朝鮮の君主一覧

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朝鮮歷史
朝鮮の歴史
考古学 櫛目文土器時代 8000 BC-1500 BC
無文土器時代 1500 BC-300 BC
伝説 檀君朝鮮
古朝鮮 箕子朝鮮
辰国 衛氏朝鮮
原三国 辰韓 弁韓 漢四郡
馬韓 帯方郡 楽浪郡

三国 伽耶
42-
562
百済
高句麗
新羅
南北国 熊津都督府安東都護府
統一新羅
鶏林州都督府
676-892
安東都護府

668-756
渤海
698
-926
後三国 新羅
-935

百済

892
-936
後高句麗
901
-918
女真
統一
王朝
高麗 918-
遼陽行省
東寧双城耽羅
元朝
高麗 1356-1392
李氏朝鮮 1392-1897
大韓帝国 1897-1910
近代 日本統治時代の朝鮮 1910-1945
現代 連合軍軍政期 1945-1948
アメリカ占領区 ソビエト占領区
北朝鮮人民委員会
大韓民国
1948-
朝鮮民主主義
人民共和国

1948-
Portal:朝鮮

朝鮮の君主一覧(ちょうせんのくんしゅいちらん)は、古代朝鮮半島(一部現在の中国東北部を含む・民族は中国系朝鮮系等特定の民族を指したものではない)で出来た国々の王などを扱う。

概要[編集]

朝鮮王は冊封体制において中国皇帝により認められた「王」であった。それは主権国家としての国や国王とは意味が異なる。朝鮮は歴史的に独立国家ではなく、中国の属国であったため、朝鮮王は「陛下(ペハ)」ではなく、一段格下の「殿下(チョナ)」と呼ばれた[1]。中国皇帝の配下である朝鮮王は「陛下」と呼ばれる一国の主権者ではなかった[1]。また、その世継ぎも「太子(テジャ)」ではなく、一段格下の「世子(セジャ)」と呼ばれた。この他、朝鮮王に「万歳(マンセー)」は使われない。「万歳」は中国皇帝にのみ使われるもので、朝鮮王には「千歳(チョンセー)」が使われた。そこには明確な序列関係があり、これは「華夷秩序」とも呼ばれる[1]

明治維新を遂げた日本の新政府は1868年国交通商を求める国書を朝鮮に送るが、朝鮮はこの国書の受け取りを拒否した。国書のなかに、「皇」や「勅」の文字が入っていたためである。「皇」や「勅」を使うことができるのは中国皇帝のみであり、こうした国書は日本の中国皇帝に対する挑戦であり、容認できるものではない、と朝鮮は考えた[2]。朝鮮は、華夷秩序という、中華に周辺国が臣従することにより、国際秩序を維持すべきとする考え方を歴史的に有しており、天皇を「皇」の字のある「天皇」とは決して呼ばず、「倭王」と呼んでいた。中国皇帝に服属する朝鮮王が中国皇帝と対等な「天皇」を認めてしまうと、朝鮮は日本よりも下位に置かれてしまうことになるため、「天皇」を頑なに拒み続けたのである[2]。朝鮮は自らの朝鮮王を「陛下」ではなく、「殿下」と呼び、華夷秩序の従属に縛られてきた。しかし、下関条約後、朝鮮は大韓帝国として独立、朝鮮は華夷秩序から脱却するという歴史的悲願を達成し、朝鮮王は皇帝となる[2]

李氏朝鮮時代の異端の文臣文人である林悌は、死の床で息子たちの面前で「中国をはばかり皇帝と称しえない朝鮮などに生まれたのは痛恨事だから、自分が死んでも泣いてはならぬ」と遺言して死んだ[3]

NHK-BS2で、『宮廷女官チャングムの誓い』が放送された際に、「王妃」に対して「皇后」という字幕をつけていたため、視聴者からかなりの抗議があったとされる[4]宮脇淳子は、「皇后」とは「皇帝」の妃の称号であり、中国皇帝臣下である朝鮮王の妃が「皇后」を名乗ることは歴史学的にあり得ない、と指摘している[4]

