勤労感謝の日

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

勤労感謝の日(きんろうかんしゃのひ)は、日本国民の祝日の一つである。日付は11月23日

昭和時代(昭和23年以降)および令和時代においては1年で最後の祝日となる[注釈 1]

概要[編集]

勤労感謝の日は、国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年法律第178号)[注釈 2]第2条によれば、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」ことを趣旨としている[1]。同法により制定された。

前史[編集]

日本では古くから、天皇が新穀などの収穫物を神々に供えて感謝し、自らも食する「新嘗祭」(にいなめさい)という祭事が行われてきた。

新嘗祭は、1872年明治5年)までは旧暦11月の二回目のの日に行われていた。太陽暦グレゴリオ暦)が導入された1873年(明治6年)になって、旧暦11月の二回目の卯の日は新暦の翌年1月に当たり都合が悪いということで、同年11月の二回目の卯の日であった11月23日に行われた。同年公布の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官第344号布告)[注釈 3]によって、祭祀と同名の休暇日(休日)となった。本来、11月の二回目の卯の日は11月13日 - 11月24日の間で変動するが、翌1874年(明治7年)以降も祭祀・休日ともに11月23日に固定した[注釈 4]

制定[編集]

第二次世界大戦後、新たに日本国憲法が制定され、祝祭日から国家神道の色彩を払拭するという方針のもとで新たに祝祭日を選定し直すことになった[2][3]1947年(昭和22年)に召集された第2回国会で祝祭日の名称の全面的な見直しが行われる中、衆議院では新嘗祭が新穀の収穫に対する感謝の日であることからそれに代わる名称として「新穀祭」「生産感謝の日」などの案が検討された結果、「感謝の日」案が有力となった(なお、省庁(官僚)の間では、GHQの命令により米国のThanksgiving Dayに相当する祝日を設けることとなったことが由来と伝わっている)[要出典]。その後の衆参合同委員会で「感謝の日」では漠然としていて何に対する感謝かわからないという理由で「勤労感謝の日」[注釈 5]と「労働感謝の日」の二つの案が出され前者の案が有力となり、衆議院文化委員会において日本社会党などの委員による賛成多数で「勤労感謝の日」が採択された[3][4]。この決議を踏まえて国民の祝日に関する法律に規定された。

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 平成時代は天皇誕生日12月23日)が1年で最後の祝日であった。
  2. ^ 1948年(昭和23年)7月20日公布。
  3. ^ 1873年(明治6年)10月14日公布。
  4. ^ ただし大嘗祭は11月の二回目の卯の日に行われたために、大正・昭和の大嘗祭が行われた1915年(大正4年)と1928年(昭和3年)は11月23日は休日とはならなかった。
  5. ^ 衆参合同委員会における「勤労感謝の日」案は参議院議員の羽仁五郎の動議による。

出典[編集]

  1. ^ 国民の祝日に関する法律
  2. ^ 第1回国会 文化委員会 第16号
  3. ^ a b 第2回国会 文化委員会 第13号
  4. ^ 第2回国会 文化委員会 第7号