扇千景

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日本の旗 日本の政治家
扇 千景
おおぎ ちかげ
林 寛子
はやし ひろこ
Chikage Ogi 2006.png
扇千景(2006年8月)
生年月日 1933年5月10日(83歳)
出生地 兵庫県神戸市
出身校 宝塚音楽学校
前職 女優
現職 靖国神社崇敬奉賛会会長
所属政党 (自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由党→)
保守党→)
保守新党→)
自由民主党
称号 旭日大綬章
桐花大綬章(女性初)
大韓民国修交勲章光化章
台湾一等景星勲章
参議院永年在職議員
配偶者 4代目坂田藤十郎
親族 長男4代目中村鴈治郎
次男・3代目中村扇雀
中村虎之介

日本の旗 第26代 参議院議長
在任期間 2004年7月30日 - 2007年7月28日
天皇 明仁

内閣 第2次森改造内閣(中央省庁再編後)
第1次小泉内閣
第1次小泉第1次改造内閣
在任期間 2001年1月6日 - 2003年9月22日

内閣 第2次森内閣
第2次森改造内閣(中央省庁再編前)
在任期間 2000年7月4日 - 2001年1月6日

選挙区 全国区→)
比例区[1]
当選回数 5回
在任期間 1977年7月11日 - 2007年7月28日
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扇 千景(おおぎ ちかげ、1933年昭和8年〉5月10日 - )は、日本女優(元宝塚歌劇団娘役)、政治家靖国神社崇敬奉賛会会長(第3代)。本名、林 寛子(はやし ひろこ)。旧姓、木村(きむら)。兵庫県神戸市出身。

位階称号旭日大綬章桐花大綬章(女性初)、大韓民国修交勲章光化章台湾一等景星勲章、フランス共和国ボージョレーワイン委員会・フランス食品振興会認定コンパニヨン・デュ・ボージョレー騎士

参議院議員(5期)、科学技術政務次官鈴木善幸改造内閣)、保守党党首(初代)、運輸大臣第78代)、建設大臣第69代)、北海道開発庁長官第72代)、国土庁長官第36代)、国土交通大臣初代第2代)、参議院議長(第26代)などを歴任した。

夫である4代目坂田藤十郎(本名:林宏太郎)との間に、歌舞伎役者の長男・4代目中村鴈治郎(本名:林智太郎)、次男・3代目中村扇雀(本名:林浩太郎)がいる。夫の妹は女優の中村玉緒である。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

兵庫県神戸市須磨区に銀行員の父・木村松太郎、母・みさゑの三女として生まれる。兵庫県立神戸高等学校卒業後、大学進学を望んでいたが、父親の強い希望により大学進学をあきらめる。その代わりに友人が勝手に願書を送付したために、父親への反発もあったことから、受験して合格した宝塚音楽学校に進学する。宝塚歌劇団入団時の成績は51人中4位だった[2]宝塚歌劇団41期生。宝塚歌劇団在団時の愛称はカン子(本名の寛子から)。

宝塚・女優時代[編集]

1954年4月に『春の踊り(宝塚物語)』で初舞台を踏む。同期生に内重のぼる(元月組トップスター)、武蔵野裕美(森奈みはるの母)、白菊八千代(出雲綾の母)、日夏悠理(小山田宗徳夫人)らがいる。宝塚歌劇団の意向により、八千草薫と共に新設された映画専科に編入する。宝塚歌劇団在団中の同年10月に宝塚映画『快傑鷹 第一篇 蛟竜風雲の巻』で映画デビューを果たす。以降もテレビドラマや映画に出演し、1956年には『夜霧の女』で春日野八千代の相手役として盲目の少女ジェニイを演じ、新人演劇賞を受賞した。