神話・古朝鮮[編集]

檀君朝鮮[編集]

箕子朝鮮[編集]

肖像 漢字 朝鮮語 名字 朝鮮語 在位期間
Ping Sien Si - 072 Ji Zi (16137921534).jpg 太祖文聖王 태조문성왕 胥余 기자 紀元前1122年紀元前1082年
荘恵王 장혜왕 紀元前1082年紀元前1057年
敬孝王 경효왕 紀元前1057年紀元前1030年
恭貞王 공정왕 紀元前1030年紀元前1000年
文武王 문무왕 椿 紀元前1000年紀元前972年
太原王 태원왕 紀元前972年紀元前968年
景昌王 경창왕 紀元前968年紀元前957年
興平王 흥평왕 紀元前957年紀元前943年
哲威王 철위왕 調 紀元前943年紀元前925年
宣恵王 선혜왕 紀元前925年紀元前896年
誼襄王 의양왕 紀元前896年紀元前843年
文恵王 문혜왕 紀元前843年紀元前793年
盛徳王 위덕왕 紀元前793年紀元前778年
悼懐王 도회왕 紀元前778年紀元前776年
文烈王 문열왕 紀元前776年紀元前761年
昌国王 창국왕 紀元前761年紀元前748年
武成王 무성왕 紀元前748年紀元前722年
貞敬王 정경왕 紀元前722年紀元前703年
楽成王 낙성왕 紀元前703年紀元前675年
孝宗王 효종왕 紀元前675年紀元前658年
天老王 천노왕 紀元前658年紀元前634年
修道王 수도왕 紀元前634年紀元前615年
徽襄王 휘양왕 紀元前615年紀元前594年
奉日王 봉일왕 紀元前594年紀元前578年
徳昌王 덕창왕 紀元前578年紀元前560年
寿聖王 수성왕 紀元前560年紀元前519年
英傑王 영걸왕 紀元前519年紀元前503年
逸民王 일민왕 紀元前503年紀元前486年
済世王 제세왕 紀元前486年紀元前465年
清国王 청국왕 紀元前465年紀元前432年
導国王 도국왕 紀元前432年紀元前413年
赫聖王 혁성왕 Korean-Jun-KijaJoseonKing.png 紀元前413年紀元前385年
和羅王 화라왕 紀元前385年紀元前369年
説文王 설문왕 紀元前369年紀元前361年
慶順王 경순왕 紀元前361年紀元前342年
嘉徳王 가덕왕 紀元前342年紀元前315年
三老王 삼로왕 紀元前315年紀元前290年
顕文王 현문왕 紀元前290年紀元前251年
章平王 장평왕 紀元前251年紀元前232年
宗統王 종통왕 紀元前232年紀元前220年
哀王 애왕 紀元前220年紀元前195年

衛氏朝鮮[編集]

肖像 君主名 漢字名 朝鮮語名 在位期間
衛満 衛満 위만 紀元前194年紀元前161年
氏名不詳 氏名不詳 氏名不詳 紀元前161年紀元前129年
衛右渠 衛右渠 위우거 紀元前129年紀元前108年

三韓[編集]

馬韓[編集]

  1. 哀王(準)
  2. 康王(卓)
  3. 安王(龕)
  4. 恵王(寔)
  5. 明王(武)
  6. 孝王(亨)
  7. 襄王(燮)
  8. 元王(勲)
  9. 稽王(貞)

辰韓[編集]

弁韓[編集]

楽浪国[編集]

  1. 崔理

北帯方(帯方国)[編集]

  • 張氏(国王)

北帯方(帯方州)[編集]

南帯方(帯方郡)[編集]

夫余系・濊貊系[編集]

東扶餘[編集]

  1. 解夫婁王
  2. 金蛙王
  3. 帯素王

   * 曷思王
   * 都頭王

北扶餘[編集]

  1. 解慕漱王
  2. 東明王

(↑↓この間、不詳)

  1. 夫台王
  2. 尉仇台王
  3. 簡位居王
  4. 麻余王
  5. 依慮王
  6. 依羅王
  7. 玄王
  8. 蔚王(※夫余王か疑問)
  9. 孱王

