衛藤征士郎

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日本の旗 日本の政治家
衛藤 征士郎
えとう せいしろう
Seishirō Etō.jpg
生年月日 (1941-04-29) 1941年4月29日(75歳)
出生地 日本の旗 朝鮮 全羅南道康津
出身校 早稲田大学第一政治経済学部卒業
早稲田大学大学院政治学研究科
国際政治専修修士課程修了
所属政党 無所属→)
自由民主党→)
(無所属[1]→)
自由民主党(細田派
称号 政治学修士(早稲田大学・1973年
公式サイト 衆議院議員 衛藤征士郎 OFFICIAL WEBSITE

選挙区 旧大分1区→)
大分2区→)
比例九州ブロック→)
大分2区
当選回数 11回
在任期間 1983年12月19日 - 現職

在任期間 2009年9月16日 - 2012年11月16日

日本の旗 第57代 防衛庁長官
内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日 - 1996年1月11日

選挙区 大分地方区
当選回数 1回
在任期間 1977年7月11日 - 1983年7月9日

当選回数 2回
在任期間 1971年 - 1977年
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衛藤 征士郎(えとう せいしろう、1941年4月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)。

衆議院副議長(第64代)、防衛庁長官第57代)、参議院議員(1期)、大分県玖珠郡玖珠町長(2期)[2]などを歴任した。

来歴[編集]

当時日本の統治下であった朝鮮半島南部全羅南道康津に生まれる。父・衛藤貫一は警察官1945年9月、終戦により日本へ引き揚げ大分県玖珠郡玖珠町で育つ[3]1948年、玖珠町立日出生小学校に入学するが、1950年に玖珠町立森小学校に転校。1957年大分県立森高等学校に進学するが、同年9月から休学。1959年に高校に復学し、1962年に高校卒業。上京し、早稲田大学第二政治経済学部に入学する。1964年、学内の転部試験に合格し、早稲田大学第一政治経済学部に転部。在学中は吉村正教授に師事し、1966年に卒業。早稲田大学大学院政治学研究科国際政治専修修士課程に進学し、現職の町長時代に政治学修士号を取得する[3]

1970年大分県玖珠郡玖珠町に戻り、豊後森駅前のビルの一室に「衛藤征士郎政治経済研究所」を開設[要出典]。翌1971年玖珠町長選挙に立候補し、当選。玖珠町長は1977年まで2期務める。1977年第11回参議院議員通常選挙に、政治団体「国政に新風を送る会」公認で大分地方区から出馬し、当選。1983年第37回衆議院議員総選挙に立候補し、衆議院に転出。旧大分1区(定数4)から無所属で出馬し、得票数4位の最下位ながら当選した。以後、衆院当選10回。1986年第3次中曽根内閣農林水産政務次官に任命される[3]

1995年村山改造内閣防衛庁長官に任命され、初入閣した。1998年大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。2000年第2次森改造内閣外務総括政務次官に閣僚経験者ながら任命され、中央省庁再編後は初代外務副大臣を務める。外務副大臣在任中、台湾総統(当時)・李登輝の訪日を実現した[要出典]。なお当時の外務大臣だった河野洋平は、李登輝へのビザ発給に最後まで難色を示していたため、衛藤は河野に抗議し[要出典]、大勇会を退会した。その後、清和政策研究会に入会する[要出典]。2007年12月、「自由民主党朝鮮半島問題小委員会」を自由民主党政務調査会内に立ち上げ、委員長に就任した[要出典]2008年自由民主党総裁選挙では、同じ町村派に所属していた小池百合子の推薦人代表を務めた[4]

2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党公認、公明党推薦[5]で出馬。大分2区社会民主党重野安正に5千票弱の僅差で敗れるが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活。同年9月16日より衆議院副議長に就任。

