額賀福志郎

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日本の旗 日本の政治家
額賀 福志郎
ぬかが ふくしろう
Fukushiro Nukaga, 23 Apr 2006.jpg
生年月日 (1944-01-11) 1944年1月11日(72歳)
出生地 日本の旗 日本 茨城県行方郡小高村
(現・行方市
出身校 早稲田大学第一政治経済学部
前職 産経新聞社記者
所属政党 自由民主党額賀派
称号 経済学士
親族 父・額賀万寿夫(町議会議員)
公式サイト 額賀 福志郎

日本の旗 第7代-8代 財務大臣
内閣 第1次安倍改造内閣
福田康夫内閣
在任期間 2007年8月27日 - 2008年8月2日

日本の旗 第72代 防衛庁長官
内閣 第3次小泉改造内閣
在任期間 2005年10月31日 - 2006年9月26日

内閣 第2次森改造内閣 (中央省庁再編後)
在任期間 2001年1月6日 - 2001年1月23日

内閣 第2次森改造内閣 (中央省庁再編前)
在任期間 2000年12月5日 - 2001年1月5日

日本の旗 第60代 防衛庁長官
内閣 小渕内閣
在任期間 1998年7月30日 - 1998年11月20日

その他の職歴
日本の旗 衆議院議員
1983年12月19日 - 現職)
茨城県の旗 茨城県議会議員
1978年12月 - 1983年12月)
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額賀 福志郎(ぬかが ふくしろう、旧字体:福志郞1944年昭和19年)1月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。平成研究会会長、日韓議員連盟会長。

防衛庁長官(第6072代)、経済企画庁長官第58代)、経済財政政策担当大臣初代)、財務大臣(第78代)、自由民主党政務調査会長(第45代)、内閣官房副長官第2次橋本改造内閣小渕第2次改造内閣)等を歴任した。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

茨城県行方郡小高村(後の麻生町、現・行方市)生まれ。父・額賀万寿夫は地元の森林組合長や村議会・町議会議員を務め、橋本登美三郎の後援会・西湖会の幹部でもあった。

佼成学園高等学校早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。佼成学園高等学校への進学は、立正佼成会の信徒であった額賀の母の希望だったといわれる。

早大在学中は雄弁会に所属。卒業後は産経新聞社に入社し、記者として静岡支社、本社経済部、政治部に配属される。政治部では三木武夫田中派の番記者であった。

政治家として[編集]

1978年、産経新聞社を退社。同年12月、茨城県議会議員選挙に地元・行方郡選挙区から出馬し、初当選する。出馬に際しては父も後援会幹部だった橋本の支援を受けた。

1983年、前回の選挙で落選した橋本の地盤を引き継ぎ、第37回衆議院議員総選挙旧茨城1区から出馬。この時は自由民主党の公認を得られず無所属で出馬したが、党茨城県連の推薦を受けて4位で初当選し、追加公認を受けた。当選後はかつて番記者を務めていた田中派に所属するが、竹下登が派を割る形で創政会を結成した際はいち早く竹下の下に馳せ参じた。

1997年、第2次橋本改造内閣内閣官房副長官に起用される。

翌1998年小渕内閣防衛庁長官に任命され初入閣するが、防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって同年10月16日に参議院で額賀に対する問責決議案が可決され(当時自民党は参院で単独過半数を占めていなかったため)、11月に防衛庁長官を辞任に追い込まれた。なお、このスキャンダルをめぐり多くの防衛庁幹部が引責辞任したため、額賀は当時防衛施設庁施設部長だった守屋武昌を、防衛庁長官官房長に抜擢している。

1999年、小渕再改造内閣で再度官房副長官に就任。

2000年、第2次森改造内閣経済企画庁長官に任命され、2度目の入閣。

2001年11月の省庁再編により、初代経済財政政策担当大臣に就任する。しかしKSD事件をめぐり、KSDから1500万円の献金を受領していたため、2度目の閣僚辞任を余儀なくされる。

2001年の小泉純一郎自由民主党総裁就任後、小泉によって「抵抗勢力」の代表格とされた橋本派は厳しい立場に追い込まれるが、額賀自身は2003年に自由民主党政務調査会長に起用されている。政調会長時代には、自民党政権の聖域であった税制調査会の改革に踏み切り、長老クラスの税調メンバー(インナー)による非公式幹部会の廃止を要請。ベテラン議員だけで税制が最終決定される、党税調の閉鎖的な仕組みの廃止に踏み切った。

