竹中平蔵

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日本の旗 日本の政治家
竹中 平蔵
たけなか へいぞう
Takenaka Heizo 1-1.jpg
生年月日 (1951-03-03) 1951年3月3日(66歳)
出生地 日本の旗 日本 和歌山県和歌山市
出身校 一橋大学経済学部
前職 日本開発銀行設備投資研究所研究員
大蔵省財政金融研究所主任研究員
大阪大学経済学部助教授
ハーバード大学客員准教授兼国際経済研究客員フェロー
慶應義塾大学総合政策学部教授
日本経済研究センター特別顧問
東京財団理事長
フジタ未来経営研究所理事長
政治家参議院議員内閣府特命担当大臣総務大臣
現職 東洋大学国際地域学部教授
関西大学会計専門職大学院客員教授
慶應義塾大学名誉教授
森ビルアカデミーヒルズ理事長
パソナグループ取締役会長
オリックス社外取締役
SBIホールディングス社外取締役
日本経済研究センター研究顧問
外為どっとコム総合研究所主席研究理事
RIZAPグループ経営諮問委員会委員
所属政党 無所属→)
自由民主党→)
引退
公式サイト 竹中平蔵 公式ウェブサイト

日本の旗 第6代 総務大臣
内閣 第3次小泉改造内閣
在任期間 2005年10月31日 - 2006年9月26日

内閣 第1次小泉内閣
第1次小泉内閣第1次改造内閣
第1次小泉内閣第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
在任期間 2001年4月26日 - 2005年10月31日

内閣 第1次小泉内閣第1次改造内閣
第1次小泉内閣第2次改造内閣
第2次小泉内閣
在任期間 2002年9月30日 - 2004年9月27日

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2004年7月26日 - 2006年9月28日
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竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年3月3日 ‐ )は、日本経済学者政治家実業家東洋大学教授慶應義塾大学名誉教授東京財団理事長参議院議員(1期)、内閣府特命担当大臣経済財政政策)、内閣府特命担当大臣(金融)、総務大臣第6代)、郵政民営化担当大臣等を歴任。

専門は経済政策。2016年4月から2017年3月まで東洋大学国際地域学部国際地域学科教授、2017年4月から東洋大学国際学部グローバル・イノベーション学科教授 兼 グローバル・イノベーション学研究センター長、関西大学会計専門職大学院客員教授パソナグループ取締役会長オリックス社外取締役[1]SBIホールディングス社外取締役、森ビルアカデミーヒルズ理事長日本経済研究センター研究顧問、外為どっとコム総合研究所主席研究理事[2]、特定非営利活動法人万年野党アドバイザリーボードメンバー、一般社団法人外国人雇用協議会顧問[3]、一般財団法人教育支援ローバル基金(BEYOND Tomorrow)アドバイザー、新生ホームサービス株式会社特別顧問、内閣日本経済再生本部産業競争力会議(民間)議員、内閣府国家戦略特別区域諮問会議(有識者)議員、RIZAPグループ経営諮問委員会委員等を務める。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

和歌山県和歌山市小松原通にある商店街の小さな履物小売[4]の次男として、1951年昭和26年)に生まれる[5]。実家は近所では比較的裕福な家庭で[4]おじは和歌山で小さなメガネ屋を経営していた[6]

和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校和歌山県立桐蔭高等学校に進む。1973年(昭和48年)に一橋大学経済学部を卒業[5]。大学では国際経済学山澤逸平ゼミに所属[5]。また、大学のマンドリンクラブで指揮者を務めながら、プロの奏者から打楽器を習ったり、編曲を行い、音楽家を目指したが断念[7]仁坂吉伸和歌山県知事とは高校の同級生である。

博士取得まで[編集]

日本開発銀行設備投資研究所で初代所長を務めていた下村治にあこがれ[8]、大学を卒業し同行に入行。1977年(昭和52年)、同所勤務、1981年(昭和56年)、ハーバード大学ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年(昭和57年)、大蔵省財政金融研究室(後、独立機関「―財政金融研究所」となる)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(のちに大蔵省関税局長)の希望で、5年間研究官を務めた。長富からは研究所への移籍をすすめられたが、これを断っている[5]。ちなみにこの時の部下の一人が高橋洋一であった。