2012年11月16日、衆議院解散近いうち解散)により副議長を退任。同年の第46回衆議院議員総選挙では、引退する重野に代わり出馬した社民党新人の吉川元を破り、大分2区で10選(吉川は比例復活)。2013年1月、自由民主党外交・経済連携本部長(党則第83条に基づく総裁直属機関) に起用された[3]2014年第47回衆議院議員総選挙で11選。

政策・主張[編集]

憲法[編集]

日本国憲法改正集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局憲法解釈の見直しに賛成。また憲法改正が必要な一院制の導入を推進している[6]

公務員制度改革[編集]

2003年から自由民主党行政改革推進本部長を務め、麻生内閣が「職員の退職管理に関する政令」を改正し国家公務員の「ワタリ」を容認した際には「(行政改革推進本部は)認めない。政令を超えるため、『渡り』を認めない自民党による議員立法を用意する」と主張し、廃止や見直しを求める自民党行革本部公務員制度改革委員会と政府が対立する可能性があることについて「いいじゃないか。断固としてやる」と述べた。また、自民党を離党した渡辺喜美に対しては「渡辺さんも党の中にいればこういうこと(議員立法)ができる」と指摘した[7]

環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)[編集]

TPP交渉参加に関する自民党の公約について、安倍晋三首相が2013年2月28日衆議院予算委員会において、関税に関する項目以外の5項目は「正確には公約ではない。目指すべき政策」と答弁したのに対し、自由民主党幹事長石破茂が3月12日のJA主催の集会で6項目を公約と説明し、翌13日には衛藤が本部長を務める自民党外交・経済連携本部のTPP対策委員会も決議文に六項目の約束が公約であることを明記した。衛藤は決議文について、6項目が順守されない限り「脱退」「批准しない」という趣旨であると述べている[8]

内政の諸政策[編集]

人物[編集]

台湾[編集]

自民党における親派議員の代表格であり、2011年5月5日には台湾による東日本大震災の被災者支援に感謝の意を示すため、台湾を訪問した。衆参両院の正副議長の台湾訪問は、1972年に日本が台湾との国交を断絶して以来、初めてのことである。翌2012年3月には再度台湾を訪問し、馬英九総統に面会した[12]

テコンドー協会[編集]

2003年3月から4月まで日本テコンドー連盟会長を務めており、連盟が内紛により日本テコンドー連合、全日本テコンドー協会に分裂した後は全日本テコンドー協会会長に就任[13]。その後、両団体は新団体を設立し、衛藤を新団体の会長に、日本テコンドー連合会長の森喬伸を理事長に起用する方針で合意したが、協会側がこの合意の無効を主張[14]日本オリンピック委員会(JOC)からも両団体の統一を要求されたが、全日本テコンドー協会は単独で加盟申請を行い、拒否される[15]。その後も一本化がなされなかったため、JOCは両団体を非難し解散を勧告した。これに対し衛藤は「消滅なんてせんえつな話。なにさまだと思っているのか」と述べた[16]2005年に設立された社団法人全日本テコンドー協会への統合に伴い退任。

不祥事[編集]

年金未納[編集]

  • 2004年6月、政治家の年金未納問題が注目された際に自ら国民年金の未納期間があることを公表し、1986年の基礎年金制度導入で国会議員も加入が義務付けられたものの、「加入の通達を把握せず、うっかりだった」と説明した[17]

政治資金[編集]

  • 日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていると報じられた[18]
  • 衛藤の公設第1秘書私設秘書だった1996年に情報サービス会社を設立し、インターネットで集めた官公庁の資料などをコピーした情報冊子の購読料名目で2004年までの9年間に地元大分県の建設業者から1億4000万円を集め、同社役員が衛藤の政治団体に献金していたことが判明。政治資金規正法に抵触する迂回献金の疑いを指摘された[19][20]
  • 2007年8月、衛藤の政治資金管理団体と政治団体がパーティ招待状の郵送費などを政治資金収支報告書に二重計上していたことが判明し、訂正を総務省に届け出た[21]