1957年5月31日[2]歌舞伎役者の2代目中村扇雀(後の4代目坂田藤十郎)との結婚のため退団。1958年に結婚し、しばらく芸能活動から遠ざかった。しかし、知人の薦めにより日本教育テレビ(現:テレビ朝日)制作の単発テレビドラマ『君はいま何を見つめている』(1959年10月29日放送)に出演。この作品で第14回文部省芸術祭個人奨励賞を受賞し、再デビューする。芸能界に復帰してからは映画やテレビドラマなどに多数出演し、1965年連続テレビ小説たまゆら』(NHK)や1968年の『大奥』(関西テレビ)、『花は散るらん』(東海テレビ)などに出演した。

フジテレビの主婦向けワイドショー長寿番組3時のあなた』で司会を4年間担当したほか、富士フイルム8ミリカメラCMで「わたしにも写せます」のフレーズが人気を集めたことも有名である。これまでに出演した映画は53作品に上る。

参議院議員[編集]

自由民主党総裁福田赳夫幹事長大平正芳らの要請を受け、1977年7月、第11回参議院議員通常選挙自由民主党公認候補として全国区から立候補し初当選する。当時はタレント候補の一人と評された。自民党内では当初、福田率いる清和会に属した。1989年第15回参議院議員通常選挙では次点で落選したが、1993年山岡賢次第40回衆議院議員総選挙出馬に伴い自動失職したため繰上当選

1994年に自民党を離党して新生党に入党し、同年12月10日新進党結党に参加する。1995年第17回参議院議員通常選挙比例区で再選した。新進党解党後は小沢一郎率いる自由党結党に参画し、自由党が自民党と連立を組んだことで再び与党議員となった。

2000年4月、与党連立政権を離脱した小沢らと袂を分かち、海部俊樹野田毅二階俊博ら25名の議員とともに保守党を結成して初代党首に就任する。

運輸大臣・建設大臣[編集]

第2次森改造内閣(省庁再編前)では建設大臣国土庁長官として初入閣する。中央省庁再編に備えて運輸大臣北海道開発庁長官も兼務した。

建設行政のイメージアップ策[編集]

建設大臣時代は、内閣支持率が低迷する中で若築建設事件で接待を受けた建設官僚の名前を公表し、「建設白書」や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、森内閣のイメージアップ策に寄与した[3]

三宅島噴火への対処[編集]

運輸大臣・建設大臣時代の扇の仕事の一つには、2000年6月末から噴火して段階的に拡大していった三宅島の全島民避難(9月2日より実施)の指揮が含まれる[4]

公共工事入札・契約適正化法の立法[編集]

後年、『建設業界』誌の対談で語ったところによれば、扇は建設畑は未知で、国会に設置されている建設委員会の委員経験もなかった。しかし、森から与えられた機会を活かし、せめて持論の「一閣僚一仕事」程度は全うしようと考えた。当時、扇が気にかけていたのは、職員の士気が停滞しており、世間ではマスコミの報道によって「公共工事」イコール「悪」という認識が大手を振っていたように見えたことであった。

事実、扇自身も、自らの起用理由が第1次橋本内閣で建設大臣の地位にあった中尾栄一汚職事件に起因することは意識していた。これらの問題を解決するため、扇は、汚職の原因である入札制度について世界中の事例を調査するように命じた。フランスドイツイタリアで施行されている「公共工事基本法」を参考とし、公共工事の入札の透明化を図るため、公共工事入札契約適正化法を作成することを課題とした。法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合に5年はかかると見込まれたことであった。そこで扇は森に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法をつくろうとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示した。その結果、法案提出は3か月で達成され、同法は成立に至った[4][3]

初代国土交通大臣[編集]

国土交通省の看板。扇が揮毫した。

中央省庁再編に伴い第2次森改造内閣(省庁再編後)が発足すると、そのまま初代国土交通大臣に就任した。初代国土交通大臣としての初会見では、自らを「の要」であると発言した。首都圏の空港問題に絡めて羽田空港に地理的利便性があることを理由に「首都圏空港の国内線は羽田、国際線は成田」という原則を崩して羽田の国内・国際共用を匂わせる発言をしたが、この発言に成田空港の地位低下を危惧した千葉県が反発した。