研究所在籍中の1984年(昭和59年)には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞。当時の同研究所には、次長の長富祐一郎や筆頭主任研究官の吉田和男がおり、同僚として植田和男、高橋洋一がいた。

大阪大学経済学部教授を務めていた本間正明の誘いで[5]1987年大阪大学経済学部助教授に就任[9]。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官だった山澤逸平は、一橋大の失態であると後年述べている[10]。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。

博士取得後[編集]

1989年平成元年)、日本開発銀行を退職、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任[9]1990年(平成2年)に慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任[9]1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。この年に出版された小沢一郎日本改造計画の執筆に参加。コロンビア大学ビジネススクールにある「日本経営研究センター」(所長はパトリック・ヒュー教授)の客員研究員になる[11]1994年(平成6年)に大阪大学より博士号を取得。1996年(平成8年)に帰国、同年、慶應義塾大学教授に就任。

日本船舶振興会(現日本財団)の交付金で設立された基本財産397億円のシンクタンク「国際研究奨学財団(1999年から東京財団に改組)」の理事に1997年(平成9年)に就任、1998年(平成10年)に同常務理事、1999年(平成11年)に東京財団理事長。1998年(平成10年)に同財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」では、(影の)総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。これは実質竹中による政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた[5]

また日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所(日本マクドナルドシンクタンク)理事長、アサヒビール社外取締役等も務めた。

小渕政権[編集]

1998年(平成10年)7月、小渕内閣の経済戦略会議(議長:樋口廣太郎)の委員に就任。議長代理の中谷巌を中心とした学者グループの一員として、戦略会議の理論的支柱を形成した。この経験が、のちに竹中が経済財政諮問会議を切り回す土台となったとする説もある。

会議の結論としては、日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した[12]。その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した[13]

森政権[編集]

森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。森内閣が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。

小泉政権[編集]

2001年(平成13年)の第1次小泉内閣と、2002年(平成14年)の第1次小泉内閣第1次改造内閣経済財政政策担当大臣金融担当大臣も兼任する。2003年(平成15年)、第1次小泉内閣第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融・経済財政政策を担当。2004年(平成16年)7月、第20回参議院議員通常選挙自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選(史上唯一人の現職民間人閣僚たる新人参院候補)。同年9月、第2次小泉改造内閣において、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当に就任。小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。日本振興銀行に異例の速さで銀行業免許付与。2005年(平成17年)9月、第3次小泉内閣においても役職はそのまま留任。同年10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。2006年(平成18年)9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。 国務大臣の在任期間1980日(2001年4月26日 - 2006年9月26日)は戦後の連続最長在任記録である。

小泉政権後[編集]

2009年1月28日、世界経済フォーラム年次総会にて南アフリカ共和国財務大臣トレヴァー・マニュエル(左)、『タイム編集者ミカエル・エリオット(右)と

小泉政権後は、慶應義塾大学総合政策学部の教授[14]のほか、同大学グローバルセキュリティ研究所所長、日本経済研究センター特別顧問、同センター研究顧問、森ビルアカデミーヒルズ理事長、関西大学会計専門職大学院客員教授を務めている[15]河野太郎山本一太世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。また、人材派遣業パソナにて特別顧問を務めたのち、同社の親会社であるパソナグループの特別顧問を経て取締役会長に就任した。

公募委員[編集]

2012年9月、日本維新の会が、2012年衆院選の候補者を、選定するための「公募委員会」委員長に起用された[16]

安倍政権[編集]

第2次安倍内閣では、2013年1月8日日本経済再生本部の「産業競争力会議」メンバーに内定[17]。現在は、民間議員という立場にある[18]2014年1月からは、内閣府に置かれた、国家戦略特区の特区諮問会議メンバーとしても、活動をしている[19]2014年1月6日田原総一朗宮内義彦ら共に、NPO法人万年野党を設立。5月31日、国家戦略特区のシンポジウム東京六本木で開催する[20]

大臣時代の活動[編集]

2009年6月18日に韓国ソウルで開かれた世界経済フォーラムにて

金融再生プログラム[編集]

