斉藤滋与史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
斉藤 滋与史
さいとう しげよし
生年月日 (1918-08-09) 1918年8月9日
出生地 日本の旗 静岡県
没年月日 (2018-08-09) 2018年8月9日(100歳没)
死没地 日本の旗 静岡県富士市
出身校 早稲田大学商学部
前職 大昭和製紙副社長
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 勲一等瑞宝章(1988年11月)
親族 斉藤斗志二(養子・甥)

静岡県の旗 第47・48代 静岡県知事
在任期間 1986年7月7日 - 1993年6月23日

日本の旗 第44代 建設大臣
内閣 鈴木善幸内閣
在任期間 1980年7月17日 - 1981年11月30日

選挙区 旧静岡2区
在任期間 1969年12月28日 - 1986年6月2日

当選回数 1回
在任期間 1966年 - 1969年
テンプレートを表示

斉藤 滋与史(さいとう しげよし、1918年大正7年)8月9日 - 2018年平成30年)8月9日)、日本の実業家、政治家富士市名誉市民[1]

静岡県知事(第47・48代)、建設大臣第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した[2]

大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員斉藤斗志二は甥で養子。

人物[編集]

静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業[2]。大学卒業後、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。

1964年吉原市長に初当選し、1966年市町村合併により初代富士市[2]1969年第32回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧静岡2区(定数5)に立候補し、トップ当選。以後、6期連続で当選し、うち4回はトップ当選だった。1980年鈴木善幸内閣建設大臣に任命され、初入閣した。また田中派に所属し、同派の若手議員で結成された「七日会」の会長も務めていた[2]1982年、大昭和製紙社長に就任し、経営危機に瀕した同社の再建に尽力した後、1983年11月に辞任[2]

1986年山本敬三郎の引退に伴い静岡県知事選挙に自民党公認(公明党支持)で立候補し、当選。1990年の静岡県知事選挙では自民・公明・民社3党の推薦及び日本社会党の支持を受け、与野党の相乗りで再選。知事在任中は静岡空港富士山こどもの国小笠山総合運動公園の建設等、21世紀に向けた県土の発展に寄与したが[1]1993年、病気を理由に任期を1年残して静岡県知事を辞任した[2]

1988年秋の叙勲で勲一等瑞宝章を受章[3]

趣味は囲碁ゴルフ小唄[2]

2018年8月9日7時15分、心不全のため、静岡県富士市の病院で死去[4][5]。100歳没。生没同日で100歳を迎えた当日の死去であった。

家族・親族[編集]

斉藤家[編集]

静岡県吉原市(現富士市)、東京都

参考文献[編集]

  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)265頁
  • 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 (立風書房 2001年) 181-192頁

脚注[編集]

  1. ^ a b 【広報ふじ平成18年】名誉市民に 齊藤滋与史氏
  2. ^ a b c d e f g 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』265頁
  3. ^ 斉藤滋与史元静岡県知事死去 100歳、社会資本整備を推進
  4. ^ “元静岡知事の斉藤滋与史氏が死去…100歳の誕生日 建設相、大昭和製紙社長など歴任”. 産経ニュース. 産業経済新聞社. (2018年8月9日). http://www.sankei.com/politics/news/180809/plt1808090042-n1.html 2018年8月9日閲覧。 
  5. ^ 斉藤滋与史氏死去=元建設相、元静岡県知事 - 時事ドットコム 2018年8月9日
  6. ^ 佐藤朝泰 著 『豪閥 地方豪族のネットワーク』 (立風書房 2001年) 186頁