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平塚広義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
平塚ひらつか 広義ひろよし
󠄁󠄁 廣義
生年月日 1875年9月2日
出生地 日本における郵船商船規則の旗 日本山形県最上郡新庄小田島町(現:新庄市小田島町)
没年月日 (1948-01-26) 1948年1月26日(72歳没)
死没地 連合国軍占領下の日本の旗 日本郡馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢大学村
出身校 東京帝国大学法科大学政治科
前職 内務官僚
称号 正三位
勲二等
配偶者 平塚茂子
子女 九重京司(長男)
在任期間 1932年1月13日 - 1936年9月2日
総督 太田政弘
南弘
中川健藏
大日本帝国の旗 第24代 東京府知事
在任期間 1925年9月16日 - 1929年7月5日
在任期間 1939年12月19日 - 1947年5月2日
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平塚 広義(ひらつか ひろよし、旧字体: 󠄁󠄁 廣義1875年明治8年〉9月2日 - 1948年昭和23年〉1月26日)は、日本内務官僚[1]。1府3県の知事、台湾総督府総務長官貴族院勅選議員などをつとめた。正三位勲二等山形県士族[1]

「ヌラリクラリ党のエキスパート」と呼ばれ、政党色を明確にしない立場を保ちつつ政権交代の嵐の中でもたえず知事を続け、出世を繰り返していった[2]

来歴

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父は新庄藩士平塚榮次郎[1]、弟は蚕糸学者文化功労者平塚英吉、長男は俳優著述家九重京司(本名・平塚広雄)である[3][4]

1875年(明治8年)、山形県最上郡新庄小田島町(現在の同県新庄市小田島町)に生まれる[1]。やがて第二高等学校に進学。1902年(明治35年)3月、東京帝国大学法科大学政治科を卒業、内務省に入省する。三重県事務官・警察部長、新潟県事務官・警察部長、神奈川県事務官・警察部長、愛媛県・新潟県・兵庫県内務部長を歴任。

1916年大正5年)から1925年(大正14年)まで栃木県知事長崎県知事兵庫県知事を歴任。兵庫県知事在任中に甲子園球場が完成している。1925年9月から1929年(昭和4年)7月まで東京府知事を務める。1932年(昭和7年)1月、台湾総督府総務長官となり、台湾拓殖副社長を兼務。1939年(昭和14年)12月19日、貴族院勅選議員に勅任され、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任している。1947年6月3日、参議院全国選出議員選挙管理委員会委員および同委員長を辞任。

1948年(昭和23年)1月26日、薨去。満72歳没。墓所は多磨霊園

栄典

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位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲六等瑞宝章[15]
1911年(明治44年)12月26日 勲五等瑞宝章[16]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[17]
1916年(大正5年)7月1日 勲四等瑞宝章[18]
1920年(大正9年)7月31日 勲三等瑞宝章[19]
1920年(大正9年)11月1日 旭日中綬章[20]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[21]
1927年(昭和2年)9月6日 勲二等瑞宝章[22]
1930年(昭和5年)12月5日 帝都復興記念章[23]
1934年(昭和9年)4月29日 昭和六年乃至九年事変従軍記章[24]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1924年(大正13年)5月29日 フランス第三共和政 フランス共和国 ドラゴンドランナン勲章フランス語版グランオフィシエ[25]
1941年(昭和16年)12月9日 満洲国 満洲帝国 建国神廟創建記念章[26]

脚注

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  1. 1 2 3 4 臺灣新聞[1935], p.26.
  2. 鵜飼幸雄 (2010). “政権交代下の地方官人事:戦前知事は「浮き草稼業」だったのか”. 政策科学: 5.
  3. キネ旬[1979], p.207-208.
  4. 九重京司コトバンク、2015年3月10日閲覧。
  5. 『官報』第6523号「叙任及辞令」1905年4月1日。
  6. 『官報』第7165号「叙任及辞令」1907年5月21日。
  7. 『官報』第7788号「叙任及辞令」1909年6月12日。
  8. 『官報』第8433号「叙任及辞令」1911年8月1日。
  9. 『官報』第412号「叙任及辞令」1913年12月11日。
  10. 『官報』第1166号「叙任及辞令」1916年6月21日。
  11. 『官報』第2450号「叙任及辞令」1920年10月1日。
  12. 『官報』第4016号「叙任及辞令」1926年1月16日。
  13. 『官報』第1925号「叙任及辞令」1933年6月3日。
  14. 『官報』第2925号「叙任及辞令」1936年9月30日。
  15. 『官報』第7246号「叙任及辞令」1907年8月23日。
  16. 『官報』第8558号「叙任及辞令」1911年12月28日。
  17. 『官報』第1350号・付録「辞令」1917年2月3日。
  18. 『官報』第1251号「叙任及辞令」1916年9月30日。
  19. 『官報』第2400号「叙任及辞令」1920年8月2日。
  20. 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  21. 『官報』号外「辞令」1922年6月22日。
  22. 『官報』第211号「叙任及辞令」1927年9月9日。
  23. 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  24. 『官報』第2995号・付録「敍任及辞令二」1936年12月24日。
  25. 『官報』第3531号「叙任及辞令」1924年6月2日。
  26. 『官報』第5060号・付録「辞令二」1943年11月24日。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
画像外部リンク
台北寄基隆市信封
1935年9月30日付
(平塚筆の封書)
官職
先代
木下信
大日本帝国の旗 台湾総督府総務長官
第14代:1932年1月13日 - 1936年9月2日
次代
森岡二朗