上林山栄吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

上林山 榮吉(かんばやしやま えいきち、1904年10月18日1971年8月10日)は、日本政治家衆議院議員、防衛庁長官を務めた。

経歴[編集]

現在の鹿児島県指宿市に生まれる。1928年日本大学法律科を卒業、鹿児島毎夕新聞社記者、鹿児島県庁勤務を経て、1936年鹿児島市議会議員補欠選挙に当選。1939年からは鹿児島県議会議員を務める。1946年第22回衆議院議員総選挙日本自由党から旧鹿児島1区にて立候補し初当選する(当選同期に小坂善太郎二階堂進江崎真澄小沢佐重喜石井光次郎坂田道太水田三喜男村上勇川崎秀二井出一太郎早川崇中野四郎など)。以後9回当選。「闘志の上林山」「野次の上林山」と呼ばれ、もっぱらその戦闘的な政治スタイルで注目を集める存在であった。

1948年8月に衆院予算委員長となるが、12月22日に予算委員会で委員長不信任決議が可決される(拘束力はなし)。衆院石炭対策特別委員長に就任。自民党内では鳩山一郎河野一郎に近かったこともあり、1955年第3次鳩山内閣にて郵政政務次官となる。

その後佐藤派に転じ、1966年第1次佐藤内閣第2次改造内閣にて防衛庁長官として初入閣を果たす。同年9月に航空自衛隊機を使って鹿児島入りし、統合幕僚会議議長と陸海空の三幕僚長を従えながら陸上自衛隊音楽隊を連ねてパレードという公私混同お国入り問題(黒い霧事件)を起こして批判を浴びたが、翌1967年第31回衆議院議員総選挙ではトップ当選を果たした。

1971年8月10日、心不全のため死去。享年66。