引き続き第1次小泉内閣から第1次小泉第1次改造内閣まで国土交通大臣を務める。この間、第19回参議院議員通常選挙で史上初の非拘束名簿式比例代表で再選したが、保守党の当選者が扇のみであったことの責任をとり、2001年9月17日、保守党党首の座を野田毅に譲った。

鹿児島線列車追突事故では、停止信号下での列車進入を許容する「無閉塞運転」存続にこだわる鉄道局に強い指導性を発揮し、通信手段確保により「列車指令の許可のない無閉塞運転の禁止」(=閉塞指示運転採用)を決めさせている。日本共産党衆議院議員瀬古由起子の質問通告を受けて、JR九州JR西日本JR東海を翻意させ、同種の事故を繰り返させた省庁としての監督責任追及質問をかわしたが、国会質問を介して、扇・瀬古とも自分の専門ではない技術分野に具体的に踏み込んで省庁側見解を改めさせた珍しい例である。

ちなみに国土交通大臣時代、「宝塚歌劇団」「梨園の妻」「政治家」の中で最も大変だったのはどれかとの問いに、躊躇なく「宝塚歌劇団」と回答している。

参議院議長[編集]

保守党の解党により保守新党が結成されると党参議院議員会長に就任し、2003年11月21日に保守新党が解党されると、自民党総裁小泉純一郎と幹事長安倍晋三の誘いで9年7か月ぶりに自民党に復党する。2004年7月30日、第26代参議院議長に選出された。女性が参議院議長に就くのは憲政史上初めてで、衆参両院でも第68代衆議院議長土井たか子に次ぎ2人目だった。

2007年5月、次期参院選への不出馬と政界からの引退を表明する。引退後は夫と2人で互助新婚生活をしてみたいと語った。

公的場面での通名(芸名)使用[編集]

国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため、通名使用が認められている。しかし、大臣・政務次官などに任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に、行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣などの肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。このため、立法府の長である参議院議長としては公式にも芸名の「扇千景」が用いられ、国土交通大臣などの行政官としても記者会見・ウェブサイト・テレビ出演などの一般広報のような権力行使が直接伴わない場面では芸名が用いられたが、大臣任命の官記、大臣名義の公文書などの発出・署名など権力・権限に関連する部分ではすべて本名の「林寛子」が用いられた。

閣議口頭了解(2000年7月4日付)は次の通りである。

建設大臣・国土庁長官である扇千景(本名:林寛子)国務大臣の名前については、今後、政府代表等への任命行為及び許可等対外的な法律上の行為については林寛子名を使用し、それ以外は扇千景名を使用することとする。

エピソード[編集]

阪急電車の追突事故[編集]

1948年(昭和23年)9月8日に発生した追突事故を報じる神戸新聞

1948年9月8日阪急春日野道駅付近で発生した電車追突事故に巻き込まれ、肩の骨を複雑骨折して入院した。この際、見舞いに訪れた阪急の責任者・中田大三(後の神戸電鉄社長)が扇の父に「娘さんを宝塚歌劇団に預けてみませんか」と打診したところ、扇の父は激怒したという[5]。ただし、この事故が扇の宝塚歌劇団入団のきっかけになったとする文献もある[6]

皇室[編集]

香淳皇后崩御とイブニングドレス
第2次森内閣建設大臣国土庁長官、研究・学園都市担当大臣、土地対策担当大臣、首都機能移転担当大臣に任命され、皇居宮殿での認証式に臨んだが、その際の服装にマスコミや服飾評論家から批判が挙がった。これは、香淳皇后崩御により皇室が当時は喪中であったにも拘わらず、扇が華麗なイブニングドレスを着用していたためである[要出典]

コマーシャル[編集]

保守党2001年第19回参議院議員通常選挙用に制作したテレビコマーシャル「ホシュピタル編」では、国政を治療するというコンセプトで看護師に扮して登場した。コマーシャルの撮影は国会議事堂内で行われた。最後に巨大な注射器のイミテーションを抱えた扇がアップになり、「私にも治せます」と決めゼリフを発するカットがあるが、この部分は上述の8ミリカメラのコマーシャル(「私にも写せます」)のパロディである。

