カンボジア君主・国家元首一覧
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カンボジア王国 国王 | |
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ព្រះមហាក្សត្រនៃព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា | |
在位中の国王 | |
ノロドム・シハモニ 2004年10月29日より | |
詳細 | |
敬称 | 陛下 |
初代 | ノロドム・シハヌーク |
成立 | 1993年 |
宮殿 | プノンペン王宮 |
称号:国王 | |
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敬称 |
陛下 His Majesty the King |
カンボジア君主・国家元首一覧(カンボジアくんしゅ・こっかげんしゅいちらん)では、カンボジアの歴代君主・元首の一覧を記す。現在の君主は、カンボジア国王ノロドム・シハモニ(在位: 2004年10月29日 - )である。
君主・元首の一覧
[編集]クメール王朝
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- ジャヤーヴァルマン2世(チェイヴァルマン2世、802年 - 835年)
- ジャヤーヴァルマン3世(チェイヴァルマン3世、835年 - 877年)
- インドラヴァルマン1世(877年 - 889年)
- ヤショーヴァルマン1世(ヨーサオヴァルマン1世、889年 - 910年)
- ハルシャーヴァルマン1世(910年 - 923年)
- イーシャーナヴァルマン2世(923年 - 928年)
- ジャヤーヴァルマン4世(チェイヴァルマン4世、928年 - 941年)
- ハルシャーヴァルマン2世(941年 - 944年)
- ラージェンドラヴァルマン2世(944年 - 968年)
- ジャヤーヴァルマン5世(チェイヴァルマン5世、969年 - 1001年)
- ウダヤーディチャヴァルマン1世(1001年 - 1002年)
- ジャヤヴィラヴァルマン(1002年 - 1010年)
- スーリヤヴァルマン1世(1010年 - 1050年)
- ウダヤーディチャヴァルマン2世(1050年 - 1066年)
- ハルシャーヴァルマン3世(1066年 - 1080年)
- ジャヤーヴァルマン6世(チェイヴァルマン6世、1080年 - 1107年)
- ダーラニンドラヴァルマン1世(1107年 - 1113年)
- スーリヤヴァルマン2世(1113年 - 1150年頃)
- ダーラニンドラヴァルマン2世(1150年頃 - 1160年、統治の痕跡がないという説あり)
- ヤショーヴァルマン2世(ヨーサオヴァルマン2世、1160年 - 1166年)
- トリブヴァナーディティアヴァルマン(王位簒奪者、1165年頃 - 1177年)
- ジャヤーヴァルマン7世(チェイヴァルマン7世、1181年 - 1218年頃)
- インドラヴァルマン2世(1218年頃 - 1243年)
- ジャヤーヴァルマン8世(チェイヴァルマン8世、1243年 - 1295年)
- インドラヴァルマン3世(シュリンドラヴァルマン、1295年 - 1308年)
- インドラジャヤーヴァルマン(1308年 - 1327年)
- ジャヤーヴァルマディパラメーシュヴァラ(1327年 - 1336年)
- (ヴァルマンの称号を廃止)
- トロソク・ピヤム(1336年 - 1340年)
- ニッピヤン・バット(涅槃王、1340年 - 1346年)
- ロムポン・リヤチヤ(1346年 - 1351年)
- スレイ・ソリヨヴォン(1357年 - 1363年)
- バロム・リヤミヤ(1363年 - 1373年)
- トマー・サオク(1373年 - 1393年)
- ポニャー・ヤット(1405年 - 1434年)
- (アンコール放棄)
カンボジア王国 (1434-1863)
[編集]1434年 - 1970年
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
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ポニャー・ヤット | 1434年 - 1462年 |
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ニヤリヤイ・リヤミヤトゥバティー | 1463年 - 1469年 |
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以下の3王による国内分裂(1467年 - 1474年)、アユタヤ王朝の介入でトゥモーが勝利。 | |||||||
スレイ | 1469年 - 1475年 |
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スレイ・ソリヨテイ | 1472年 - 1475年 |
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トゥモー | 1476年 - 1504年 |
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スレイ・ソッコンポット | 1498年 - 1505年 |
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コン | 1512年 - 1525年 |
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代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
オンチャン1世 | 1516年 - 1566年 |
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バロムンタラ (バロム・リヤチヤ1世) |
1566年 - 1576年 |
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サター1世 | 1576年 - 1584年 |
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チェイチェター1世 | 1584年 - 1594年 |
