松平勇雄
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松平 勇雄 まつだいら いさお | |
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生年月日 | 1907年6月14日 |
出生地 |
日本 福島県大沼郡高田町 (現福島県大沼郡会津美里町) |
没年月日 | 2006年4月1日(98歳没) |
死没地 | 日本 東京都世田谷区 |
出身校 | 早稲田大学商学部卒業 |
前職 | 会社社長 |
所属政党 |
(自由党→) 自由民主党 |
称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
配偶者 | 松平玲子 |
親族 |
伯父・松平容大(貴族院議員) 叔父・山田英夫(貴族院議員) 叔父・松平恆雄(参議院議長) 叔父・松平保男(貴族院議員) |
第29-30代 行政管理庁長官 | |
内閣 |
第1次佐藤第3次改造内閣 第2次佐藤内閣 |
在任期間 | 1966年12月3日 - 1967年11月25日 |
選挙区 | 福島県選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1951年2月12日 - 1974年7月7日 |
民選第10-12代 福島県知事 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1976年9月19日 - 1988年9月18日 |
松平 勇雄(まつだいら いさお、1907年(明治40年)6月14日 - 2006年(平成18年)4月1日)は、日本の政治家。位階は正三位。参議院議員、福島県知事を務めた。初代参議院議長などを務めた松平恒雄は叔父。
生涯
[編集]1907年(明治40年)6月14日、伊佐須美神社宮司・松平健雄(松平容保の次男)の次男として福島県大沼郡高田町(会津高田町を経て現・同郡会津美里町)に生まれた。旧制目白中学校(現在の中央大学附属高等学校)を卒業し、1933年(昭和8年)に早稲田大学商学部を卒業した。
三菱商事社員、鉄鋼会社社長を経て、1951年(昭和26年)2月12日の参議院補欠選挙に福島地方区から立候補し初当選。1966年(昭和41年)12月3日、第1次佐藤内閣の行政管理庁長官として初入閣し、1967年(昭和42年)11月25日まで務めた。1974年(昭和49年)7月7日の参議院選挙で落選するまで参議院議員を4期23年間務めた。
1976年(昭和51年)9月19日、贈収賄事件で逮捕された木村守江の辞職を受けて行われた福島県知事選に出馬して当選し、1988年(昭和63年)9月18日まで3期12年務めた。任期中には福島県立図書館や福島県立美術館、福島県立博物館などの文化施設を設置し、「文化の知事」と呼ばれた[1]。福島空港の整備、福島放送やテレビユー福島の開局にも尽力した。1983年(昭和58年)、勲一等旭日大綬章を受章した。
2006年(平成18年)4月1日、老衰のため東京都世田谷区野毛一丁目の自宅で死去[2]。98歳没。多磨霊園に葬られた。同年5月9日付官報第4332号に、死亡日付けで正三位に叙せられた旨が掲載された。会津会名誉会員[3]。
人物
[編集]- 温厚な人柄で知られており、その笑顔は「松平スマイル」と称された。その一方、清廉潔白を貫く気骨ある性格でも知られていた[4]。自由民主党が福島県知事選挙に松平を擁立した際には、殿様らしいクリーンなイメージを重視したという[1]。
- 宗谷岬にある、江戸時代の会津藩樺太出兵の時亡くなった藩士たちの墓に訪れた際、「たんぽぽや会津藩士の墓はここ」という句を捧げている。
脚注
[編集]- ^ a b 八幡和郎 『歴代知事三〇〇人―日本全国「現代の殿さま」列伝』 光文社〈光文社新書〉、2007年、76-77頁。
- ^ “松平勇雄氏死去 前福島県知事”. 共同通信. (2006年4月3日) 2014年11月14日閲覧。
- ^ 『会津会会報第61号』1950年
- ^ 歴史が眠る多磨霊園 松平勇雄
公職 | ||
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先代 木村守江 |
福島県知事 公選第10-12代:1976年 - 1988年 |
次代 佐藤栄佐久 |
先代 田中茂穂 |
行政管理庁長官 第29代・第30代:1960年 - 1961年 |
次代 木村武雄 |
議会 | ||
先代 長谷川信 |
参議院外務委員長 1971年 |
次代 八木一郎 |
先代 野上進 |
参議院運輸委員長 1959年 - 1961年 |
次代 野上進 |
先代 瀧井治三郎 |
参議院逓信委員長 1955年 - 1956年 |
次代 酒井利雄 |