後扶餘[編集]

蓋馬国[編集]

句荼国[編集]

伽耶[編集]

駕洛(本加耶・金官伽耶)[編集]

   0. 加耶世主正見母主
   1. 首露王(太祖・悩窒青裔・正見母主三子)
   2. 居登王(道王)
   3. 麻品王(成王)
   4. 居叱弥王(徳王)
   5. 伊尸品王(明王)
   6. 坐知王(神王)

   7. 吹希王(恵王)
   8. 銍知王(荘王)
   9. 鉗知王(粛王)
  10. 仇衡王(譲王、世宗)

大加耶(高霊伽耶)[編集]

   0. 加耶世主正見母主ko:정견모주
   1. 加耶阿豉今悩窒朱日(内珍朱智・伊珍阿豉・正見母主次子)
   2. 加耶君阿修
   3. 加耶女主毗可(阿修妻・金官駕洛主居登妹)
   4. 加耶女君美理神
   5. 加耶女君河理
 ‐‐‐. (錦林王?)
 ‐‐‐. 己本旱岐
 ‐‐‐. 嘉悉王(賀室王・荷知王)
   9. 異脳王
  10. (月光太子
  16. 道設智王(月光太子と同人か)

阿羅伽耶[編集]

古寧伽耶[編集]

星山伽耶[編集]

小伽耶(固城)[編集]

  1. 末露王
  2. 大阿王
  3. 味雛王
  4. 小干王
  5. 阿島王
  6. 叱駑王
  7. 車阿王
  8. 達拏王
  9. 而衡王

任那[編集]

『新撰姓氏録』に登場する任那王は以下の通りである[5]

  1. 賀羅賀室王
  2. 都怒我阿羅斯等
  3. 牟留知王
  4. 富貴王
  5. 尓利久牟王
  6. 龍主王
  7. 佐利王(龍主王の孫)

高句麗[編集]

高句麗王系図
  1. 東明聖王ツングース民族[6]、在位紀元前37年-紀元前19年)
  2. 瑠璃明王(紀元前19年-紀元18年)
  3. 大武神王(18-44)
  4. 閔中王(44-48)
  5. 慕本王(48-53)
  6. 太祖大王(53-146)
  7. 次大王(146-165)
  8. 新大王(165-179)
  9. 故国川王(179-197)
  10. 山上王(197-227)
  11. 東川王(227-248)
  12. 中川王(248-270)
  13. 西川王(270-292)
  14. 烽上王(292-300)
  15. 美川王(300-331)
  16. 故国原王(331-371)
  17. 小獣林王(371-384)
  18. 故国壌王(384-391)
  19. 広開土王(好太王、391-413)
  20. 長寿王(413-491)
  21. 文咨明王(491-519)
  22. 安臧王(519-531)
  23. 安原王(531-545)
  24. 陽原王(545-559)
  25. 平原王(559-590)
  26. 嬰陽王(590-618)
  27. 栄留王(618-642)
  28. 宝蔵王(642-668)

報徳国[編集]

  1. 安勝(670-683)

小高句麗[編集]

  1. 高宝元(686-699)
  2. 高徳武(699-755)

後高句麗[編集]

  1. 弓裔(901-918)

渤海[編集]

粟末靺鞨[編集]

  1. 突地稽
  2. 李謹行
  3. 乞四比羽
  4. 大祚栄

黒水靺鞨[編集]

  1. 黒水兀児
  2. 胡独鹿
  3. 桃李花

渤海[編集]

渤海王系図
  1. 高王 大祚栄
  2. 武王 大武芸
  3. 文王 大欽茂
  4. 廃王 大元義
  5. 成王 大華璵
  6. 康王 大嵩璘
  7. 定王 大元瑜
  8. 僖王 大言義
  9. 簡王 大明忠
  10. 宣王 大仁秀
  11. 和王 大彝震
  12. 安王 大虔晃
  13. 景王 大玄錫
  14. 大瑋瑎
  15. 哀王 大諲譔

後渤海[編集]