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スレイ・サントール時代 (1594–1620)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
リヤミヤ・チューンプレイ | 1594年 - 1596年 |
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ケオ・バンオン | 1596年 - 1597年 |
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ポニャー・トン (バロム・リヤチヤ2世) |
1597年 - 1599年 |
||||||
ポニャー・アン (バロム・リヤチヤ3世) |
1599年 - 1600年 |
||||||
ポニャー・ヨム | 1600年 - 1603年 |
||||||
スレイ・ソリヨポー | 1603年 - 1618年 |
||||||
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
チェイチェーター2世 | 1618年 - 1628年 |
||||||
ポニャー・トー (トマリヤチヤ1世) |
1628年 - 1634年 |
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ポニャー・ヌー (アントン1世) |
1631年 - 1640年 |
||||||
アンノン1世 (ボトムリヤチヤ1世) |
1640年 - 1642年 |
||||||
アンチャン1世 (ボトムリヤチヤ2世) |
1642年 - 1658年 | ||||||
ポニャー・ソー (ボトムリヤチヤ3世) |
1658年 - 1672年 |
||||||
チェイチェター3世 | 1672年 - 1673年 | ||||||
アンチェイ | 1673年 - 1674年 |
||||||
アンノン2世 | 1674年 | ||||||
チェイチェター4世 | 1674年 - 1706年 |
||||||
テイ | 1687年 | ||||||
アウテイ1世 | 1695年 - 1696年 |
||||||
アンエム | 1700年 - 1701年 |
||||||
チェイチェター4世 | 1701年 - 1702年 |
2度目 | |||||
トモリヤチヤ3世 | 1702年 - 1705年 |
||||||
チェイチェター4世 | 1705年 - 1706年 |
3度目 | |||||
トモリヤチヤ2世 | 1707年 - 1710年 |
2度目 | |||||
アンエム | 1710年 - 1722年 |
2度目 | |||||
サター2世 | 1722年 - 1738年 |
||||||
トモリヤチヤ3世 | 1736年 - 1747年 |
3度目 | |||||
トモリヤチヤ4世 | 1747年 | ||||||
アントン | 1748年 - 1749年 |
||||||
サター2世 | 1749年 | ||||||
チェイチェーター5世 | 1749年 - 1755年 |
||||||
アントン | 1756年 - 1757年 |
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ウテイ・アントン (ウテイ2世) |
1758年 - 1775年 |
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アンノン2世 | 1775年 - 1779年 |
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アンエン | 1779年 - 1782年 |
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- | チャオプラヤ・アファイプーベット | 1782年 - 1794年 |
摂政 | ||||
- | チャウヴィア・ポック | 1794年 - 1806年 |
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アンチャン2世 | 1806年 - 1834年 |
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アン・メイ | 1834年 - 1840年 |
女王 | |||||
アン・ドゥオン | 1848年 - 1860年10月19日 |
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アンヴァデイ・チュラロウン・ノロドム នរោត្តម (1834–1904) |
ノロドム家 | 1860年10月19日 - 1863年8月11日 |
2年 + 296日 | アン・ドゥオンの子 | |||
フランス保護領・カンボジア王国 (1863-1887)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
1 | アンヴァデイ・チュラロウン・ノロドム នរោត្តម (1834–1904) |
ノロドム家 | 1863年8月11日 - 1887年10月17日 |
(計 26年 + 363日) |
24年 + 67日アン・ドゥオンの子 | ||
フランス領インドシナ・カンボジア王国 (1887-1945)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
(1) | アンヴァデイ・チュラロウン・ノロドム នរោត្តម (1834–1904) |
ノロドム家 | 1887年10月17日 - 1904年4月24日 |
(計 43年 + 188日) |
16年 + 190日アン・ドゥオンの子 | ||
2 | アンサル・シソワット ស៊ីសុវតិ្ថ (1840–1927) |
シソワット家 | 1904年4月27日 - 1927年4月9日) - |
23年 + 104日 | ノロドムの弟 | ||
3 | シソワット・モニヴォン ស៊ីសុវត្ថិ មុនីវង្ស (1875–1941) |
シソワット家 | 1927年8月9日 - 1941年4月22日 |
13年 + 258日 | シソワットの子 | ||
4 | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1941年4月27日 - 1945年3月13日[1] |
3年 + 320日 | モニヴォンの孫 | ||
