佐竹義文 (内務官僚)

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佐竹義文

佐竹 義文(さたけ よしふみ[1] / よしぶみ[2]1876年明治9年)11月4日[3] - 1952年昭和27年)12月28日[1])は、日本の内務警察官僚実業家政友会系官選県知事

経歴[編集]

後の東京市四谷区四谷舟町(現新宿区舟町)出身。佐竹万三の長男として生まれる[3]第一高等学校を卒業。1903年東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。逓信省に入省し管船局属となる。1905年内務省に転じ神奈川県属に就任した[1][3][4]

1906年福井県事務官となる[1]。以後、岡山県事務官・第二部長、山梨県事務官・警察部長、鹿児島県事務官・警察部長、奈良県事務官・内務部長、滋賀県内務部長、福岡県内務部長などを歴任[3]

1917年1月、鳥取県知事に就任。緊縮政策の中で、公有林野の林野調査、砂防造林、原蚕種製造所の充実、実業教育の実施などに尽力[5]1919年4月、香川県知事に転任。湯屋取締規則の制定、児童生徒の近視予防などを行う[6]1922年6月、知事を休職となる[7]。内務省嘱託として欧米各国に出張し港湾行政などを視察した[1]。帰国後、1923年6月、和歌山県知事に就任。緊縮予算の中でも教育費に配慮を行った[2]1924年6月、愛媛県知事に転任。銅山川水利権問題の解決を見たが、銀行合併問題は合併を実現できなかった[3]1925年9月、熊本県知事に転任[8]1926年9月28日、知事を依願免本官となり退官した[4][9]

その後、実業界に転じ、東邦電力 (株) 取締役、群馬水電取締役、安田保善社参事などを務めた[1][2]

著作[編集]

  • 『欧米を縦横に』寳文館、1925年。

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『和歌山県史 人物』213頁。
  2. ^ a b c 『新編日本の歴代知事』741頁。
  3. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』921頁。
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』184頁。
  5. ^ 『新編日本の歴代知事』762頁。
  6. ^ 『新編日本の歴代知事』897頁。
  7. ^ 『官報』第2963号、大正11年6月19日。
  8. ^ 『新編日本の歴代知事』1043頁。
  9. ^ 『官報』第4230号、大正15年9月29日。
  10. ^ 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年、さ26頁。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。