選挙君主制
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選挙君主制(せんきょくんしゅせい)は、君主を世襲によらず選挙によって選出する政治体制のこと。
概要[編集]
世襲によらないリーダーを互選で推戴する制度は歴史上ヨーロッパの王国からアフリカの部族国家まで世界中で広範に見られ、選挙の方法や被選挙権者、選挙権者の範囲は時代や国によって大きく異なる。時代を経るごとに世襲君主制に移行した例も多いが、ヨーロッパでは実質的に世襲君主制に移行したものの、公式には選挙君主制を維持していた例もある。
古代ローマ[編集]
王政ローマでは王は終身だが世襲ではなく、原則として市民集会が選挙でローマ市民権を持った者の中から選出した。選出は必ずしも家系や身分によらず、市外の者が選出された例もある。王の一族は貴族(パトリキ)となる。 ローマ帝国やビザンツ帝国においてもローマ皇帝は元老院により選出される第一の市民(プリンケプス)とされ、必ずしも前皇帝との血縁は必要とされなかったため選挙君主制の一形態とされている。
モンゴル帝国[編集]
モンゴル高原の遊牧民の間ではクリルタイにより部族の代表者たるハーンを選出する伝統があり、モンゴル帝国においてもチンギス・カンは一族や有力部族長の推戴を得て大ハーンに選出されている。後の大ハーンは全員チンギス・カンの子孫の中から選ばれているが、大ハーン継承には長子相続や末子相続のような決まったルールは無く、クリルタイで帝国内の支持を集めた人物が選出されていた。
ハプスブルク家[編集]
神聖ローマ帝国、ハンガリー王国、ボヘミア王国などは公式には選挙君主制を維持していたが、後にハプスブルク家が君主位を独占するようになり実質的な世襲君主制として機能していた。ただし三十年戦争時のフリードリヒ冬王やオーストリア継承戦争時のカール7世などハプスブルク家以外から選出された例もある。
ポーランド・リトアニア共和国[編集]
ヤゲウォ朝断絶後のポーランド・リトアニア共和国では法的にも実質的にも選挙君主制が行われており、国王自由選挙により国内外の有力者が国王に選出された。これは大貴族(マグナート)による実権の掌握と王権の著しい弱体化につながり、諸外国の干渉も招いた。そのため末期には改革の動きもあったが、第3次ポーランド分割によって国家そのものが消滅することで終焉に至った。
現代の例[編集]
マレーシアの国王は5年の任期を持ち、マレーシア連邦構成州の君主であるスルターンの互選制である。ヌグリ・スンビラン州ではさらにスルターンが州内の地域首長の選挙で選ばれ、その地域首長もまた地域内の長老により選出される。
カンボジアでは、ノロドム家とシソワット家の2つの王家のメンバーから、立法府の正副議長と首相と上座部仏教2宗派の指導者からなる王室評議会が終身の国王を選出する。
サモアは共和制であるものの、4大首長家から5年任期の国家元首(オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー)を議会が指名する。
同様に、厳密な意味での君主制とはいえないが、カトリック教会の枢機卿による選挙(コンクラーヴェ)によって選出されるローマ教皇を元首とするバチカン市国も選挙君主制に類似した体制を持つ国家である。