松永東

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
松永 東
まつなが とう
生年月日 (1887-10-15) 1887年10月15日
出生地 日本の旗 日本長崎県南高来郡北串山村
没年月日 (1968-01-22) 1968年1月22日(満80歳没)
出身校 早稲田大学
日本大学
所属政党 立憲民政党
日本進歩党
自由党
分党派自由党
日本自由党

日本民主党
自由民主党
親族 松永光(養子)
松山千恵子(長女)
松山義雄(娘婿)
舟橋功一(義孫)
テンプレートを表示

松永 東(まつなが とう、1887年10月15日 - 1968年1月22日)は、日本政治家弁護士。第45代衆議院議長である。長崎県南高来郡北串山村(現雲仙市)出身。本名は「東」と書いて「はじめ」と読む。

来歴・人物[編集]

1909年早稲田実業学校を卒業。その後、早稲田大学商学部日本大学法学部をそれぞれ卒業し、弁護士になる。

東京市会議員を経て、1932年第18回衆議院議員総選挙に旧埼玉1区から立憲民政党公認で立候補し初当選を果たす。以後当選9回。戦後は公職追放。追放中の1949年、第3代早稲田実業学校校友会会長に就任。追放解除後の1952年第25回衆議院議員総選挙にて衆議院埼玉1区から衆議院議員選挙に出馬し当選、カムバックを果たす。その後、第45代衆議院議長に就任したが、わずか44日後に衆議院解散となり、議長在職日数45日間となり、日本国憲法下における通算議長在職日数で最短記録となった。

1957年に、文部大臣に就任。1959年より東洋音楽短期大学(現在の東京音楽大学)の第3代目学長に就任。

1963年第30回衆議院議員総選挙で落選し政界を引退した。養子の松永光が後を継いで衆議院議員となった。1968年1月22日80歳で死亡。

早実の後輩でもある王貞治が、国体の国籍規定(2015年現在は撤廃されている)により静岡国体(1957年)の高校野球に出場できなかった時、早実野球部の顧問が松永に王を出場させてくれと頼むも、松永は「私としては、心情的に王くんを出場させてやりたい。しかし、文部大臣で法律を守らなければいけない立場にいる以上、泣いてでも(国籍規定で)王くんを出場させる事は出来ない。」と断ったエピソードが、近藤唯之の著書で取り上げられている[1]

家族・親族[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 『戦後プロ野球50年:川上、ON、そしてイチローヘ』近藤唯之・著。(新潮社,1994年)ISBN 4-10-132212-0

関連項目[編集]


議会
先代:
堤康次郎
日本の旗 衆議院議長
第45代:1954年 - 1955年
次代:
益谷秀次
公職
先代:
灘尾弘吉
日本の旗 文部大臣
第76代:1957年 - 1958年
次代:
灘尾弘吉