家族[編集]

2人の愛息とその嫁、そして内孫たちには自分のことを「ママ」とよばせている。嫁は第三者に姑のことをきかれるとき、扇のことを「扇のママ」と呼称する。

今でも宝塚音楽学校への絶対的尊敬感情は厚く、変わらないとされる。次男・3代目扇雀の長女が生れる前、「私の心残りは息子二人、孫も男児二人だったので、娘(孫娘)を宝塚に行かせてやれなかったことだ」と語っていた[7]2002年、次男・扇雀に第二子となる長女(扇にとって3人目の孫)が生まれた時の扇の喜びようは相当なものだったと伝えられている(扇雀の長女は「歌舞伎役者の娘なので、今後和服を着る機会は多くなる」という理由で、洋装のベビードレスを着せて宮参りをした)。

略歴[編集]

選挙歴[編集]

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第11回参議院議員通常選挙 1977年7月10日 全国区 自由民主党 790,022 ' 28/102 - -
第13回参議院議員通常選挙 1983年6月26日 比例区 自由民主党 ' ' ' 第16位 -
繰当 第15回参議院議員通常選挙 1989年7月23日 比例区 自由民主党 ' ' ' 第16位 -
第17回参議院議員通常選挙 1995年7月23日 比例区 新進党 ' ' ' 第2位 -
第19回参議院議員通常選挙 2001年7月29日 比例区 保守党 610,212 91.7 1/5 - -
当選回数5回 (参議院議員5)

栄典[編集]

主な出演作[編集]

舞台[編集]

宝塚歌劇団退団後[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

ワイドショー・情報番組[編集]

  • 3時のあなた(1973年5月 - 1974年3月、フジテレビ系列) - 司会

著書[編集]

※2008年4月の日本経済新聞朝刊最終面(文化面)に毎日掲載された「私の履歴書」をまとめたもの。

脚注[編集]

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  1. ^ 参議院議員通常選挙全国区制は1983年に比例代表制に改定された。比例代表制は当初、厳正拘束名簿式だったが、2001年に非拘束名簿式に改定されている。
  2. ^ a b 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』(阪急コミュニケーションズ2014年4月1日)pp.52-53。ISBN 9784484146010
  3. ^ a b 「森政権六ヶ月の「功」の部分」『月刊官界』2000年11月
  4. ^ a b 日本が歩むべき道 -将来に希望を持てる国にするために-梅田貞夫(日本土木工業会会長)扇千影『建設業界』2004年1月
    公共工事入札・契約適正化法成立の裏事情などが語られている。
  5. ^ 『坂田藤十郎 扇千景 ― 夫婦の履歴書』(日本経済新聞出版社、2008年10月)p156より。該当部分の初出は日本経済新聞2008年4月3日朝刊 「私の履歴書 扇千景」
  6. ^ 『阪急電車駅めぐり 神戸線の巻』(阪急電鉄、1980年)p95
  7. ^ 扇千景『できることできないこと』(世界文化社、2001年5月)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


議会
先代:
倉田寛之
日本の旗 参議院議長
第26代:2004年 - 2007年
次代:
江田五月
先代:
真鍋賢二
日本の旗 参議院文教委員長
1985年 - 1986年
次代:
仲川幸男
公職
先代:
新設
日本の旗 国土交通大臣
初代・2代:2001年 - 2003年
次代:
石原伸晃
先代:
森田一
日本の旗 北海道開発庁長官
第72代:2000年 - 2001年
次代:
廃止
先代:
中山正暉
日本の旗 建設大臣
第69代:2000年 - 2001年
次代:
廃止
先代:
森田一
日本の旗 運輸大臣
第78代:2000年 - 2001年
次代:
廃止
先代:
中山正暉
日本の旗 国土庁長官
第36代:2000年 - 2001年
次代:
廃止
党職
先代:
結成
保守党党首
初代 : 2000年 - 2001年
次代:
野田毅
先代:
吉田之久
新進党参議院議員代表
第3代 : 1996年 - 1997年
次代:
解散