マレーシアの国王
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![]() 国王陛下 | |
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Yang di-Pertuan Agong يڠدڤرتوان اݢوڠ | |
連邦 | |
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在位中の国王陛下 | |
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第16代国王 アブドゥラ・スルタン・アフマド・シャー 2019年1月31日より | |
詳細 | |
敬称 | 陛下 |
初代 | トゥアンク・アブドゥル・ラーマン |
成立 | 1957年8月31日 |
宮殿 |
Istana Negara, Jalan Duta, クアラルンプール |
ウェブサイト | majlisraja-raja.gov.my |
マレーシアの国王(マレーシアのこくおう)はマレーシアの立憲君主である。マレー語での称号はヤン・ディプルトゥアン・アゴン(Yang di-Pertuan Agong) で「国王、国王陛下」を意味する[1][2]。略してアゴン (Agong)とも表記する。King of Malaysiaとも表記するが、あくまで非公式な呼称にすぎない。日本外務省はマレーシア国王と訳している。
選出[編集]
マレーシアは選挙王制であり、州の君主の互選により任期5年の国王が選ばれる[3]。なおマレーシア各州の君主は、マレー人社会の統合のシンボル的な存在となっている[4]。
この選挙により国王を選出する制度は、世界的に見ても特徴的な制度であるが、マレー人社会には伝統的に首長を選出する伝統があった[5]。マレーシアを構成する13の州のうち、ボルネオのサバ州・サラワク州、マレー半島部で君主が存在しないペナン州・ムラカ州(マラッカ州)を除いた9州の(ジョホール州・クダ州・クランタン州・ヌグリ・スンビラン州・パハン州・ペラ州・プルリス州・スランゴール州・トレンガヌ州)の君主が王を選出する[3]。なお各州の君主は男系世襲で継承されている[3]。このうちプルリス州はラージャを君主とし、ヌグリ・スンビラン州はウンダンと呼ばれる伝統的首長の互選により、ヤン・ディプルトゥアン・ブサールを君主とする。その他の7州はスルタンを君主とする。
国王の選出は9州の君主と、君主不在の4州の知事により構成されている統治者会議が行う[3]。なお国王の選出は、各州の君主を順番に選出する事実上の輪番制となっている[6]。また王の前に副王に選出されることも慣習化されている。輪番であるから同一の者が2回選出されることもあり、第5代と第14代国王には、アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャーが就任している。
権限[編集]
国王は首相の任命、国会解散の同意などの権限、国軍最高司令官などという役割を担っている。しかしその権限、役割の多くは儀礼的、象徴的な内容である[7]。各州の君主は州内のイスラームのリーダーとしての役目を担っていて宗教的な権威を持っているため、国王の権力もイスラーム関係に関しては実が伴っている[6]。しかし、近年は政治が不安定化する中でその影響力が強まっている[8]。
立憲君主として規定されており、大権の多くは内閣の助言に基づいて行使される[6]。首相の任命については君主自らが大命を降下することができるが、内閣は下院に責任を負うため、下院多数党党首が首相に任命されている。下院が内閣を不信任した場合は、内閣の助言により下院を解散するか、助言を拒否して内閣を解任(不信任)するかの判断を行うことができる。国王は議会で多数の支持を得ているとみられる人物を首相に任命できる。ただ首相は通常選挙で選ばれるため2020年までこの権限が行使されることはなかった。
かつては王とスルタンは公私に渡って法的免責特権を有していたが、州の君主が暴力事件を引き起こしたことがきっかけとなって、1993年の改憲で私的行為についての免責特権が廃止された[4]。以降は、司法大臣の承認のもと、検察当局もしくはマレーシア国民は特別裁判所において国王またはスルタンを提訴することができるようになった。公務について王を提訴することはできないが、王の公務に対して責任を持つ政府を提訴することができる。また受刑者に恩赦を与えることが可能でムハンマド5世がアンワル・イブラヒムに恩赦を与えた事例がある[8]。
国民との関わり[編集]
マレーシアにある企業や学校には、王と王妃の肖像が飾られることが多い。
かつては私生活でも免責特権を有したスルタンによる暴力事件が報道され、批判的世論を背景に私的免責特権を剥奪する改憲がなされた経緯がある。
国王の一覧[編集]
代 | 国王 | 出身州 | 在位期間 | 備考 | ||
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1 | トゥアンク・アブドゥル・ラーマン Tuanku Abdul Rahman |
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1957年8月31日 - 1960年4月1日 |
2年 + 214日 | 在位中に死去 |
2 | ヒサムディン・アラム・シャー Sultan Hisamuddin Alam Shah |
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1960年4月14日 - 1960年9月1日 |
140日 | 在位中に死去 |
3 | サイイド・ハルン・プトラ Tuanku Syed Putra |
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1960年9月21日 - 1965年9月20日 |
4年 + 364日 | |
4 | イスマイル・ナシルディン・シャー Sultan Ismail Nasiruddin Shah |
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1965年9月21日 - 1970年9月20日 |
4年 + 364日 | |
5 | アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー Sultan Abdul Halim Mu’adzam Shah |
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1970年9月21日 - 1975年9月20日 |
4年 + 364日 | |
6 | ヤヒヤ・プトラ Sultan Yahya Petra |
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1975年9月21日 - 1979年3月29日 |
3年 + 189日 | 在位中に死去 |
7 | スルタン・アフマド・シャー Sultan Ahmad Shah |
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1979年4月26日 - 1984年4月25日 |
4年 + 365日 | |
8 | イスカンダル・イブニ Sultan Iskandar |
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1984年4月26日 - 1989年4月25日 |
4年 + 364日 | |
9 | アズラン・シャー Sultan Azlan Muhibbuddin Shah |