  1. 大光顕(930年?-934年)

定安[編集]

  1. 烈万華(938年?-976年)
  2. 烏玄明(元興、976年-986年)

兀惹[編集]

  1. 烏昭慶(995年-996年)

興遼[編集]

  1. 大延琳(天慶、1029年-1030年)

大渤海(大元)[編集]

  1. 高永昌(隆基、1116年1月-6月)

新羅[編集]

新羅王系図(原寸はW700×H1150px)
  1. 赫居世居西干
  2. 南解次次雄
  3. 儒理尼師今
  4. 脱解尼師今
  5. 婆娑尼師今
  6. 祇摩尼師今
  7. 逸聖尼師今
  8. 阿達羅尼師今
  9. 伐休尼師今
  10. 奈解尼師今
  11. 助賁尼師今
  12. 沾解尼師今
  13. 味鄒尼師今
  14. 儒礼尼師今
  15. 基臨尼師今
  16. 訖解尼師今
  17. 奈勿尼師今
  18. 実聖尼師今
  19. 訥祇麻立干
  20. 慈悲麻立干
  21. 炤知麻立干
  22. 智証麻立干
  23. 法興王(514-540)
  24. 真興王(540-576)
  25. 真智王(576-579)
  26. 真平王(579-632)
  27. 善徳女王(632-647)
  28. 真徳女王(647-654)
  29. 武烈王(654-661)
  30. 文武王(661-681)
  31. 神文王(681-692)
  32. 孝昭王(692-702)
  33. 聖徳王(702-737)
  34. 孝成王(737-742)
  35. 景徳王(742-765)
  36. 恵恭王(765-780)
  37. 宣徳王(780-785)
  38. 元聖王(785-798)
  39. 昭聖王(798-800)
  40. 哀荘王(800-809)
  41. 憲徳王(809-826)
  42. 興徳王(826-836)
  43. 僖康王(836-838)
  44. 閔哀王(838-839)
  45. 神武王(839)
  46. 文聖王(839-857)
  47. 憲安王(857-861)
  48. 景文王(861-875)
  49. 憲康王(875-886)
  50. 定康王(886-887)
  51. 真聖女王(887-897)
  52. 孝恭王(897-912)
  53. 神徳王(912-917)
  54. 景明王(917-924)
  55. 景哀王(924-927)
  56. 敬順王(927-935)

長安[編集]

  1. 金憲昌(822-825)
  2. 金梵文(825-830)

百済[編集]

百済王系図
  1. 温祚王(在位紀元前18年-紀元28年)
  2. 多婁王(28-77)
  3. 己婁王(77-128)
  4. 蓋婁王(128-166)
  5. 肖古王(166-214)
  6. 仇首王(214-234)
  7. 沙伴王(234)
  8. 古尓王(234-286)
  9. 責稽王(286-298)
  10. 汾西王(298-304)
  11. 比流王(304-344)
  12. 契王(344-346)
  13. 近肖古王(346-375)
  14. 近仇首王(375-384)
  15. 枕流王(384-385)
  16. 辰斯王(385-392)
  17. 阿莘王(392-405)
  18. 腆支王(405-420)
  19. 久尓辛王(420-427)
  20. 毗有王(427-455)
  21. 蓋鹵王(455-475)
  22. 文周王(475-477)
  23. 三斤王(477-479)
  24. 東城王(479-501)
  25. 武寧王(501-523)
  26. 聖王(523-554)
  27. 威徳王(554-598)
  28. 恵王(598-599)
  29. 法王(599-600)
  30. 武王(600-641)
  31. 義慈王(641-660)

小百済[編集]

  1. 扶余豊璋(660-663)
  2. 扶余隆(677-682)
  3. 扶余敬

後百済[編集]

  1. 甄萱(900-935)
  2. 甄神剣(935-936)

後沙伐[編集]

  1. 朴彦昌(927-929)

耽羅国[編集]

