鈴木敬一 (内務官僚)

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鈴木敬一

鈴木 敬一(すずき けいいち、1889年7月25日 - 1973年11月29日)は、日本内務官僚府県知事、初代住宅金融公庫総裁。

略歴[編集]

愛知県出身。新潟中学校第一高等学校を経て、1914年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り島根県属となる。

以後、熊本県警視、同県球磨郡長、同県理事官長崎県理事官、長野県学務部長、大阪府警視、同特別高等警察課、山口県警察部長、福岡県警察部長、警視庁書記官・保安部長、復興局書記官・東京第二出張所長、内務書記官、大臣官房都市計画課長などを歴任。

1931年4月、富山県知事に就任。以後、熊本県知事、広島県知事を経て、1936年4月、京都府知事となる。府内の河川改修事業を推進した。1939年4月、京都府知事を辞任し退官した。その後、樺太石炭鉱業社長などを務めた。

戦後1950年5月、初代の住宅金融公庫総裁に就任し、1962年5月まで在任。墓所は多磨霊園(19-1-11)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]