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1989年4月26日 - 1994年4月25日 |
4年 + 364日 | ||
10 | ジャーファル・アブドゥル・ラーマン Tuanku Ja’afar |
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1994年4月26日 - 1999年4月25日 |
4年 + 364日 | |
11 | サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー Sultan Salahuddin Abdul Aziz Shah |
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1999年4月26日 - 2001年11月21日 |
2年 + 209日 | 在位中に死去 |
12 | サイド・シラジュディン Tuanku Syed Sirajuddin |
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2001年12月13日 - 2006年12月12日 |
4年 + 364日 | |
13 | ミザン・ザイナル・アビディン Sultan Mizan Zainal Abidin |
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2006年12月13日 - 2011年12月12日 |
4年 + 364日 | |
14 | アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー Sultan Abdul Halim Mu’adzam Shah |
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2011年12月13日 - 2016年12月12日 |
4年 + 365日 | |
15 | ムハンマド5世 Sultan Muhammad V |
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2016年12月13日 - 2019年1月6日 |
2年 + 24日 | 任期満了前に退位 |
16 | アブドゥラ Al-Sultan Abdullah |
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2019年1月31日 - (在位) |
4年 + 303日 | |
- | イブラヒム・イスマーイール Ibrahim Ismail of Johor |
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2024年1月31日 (即位予定) |
歴代副国王[編集]
副国王はマレー語でティムバラン・ヤン・ディプルトゥアン・アゴン(Timbalan Yang di-Pertuan Agong)の称号を持ち、これは「副国王陛下」の意味である。
No | 名称 | 出身州 | 在任期間 | 生年月日 | 没年月日(没年齢) |
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1 | ヒサムディン・アラム・シャー | ![]() |
1957年8月31日 - 1960年4月1日 | 1898年5月13日 | 1960年9月1日 (62歳) |
2 | ラージャ・サイイド・プトラ | ![]() |
1960年4月14日 - 1960年9月1日 | 1920年11月25日 | 2000年4月16日 (79歳) |
3 | スルタン・イスマイル・ナシルディン・シャー | ![]() |
1960年9月21日 - 1965年9月20日 | 1907年1月24日 | 1979年9月20日 (72歳) |
4 | トゥアンク・アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー | ![]() |
1965年9月21日 - 1970年9月20日 | 1927年11月28日 | 2017年9月11日 (89歳) |
5 | スルタン・ヤヒヤ・プトラ | ![]() |
1970年9月21日 - 1975年9月20日 | 1917年12月10日 | 1979年3月29日 (61歳) |
6 | スルタン・アフマド・シャー | ![]() |
1975年9月21日 - 1979年3月29日 | 1930年10月24日 | 2019年5月22日 (88歳) |
7 | スルタン・イスカンダル・イブニ | ![]() |
1979年4月26日 - 1984年4月25日 | 1932年4月8日 | 2010年1月22日 (77歳) |
8 | スルタン・アズラン・シャー | ![]() |
1984年4月26日 - 1989年4月25日 | 1928年4月19日 | 2014年5月28日 (86歳) |
9 | トゥアンク・ジャーファル・アブドゥル・ラーマン | ![]() |
1989年4月26日 - 1994年4月25日 | 1922年7月19日 | 2008年12月27日 (86歳) |
10 | スルタン・サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー | ![]() |
1994年4月26日 - 1999年4月25日 | 1926年3月8日 | 2001年11月21日 (75歳) |
11 | トゥアンク・サイド・シラジュディン | ![]() |
1999年4月26日 - 2001年12月12日 | 1943年5月17日(80歳) | |
12 | スルタン・ミザン・ザイナル・アビディン | ![]() |
2001年12月13日 - 2006年12月12日 | 1962年1月22日(61歳) | |
13 | トゥアンク・アブドゥル・ハリム・ムアザム・シャー | ![]() |
2006年12月13日 - 2011年12月12日 | 1927年11月28日 | 2017年9月11日 (89歳) |
14 | ムハンマド5世 | ![]() |
2011年12月13日 - 2016年12月12日 | 1969年10月6日(54歳) | |
15 | スルタン・ナズリン・シャー | ![]() |
2016年12月13日 - | 1956年11月27日(67歳) |
脚注[編集]
出典[編集]
- ^ 小野沢純、本田智津絵『マレーシア語辞典』大学書林、2008年、772頁。
- ^ 野元裕樹『ポータブル日マレー英・マレー日英辞典』三修社、2016年、1111頁。
- ^ a b c d 綾部、石井(2000)、p.114.
- ^ a b 水島(1993)、p.161.
- ^ ザイナル・アビディン・ビン・アブドゥル・ワーヒド(1983)、p.291.
- ^ a b c 水島(1993)、p.160.
- ^ 今井(2014)、p.416.
- ^ a b 「マレーシア、次期国王はイブラヒム氏に ジョホール州スルタン」『Reuters』、2023年10月27日。2023年10月27日閲覧。
参考文献[編集]
- 今井昭夫編 『東南アジアを知るための50章』 、明石書店、2014。ISBN 978-4-7503-3979-5
- 綾部恒雄、石井米雄編 『もっと知りたいマレーシア』 、弘文堂、1994。ISBN 4-335-51079-9
- ザイナル・アビディン・ビン・アブドゥル・ワーヒド著、野村亨訳『マレーシアの歴史』 、山川出版社、1983
- 水島司『アジア読本マレーシア』 、河出書房新社、1993、ISBN 4-309-72442-6