加戸守行

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日本の旗 日本の政治家
加戸守行
かと もりゆき
生年月日 1934年9月18日(79歳)
出生地 関東州大連市
出身校 東京大学法学部
愛媛県立八幡浜高等学校
前職 日本音楽著作権協会理事長
所属政党 無所属
称号 法学士東京大学1957年

愛媛県の旗 民選第14~16代 愛媛県知事
当選回数 3回
任期 1999年1月28日 - 2010年11月30日
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加戸 守行(かと もりゆき、1934年9月18日 - )は日本の政治家愛媛県知事(第14~16代)、元文部官僚。同県八幡浜市出身(出生は旧満州)。

経歴[編集]

知事就任以前

1934年9月18日、旧関東州大連市にて出生した。 愛媛県立八幡浜高等学校を経て1957年東京大学法学部を卒業後、旧文部省(現文部科学省)に入省。

その後、1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を制定、ベルヌ万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。現行の著作権法の草稿執筆者としても知られ、著作権の権威であり著書の「著作権法逐条講義」は著作権法を学ぶ者にとって必読の書となっている。

1988年に同省の大臣官房長に就任。1989年4月12日、西岡武夫文部大臣の下、阿部充夫事務次官を残して、省内主流の加戸・吉村澄一初等中等教育局長・斎藤諦淳生涯学習局長らがリクルート事件に連座して辞職。その後日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長などを歴任。

知事就任後

1999年に愛媛県知事選に出馬。現職の伊賀貞雪知事を破り、初当選を果たした。2003年2007年に再選され、3期歴任。

全国の都道府県知事で唯一の旧文部省出身であり、教育問題には特に熱心に発言した。

2010年5月26日に任期満了前の勇退を表明[1]し、同年9月14日の県議会で任期満了前に退任することを正式に表明した[2]。任期を2ヶ月残して退任することは「正月明けの選挙を避け、来年度予算や人事を新知事に委ねるため」[3]としている。2010年11月30日に退任し、3期約12年におよんだ加戸県政は幕を下ろした。退任会見では、12年間で自分だからこそできた施策として愛媛県武道館の建設、後悔の残ることとして義務教育費国庫負担の国の負担率引き下げを挙げた[4]

知事退任後

2011年度より大阪国際大学客員教授を務める。2013年1月より教育再生実行会議の委員を務める。

加戸県政[編集]

前任の伊賀県政が閉塞的な状況に陥っていたため、知事の交代は県民や県職員に歓迎された。ものも言えない雰囲気といわれ沈滞を極めていた状況が一変した。県民の目線で施策を進めるべしというのが信条。

財政状況はかんばしくなく、大型の「箱物」の整備は無理な状況であり、さまざまな「箱物」を手がけ、県債の山を残した伊賀県政とは明暗を分けている。

全国唯一の文部科学省出身知事として、義務教育費国庫負担堅持が持論。だが、全国知事会の中では少数派。

主要な施策[編集]

(順不同)

  • 愛媛県武道館
スポーツ政策は、伊賀前知事の時代は優先順位が低く、老朽化していた愛媛県武道館の新築・移転が一気に実現したことは関係者には歓迎された。だが、手抜き工事の発覚によって皮肉にも看板施策に泥を塗られる結果となった。
県と県内主要企業の出資によるえひめ映画製作委員会を設立し、全編愛媛ロケによる映画「船を降りたら彼女の島」(監督・磯村一路、主演・木村佳乃)を製作した。
  • 愛と心のネットワーク
ボランティア活動の振興などを中心とした「愛と心のネットワーク」づくりを県政の柱の一つとして進めているが、県民に浸透しておらず、中身がないとの批判もある[要出典]
10億円以上の事業について、見直し・凍結・先送りの方向にて検討を進めている。2006年2月現在[要出典]
  • 地方局再編
県内に5箇所ある地方出先機関「地方局」を、その機能を見直したうえ、3箇所に集約する方向で検討が進められているが、案が固まるのは当初予定より遅延する見通し[要出典]

