼祭などがある。 翌3日に、平家の遺臣で中島四郎太夫という者が、漁師に身を窶して平家再興を計りつつ下関に潜伏、先帝会には威儀を正して参拝したという故事に因んで、その子孫に端を発する「中島組」という漁業団体員が参拝、これを「中島組参拝の式」という。それに次いで「上臈・官女参拝の式(「上臈道中」)」となるが、これも壇ノ浦の戦いの後に在地の苫屋に援われた建礼門院(平徳子)の侍女達が、在地の苫屋に養われつつ御陵に香花を手向け、先帝会には容姿を整えて参拝したことに縁由するという。その後妓楼を営むようになった苫屋の主人が、侍女達及びその遺族も没したために、抱える遊女達にその風俗を真似て宮廷装束に身を纏わせて参拝させるようになり、これが江戸時代に至って、当時存在した稲荷町遊廓の遊女によって受け継がれて、現在の「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」となったといい、吉原の花魁に模した太夫が禿(かむろ)、上臈、稚児、警固(けいご)らを従え、下関市中を外八文字を踏んで歩く。
例祭の翌々4日には神幸祭が行われる。
関門海峡を挟んで対岸となる福岡県北九州市の小倉祇園祭りとこの祭りは、昔から「関の先帝、 小倉の祇園 雨が降らなきゃ金が降る」 と雨が降らないと大勢の人々が祭りに繰り出してたいそうな賑わいとなる模様をこう言った。
参考文献[編集]
- 『神道大辞典』(平凡社、昭和14年刊の縮刷復刻版)、臨川書店、昭和44年 ISBN 4-653-01347-0
外部リンク[編集]
- 先帝祭(赤間神宮公式)
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