2005年には第3次小泉改造内閣で再度防衛庁長官に任命される。この間、派内のライバルであった鈴木宗男が汚職で、藤井孝男郵政民営化法案採決での造反により離党したため、橋本派を引き継いだ津島派で唯一、総裁候補に目される存在になった。ポスト小泉をめぐる2006年自由民主党総裁選挙への出馬にも意欲を見せていたが、久間章生らの反対により立候補を見送った。

2007年、安倍改造内閣財務大臣に任命される。額賀は経済企画庁長官や経済財政政策担当大臣を務めた経験があるが、財務省にはあまり縁がなかったため、額賀の財務相起用は財務省からもやや意外性をもって受け止められた。しかし、安倍は内閣改造後間もなく突然辞意を表明し、額賀は「私は先頭に立つつもりです」と、安倍の後継総裁を選出する2007年自由民主党総裁選挙への出馬を示唆した。

ところが福田康夫の出馬が伝えられると、津島派の石破茂船田元は福田を、また鳩山邦夫久間章生は同じく出馬を表明していた麻生太郎幹事長への支持を表明したため、額賀自身は福田と政策協定を結ぶ形で出馬を断念した。福田康夫内閣でも財務大臣に再任され、翌年の内閣改造に伴い退任。福田首相辞任に伴う2008年自由民主党総裁選挙では、津島派から石破が出馬する一方、前参議院議員会長の青木幹雄与謝野馨を支持した。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、当初は茨城2区の民主党候補者の選定が遅れたため額賀の優勢が伝えられていたが、民主党新人の石津政雄に敗れ、重複立候補していた比例北関東ブロックで復活して9選。なお額賀が小選挙区で落選(比例復活)したのはこの選挙が初めてである。選挙後、引退を表明した[1]津島雄二の後任として津島派の会長に指名され[2]、この決定が9日の津島派臨時総会で了承され[3]、会長に就任。

2012年第46回衆議院議員総選挙で小選挙区で返り咲き10選。なお、当選時点での自民党の各派閥会長では病気の身であった町村信孝(後に75代衆議院議長)を除けば唯一、閣僚・衆参議長・党三役のいずれにも就いていない。

同年12月の第47回衆議院議員総選挙で小選挙区で11選。

政策・主張[編集]

  • 防衛庁長官在任中、小泉純一郎首相から一任を受けて対応に当たることになった普天間基地移設問題では普天間基地返還に伴う代替施設としては様々な複数の案が出ては消えていって方針が定まらなかった中で、辺野古沿岸部埋め立てにおける基地建設を提言。現地視察による沖縄関係者や米国政府要人との対談を経て、離陸用と着陸用の滑走路を分けて住宅地上空を外れることで騒音軽減を図る「V字型滑走路案」[4]を出し、2006年に名護市長とアメリカ側の合意を取り付けて、普天間基地返還の具体化に道筋をつけた[要出典]
  • 防衛庁長官を2度務めたが、いずれも在任中に北朝鮮によるミサイル発射実験が行われた。1度目が1998年の発射実験、2度目が2006年の発射実験である。後者では、日本に甚大かつ深刻な被害をもたらすことが明白な核兵器や生物化学兵器を搭載した弾道ミサイルが敵国の基地から発射されることが明らかに予見される場合、先制的自衛権の行使、つまり敵国のミサイル基地を発射前に攻撃して破壊する能力の保有を検討すべき時がきたと述べ、自衛戦争論に一歩踏み込んだ考えを示した[要出典]。 
  • 2007年5月「巡航ミサイル・トマホークのような精密誘導兵器の保有が必要か議論し、合理的な結論を出さければならない」「多数の弾道ミサイルで何度も攻撃を受ける場合、BMDだけに依存した防衛が完璧かどうかは検討しなければならない」と述べ、米国の打撃力を補完し、敵からのミサイル攻撃を積極的に防御する能力としてトマホークをあげた[要出典]
  • 2008年2月、東京で行われた先進国財務相会議では議長を務め、共同声明において「財政上の措置で国内エネルギー価格を人為的に引き下げることは避けるべき」と述べた。この声明はいわゆるガソリン国会において、ガソリン税の暫定税率維持のために議長特権で挿入されたと指摘があったが、額賀は「参加国の総意として掲げた」として議長特権を否定した。また民主党の政局戦術の影響で4月にガソリンの値段が大幅に引き下げられた際に、財務大臣として道路予算削減か暫定税率復活か迫られた際には、早期の暫定税率復活を求める方針を示して、5月に暫定税率を復活させた[要出典]
  • 選択的夫婦別姓制度導入にどちらかというと賛成[5]

人物[編集]

  • 穏やかな話し方をし、感情的になることはほとんどない、と守屋武昌は評している[6]
  • 1994年6月の首班指名で鈴木宗男が党議に逆らって海部俊樹に投票して党内と派閥内で孤立した際、額賀は孤立した鈴木の擁護に回った。そのことで鈴木は額賀に恩義を感じ、一目を置くようになった、という[7]