  1. 高乙那王紀元前2337年-紀元前2206年
  2. 建王紀元前2206年-紀元前1767年
  3. 三継王紀元前1767年-紀元前1123年
  4. 日望王紀元前1123年-紀元前935年
  5. 島済王紀元前935年-紀元前771年
  6. 彦卿王紀元前771年-紀元前619年
  7. 宝明王紀元前619年-紀元前520年
  8. 幸天王紀元前520年-紀元前426年
  9. 歓王紀元前426年-紀元前315年
  10. 湜王紀元前315年-紀元前247年
  11. 煜王紀元前247年-紀元前207年
  12. 煌王紀元前207年-紀元前157年
  13. 偉王紀元前157年-紀元前105年
  14. 栄王紀元前105年-紀元前58年
  15. 厚王紀元前58年-紀元前7年
  16. 斗明王紀元前7年-43年
  17. 善主王43年-93年
  18. 知南王93年-144年
  19. 聖邦王144年-195年
  20. 文星王195年-243年
  21. 翼王243年-293年
  22. 之孝王293年-343年
  23. 淑王343年-393年
  24. 賢方王393年-423年
  25. 琪王423年-453年
  26. 冉王453年-483年
  27. 指雲王483年-508年
  28. 瑞王508年-533年
  29. 多鳴王533年-558年
  30. 談王558年-583年
  31. 体参王583年-608年
  32. 声振王608年-633年
  33. 鴻王633年-658年
  34. 処良王658年-683年
  35. 遠王683年-708年
  36. 表倫王708年-733年
  37. 迥王733年-758年
  38. 致道王758年-783年
  39. 勗王783年-808年
  40. 天元王808年-833年
  41. 好恭王833年-858年
  42. 昭王858年-883年
  43. 敬直王883年-908年
  44. 岷王908年-933年
  45. 自堅王933年-938年

高麗[編集]

高麗王の系図
  1. 太祖(918-943)
  2. 恵宗(943-945)
  3. 定宗(945-949)
  4. 光宗(949-975)
  5. 景宗(975-981)
  6. 成宗(981-997)
  7. 穆宗(997-1009)
  8. 顕宗(1009-1031)
  9. 徳宗(1031-1034)
  10. 靖宗(1034-1046)
  11. 文宗(1046-1083)
  12. 順宗(1083)
  13. 宣宗(1083-1094)
  14. 献宗(1094-1095)
  15. 粛宗(1095-1105)
  16. 睿宗(1105-1122)
  17. 仁宗(1122-1146)
  18. 毅宗(1146-1170)
  19. 明宗(1170-1197)
  20. 神宗(1197-1204)
  21. 熙宗(1204-1211)
  22. 康宗(1211-1213)
  23. 高宗(1213-1259)
  24. 元宗(忠敬王、1259-1274)
  25. 忠烈王(1274-1308)
  26. 忠宣王(1308-1313)
  27. 忠粛王(1313-1339)
  28. 忠恵王(1339-1344)
  29. 忠穆王(1344-1348)
  30. 忠定王(1348-1351)
  31. 恭愍王(1351-1374)
  32. 禑王(前廃王、1374-1388)
  33. 昌王(後廃王、1388-1389)
  34. 恭譲王(1389-1392)

李氏朝鮮[編集]

  1. 太祖(李成桂、1393-1398)
  2. 定宗(李曔、1399-1400)
  3. 太宗(李芳遠、1401-1418)
  4. 世宗(李裪、1418-1450)
  5. 文宗(李珦、1450-1452)
  6. 端宗(李弘暐、1452-1455)
  7. 世祖(李瑈、1455-1468)
  8. 睿宗(李晄、1468-1469)
  9. 成宗(李娎、1469-1494)
  10. 燕山君(李㦕、1494-1506)
  11. 中宗(李懌、1506-1545)
  12. 仁宗(李峼、1545-1545)
  13. 明宗(李峘、1545-1567)
  14. 宣祖(李昖、1567-1608)
  15. 光海君(李琿、1608-1623)
  16. 仁祖(李倧、1623-1649)
  17. 孝宗(李淏、1649-1659)
  18. 顕宗(李棩、1659-1674)
  19. 粛宗(李焞、1674-1720)
  20. 景宗(李昀、1720-1724)
  21. 英祖(李昑、1724-1776)
  22. 正祖(李祘、1776-1800)
  23. 純祖(李玜、1800-1834)
  24. 憲宗(李烉、1834-1849)
  25. 哲宗(李昪、1849-1863)
  26. 高宗(李㷩、1863-1897)