金融再生プログラムは通称「竹中プラン」と呼ばれ、不良債権処理を推進すると就任時に演説した小泉総理の命を受け、経済財政政策担当大臣に着任、その後の内閣改造では金融担当大臣を兼務した。竹中の手により不良債権処理プログラムが作成され、銀行の資産査定についてDCF法を採用し厳格化すること、繰延税金資産の計上を適正化すること、自己資本比率の劣る銀行は公的資金を注入することなどの方針が定められた[21]

資産査定を厳格化した結果、りそな銀行の自己資本比率は基準を下回り[22]足利銀行債務超過であることが判明した[23]

郵政民営化[編集]

郵政解散後の第3次小泉内閣にて総務大臣兼郵政民営化担当大臣に登用され、法案作成に携わる。3ヶ月間の政府与党協議では特に前任の総務大臣である麻生太郎などから徹底して批判を受ける[24][25][26]。当初、野党民主党は欠席戦術を敷いていたが、郵政解散後は審議に参加するようになった[27]

税制[編集]

戦後日本の極端な累進課税制は“悪しき結果平等”の価値観を普及させたとして、資本・労働など生産要素に対する課税を大幅に低下させ、かつ税率をフラット化する「フロンティア型の税制」を推奨しており、各労働の潜在能力を積極的に発揮させる意味で、所得税の最高税率を引き下げることが緊急の課題であるとしている[28]。 サラリーマンのうち30%は所得税を一銭も払っておらず[29]、勤労意欲を失うような税制にすべきではない[30]、価値を産みだしている人を罰するつもりでないのなら、税にあまり差を付けない方がいい[31]としている。また、将来的には、収入に関係なく一律に課税する人頭税へ切り替えることを視野に入れた議論を行うことも必要だとしている[28]

格差問題[編集]

「改革で格差が広がったということはない」と発言している[32]OECDの統計では、構造改革期に格差が縮小したことが示されている[33]

「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」というマーガレット・サッチャーの言葉を引用して、高い所得を得ている人がいること自体は解決すべき問題ではなく、努力しても貧しい人たちに社会的救済が必要であると述べた。ゆえに格差論ではなく、貧困論を政策の対象にすべきとしている[34]。また、「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」[35]と述べた。ただし、政府として貧困調査をきちんとすべきであると発言している[36][37]

労働政策については、今日本に一番求められているのは積極的労働市場政策[38]だとし、「団塊の世代の中間管理職が失業すると仕事はない理由は簡単で、役に立たないからです」[38]としている。

非正規雇用については、正社員と非正社員の区別自体が妥当でない、オランダのように全員を正社員にするべきであると述べた[39][40]。また、「問題は、今の正規雇用に関して、経営側に厳しすぎる解雇制約があることだ」と主張し、「解雇規制を緩和する、新たな法律を制定することが必要だ」と述べている[41]。「安倍晋三内閣同一労働同一賃金の法制化を行おうとしたが(労働ビッグバン)、既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べ、経済的不平等の改善には改革が急務であると主張している[37]

「格差が拡大する、それほど激しい競争は日本社会にはない」とし、「ほとんどが制度的な格差ですよ」と述べている[42]

郵政民営化などの経済政策[編集]

郵政民営化など、竹中が進めた経済政策について、「アメリカのいいなりの経済政策を行っている」(対米従属)という批判に対し、竹中は「民間でできることは民間でやることが国民や国全体のためになるという思いでやっている」(官から民へ)、「アメリカのためにやるなどと考えたこともない」などと答弁した[43]

郵政民営化は小泉就任前の持論であっただが[44]、野党は米国政府からの「年次改革要望書」などで示されるアメリカの要望に基づいたものではないかと批判し、これに竹中は「だれがどうこう言ったからということではなくて、国民の経済厚生を高めるために改革を行うという点に基づいて私は改革を進めている」[45]、「郵政の問題について外国の方から直接要望を受けたことは一度もない」「報告書の内容をこれまで読んだことはなかった[44]」と言明した。民主党の櫻井充は、米国通商代表ロバート・ゼーリックから竹中へ宛てた再任祝いの手紙を公表し[44]、それに絡めて民営化された郵政会社がアメリカに買収される可能性を指摘し「拙速にこういう民営化など必要ない」と主張した[46]が、竹中が個人私信であるレターのコピーを何故持っているのかと切り返したところこれは撤回された[44]

