賢所

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賢所(かしこどころ、けんしょ[1])とは、日本天皇が居住する宮中において、三種の神器の一つであり、天照大神の御霊代(神体)とする神鏡(八咫鏡)を祀る場所。現在の皇居においては宮中三殿の一つである。

概要[編集]

宮中三殿は南面して建てられており、中央に賢所、西に皇霊殿、東に神殿が位置しており、それぞれ外陣、内陣、内々陣(内内陣)に分かれている[2]。外陣は皇族のみが入ることが許される部屋、内陣は天皇・皇后のみが入ることが許される部屋で、賢所の内々陣(内内陣)は天照大神を祀る部屋である。

歴史的には内侍所(ないしどころ)とも称され、「かしこどころ」には「恐所」・「畏所」・「威所」・「尊所」・「貴所」など種々の文字が当てられた[3]

賢所の内陣には2基の常夜灯があり絶やされることなく明かりが灯されている[4]

歴史[編集]

日本書紀』によれば第十代崇神天皇の代に「共住不安」として神鏡を皇居外に移して祀ることになった[5](この神鏡は垂仁天皇の代に伊勢国五十鈴川上流に移されのちに伊勢神宮となる[6])。その際に『古語拾遺』によると宮中で祀るための神鏡の分身を改めて鋳造し宮中に祀ることになった[5]

神鏡は天皇の御座所に祀られていたが、その後に別殿の温明殿に移され、内侍所とも称されるようになった[5]。別殿に移された時期について、『江家次第』や『禁秘抄』は垂仁天皇の代とし、『撰集抄』は宇多天皇の代としている[5]

平安時代中期以降、内裏の焼失等の理由で里内裏が定められたが、それに伴って賢所も移動し、適宜の殿舎が充てられた[5]

さらに後世には春興殿に賢所が移され、その記述がある洞院実熙の『名目抄』から室町時代の初期には春興殿が賢所となっていたとみられる[7]

明治初期に東京に遷り、明治4年(1871年)9月の詔により賢所を含む神殿が造営されることになった[8]

出典[編集]

参考文献[編集]

  • 皇典講究所『宮中三殿並に祝祭日解説』国晃館、1909年。 
  • 皇室編集部『皇室75号 2017年夏』扶桑社、2017年。 

関連項目[編集]