歴史教科書採択問題[編集]

2001年、2002年の県立中学(中高一貫校)、県立学校の教科書採択に際し、注目された歴史教科書について、賛否両論があるなか、「扶桑社版がベスト」と発言。県教育委員会は扶桑社版(いわゆる「つくる会」教科書)を採用。当時の県教育長も知事の意向を汲んだとの発言をしており、知事の教育への介入ではないかと議論を呼んだ[5][6]

2005年8月の採択でも、県立学校では扶桑社版を引き続き採用した。

一方、2005年夏の愛媛県下の市町村教育委員会による採択では、扶桑社版を採用する市町村は結果的に一つもなかった。この結果について、加戸知事は1990年の旧・文部省の通知を引き合いに出し、現場教員に対するアンケートや採択委員会での順位付けを重視するのではなく、教育委員会が主体性をもって決すべきとの立場から、疑問を呈する発言を行った[要出典]

2009年8月の採択では、県教育委員会による県立学校の扶桑社版歴史教科書採用に続き、今治市と越智郡上島町の教育委員会でも、2010年度から管内の公立中学校で扶桑社版の歴史および公民教科書を採用することを決めた[要出典]

その他[編集]

飲酒運転で摘発の県議の擁護発言[編集]

2004年1月18日、愛媛県警・松山南署が行った飲酒検問で西条市選出の渡部浩自民党県議が飲酒運転の疑いで現行犯逮捕された。議会からは「自発的な辞職を求めるべきだ」との声が上がったが、知事は22日の会見で「適切ではなく、大変残念だ」と表明しながら議会が求めている議員辞職については「県議としての活動が継続出来なくなるような重大な事態とまでは思っていない。進退は御本人が判断されること」とコメントした。

県立病院内での喫煙問題[編集]

2006年1月19日の定例会見で、松山市にある愛媛県立中央病院人間ドックを受診した際、全館禁煙にもかかわらず、控室であった特別室内でたばこを吸ったことを明らかにした。知事は「全館禁煙の認識はあったが、灰皿があったから・・・気の弱さかもしれません」と釈明し、「極めて不適切であったと反省している」と陳謝した。

健康増進法第25条やたばこ規制枠組条約では受動喫煙防止が定められており、この規定に沿って全館禁煙を定めた県の施設において県のトップである知事が規則破りである喫煙をしたこと(さらに受動喫煙防止が義務付けられているはずの病院側が灰皿を用意していたこと)には県内外から批判が集中した。

だが「これを機にたばこをやめてはどうか」との記者の質問には「私に禁煙しろというのは極論すれば死ねということ。人に迷惑を掛けないように吸いたい」と答えた。

著作[編集]

  • 『著作権法逐条講義』(社団法人著作権情報センター
  • 『我が流儀は「加戸流」』(愛媛ジャーナル、2001年)・・・放送でのインタビューをまとめたもの

脚注[編集]

  1. ^ “加戸・愛媛県知事、今秋引退へ”. 読売新聞. (2010年5月26日). http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100526-OYT1T00953.htm 2010年5月26日閲覧。 
  2. ^ “75歳の愛媛県・加戸知事、退任を正式表明 県議会初日「最善と決断」”. 産経新聞 (msn産経ニュース). (2010年9月14日). http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100914/lcl1009141233002-n1.htm 2010年10月25日閲覧。 
  3. ^ “知力、体力、気力の限界…愛媛知事が退任表明”. 読売新聞. (2010年9月14日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20100914-OYT1T00442.htm 2010年10月25日閲覧。 
  4. ^ 愛媛県庁 (2010年11月30日). “平成22年度11月知事定例記者会見(退任会見)の要旨について”. 2011年9月8日閲覧。
  5. ^ 「愛媛県教育委員会『つくる会の歴史教科書』を採択」『朝日新聞』2002年8月15日付。
  6. ^ 「扶桑社より東京書籍評価 愛媛県教委の審議会答申」『京都新聞』2002年8月16日付。