また「新自由主義者」と呼ばれる事に対し、「郵政事業の民営化はオランダでもドイツでもイタリアでも実行されたが、だから新自由主義だなどと評された例はない。私のどこが新自由主義者なのか」「新自由主義だからウンヌンではなく、各論を論議すべき」と発言している[47]

発言[編集]

  • 自著『竹中平蔵の「日本が生きる」経済学』(106頁)において、次のように述べている。「物価が下がることはよいことであるが、本来ならそれに応じて賃金も下がらなければならない。ところが、現実は賃金は下げられない。売り上げが下がっても賃金は下げられないため、企業収益に対する労働分配率が上がってしまった」
  • グローバリゼーション技術革新によって、相対的にモノが安くなること(相対価格の下落)はよいことである。ただし、物価全体(一般物価)が下がり続けるという状況は避けなければならない」と述べている[48]
  • 第156回国会衆議院財務金融委員会では、五十嵐文彦から「証券会社の営業マンが、絶対もうかるから買いなさいと言ったら、これは言ってはいけないこと」で、証券会社の従業員が自ら発言せずとも竹中の発言を援用して金融商品を販売した場合、問題になるのではないかと質された[49][49]。同様に、衆議院本会議において、山花郁夫から「金融担当大臣としてこうした発言をすれば、どこかで悪用されることは十分にあり得る」のではないかと質問がされた[50][50]。これについて、竹中は当初、「絶対もうかるから買いなさいというような趣旨で言ったのではなく、(記者に)買いますかというふうに聞かれて、投資家として絶対もうかると思っており、買うと言ったのだから訂正云々という問題ではない」と答えたとしている[49]。同年2月14日の国会審議にて「誤解されかねない部分があったという面においては、必ずしも適切ではなかった」と述べている[50][51]。また、証券会社が竹中の発言を引用した場合の是非についても、竹中は「証券会社の外務員等が顧客にETF購入を勧誘する際、私の発言を引用し、悪用して、ETFの価格について断定的判断を提供して勧誘していると認められるような場合には、証券取引法に違反する」と述べている[50]内閣官房長官福田康夫は、「公の場での発言としては多少問題があった」と述べている[51]。同日、竹中は金融庁のウェブサイト[52]から該当発言を削除した[53]なお、ETFの価格はこの発言から竹中が政界を引退する2006年までに概ね2倍以上に値上がりした[54][要検証 ]
  • 内閣府政府広報室が頒布した郵政民営化を広報する新聞折り込み広告について、政策秘書の『知り合いの人物が経営する会社』に発注したこと、契約が随意契約であること、会社へ『圧力』をかけたのではないか[55]、また、契約も配布先も決まっていない段階、登記簿を調べていない[56]などが野党に追求され、個別の契約行為は自分の所管外だと答弁している。竹中は会社社長と名刺交換したことはあるが、食事をしたこともなく特別な関係はないとしている[55]。また、「随意契約の場合、契約書の締結が必要」との会計法の定めを発注担当者が順守していないため同法違反ではないかという野党の批判に対して、内閣府政府広報室の業務については所管外であり「答弁する資格がない」と回答している[55][57]
  • 書籍『日本経済 余命3年』の中で竹中は「日本経済は余命3年」との見解を示した。著書は池田信夫土居丈朗鈴木亘との共著で、2010年11月にPHP研究所により出版された。この中で「2012年-2013年までが最後のチャンスとし、政府の債務残高は今後2、3年で約1100兆円に達する見込みで、このまま家計の純資産1100兆円を上回る国債発行がなされると、国内貯蓄で政府債務を吸収できなくなり、債券安・株安・円安のトリプル安になり日本は財政破綻へ向かうであろう」との見解を語っている[58][59][60]
  • 東洋経済でのインタビューで次のように述べた。「(若い人に1つだけ言いたいのは)みなさんには貧しくなる自由がある」「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。ただ1つだけ、そのときに頑張って成功した人の足を引っ張るな。」[61]
  • 2014年9月17日、岐阜信用金庫の取引先若手経営者が主催した講演会[62]の中で、消費税増税の経済への打撃は若干あるとの認識を示しつつ、「将来の大きな痛みを回避するため、いま若干の痛みを我慢する。影響を打ち消すような改革を実行し、経済を筋肉質にすべき」と述べている[63]