カンボジア王国 (1945)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 所属政党 |
在任期間 | 備考 | |||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1945年3月13日 - 1945年10月16日 |
217日 (計 4年 + 172日) |
|||
フランス保護領・カンボジア王国 (1945-1953)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 在任期間 | 備考 | |||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1945年10月16日 - 1953年11月9日 |
(計 12年 + 196日) |
8年 + 24日|||
カンボジア王国 (1953-1970)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 所属政党 |
在任期間 | 備考 | |||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1953年11月9日 - 1955年3月2日 |
(計 13年 + 309日) |
1年 + 113日|||
5 | ノロドム・スラマリット នរោត្តម សុរាម្រិត (1896–1960) |
ノロドム家 | 1955年3月2日 - 1960年4月3日 |
5年 + 32日 | ノロドムの孫 シハヌークの父 | ||
- | チュオプ・ヘル ជួប ហ៊ែល (1909–c. 1975) |
サンクム | 1960年4月3日 - 1960年4月6日 |
3日 | 元首代行 (国民議会議長) | ||
- | シソワット・モニレス ស៊ីសុវត្ថិ មុន្នីរ៉េត (1909–1975) Chairman of the Regency Council |
シソワット家 サンクム |
1960年4月6日 - 1960年6月13日 |
68日 | 元首代行 (摂政評議会議長) モニヴォンの子 | ||
- | チュオプ・ヘル ជួប ហ៊ែល (1909–c. 1975) |
サンクム | 1960年6月13日 - 1960年6月20日 |
7日 | 元首代行 (国民議会議長) | ||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 サンクム |
1960年6月20日 - 1970年3月18日 |
[2][3] | 9年 + 271日国家元首 (称制) | ||
- | シソワット・コサマック・ニヤリリヤット ស៊ីសុវត្ថិ កុសមៈ (1904–1975) [注釈 1] |
シソワット家 | 1960年6月20日 - 1970年10月9日 |
10年 + 111日 | 国母 ノロドム・スラマリットの妃 モニヴァンの子 ノロドムの母 | ||
- | チェン・ヘン ឆេង ហេង (1910–1996) |
無所属 | 1970年3月21日 - 1970年10月9日 |
202日 | 元首代行 (国民議会議長) | ||
クメール共和国 (1970-1975)[編集] | |||||||
代 | 元首 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
6 | チェン・ヘン ឆេង ហេង (1910–1996) |
無所属 | — | 1970年10月9日 - 1972年3月10日 |
[6] | 1年 + 153日元首 | |
7 | ロン・ノル លន់ នល់ (1913–1985) |
社会共和党 (PRS) (軍人) |
1 | 1972年3月10日 - 1972年5月10日 |
[7][8] | 3年 + 22日元首 | |
1972年5月10日 - 1975年4月1日 |
大統領 | ||||||
- | ソーカム・コイ សូកាំ ខូយ (1915–2008) |
社会共和党 (PRS) (軍人) |
- | 1975年4月1日 - 1975年4月12日 |
11日 | 大統領代行 (上院議長) | |
8 | サク・スツァカン សក់ ស៊ុតសាខន (1928–1994) |
無所属 (軍人) |
- | 1975年4月12日 - 1975年4月17日 |
5日[9] | 元首 (最高統治評議会議長) | |
代 | 元首 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
カンプチア民族統一戦線 (FUNK) |
- | 1975年4月17日 - 1976年4月2日 |
351日[10][11] | 国家元首 | |
9 | キュー・サムファン ខៀវ សំផន (born 1931) |
カンプチア共産党 (CPK) |
- | 1976年4月11日 - 1979年1月7日 |
[12] | 2年 + 271日元首 (国家幹部会議長) | |
カンプチア人民共和国 (1979-1989)[編集] | |||||||
代 | 元首 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
10 | ヘン・サムリン ហេង សំរិន (born 1934) |
カンプチア人民革命党 (KPRP) |
- | 1979年1月7日 - 1981年6月27日 |
[13] |
10年 + 114日元首 (人民革命評議会議長) | |
1981年6月27日 - 1989年5月1日 |
元首 (国家評議会議長) | ||||||
代 | 元首 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
(10) | ヘン・サムリン ហេង សំរិន (born 1934) |
カンプチア人民革命党 (KPRP) |
- | 1989年5月1日 - 1991年10月 |
(計 13年 + 90日) |
2年 + 341日元首 (国家評議会議長) 国名変更 | |
カンプチア人民党 (CPP) |
1991年10月 - 1992年4月6日 |
党名変更 | |||||
11 | チア・シム ជា ស៊ីម (1932–2015) |
カンボジア人民党 (CPP) |
- | 1992年4月6日 - 1993年6月14日 |
1年 + 69日 | 元首 (国家評議会議長) | |
