祭祀 (神道)

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神道の祭祀(さいし)・お祭りは、伊勢神宮と属する諸々の神社[注 1]で行われ[1]、天下泰平、五穀豊穣、皇室の安泰、万民の平安が祈られる。年に一度の大祭である例祭、新年元旦の歳旦祭、春の祈年祭、秋には豊穣に感謝する新嘗祭(にいなめさい)、節供(せっく)には七夕重陽(ちょうよう)のお祭りなど、さらに細かなものを含めれば年間を通して数多く行われている。大きなものを中心に少々解説するが、それは神に対し神饌(みけ、食事)や幣帛(へいはく、布あるいは衣)を供え奉り、そして神人共食が行われる。

祭祀・お祭りとは[編集]

日本の神道の祭祀とは、伊勢神宮と属する諸々の神社[注 1]で行われており、中でも皇室宮中)の祭祀は日本の祭祀の源流であり本筋であり、最高かつ最大であり、祭祀の形態・機能が完全に具備されており、中心をここに置いて説明することは妥当である[1]

祭る対象は言うまでもなく一般にはであり、目的はより生きたいという言うに及ばない実祈願から、神の霊得を身に受けるということである[1]。そうして人が充実を願った時、人を超越した何者か「カミ」(上)に対し交渉を試みるということであり、畏敬と親愛をもって祭祀が生じる[1]。そしてその形式は、貴人に対する作法があるように、人に似ている部分もあるがそれを超越した存在に対して生じている[1]。鎮座の建物である社殿、神饌(お供え)も人間のものに近いものもあれば、人間には住みにくい、食べにくいといったものまである[1]。人間味のあるものと、人間離れしたものがあるのである[1]。その姿は目に見えざる霊体であり、心眼をもって仰ぎ奉れば感得することもある[1]。神得を仰ぐには、商業の神に病気療養を祈るということもあり、その神特有の神得以外の万神に共通した神徳を仰ぐ場合もある[1]

神人共食。その後の直会(なおらい)とは、『日本書紀』にて嘗(な)めらいのことであり、頂戴する意味であり、供えられた食事は霊気の加わったものと解され、これを腹に納め神の霊得を身徳する[1]。またこれは皆で分配するということでもあり宴会である[1]。伊勢神宮では古くは、頂戴した後に和舞(やまとまい)といい、身に心に霊得が満ちたので歓喜にたえられず舞った[1]

様々な祭祀[編集]

宮中祭祀は、天皇が執り行う宮中の祭祀である。新嘗祭(にいなめさい)は毎年行われる。大嘗祭(だいじょうさい)は天皇の生涯一度、即位に際して執り行われる。

例祭(れいさい)は、その神社の年に一度の大祭である。勅祭(ちょくさい)は、天皇勅使を迎えて行われる。特に三勅祭と呼ばれる春日大社春日祭賀茂神社葵祭石清水八幡宮石清水祭は、古来の格式を伝えている。

伊勢神宮式年遷宮、3月13日の春日祭、5月15日の葵祭、9月15日の石清水祭は、新たな儀式の加わっていない古来からの純粋なものといわれる[2]

収穫祭としての新嘗祭[編集]

農耕儀礼としての新嘗祭(にいなめさい)は、新穀の収穫祭としてもともと民が行っており、最初に収穫した米をご飯にして、神にお供えしてから村長、各家長が食べることで神に感謝した[3]。一年で最も日が短い冬至(とうじ)を境に万物が甦るという思想から、冬至に粥を食べ湯に入る冬至粥や冬至風呂が行われるようになり、こうしたことが宮延に儀式化され新嘗祭となり、米栗御粥と小忌御湯(おみのおゆ)とされた[3]

大嘗祭[編集]

大嘗祭(だいじょうさい)とは天皇の即位に際して執り行われる大新嘗祭(おおにいなめさい)のことであり、皇祖とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)の「御霊(みたま)のふゆ[4]」を天皇が体現することで、現人神(あらびとかみ)として甦るという思想から、即位の年の新嘗祭を大嘗と呼ぶようになったのである[3]。なお、昭和天皇は終戦後、現人神でなく人間天皇であることを宣言した[3]

以下は、祭祀の部分であり全容ではない。

祭祀の中心部を見ていくと、天皇は天羽衣(あまのはごろも)を着たまま小忌御湯に入り御湯槽(ゆぶね)にそのまま脱ぎ捨て、湯から上がり着衣する[3]。その間の米搗きでは、稲刈りで死んだ穀霊を蘇らせるよう、八乙女が稲春歌を歌いながら米を搗く[3]。祭儀中の最重要部では[5]、天照大神を神座に迎え、天皇は神饌(みけ)を供食する[3]。神座の傍らには、神の御衣(ぎょい)である和妙(にぎたえ、絹)と荒妙(あらたえ、麻)が置かれている[5]。古来のように柏の葉でできた葉盤を最姫が天皇に渡し、御飯を盛り最姫に返し、最姫は神前に並べていく[3]。肴(さかな)、御菓子(果物)と同様にし、白酒・黒酒は天皇が注ぐ[3]。天皇は頭を下げ、手を柏ち、「おお」といって、三箸食べる[3]。その間、扉を開く、神饌を備えるといった際に、神楽が奏される[5]