役職[編集]

人物[編集]

フライデーとの訴訟[編集]

1993年から1996年の4年間にわたって住民票を米国に移動させることにより日本の住民税を免れていた(フリーライド)のは脱税ではないかとの疑惑を写真週刊誌フライデー』が2002年に報じた。この疑惑は国会で追及され、竹中はその期間に関しては米国に住居を所有し、一年のうち日本で活動する4月から7月までを除いて米国で家族とともに生活していたこと、主な所得は慶應義塾大学の助教授としての給与から得ていたことなどを明らかにした[11][67]

2003年、竹中は疑惑を報じた『フライデー』を発行する講談社に対し、名誉毀損を理由に損害賠償等請求訴訟を東京地方裁判所に起こした。裁判は2004年9月に「登録移転は脱税目的ではない」として講談社に200万円の賠償を命じる判決が出され、竹中が勝訴する。これに対し、講談社は直ちに東京高等裁判所に控訴するが、高裁は「脱税の事実が証明されていない」として地裁判決を支持したうえで、賠償額を120万円に減額して控訴を棄却した。講談社はさらに最高裁判所上告するが、2006年2月23日、最高裁は上告を退け講談社側の敗訴が確定した[68]

ミサワホーム売却[編集]

ミサワホーム産業再生機構を経てトヨタ自動車に売却されたことについて、三澤千代治は「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で竹中を警視庁に刑事告発した。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論し、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが[69]、竹中自身は指摘された事実はないとして、三澤側の主張に反論している[70]。結局、訴追には至っていない。

国民年金保険料の未納[編集]

2004年(平成16年)4月28日国民年金の保険料を支払っていなかったことが発覚した。一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されている。

受賞歴[編集]

  • サントリー学芸賞: 受賞作『研究開発と設備投資の経済学-』
  • エコノミスト賞: 受賞作『対外不均衡のマクロ分析』

出演[編集]

テレビ[編集]

ビデオ[編集]

  • 『21世紀型民富論――日本経済の見取り図』(1999年、日本放送出版協会ISBN 4141890154
  • 『21世紀型経済と日本の行方』(日本マネジメント教育機構)

ラジオ[編集]

著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

編著[編集]

編纂[編集]

監修[編集]

  • 東京財団編『「日本再生」へのトータルプラン――決定版――政策課題2001』朝日新聞社、2001年。ISBN 402257657X

翻訳[編集]

寄稿[編集]

  • 竹中平蔵稿「J・A・シュンペーター――経済発展の本質をとらえる」日本経済新聞社編『現代経済学の巨人たち――20世紀の人・時代・思想』日本経済新聞社、1994年。ISBN 4532142652
  • 竹中平蔵稿「デジタル革命と21世紀の日本社会」手嶋彩子編『デジタルエコノミー2001――日本とアメリカ』フジタ未来経営研究所、2001年。ISBN 4901322001

評伝[編集]

  • 佐々木実 『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』 講談社、2013年。ISBN 4062184230

関連項目[編集]