大韓帝国[編集]

  1. 高宗(1897-1907)
  2. 純宗(1907-1910)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 宇山卓栄 (2022年6月18日). “日本文明は「中華の衛星文明」なのか、それとも独立文明なのか調査”. 現代ビジネス. オリジナルの2022年6月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220618123317/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96257?page=2 
  2. ^ a b c 宇山卓栄 (2019年4月7日). “日本の天皇をなお「日王」と呼ぶ人々の複雑感情”. 東洋経済オンライン. オリジナルの2021年5月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210522004855/https://toyokeizai.net/articles/-/274268?page=3 
  3. ^ “임제(林悌)”. 韓国民族文化大百科事典. http://encykorea.aks.ac.kr/Contents/Item/E0047637 2022年7月23日閲覧。 
  4. ^ a b 宮脇淳子 『韓流時代劇と朝鮮史の真実』扶桑社、2013年8月8日、107頁。ISBN 459406874X 
  5. ^ 『新撰姓氏録』諸蕃条
  6. ^
    • セルゲイ・シロコゴロフ英語版「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている」セルゲイ・シロコゴロフ 『北方ツングースの社会構成』岩波書店〈東亜研究叢書〈第5巻〉〉、1941年、285-287頁。 
    • 白鳥庫吉「『濊貊は果たして何民族と見做すべきか』濊貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう」白鳥庫吉 『塞外民族史研究』岩波書店〈白鳥庫吉全集〈第4巻〉〉、1970年1月1日、536頁。 
    • 井上秀雄「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう」井上秀雄 『東アジア民族史 1―正史東夷伝』平凡社東洋文庫264〉、1974年12月1日、103頁。ISBN 4582802648 
    • 加藤九祚「高句麗は北扶余から発したというが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」加藤九祚 『北東アジア民族学史の研究―江戸時代日本人の観察記録を中心として』恒文社、1986年3月1日、156頁。ISBN 978-4770406385 
    • 鳥越憲三郎「高句麗は紀元前1世紀末、ツングース系の濊族によって建国」鳥越憲三郎 『古代朝鮮と倭族―神話解読と現地踏査』中央公論新社中公新書〉、1992年7月1日。ISBN 978-4121010858 
    • 浜田耕策「前3世紀ごろモンゴル系民族に押し出されて朝鮮半島北東部に南下し、夫余、高句麗、沃沮を構成したツングース系の諸族を含むのである」日本大百科全書濊貊』 - コトバンク
    • 護雅夫「高句麗は東北アジア、満州にいたツングース系民族」日本大百科全書騎馬民族』 - コトバンク
    • 諏訪春雄「朝鮮で高句麗や百済を建国した夫余族はツングース系の遊牧民族」諏訪春雄. “諏訪春雄通信 50”. オリジナルの2002年10月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20021014051104/https://www-cc.gakushuin.ac.jp/~ori-www/suwa-f06/suwa50.htm 
    • 黄文雄「遼東や北満の地は、かつて高句麗人、渤海人などの(中略)ツングース系諸民族が活躍した地である」黄文雄 『韓国は日本人がつくった』ワック〈WAC BUNKO〉、2005年5月1日。ISBN 4898315313 