祭祀の事前には、土地を定めて主となる稲だけでなく粟(アワ)も作られる[5]。抜稲式では、造酒子(さかっこ)が田の中央で稲を集め、次いで稲実公(いなのみのきみ)が集め、御飯と御粥、白酒と黒酒にされる[3]。大嘗祭に奉仕する者の穢れを祓う荒見川祓(あらみがわのはらえ)が行われるが、大麻(おおぬさ)に手をかけ身の表の穢れを移し、息を吹きつけ身の内の穢れを移しといったように一撫一吻(いちぶいっぷん)を行う[3]。人形(ひとがた)で体を撫で、散米を行う[3]

春日大社を中心にして[編集]

春日大社の例祭である春日祭は、始まりが849年(嘉祥2年)とされ、神と人との仲を取りもった中臣氏氏神を祭る、古代の祭祀の方法を伝えているといわれる[6]。事前に山の榊を切り、神職者の祓式を行い、御酒式が行われる[6]

春日祭の当日には、多くの神社で見られなくなった御戸開ノ儀(みとびらきのぎ)から始まり、黒米飯(玄米)や御魚、御精進(野菜)、御菓子(唐菓子)など、調理されたことを意味する熟饌(じゅくせん)を供え、祝詞を奏上し、神宝を飾る[6]。春日祭ではこの御戸開について克明に記録されており、特に神饌について「かなりやかましい」ということである[2]。従来、調理した神饌が本来であったが明治維新の際に大部分の神社において廃れたものである[2]。御戸開は、伊勢神宮では神嘗祭(かんなめさい)にしか行わず、口伝のあった神社もあり古くは殿内に入るということから重要視されており、石清水祭でも祝詞を奏上し拍手を行う[2]

次に祓戸社の前で中臣祓(なかとみのはらえ)を受けるが[6]、ここでも調理した神饌をお供えし、諸々を執り行った後に散米をするが、これも現今では見られない祭式で左右中と行う[2]。伊勢神宮では祓戸神へのお供としては千切散米が行われる[2]大麻(おおぬさ、祓串)の使い方も異なり、現今では音を立てて振るが、春日大社では撫でるように行われる[2]

春日祭の祭祀の中心部では、『延喜式』の儀式作法書通りであり、宮司がお供えされた御棚御饌(みたなしんせん)の上の柏の葉の蓋を開け、神酒を酌ぎ、共進する[6]。天皇からの御幣物(ごへいもつ)が奉納され、勅使は天皇からの言葉である御祭文を奏上するが、この紙は春日大社では黄色、伊勢神宮では縹色(はなだいろ)、加茂神社は紅梅色などの定めがある[6]。(麻紙も参照)

賀茂神社でも、祓いを行い、神饌を供え、祝詞を奏上しと大枠は同じである[7]。神にお供えするために奉納される品々は、加茂神社の次第書では青和幣(あおにぎて)白和幣(しろにぎて)と書かれており、『日本書紀』では「ぬさ」、「みてぐら」、古くは「にぎたえ」とも呼ばれ、絹、麻、木綿などである[8]

注釈[編集]

  1. ^ a b 伊勢神宮を中心とする別表神社や旧・近代社格制度を参照。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 星野輝興 『祭祀の展開』 日本文化協会、1937年
  2. ^ a b c d e f g 星野輝興「現代に於ける祭祀の缺陥」、『神社協会雑誌』25年第11号、1926年、 2-14頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 鳥越憲三郎「大嘗祭―秘儀の全容」、『歴史と旅』第17巻第18号、1990年-12、 36-45頁。
  4. ^ 参考:みたま‐の‐ふゆ【恩=頼/恩=賚】 goo辞書
  5. ^ a b c d 赤堀又次郎 『御即位及大嘗祭』 大八洲学会、1914年、118-149頁。
  6. ^ a b c d e f 三好和義、岡野弘彦 『春日大社』 淡交社〈日本の古社〉、2003年、91-94頁。ISBN 4473031098
  7. ^ 新木 直人 『神游の庭(かんあそひのゆにわ)―世界文化遺産・京都賀茂御祖神社「下鴨神社」』 経済界、2007年ISBN 978-4766783964
  8. ^ 新木 直人 『神游の庭(かんあそひのゆにわ)―世界文化遺産・京都賀茂御祖神社「下鴨神社」』 経済界、2007年、194頁。ISBN 978-4766783964