熊谷直太

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熊谷直太

熊谷 直太(くまがい なおた、慶応2年7月21日[1]1866年8月30日) - 昭和20年(1945年2月19日[1])は、日本の衆議院議員立憲政友会)、弁護士弁理士

経歴[編集]

出羽国田川郡鶴岡で生まれ、酒田で育った。1883年明治16年)ごろ、庄内地方を訪れた馬場辰猪の自由民権を訴える演説を聞き、上京を志した。当時、郡の費用で5人を東京で学ばせることが決まり、その一人に選ばれた。第一高等中学校を経て、1897年(明治30年)に東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補として前橋地方裁判所に勤務し、前橋地方裁判所判事、東京地方裁判所判事、長崎控訴院判事、東京控訴院判事などを歴任した[2]1905年(明治38年)に裁判所を退職して、弁護士・弁理士として活動した[3]

1912年第11回衆議院議員総選挙で補欠当選。以後、当選9回を数えた。その間、加藤高明内閣犬養内閣司法政務次官を務めた。

脚注[編集]

  1. ^ a b 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  2. ^ 『代議士詳覧』p72-73
  3. ^ 『両羽之現代人』p363-366

参考文献[編集]

  • 広幡明男 『大正十三年五月当選 代議士詳覧』 泰山堂、1924年
  • 古山省吾編 『両羽之現代人』 両羽研究社、1919年