香坂昌康

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香坂昌康

香坂 昌康(こうさか まさやす 1881年2月2日 - 1967年12月21日)は、日本内務官僚。官選県知事

来歴・人物[編集]

東京生まれ。父は鹿児島県出身。本籍・山形県東京府立一中錦城中学一高を経て、1908年(明治41年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科仏法科卒業。同年同月、千葉県属、同年11月、文官高等試験合格、42年8月、内務省入省。愛媛県理事官視学官岡山県警察部長、熊本県警察部長、秋田県内務部長、埼玉県内務部長などを経て、1923年大正12年)に福島県知事となる。

以後、愛媛県・岡山県愛知県各知事を歴任。1932年昭和7年)2月5日、依願免本官となり退官[1]。同年5月、東京府知事に復帰。1935年(昭和10年)に依願退職。大日本連合青年団日本青年館理事長、国民精神総動員中央連盟理事。1945年(昭和20年)5月から8月まで、大東亜錬成院長。戦後は1951年(昭和26年)まで公職追放を受けた。1967年12月21日老衰のため86歳で死去。

その他[編集]

弓道家としても著名である。大学時代には本多利実(本多流)に師事し、昭和22年(1947年)には範士号を授与された。戦後には全日本弓道連盟副会長等を務めた。

編著書[編集]

  • 『炉辺閑話』篤農協会叢書、篤農協会、1936年。
  • 『一人の力、国家の力』国民精神総動員中央聯盟、1938年。 
  • 編著『幽香女史』北辰堂、1960年。
  • 『香坂昌康遺芳録』香坂昌康遺芳録刊行会、1972年。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第1529号、昭和7年2月6日。