    • 黄文雄「そもそも高句麗も渤海国もツングース系の国家であった。女真人や満州人の国家が中国に滅ぼされたあと、清が消えてから、かつてのツングース・女真系の国々は支那と朝鮮のどちらの歴史に属するのか争うことになり、支那は正統なる相続人として、中国一八省以外に満州の地を東北三省として蒙古、新疆、西蔵をも相続し、中華民国から人民共和国の『絶対不可分の神聖なる固有領土』と主張したいのである。コリアは第二次世界大戦後、南北に二分したものの、旧高句麗や渤海の一部だった(北)朝鮮の地を国史(国定官史)にし、牝熊やタマゴという伝説からコリア人の祖先の地と主張するのも、近代国家としての領土観からすれば、実際『キリがない』の一言に尽きる」黄文雄 『克 中韓論』イースト・プレス、2015年3月15日、88頁。ISBN 4781613144 
    • 長野正孝「高句麗はツングース系の騎馬民族がつくった国家で、定住化によって遊牧から次第に離れたが、騎馬による戦力は絶大なものがあった」長野正孝 『古代史の謎は「鉄」で解ける 前方後円墳や「倭国大乱」の実像』PHP研究所PHP新書〉、2015年10月15日、15頁。ISBN 978-4569827285 
    • 宮家邦彦「高句麗は紀元前三七年、マンジュ地方の鴨緑江付近で興ったツングース系国家であり、四世紀中ごろに南下して、楽浪郡北部を征服した」宮家邦彦 『哀しき半島国家 韓国の結末』PHP研究所PHP新書〉、2014年10月15日、160頁。ISBN 978-4569822266 
    • 豊田隆雄「高句麗は、韓族で構成される新羅や百済と違って北方のツングース系の国家」豊田隆雄 『本当は怖ろしい韓国の歴史』彩図社、2016年10月17日、9頁。ISBN 978-4801301856 
    • 薗田香融「今の北朝鮮に当る部分にはツングース系の高句麗」薗田香融 『日本古代の貴族と地方豪族』塙書房、1992年1月1日、259頁。ISBN 978-4827310863 
    • 埴原和郎「歴史時代に興亡した扶余も、靺鞨も、高句麗や渤海も、濊や沃沮などもツングース系だといわれている」埴原和郎 編 『日本人と日本文化の形成』朝倉書店、1993年5月1日、211頁。ISBN 978-4254101225 
    • 酒井忠夫「高句麗(北満の半農半牧のツングース族が漢代以後中国文化の影響により興り建国)」酒井忠夫 『世界史研究』績文堂出版〈新学生研究叢書〉、1953年、128頁。 
    • 渡部昇一「東洋史の上で遼とか金とか高句麗とか渤海とか清とか言うのもツングースである」渡部昇一 『ことばの発見』中央公論新社、1977年6月1日、87頁。ISBN 978-4120004780 
    • 三上次男「広く東北アジアに居住する諸族を当昔にわたって見わたすと、東部シベリアから、東満洲、北朝鮮の山岳森林地帯には、古の貊や高句麗、中世以後の女真、満洲など、いわゆるツングース系の語族が変らない大勢力を擁していたことがわかる」三上次男 『古代東北アジア史研究』吉川弘文館〈東北アジア史研究〈第2〉〉、1966年、87頁。 
    • 青木慶一「オロッコ - ツングースなどから成る高句麗が次第に南進して百済を圧迫するに至った」青木慶一 『民衆と戦争』東明社、1978年11月、40頁。 
    • 成瀬治「すなわち、五胡が中国の華北に侵入し、騎馬民族の高句麗が朝鮮に勢力を拡大したころ、高句麗と同じツングース系の騎馬民族」成瀬治 『世界史の意識と理論』岩波書店〈世界歴史叢書〉、1977年1月1日、116頁。 
    • 沖浦和光「ツングース族などの騎馬民族系は、南下してきて朝鮮の北部に高句麗を建国します。話が長くなるので略しますが、それから百済王朝を攻め滅ぼします」五木寛之沖浦和光 『辺界の輝き―日本文化の深層をゆく』岩波書店、2002年3月28日、32頁。ISBN 4000247026 
    • 白崎昭一郎「『言語法俗大抵与句麗同』というから、高句麗と同系で、恐らくツングース系の民族であったろう」白崎昭一郎 『広開土王碑文の研究』吉川弘文館、1993年6月1日、49頁。ISBN 464202266X 
