退位

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退位(たいい、英語: abdication)は、君主がその地位を手放すことである。対義語は即位。権力を手放すかどうかはケースバイケースである。

概要[編集]

通常、革命憲法法律などによって君主制が廃止されない限りは、自動的に継承者に譲り渡すことになる。君主の地位の継承は2種類あり、君主の死によって継承される場合は「退位」と言わず、君主が生きているうちに地位権力を手放すことを「退位」という。また、君主自身の意思ではなく、革命や憲法などで他人が君主から地位権力を剥奪することは廃位(英:dethronement)という(ただし、この場合でも剥奪した側は退位を装うことがある)。

2016年7月13日の今上天皇の意向を示す主要各紙や放送各局の報道では、存命中にという点を強調するため『生前退位』の表現が多く用いられた。[1][2]また『譲位』の語を使うことも多い。[3]

最近の退位した主な君主一覧[編集]

  • 1980年以降
日付 後継者
ユリアナ オランダ国王 1980年4月30日 ベアトリクス
レツィエ3世 レソト国王 1995年1月25日 モショエショエ2世
ジャン ルクセンブルク大公 2000年10月7日 アンリ
ノロドム・シハヌーク カンボジア国王 2004年10月7日 ノロドム・シハモニ
サアド・アル=アブドゥッラー
・アッ=サバーハ
クウェート首長 2006年1月23日 サバーハ・アル=アフマド
・アル=ジャービル・アッ=サバーハ
ジグミ・シンゲ・ワンチュク ブータン国王 2006年12月15日 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク
ギャネンドラ ネパール王 2008年5月28日 王政廃止
ベネディクト16世 教皇 2013年2月28日 フランシスコ
ベアトリクス オランダ国王 2013年4月30日 ウィレム=アレクサンダー
ハマド・ビン・ハリーファ
・アール=サーニー
カタール首長 2013年6月25日 タミーム・ビン・ハマド
・アール=サーニー
アルベール2世 ベルギー国王 2013年7月21日 フィリップ
フアン・カルロス1世 スペイン国王 2014年6月19日 フェリペ6世

日本[編集]

天皇[編集]

退位した天皇一覧も参照。

日本では皇極天皇が弟の孝徳天皇に皇位を譲った例を最古とする(なお、後小松天皇南北朝合一によって2度譲位を受けている[注釈 1])。退位した天皇には太上天皇(上皇)の尊号が奉られることが通例。

平安時代以後の慣例として、退位する天皇が譲位の宣命を宣布する儀式とその後に行われる継承者への剣璽を引き渡す儀式(剣璽渡御の儀)の2つを中心として儀式体系が組まれてきた。院政期に皇室の長たる地位が天皇から治天の君に移ると、天皇は早くに譲位し、制度・慣習により身動きのとれない天皇に比べて自由な立場の上皇(院)として政治に参与することが常態となった。また同時に何人もの上皇が存在することも多く、通常は即位および譲位時期の最も早い上皇(本院)が治天として朝廷を支配した。

大日本帝国憲法下では、明治22年(1889年)に制定された旧皇室典範登極令で、皇位継承は天皇の崩御を前提としているため、存命中の退位はできないと解釈されていた。

現在の日本国憲法皇室典範下においても、皇位継承は天皇の崩御を前提としており、その他に退位について書かれた規定は無い。国事行為の遂行が困難となった場合は、摂政もしくは国事行為臨時代行が置かれて国事行為が代行されることになる。現皇室典範で天皇の退位が認められていないのは、第一に歴史上見られたような上皇や法皇などといったような存在がでてきて弊害を生ずるおそれがあること、第二に必ずしも天皇の自由意思に基づかないで退位の強制ということがあり得る可能性があること、第三に天皇が恣意的に退位をすることができるということがあり、それらの懸念から退位を認めていないとされている[注釈 2]

中国[編集]

廃位や王朝の滅亡を除けば、中国史上の皇帝で自発的に退位した例は少ない(玄宗北宋徽宗など)。最も新しい例は乾隆60年(1795年)に退位し太上皇となった乾隆帝で、「祖父康煕帝の在位年数を越えないため」という名目であった。ただし、当時84歳の乾隆帝はなお実権を握り続けたため二重権力状態となり、乾隆帝の老化もあって朝廷は大いに混乱した。

