奥繁三郎

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奥繁三郎

奥 繁三郎(おく しげさぶろう、文久元年6月25日1861年8月1日) - 大正13年(1924年9月8日)は、京都府出身の明治、大正時代の政治家。衆議院議長関西法律学校(現関西大学)卒。

経歴[編集]

関西法律学校在学中に代言人試験に合格後、1888年京都府会議員となる。

1898年3月の第5回衆議院議員総選挙に京都府第4区から出馬し衆議院議員に初当選。1901年12月、第6回総選挙京都府第4区選出の喜多川孝経の辞職に伴う補欠として当選[1]。以後、第7回から第11回及び第14回総選挙で当選し、衆議を通算8期務めた。 1914年衆議院議長就任。

その他、京都ガス京津電軌の設立にも尽力。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第5527号、明治34年12月4日。

参考文献[編集]

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


議会
先代:
長谷場純孝
大岡育造
日本の旗 衆議院議長
第18代:1914
第21代:1920 - 1923
次代:
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