    • 水野祐「朝鮮半島へ南下した大陸系北方民族が、高句麗にしても、扶余にしても、濊にしても、いずれもみな満州に原住したツングース系統と考えられている」水野祐 『古代の出雲』吉川弘文館〈日本歴史叢書〉、1996年3月1日、300頁。ISBN 4642066357 
    • 小島直記「朝鮮には、西暦紀元頃、ツングース系の高句麗と、そして漢民族の移民とが住んでいたという」小島直記 『松永安左エ門の生涯』松永安左エ門伝刊行会、1980年10月、1073頁。 
    • 外山軍治礪波護「高句麗を建てたのは、古くから満州東部から朝鮮半島の北東部に移り住んだ貊族の一種である」「貊族はツングース系統に属する」外山軍治礪波護 『隋唐世界帝国』人物往来社〈東洋の歴史5〉、1967年、20頁。 
    • 佐々木高明「高句麗や渤海も、濊や沃沮などもツングース系の民族だといわれている」佐々木高明 『地域と農耕と文化―その空間像の探求』大明堂、1998年10月1日、317頁。ISBN 978-4470430413 
    • 村上四男「高句麗の国都が鴨緑江辺の丸都から大同江畔平壌に移ったのは長寿王代427年のことであるが、広開土王の没後まもなき414年に建立された広開土王碑に見られる始祖伝説や、さらに長寿王代の高句麗人が北魏に使した時に、かの地において物語ったところを、そのまま伝えたと思われる『魏書』高句麗伝に記載されている始祖伝説をば、後漢王充が著わした『論衡』や、魚豢が著わした『魏略』に引かれている旧志の始祖伝説と比較検討すれば、高句麗の始祖神話は元来はツングース系の感精型であったのが、5世紀入って南方系の卵生型に加え、いわゆる複合型に発展していったことが知られる。高句麗は小獣林王代に中国から仏教を受けいれ、また律令を採用し太学を建てて国家組織を整えたが、広開土王代には国勢が飛躍して、その領土は南方では漢江流域におよび、さらに長寿王代には百済を打倒して漢江流域を確保し、満洲では遼東を占領した。かくて高句麗国はまったく農業国家と化した。この王代に高句麗が南方型の卵生神話を採り入れたのは、卵生神話を奉ずる韓民族(すなわち農耕民族)の地を支配するようになった政治的背景の生じたことに由来したのである」佐伯, 富羽田, 明山田, 信夫 他 編 『東洋史―大学ゼミナール』法律文化社、1990年1月1日、195頁。ISBN 4589004747 
    • 布目潮渢山口修「ところで公孫氏はほろびたものの、鴨緑江の中流域には、高句麗の国がある。ツングース系の民族が建てた国であった」布目潮渢山口修 『世界の歴史 六朝と隋唐帝国』社会思想社現代教養文庫〉、1974年7月1日、51-52頁。ISBN 4390108247 
    • 宇山卓栄「朝鮮の歴史書『三国史記』によると、扶余の王族朱蒙紀元前37年に高句麗を建国したとされます。さらに、扶余族は南方に拡散し、朝鮮半島南西部に百済を建国します。7世紀の中国の史書『周書』や『隋書』では、百済の王族が扶余族出身で、高句麗王族とも血縁関係があったことが記されています。百済の都は当初、ソウルを流れる漢江の南の漢城に定められました。その後、高句麗に圧迫されて、475年、南の錦江中流の熊津、つまり現在の公州に遷都し、更に538年に、錦江下流の泗沘に遷都しています。泗沘は新羅時代の8世紀半ばに、彼らの民族名を偲び、『扶余』と名付けられて、今日に至ります。百済の最後の都の扶余は百済歴史遺跡地区として、2015年世界遺産に登録されています。高句麗や百済の歴史からもわかるように、古代朝鮮半島はツングース系の扶余族によって支配されていました。扶余族は濊や貊から派生した部族であり、これが朝鮮人のルーツであると言うことができます」宇山卓栄 (2022年6月22日). “韓国人は、漢民族に「臭穢不潔」と蔑まれたツングース系民族「濊」の末裔なのか”. 現代ビジネス. オリジナルの2022年6月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220622034853/https://gendai.ismedia.jp/articles/-/96612?page=2 

関連項目[編集]