杉山四五郎

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杉山四五郎

杉山 四五郎(すぎやま しごろう、1870年明治3年)1月6日[1][注 1]) - 1928年昭和3年)6月13日[1])は、日本の内務官僚政治家政友会府県知事衆議院議員

経歴[編集]

越後国出身。大庄屋役・小川右平太の四男[要出典][注 2]として生まれ、大蔵省官吏・杉山叙(松本藩士・杉山叙主の次男[要出典])の養子となる[1]開成中学[2]第一高等学校[2]を経て、1894年7月、帝国大学法科大学政治学科を卒業[2]。同年8月、内務省に入り、愛知県属として内務部第一課長に発令された[2]1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格した[2]

1896年1月、内務属となり土木局に配属された[2]。以後、山梨県神奈川県の各参事官を務める[2]1900年3月に休職し、自費で洋行した[2]1902年3月、秋田県書記官に就任[2]。以後、同県第一部長、内務省参事官・神社局兼衛生局勤務、衛生局保健課長、兼同局医務課長、大臣官房台湾課長兼樺太課長、大臣官房文書課長などを歴任[2]

1910年6月、高知県知事に就任[2][3]1913年6月、内務省衛生局長に転じ、1914年4月まで在任[2]1915年3月、第12回衆議院議員総選挙で神奈川県郡部区に立憲政友会から出馬し当選し、衆議院議員を一期務めた[4]

1917年12月、内務省衛生局長として復帰[2]1919年4月、関東庁に転じ事務総長に就任[2]1921年6月、宮崎県知事に転じ[5]、病のため1922年10月に辞任した[2][6]1927年4月、京都府知事となり[7]、同年7月、内務次官となるが[2]、病のため1928年5月に辞任し[2][7]翌月に死去した。

墓所[編集]

墓所は東京谷中霊園の乙10号10側。墓石正面に『正四位勲一等 杉山四五郎、室 若代 墓』と記されている。

系譜[編集]

父・小川右平太の祖先は、1595年に尾州小川(現在の愛知県東浦町緒川)から越後蒲原郡豊田荘飯森杉村(現在の阿賀野市京ヶ瀬村)に移住し、その後現在の新発田市島潟に移った、小川杢右衛門政熹に遡る。[要出典] その10代目の小川 弘(ヒロム、1816-1870)は心斎と号し、鎌倉史 全50巻を著した。[要出典]

鎌倉史50巻は、国立国会図書館(書誌ID000000425664)、新発田市立図書館、早稲田大学中央図書館(古書番号 リ 05 00710)に蔵書されている。

さらに政熹は水野右衛門太夫忠政の子であり、姉の於大は松平広忠に嫁して、徳川家康の生母となった。[要出典]

栄典[編集]

親族[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『日本近現代人物履歴事典』280頁では明治3年1月3日。
  2. ^ 『日本近現代人物履歴事典』280頁では五男。

出典[編集]

  1. ^ a b c 『日本人名大辞典』1007頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本近現代人物履歴事典』280頁。
  3. ^ 『新編日本の歴代知事』944頁。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』629頁。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』1085頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』658、1085頁。
  7. ^ a b 『新編日本の歴代知事』658頁。
  8. ^ 『官報』第8257号「叙任及辞令」1910年12月28日。
  9. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  10. ^ 『官報』第439号「叙任及辞令」1928年6月15日
  11. ^ 『日本近現代人物履歴事典』175頁。
  12. ^ 内閣印刷局発行「職員録」(甲) 明治40年 P151
  13. ^ 内閣印刷局発行「職員録」(甲) 明治34年 P448

参考文献[編集]

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 山口和夫他著『郷土の先覚者 小川五兵衛伝』山口和夫・石沢幸市、1987年。新発田市立図書館(蔵書番号11203702)の

 1,2,3頁に系図と年代表があり政熹、益三と水野忠政、於大の関係及び移住の記載がされている)

  • 新発田市役所発行 杉山四五郎 除籍謄本 発行番号 00196831-20140203 に
前戸主 小川右平太、戸主 小川益三、長男 夔三、弟 亡父右平太四男 四五郎 
明治3年正月6日生、明治27年9月28日杉山叙二女ワカヨ縁養子となる の記載がある。


公職
先代:
新設
日本の旗 関東庁事務総長
初代:1919 - 1921
次代:
土岐嘉平
先代:
安河内麻吉
日本の旗 内務次官
第31代:1927 - 1928
次代:
潮恵之輔