やじ問題[編集]

2016年2月29日の衆院予算委員会で、民主党の山尾志桜里の質疑に対して、ヤジを飛ばしたと指摘された[22]

所属団体・議員連盟[編集]

年譜[編集]

衛藤征士郎

著書[編集]

  • 単著
    • 『日本の将来を見すえて』 (サンケイ出版 1983年)
    • 『21世紀・日本のビジョン』 (21世紀政治経済研究所 1997年)
    • 『今この国にある危機』 (徳間書店 2002年)
    • 『一院制国会が日本を再生する!』(悠雲舎 2012年)
  • 共著
    • 衛藤征士郎・小枝義人『検証・李登輝訪日―日本外交の転換点』 (ビイング・ネット・プレス 2001年)
    • 明石散人・衛藤征士郎・福田康夫『一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ』 (KKベストセラーズ 2005年)
    • 麻生太郎・衛藤征士郎『海から見る日本』(日本海事新聞社 2009年)

脚注[編集]

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  1. ^ 衆議院副議長就任に伴い、慣例により会派を離脱。
  2. ^ 衛藤 征士郎(えとう せいしろう)
  3. ^ a b c d 略歴・役職|衛藤征士郎
  4. ^ “総裁候補の推薦人名簿 自民党”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月10日). http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008091001000300.html 2015年4月15日閲覧。 
  5. ^ 比例貢献が基準公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
  6. ^ a b c 2012年衆院選 大分2区 衛藤 征士郎
  7. ^ 公務員「渡り」禁止法案提出も-自民・衛藤氏 - MSN産経ニュース産経デジタル2009年1月17日
  8. ^ 自民党内は「6項目遵守」を決議――TPP、公約違反か交渉離脱か週刊金曜日ニュース 2013年4月3日
  9. ^ 「<憲法特集>九州・沖縄の国会議員アンケート(3)主なテーマ」、西日本新聞、2016年4月30日。
  10. ^ 第154回国会 法務委員会 請願2442号
  11. ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
  12. ^ 馬英九総統が衛藤征士郎・衆議院副議長ら一行と会見台北駐日経済文化代表処 2012年3月26日
  13. ^ 共同通信2003年5月12日
  14. ^ 共同通信2004年2月16日
  15. ^ 共同通信2004年3月19日
  16. ^ sanspoサンスポ
  17. ^ 衛藤氏ら新たに未納議員6人判明 日刊スポーツ 2004年5月2日
  18. ^ しんぶん赤旗 2003年9月12日 パーティ券リストの面々
  19. ^ YOMIURIONLINE2007年1月8日
  20. ^ 共同通信2007年1月9日
  21. ^ 日テレNEWS242007年8月11日
  22. ^ 「『子供を産んだら女じゃない』 愛人が文春でモラハラ告発! 保育園ヤジ議員は自民党“ネトサポ”の親玉だった」、Literax、2016年3月31日
  23. ^ a b c 俵義文、日本会議の全貌、花伝社、2016年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代:
玉澤徳一郎
日本の旗 防衛庁長官
第57代:1995年 - 1996年
次代:
臼井日出男
先代:
(創設)
日本の旗 外務副大臣
荒木清寛と共同
2001年
次代:
植竹繁雄
杉浦正健
議会
先代:
横路孝弘
日本の旗 衆議院副議長
第64代:2009年 - 2012年
次代:
赤松広隆
先代:
逢沢一郎
日本の旗 衆議院予算委員長
2008年 - 2009年
次代:
鹿野道彦
先代:
深谷隆司
日本の旗 衆議院国家基本政策委員長
2006年 - 2008年
次代:
二田孝治
先代:
中村正三郎
日本の旗 衆議院決算行政監視委員長
2000年
次代:
持永和見
先代:
村井仁
中西啓介
日本の旗 衆議院大蔵委員長
1999年(代理)
1990年 - 1991年
次代:
金子一義
平沼赳夫