大塚雄司

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大塚 雄司(おおつか ゆうじ、1929年4月6日 - 2010年1月10日)は、日本政治家衆議院議員(6期)、建設大臣第56代)、東京都議会議員(2期)等を歴任した。

来歴・人物[編集]

東京府赤坂区生まれ。港区立青南小学校東京府立第一中学校慶應義塾大学経済学部卒業。

1969年東京都議会議員選挙に出馬し、初当選。1973年に2期目の当選を果たしたが、任期途中の1976年に辞職。同年の第34回衆議院議員総選挙旧東京都第1区から自由民主党公認で出馬し、当選(当選同期に愛知和男鳩山邦夫中村喜四郎中島衛西田司池田行彦堀内光雄相澤英之津島雄二塚原俊平中西啓介渡辺秀央中川秀直甘利正など)。

なお旧東京1区は定数が3議席になった第31回衆議院議員総選挙以降3度、自民が1、非自民(革新系)が2議席を獲得する構図が続いていたが、大塚が初めて衆院議員に当選したこの選挙では、保守無所属麻生良方、自民党新人の与謝野馨、大塚の保守系候補が3議席を独占し、日本社会党所属の前職加藤清政(後に自民党推薦で千代田区長選に出馬し、当選)が落選の憂き目を見た。衆院議員を6期務め、1990年には第2次海部改造内閣建設大臣に任命され、初入閣を果たした。

1993年第40回衆議院議員総選挙では新党ブームの煽りを受け、次点で落選。落選後も自民党に留まっていたが、1994年12月に自民党を離党し、新進党結党に参加する意向を表明した。新進党参加の記者会見は新党みらいの党本部で行ったが、新党みらいの代表は1976年当選同期で、同じ清和政策研究会に所属していた鹿野道彦であった。1996年第41回衆議院議員総選挙には、新進党公認で比例東京ブロックから出馬したが落選し、政界を引退した。

2010年1月10日、心不全のため80歳で死去した[1]

親族[編集]

  • 父 - 大塚憲 元港区議会議員・港区議会議長
  • 次男 - 大塚隆朗 東京都議会議員(民主党所属)

参考文献[編集]

  • 『CD現代日本人名録 2000』

脚注[編集]

  1. ^ “訃報:大塚雄司さん80歳=元建設相、元自民党衆院議員”. 毎日新聞. (2010年1月20日). http://mainichi.jp/select/person/news/20100121k0000m060087000c.html 2010年1月20日閲覧。