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
無所属 | - | 1993年6月14日 - 1993年9月24日 |
102日 | ||
民主カンプチア連合政府 (1982-1991)[編集] | |||||||
代 | 大統領 | 所属政党 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
無所属 | 1 | 1982年7月22日 - 1991年10月23日 |
8年 + 360日 | ||
カンボジア最高国民評議会 (1991-1993)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1 | 1991年10月23日 - 1993年9月24日 |
1年 + 316日 | ||
カンボジア王国 (1993-現在)[編集] | |||||||
代 | 君主 | 出身家 | 期 | 在任期間 | 備考 | ||
(4) | ノロドム・シハヌーク នរោត្តម សីហនុ (1922–2012) |
ノロドム家 | 1 [14] |
1993年9月24日 - 2004年10月7日 |
(計 43年 + 188日) |
11年 + 13日||
12 | ノロドム・シハモニ នរោត្តម សីហមុនី (born 1953) |
ノロドム家 | 2 | 2004年10月14日 - (在位) |
19年 + 359日 | ノロドムの子 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ After the death of King Norodom Suramarit, his consort Queen Sisowath Kossamak served as monarch for ceremonial purposes only (as a "symbol, incarnation, and representative" of the dynasty), while the powers of head of state were delegated to her son Norodom Sihanouk, who was appointed "Chief of State" whose powers equal that of a monarch.[4][5]
出典
[編集]- ^ “Cambodian King Abdicates Throne in Favor of Father”. The New York Times (3 March 1955). 6 January 2023閲覧。
- ^ “CAMBODIA NAMES RULER; Prince Sihanouk Agrees to Become 'Chief of State'”. The New York Times (14 June 1960). 1 August 2023閲覧。
- ^ Henry Kamm (19 March 1970). “SIHANOUK REPORTED OUT IN A COUP BY HIS PREMIER”. The New York Times. 7 January 2023閲覧。
- ^ “Cambodian Queen is Dead in Peking”. The New York Times (28 April 1975). 19 July 2021閲覧。
- ^ Chandler, David (2018-05-04) (英語). A History of Cambodia (4th ed.). Routledge. p. 235. ISBN 978-0-429-96406-0 . "In 1960 Sihanouk's father, King Suramarit, died. After a series of maneuvers, Sihanouk had himself named Cambodia's chief of state with his mother, Queen Kossamak, continuing to serve as a monarch for ceremonial purposes."
- ^ Henry Kamm (10 October 1970). “War Seems Far Away as Cambodia Becomes Republic”. The New York Times. 7 January 2023閲覧。
- ^ “LON NOL TIGHTENS RULE IN CAMBODIA”. The New York Times (11 March 1972). 1 August 2023閲覧。
- ^ “Lon Nol Turns Over Rule and Leaves”. The New York Times (2 April 1975). 7 January 2023閲覧。
- ^ Sydney Schanberg (13 April 1975). “MILITARY TAKING OVER IN CAMBODIA AS LAST AMERICANS ARE EVACUATED”. The New York Times. 7 January 2023閲覧。
- ^ “Cambodians Designate Sihanouk as Chief for Life”. The New York Times (26 April 1975). 30 July 2023閲覧。
- ^ “PHNOM PENH SAYS SIHANOUK RESIGNS”. The New York Times (5 April 1976). 30 July 2023閲覧。
- ^ “Cambodia Announces Its New Government”. The New York Times (14 April 1976). 1 August 2023閲覧。
- ^ David Binder (9 January 1979). “New Cambodia Leaders Identified In Radio Broadcast From Vietnam”. The New York Times. 1 August 2023閲覧。
- ^ Downie, Sue (24 September 1993). “Sihanouk reinstated as king of Cambodia”. UPI Archives. 12 August 2022閲覧。