その他[編集]

山田洋行関連

守屋武昌防衛事務次官が防衛省を納入先とする軍需商社山田洋行宮﨑元伸元専務から倫理規定に反してゴルフや飲食の接待を受けていた問題で、2007年10月29日の衆議院に続き、11月15日の参議院外交防衛委員会での証人喚問に応じた守屋が、自身が宮﨑から料亭で接待を受けた際、額賀と久間章生防衛大臣が同席していた、と主張した(山田洋行事件)。額賀は、守屋の証人喚問当日の午後、財務省内で記者団の質問に応え、「記憶にない」とした上、これまでも、10月30日の大臣記者会見[8]や、11月7日の衆議院テロ防止・イラク支援特別委員会での民主党・川内博史衆議院議員の質問[9]に対しても、宮﨑側から接待や招待を受けたことはないと証言しており、守屋の主張と食い違う結果となっている。なお、2008年1月、守屋は証人喚問での証言に偽証があったとして国会から偽証罪として告発されている。一方、額賀は2002年から2006年の間に山田洋行にパーティー券約220万円分を購入してもらったことを明らかにした。これらの証言を受け、民主党は、追及を強めたが、額賀は同席を否定。野党は11月27日に、参議院財政金融委員会において、12月3日の外交防衛委員会での額賀の証人喚問を決定したが、その後、守屋が東京地検逮捕され、証人喚問は見送られた。

事務所の登記について

額賀が代表を務める自民党支部が、茨城県行方市の事務所を1997年11月に新築したものの登記せずに使用したとていたと指摘された[10]。なお、当支部は、政治資金収支報告書上には事務所建物をきちんと記入しており、また、業者が登記を怠っていたが固定資産税は支払っていた、としている[10]

所属団体・議員連盟[編集]

著書[編集]

  • 『大都市再生の戦略―政・産・官・学の共同声明』 ISBN 4-657-00522-7
  • 『地方都市再生の戦略―政・産・官・学の共同声明』 ISBN 4-657-01928-7

脚注[編集]

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  1. ^ 津島派会長引退、後継は額賀元財務相中心に 2009年7月19日読売新聞閲覧
  2. ^ 自民党:津島派会長に額賀福志郎氏
  3. ^ 自民党:津島派新会長に額賀氏就任を了承
  4. ^ 発案は守屋次官と言われている。
  5. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
  6. ^ 守屋武昌『「普天間」交渉秘録』(新潮社)
  7. ^ 北海道新聞 虚実「鈴木宗男」を追う
  8. ^ 額賀財務大臣閣議後記者会見の概要2007年10月30日 - 財務省
  9. ^ 衆議院インターネット審議中継 -ビデオライブラリ2007年11月7日(水)テロ防止・イラク支援特別委員会 民主党・無所属クラブ 川内博史
  10. ^ a b 「2007/08/28-20:09――額賀財務相代表の自民支部、10年未登記=新築後の建物、「業者任せ」――茨城」『時事ドットコム:記事検索本文時事通信社、2007年8月28日。
  11. ^ a b c 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年
  12. ^ パーティ券リストの面々 しんぶん赤旗 2003年9月12日

外部リンク[編集]

公職
先代:
尾身幸次
日本の旗 財務大臣
第7・8代:2007年 - 2008年
次代:
伊吹文明
先代:
久間章生
大野功統
日本の旗 防衛庁長官
第60代:1998年
第72代:2005年 - 2006年
次代:
野呂田芳成
久間章生
先代:
創設
日本の旗 経済財政政策担当大臣
初代:2001年
次代:
麻生太郎
先代:
堺屋太一
日本の旗 経済企画庁長官
第58代:2000年 - 2001年
次代:
経済財政政策担当大臣へ移行
先代:
鈴木宗男
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当・衆議院)
1999年 - 2000年
次代:
安倍晋三
先代:
与謝野馨
日本の旗 内閣官房副長官(政務担当)
1997年 - 1998年
次代:
鈴木宗男上杉光弘
議会
先代:
創設
日本の旗 衆議院情報監視審査会長
2015年 -
次代:
現職
先代:
久間章生
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1996年 - 1997年
次代:
村上誠一郎
党職
先代:
麻生太郎
自由民主党政務調査会長
第45代:2003年 - 2004年
次代:
与謝野馨
先代:
津島雄二
平成研究会会長
第5代:2009年 -
次代:
現職
先代:
北川正恭
自由民主党青年局長
第21代:1989年 - 1990年
次代:
中川昭一