李家隆介
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李家 隆介(りのいえ たかすけ、慶応2年8月(1866年) - 1933年7月23日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、錦鶏間祗候、下関市長。
経歴[編集]
長州藩御典医・李家隆彦の長男として京都で生まれる。京都府中学校、神田共立学校、大学予備門、第一高等中学校を経て、1890年7月、帝国大学法科大学政治科を卒業。1891年4月、内閣試補となり、同年7月、内務省に転じ内務試補となった。
以後、大分県・富山県の各参事官、岡山県・神奈川県の各書記官などを歴任。
1902年12月、富山県知事に就任。以後、石川県知事、静岡県知事、長崎県知事を歴任。1917年3月、長崎県知事を辞任し退官。同年12月15日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[1]。1920年から1922年まで下関市長に在任した。
栄典・授章・授賞[編集]
- 位階
- 1895年(明治28年)11月20日 - 正七位[2]
- 1897年(明治30年)10月30日 - 従六位[3]
- 1899年(明治32年)11月20日 - 正六位[4]
- 1901年(明治34年)12月26日 - 従五位[5]
- 1909年(明治42年)2月1日 - 従四位[6]
- 1914年(大正3年)2月20日 - 正四位[7]
- 勲章等
- 1904年(明治37年)12月27日 - 勲四等瑞宝章[8]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲三等旭日中綬章[9]
- 1915年(大正4年)
- 1921年(大正10年)7月1日 - 第一回国勢調査記念章[12]
- 外国勲章佩用允許
脚注[編集]
- ^ 『官報』第1613号、大正6年12月17日。
- ^ 『官報』第3721号「叙任及辞令」1895年11月21日。
- ^ 『官報』第4302号「叙任及辞令」1897年11月1日。
- ^ 『官報』第4918号「叙任及辞令」1899年11月21日。
- ^ 『官報』第5547号「叙任及辞令」1901年12月27日。
- ^ 『官報』第7678号「敍任及辞令」1909年2月2日。
- ^ 『官報』第468号「叙任及辞令」1914年2月21日。
- ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』号外「辞令」1922年6月22日。
- ^ 『官報』第5778号「叙任及辞令」1902年10月6日。
- ^ 『官報』第7415号「叙任及辞令」1908年3月18日。
参考文献[編集]
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正2年 至大正3年』東京帝国大学、1913-1924年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 『20世紀日本人名事典 そ-わ』日外アソシエーツ、2004年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 「内閣・李家隆介内閣試補被命ノ件」国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・任A00242100
外部リンク[編集]
- 『石川県史 第4編』(国立国会図書館デジタルコレクション)肖像写真
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