森田一
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森田 一 もりた はじめ | |
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![]() 2000年7月 第2次森内閣にて運輸大臣就任に際し、官邸が公表した肖像写真 | |
生年月日 | 1934年5月14日(89歳) |
出生地 |
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出身校 | 東京大学法学部第2類[1] |
前職 |
国家公務員(大蔵省) 衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(小里派) |
称号 |
衆議院永年在職議員 法学士(東京大学) 旭日大綬章 |
配偶者 | 妻・森田芳子(大平の長女) |
親族 |
岳父・大平正芳 長女・渡辺満子(大平の孫) |
内閣 | 第2次森内閣 |
在任期間 | 2000年7月4日 - 2000年12月5日 |
選挙区 |
(旧香川2区→) 比例四国ブロック |
当選回数 | 8回 |
在任期間 | 1980年6月23日 - 2005年8月8日 |
森田 一(もりた はじめ、1934年(昭和9年)5月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。香川県坂出市出身。大平正芳の娘婿にあたる。
経歴[編集]
1934年、香川県坂出市に内科医を営む父を持つ3人兄弟の長男として生まれる。地元の坂出高校に入学したが大学受験を考えた末、高松高校へ転校する[2]。当初、医師を目指して東京大学理科類に入学したが、法学部第2類(公法コース)に進学した[3][1]。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後の1957年大蔵省に入省(官房文書課配属[注釈 1])。東海財務局、アジア経済研究所出向(1960年-1961年メルボルン大学留学)[5]、外相秘書官、国際金融局課長補佐、主計局主計官補佐、銀行局保険第二課長、理財局資金第二課長などを歴任[6]。
大蔵省出身の大平に見込まれて、大平の娘と1961年に結婚。仲人は坂出市出身の津島壽一。大平の総理就任に伴い内閣総理大臣政務秘書官などを務める。1980年、第36回衆議院議員総選挙の真っ只中に現職総理大臣のままで急死した大平に代わり、旧香川2区から急遽補充立候補し、弔い選挙の大勝で初当選する。当選後は宏池会に所属。1987年に自治政務次官、1989年には運輸政務次官に就任。1996年、中選挙区制から小選挙区制が施行されると選挙区3に対して現職自民党議員が4名になるためコスタリカ方式をとることなく単独比例候補に回った。
2000年、第2次森内閣において運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣。その運輸大臣在任中に起きたいわゆる加藤の乱では、現職閣僚ながら加藤紘一を支持。当時法務大臣だった山崎派の保岡興治と事前に打ち合わせをして、加藤と山崎拓が本会議で森内閣に不信任投票した場合には、その場で大臣を辞して行動を共にするために辞表を用意していた。結局、加藤と山崎が欠席戦術に切り替えたため、森田は本会議に出席して不信任決議に反対票を投じた。
その後は、少数派となった小里派に所属していたが、2005年の総選挙には立候補せずに政界を引退した。2005年11月、旭日大綬章を受章[7]。
大蔵省入省同期[編集]
著述[編集]
2010年3月に、回顧記『心の一灯 回想の大平正芳-その人と外交』(服部龍二・昇亜美子・中島琢磨編、第一法規)
2018年4月に、『大平正芳秘書官日記』(福永文夫・井上正也編、東京堂出版)を公刊した。
他に大平政権の回想は、『最後の旅』(行政問題研究所、1981年)および『文人宰相 大平正芳』(新井俊三共著、春秋社、1982年)がある。
映画出演[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ a b 『東大人名録,第1部』1986年発行、2ページ
- ^ 前衆議院議員森田一ホームページ 時事コラム 同窓生 (平成15年4月25日)
- ^ 国正武重『権力の病室 大平総理最後の14日間』(文藝春秋、2007年)123頁
- ^ 大平正芳と一般消費税 日本記者クラブ 2010年8月3日
- ^ https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Info/Memorial50/Ayumi/pdf/30_07ob.pdf
- ^ https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784490209846
- ^ “秋の叙勲4028人に 民間が42%で過去最高”. asahi.com (2005年11月3日). 2023年4月19日閲覧。
- ^ 映画「戦車闘争」公式HP
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