小此木彦三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
日本の旗 日本の政治家
小此木 彦三郎
おこのぎ ひこさぶろう
生年月日 1928年1月26日
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
没年月日 (1991-11-04) 1991年11月4日(満63歳没)
出身校 早稲田大学文学部卒業
所属政党 自由民主党中曽根派→渡辺派
親族 ・小此木歌治(元衆議院議員)
息子小此木八郎(衆議院議員)

日本の旗 第52代 建設大臣
内閣 竹下改造内閣
在任期間 1988年12月27日 - 1989年6月2日

内閣 第2次中曽根内閣
在任期間 1983年12月27日 - 1984年11月1日

選挙区 神奈川1区
当選回数 8回
在任期間 1969年 - 1991年
テンプレートを表示

小此木 彦三郎(おこのぎ ひこさぶろう、1928年1月26日 - 1991年11月4日)は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(8期)。

神奈川県横浜市出身。三男は衆議院議員の小此木八郎

来歴[編集]

早稲田大学文学部卒業。横浜市会議員を経て、第32回衆議院議員総選挙神奈川1区から出馬し初当選。連続当選8回。党内では中曽根派→渡辺派に所属した。運輸政務次官、外務政務次官、衆議院運輸委員長などを経て1983年第2次中曽根内閣通商産業大臣として初入閣。竹下改造内閣では建設大臣を務めた。また、自民党国会対策委員長、衆議院議院運営委員長を歴任するなど党内でも有数の議運・国対族として知られ、与野党に幅広い人脈を持っていた。

1991年小選挙区比例代表並立制導入を柱とする政治改革関連法案を審議する衆院政治改革特別委員会の委員長を務めたが、突如審議未了・廃案を宣言。当時の海部俊樹首相退陣(海部おろし)の引き金となった。

同年、衆議院第2議員会館7階に梶山静六を訪ねたが不在であったため、5階の自分の事務所に引き返す折に階段で転落し頭を強打。これが原因で11月4日に死去した。63歳没。

当選同期[編集]

小沢一郎羽田孜奥田敬和林義郎渡部恒三綿貫民輔塩崎潤森喜朗村田敬次郎松永光江藤隆美中山正暉浜田幸一など。

関連項目[編集]


議会
先代:
山口敏夫
日本の旗 衆議院議院運営委員長
第46代:1989年 - 1990年
次代:
山下徳夫
先代:
古屋亨
日本の旗 衆議院運輸委員長
1980年 - 1981年
次代:
越智伊平
先代:
中野四郎
日本の旗 衆議院予算委員長
1978年 (代理)
次代:
竹下登
公職
先代:
越智伊平
日本の旗 建設大臣
第52代:1988年 - 1989年
次代:
野田毅
先代:
宇野宗佑
日本の旗 通商産業大臣
第45代:1983年 - 1984年
次代:
村田敬次郎
党職
先代:
田村元
自由民主党国会対策委員長
第27代 : 1982年 - 1983年
次代:
江藤隆美