西広忠雄

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西広 忠雄(にしひろ ただお、1900年明治33年)3月28日[1][2] - 没年不詳)は、日本の内務警察官僚。官選宮崎県知事。旧姓・中村。

経歴[編集]

広島県出身。中村百太郎の二男として生まれ、西広興一郎の養子となる[1]第三高等学校を卒業[3]1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山形県属となる[1][3][4]

以後、山形県事務官兵庫県事務官、内務事務官、岐阜県書記官警察部長、長野県書記官警察部長、静岡県書記官・警察部長、内務省書記官・計画局防空課長、同防空局企画課長、警視庁部長・警務部長、東京府内政部長などを歴任[1][4]

1943年7月1日、宮崎県知事に就任。戦時下の対応に尽力[4]1944年8月1日、朝鮮総督府警務局長に転じ[5]終戦を迎えた[3]。その後、公職追放となった[3]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、ニ42頁。
  2. ^ 永井誠吉著、サンケイ新聞編『長野県警百年の歴史』サンケイ新聞、1976年、200頁。
  3. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』248頁。
  4. ^ a b c 『日本の歴代知事』第3巻 下、323頁。
  5. ^ 『官報』第5265号、昭和19年8月2日。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代知事』第3巻 下、歴代知事編纂会、1982年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。