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藤沢幾之輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤沢 幾之輔ふじさわ いくのすけ
生年月日 1859年3月20日
安政6年2月16日
出生地 江戸幕府陸奥国宮城郡仙台清水小路(現:宮城県仙台市若林区
没年月日 (1940-04-03) 1940年4月3日(81歳没)
死没地 大日本帝国の旗 日本東京府東京市本郷区本富士町(現:東京都文京区本郷
帝大附属病院
出身校 宮城英語学校
茂松法学舎
前職 弁護士
所属政党立憲改進党→)
進歩党→)
憲政本党→)
立憲国民党→)
立憲同志会→)
憲政会→)
立憲民政党→)
同成会
称号 従二位
勲一等旭日大綬章
大日本帝国の旗 第28代 衆議院議長
在任期間 1930年4月21日 - 1931年4月13日
天皇 昭和天皇
大日本帝国の旗 第4代 商工大臣
内閣 第1次若槻内閣
在任期間 1926年9月14日 - 1927年4月20日
在任期間 1934年6月15日 - 1940年4月3日
在任期間 1931年4月13日 - 1934年6月20日
選挙区 (宮城県第3区→)
(宮城県第1区→)
(宮城県仙台市区→)
(宮城県郡部区→)
(宮城県第3区→)
宮城県第1区
当選回数 13回
在任期間 1892年2月15日 - 1893年12月30日
1898年3月15日 - 1920年2月26日
1924年5月10日 - 1931年4月13日
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藤沢 幾之輔(ふじさわ いくのすけ[1][2]1859年3月20日安政6年2月16日[1] - 1940年昭和15年〉4月3日[1][3])は、明治大正、昭和期の日本政治家弁護士衆議院議員衆議院議長[1][4]、第1次若槻禮次郎内閣の商工大臣[1][4]貴族院議員を歴任した[4]。号は成天[1][4]

来歴・人物

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1859年3月20日(安政6年2月16日)、陸奥国仙台清水小路(現:宮城県仙台市若林区)の屋敷にて仙台藩の太刀上の藤沢敬治(景翼)の長男として生まれる[1][4]。藩一家の中村家新田氏)の分家で、祖父は源左衛門で父は養子であった。同年父は江戸勤務となり、1862年9月14日(文久2年8月21日)に祖父が死去したため、知行地の栗原郡栗駒山下沼倉村に移住した。1863年(文久3年)、父は伊達慶邦公の京都上洛先手役となった。幾之輔は沼倉の寺子屋に通い、漢文を山下平三郎、手習を丹野平内に学んだ。明治維新後の1869年(明治2年)、沼倉から仙台の中島丁に移り、横田官平(一義)や日下博道、養賢堂教師の平井東園のもとで学んだ。15歳で函館に遊学した。

1875年(明治8年)に宮城英語学校[1][4]に入学、同級生には国分青崖や鈴木熊太郎、三田義正菅原恒覧などがいた。しかし1876年(明治9年)に廃校となったため、片平町にあった岡鹿門の麟経堂で学んだ。18歳で上京して神田今川小路にあった、茂手木慶信と松井が設立した茂松法学舎で学んだ[1]。同郷の岩崎総十郎と勉学に励んだ。1879年(明治12年)、司法試験に合格し、弁護士を開業する[1][4]1889年(明治22年)、仙台市会議員に当選し、政界入りする[1][4]。その後仙台市会参事会員[1]、仙台市会議長[1][4]、宮城県会議員[1][4]、宮城県会常置委員[1]、宮城県会議長を経て[1][4]1892年(明治25年)には第2回衆議院議員総選挙に立候補し当選する[1][4]。当選回数13回[1][4]

藤沢は立憲改進党系の政党に身を置き[1][4]憲政本党常議員[1][4]立憲同志会総務、憲政会総務[1][4]立憲民政党総務[1][4]、衆議院予算委員長を歴任した。1915年(大正4年)、逓信省内務省各参政官に就任[1]1926年(大正15年)には第1次若槻内閣商工大臣として入閣する[1][4]1930年(昭和5年)、衆議院議長に選出される[1][4]1931年(昭和6年)4月13日には貴族院議員に勅選され[4][5]同成会に所属し1934年(昭和9年)6月20日まで在任し[5]、同年、枢密顧問官に任命された[1][4]。1938年(昭和13年)1月16日、老年につき特旨を以て宮中杖が許される[6]。墓所は輪王寺にある。

栄典

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位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲四等旭日小綬章[7][12]
1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章[13]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[7][14]
1916年(大正5年)4月1日 勲三等旭日中綬章[7][15]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[16]
1926年(大正15年)10月9日 勲二等瑞宝章[7][17]
1930年(昭和5年)12月5日 帝都復興記念章[18]
1931年(昭和6年)12月12日 勲一等瑞宝章[7][19]
1940年(昭和15年)4月3日 旭日大綬章[7][11]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1934年(昭和9年)3月1日 満洲国 満州帝国 建国功労章[7]
賞杯等

逸話

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  • 石川啄木歌集悲しき玩具』に収められている「藤沢といふ代議士を/弟のごとく思ひて、/泣いてやりしかな。」という短歌は、幾之輔をモデルとしている。

伝記

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脚注・出典

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  1. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 『日本人名大事典 現代』、673頁。
  2. 『コンサイス日本人名事典 第4版』、1123頁。
  3. 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』158頁。
  4. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 『コンサイス日本人名事典 第4版』、1124頁。
  5. 1 2 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、43頁。
  6. 宮内庁『昭和天皇実録第七』東京書籍、2016年3月30日、500頁。ISBN 978-4-487-74407-7
  7. 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 藤沢幾之輔 アジア歴史資料センター Ref.A06051180700 
  8. 『官報』第4237号「叙任及辞令」1926年10月7日。
  9. 『官報』第2680号「叙任及辞令」1935年12月7日。
  10. 『官報』第3644号「叙任及辞令」1939年3月1日。
  11. 1 2 『官報』第3974号「叙任及辞令」1940年4月8日。
  12. 『官報』第7272号「授爵・叙任及辞令」1907年9月23日。
  13. 『官報』第205号・付録「辞令」1913年4月9日。
  14. 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  15. 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  16. 『官報』第2873号・付録「辞令」1922年3月3日。
  17. 『官報』第4241号「叙任及辞令」1926年10月12日。
  18. 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  19. 『官報』第1488号「叙任及辞令」1931年12月14日。
  20. 『官報』第1568号「彙報 - 褒賞」1917年10月23日。
  21. 『官報』第1982号「叙任及辞令」1919年3月14日。
  22. 『官報』第2147号「叙任及辞令」1919年9月30日。
  23. 『官報』第2712号「叙任及辞令」1921年8月15日。
  24. 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  25. 『官報』第2696号「叙任及辞令二」1935年12月27日。
  26. 『官報』第5277号・付録「叙任及辞令二」1944年8月16日。

参考文献

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  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 『日本人名大事典 現代』平凡社、1979年(昭和54年)7月10日初版第1刷発行、ISBN 4-582-12200-0
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 三省堂編修所編 『コンサイス日本人名事典 第4版』三省堂、2001年(平成13年)9月10日第1刷発行、ISBN 4-385-15803-7


議会
先代
堀切善兵衛
大日本帝国の旗 衆議院議長
第28代:1930年4月21日 - 1931年4月13日
次代
中村啓次郎
公職
先代
片岡直温
大日本帝国の旗 商工大臣
第4代:1926年9月14日 - 1927年4月20日
次代
中橋德五郎