カンボジア[編集]

カンボジアでは2004年ノロドム・シハヌーク国王は退位しノロドム・シハモニ王子が新国王に即位した。

ブータン[編集]

ブータンではジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が2006年に勅令を出して退位、ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク王子が新国王に即位した。

イギリス[編集]

グレートブリテン王国成立以降の国王で退位したのは、エドワード8世のみである。1936年、離婚経験があるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するため、即位後1年を待たず退位した。「王冠を賭けた恋」として有名である。

スペイン[編集]

1975年の王政復古でスペイン国王に即位したフアン・カルロス1世2014年に退位の文書に署名し退位を表明。スペイン議会も退位を可決したため王太子フェリペが新国王に即位しフェリペ6世となった。

スウェーデン[編集]

スウェーデンでは17世紀のクリスティーナ女王が1654年に自発的に退位している。いとこのカール10世が新国王となった。クリスティーナは退位後はプロテスタントからカトリックに改宗し、外遊をし当時の知識人と交流するなど教養人としての余生を送った。

ベネルクス三国[編集]

オランダ[編集]

オランダでは第2次世界大戦後の王位継承はすべて国王の生前退位によるものである。

19世紀においても、ウィレム1世が退位しウィレム2世が王位を継承した例がある(ウィレム1世はオランダ総督の地位とオラニエ・ナッサウ家の家督をウィレム5世から譲位されている)。

ベルギー[編集]

ベルギーでは第2次世界大戦後に2度の生前退位が行われている。

このうちレオポルド3世の生前退位は第2次世界大戦中の彼のナチスドイツへの態度などから愛国心に疑念を持たれ国民の間に論争が起きたためそれを収束するためるために行われた。そのため「強制退位」の性格がある。

ルクセンブルク[編集]

ルクセンブルクでは第2次世界大戦後に2度の生前退位による大公位継承が行われている。

また、シャルロット女大公の姉のマリー=アデライド1919年の共和派の暴動を受けて退位し、妹に譲位した。

退位後の処遇[編集]

同一王朝内で退位が比較的平穏裏に行われた場合、退位した元君主やその親族は、旧来と同等の礼遇をもって接することが約されることが多い。東アジアでは太上皇、太上天皇といった尊号が奉られることが通常で、旧臣との繋がりや君主との父子関係を背景に権力を保持することもある。同一王朝内の退位でもクーデター的に退位に追い込まれた場合は、幽閉されたり尊号が奉られない場合もあり、死後に庶人扱いを受けることもある。簒奪を狙う権臣によって退位させられた場合は殺害されることもある。またローマ帝国の皇帝は五体満足であることが要件であったため、復位することがないようコンスタンティノス6世のように身体に損傷を与えられることもあった。

王朝交代を伴う退位では、後漢に取って代わった際に後漢の献帝が山陽公として貴族となった例など、旧王朝の君主が新王朝の貴族となった例も複数あるが、反乱勢力に推戴されることを恐れて旧皇族や旧王族ともども皆殺しにされる例も少なくない。

韓国併合ニ関スル条約1910年
韓国皇帝及び韓国皇族に相当な尊称、威厳及び名誉を享有させること等が約され、前韓国皇帝ヲ冊シテ王ト為シ皇太子及将来ノ世嗣、太皇帝及各其儷匹ノ称呼ヲ定メ並ニ礼遇ノ件により、前韓国皇帝に対して「王」の身分が与えられる等した(王公族制度)。皇族を除く貴族制度を否定した日本国憲法施行により1947年に身位喪失。
清室優待条件1912年
「大清皇帝」の尊号を受け、外国君主と同等の待遇を受けることとなった。後に反故にされた。
エドワード8世の退位(1936年)
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国ならびに海外自治領の国王、インド皇帝」を自発的に退位した。退位後は、「ウィンザー公爵」の爵位を受けた。

注釈[編集]

  1. ^ 南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲国の儀により三種の神器を引き渡すという和約であったが、譲国の儀などの条項は北朝朝廷により反故とされ、譲国の儀なしに神器が後小松天皇の手に渡っている。
  2. ^ 昭和59年4月17日の参議院内閣委員会における太田淳夫議員質問に対する山本悟宮内庁次長の答弁。

脚注[編集]

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関連項目[編集]