関連人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 役員情報 - オリックス・ホームページ
  2. ^ http://www.gaitamesk.com/report/takenaka.html
  3. ^ 外国人雇用協議会について ※法務省の外郭団体ではない。
  4. ^ a b 『リベラルタイム』2005年10月号「売国奴か?改革者か?「竹中平蔵」の研究」 p.22-23
  5. ^ a b c d e f 『文藝春秋』2003年11月号
  6. ^ 【骨太対談】竹中平蔵 VS  ジェイアイエヌ 代表取締役 田中 仁[2011-09-12 12:21:37]
  7. ^ 竹中平蔵教授が断言「アートは創造的経済の源泉だ」DIAMONDONLINE2017.3.28
  8. ^ 日本経済新聞2009/06/18
  9. ^ a b c 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006.
  10. ^ 塩田潮「竹中平蔵の挑戦…政治を目指した学者の軌跡」『論座』2005年
  11. ^ a b 第153回国会 衆議院 内閣委員会第3号 平成13年(2001年)11月28日(議事録
  12. ^ 経済戦略会議『短期経済政策への緊急提言1998年10月14日
  13. ^ 経済戦略会議「日本経済再生への戦略」『経済戦略会議答申1999年2月26日。
  14. ^ 慶應大学HP 慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス 教員プロフィール
  15. ^ 関西大学 会計専門職大学院HP教員教育顧問紹介>客員教授
  16. ^ 維新の衆院選候補者選定、委員長に竹中平蔵氏”. 日本経済新聞 (2012年9月27日). 2012年12月29日閲覧。
  17. ^ 諮問会議、民間議員に伊藤元重氏ら起用へ 競争力会議は竹中・三木谷氏ら”. 日本経済新聞 (2012年12月28日). 2012年12月29日閲覧。
  18. ^ 政府、特区諮問会議の民間議員に竹中氏ら内定 官房長官が発表”. 日本経済新聞 (2012年12月28日). 2013年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月14日閲覧。
  19. ^ 「岩盤規制」の突破口となる国家戦略特区、その生命線はスピード感”. 日経BP (2014年1月27日). 2014年4月13日閲覧。
  20. ^ 【万年野党】田原総一朗ら登壇 国家戦略特区シンポジウム開催”. ガジェット通信 (2014年5月31日). 2014年6月15日閲覧。
  21. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 75.
  22. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 113.
  23. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 129.
  24. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 186.
  25. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 191.
  26. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 193.
  27. ^ 構造改革の真実――竹中平蔵大臣日誌 2006, p. 210.
  28. ^ a b 文藝春秋(編)『日本の論点'99』文藝春秋 1998年11月 ISBN 4-16-501500-8
  29. ^ 経済ってそういうことだったのか会議 2000, pp. 94-95.
  30. ^ 経済ってそういうことだったのか会議 2000, pp. 76-77.
  31. ^ 経済ってそういうことだったのか会議 2000, p. 86.
  32. ^ 【金曜討論】小泉構造改革 慶大教授・竹中平蔵氏、作家・高杉良氏 (1-5ページ) 産経新聞2009年3月6日
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  41. ^ 『竹中平蔵のポリシー・スクール』2009年2月1日 「雇用は健全な三権分立から」 日本経済研究センター
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  58. ^ 経済の死角 激論vol.1「日本の財政破綻は本当に起きるのか」 エコノミスト、論客たちが徹底討論「2011年 どうなる日本経済」vol.1現代ビジネス 2011年1月20日
  59. ^ ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2010年6月8日 Peter Stein
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  63. ^ 岐阜新聞9面 2014年9月18日
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  65. ^ トクベツキカク - SmaSTATION-5
  66. ^ エスエンタープライズ 講師No.249
  67. ^ 第154回国会 衆議院 予算委員会 第11号 平成14年(2002年)2月15日(議事録
  68. ^ ご報告竹中平蔵公式ウェブサイト
  69. ^ 第162回国会 予算委員会第七分科会 第1号議事録
  70. ^ 第164回国会 予算委員会 第5号 平成十八年三月六日(月曜日)議事録
  71. ^ 『週刊東洋経済』平成14年11月9日号「「経世済民」を志した和歌山の少年時代」

外部リンク[編集]

公職
先代:
麻生太郎
日本の旗 総務大臣
第6代:2005年 - 2006年
次代:
菅義偉
先代:
名称変更
日本の旗 特命担当大臣経済財政政策
第4・5・6代:2003年 - 2005年
次代:
与謝野馨
先代:
名称変更
日本の旗 特命担当大臣金融
第4・5代:2003年 - 2004年
次代:
伊藤達也
先代:
柳澤伯夫
日本の旗 金融担当大臣
第3代:2002年 - 2003年
次代:
名称変更
先代:
麻生太郎
日本の旗 経済財政政策担当大臣
第3代:2001年 - 2003年
次代:
名称変更
ビジネス
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新設
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初代:2009年 -
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